【26 】四季の決断
日本に着いてすぐにコナは枝折の病院へ向かった。
蒼と四季は佳樹のところへ報告に向かったが、コナには真っ直ぐに病院に行くようにと二人ともが言ってくれた。
枝折の病室に入ると知らない人が眠っていた。
あわてて部屋の前のネームプレートを確認すると枝折の名前ではない。
部屋移動したのだろうか。
コナはすぐ隣のナースステーションへ向かった。
「コナ?」
「篤子さん」
ナースステーションで枝折の病室を聞こうとしていると篤子に声をかけられた。
エレベーターホールから歩いてきた篤子が大きなお腹に手を当て、袋をぶら下げている。
コナが袋を受け取ると、篤子はふう、と大きな息を吐いた。
「いつ帰ってきたの?」
「さっきだよ。空港出た時に篤子さんにもラインしたよ」
「あら。ごめんなさい。見てなかったわ」
篤子が斜め掛けにしていた小さなバッグから
携帯を取り出した。
「枝折さんは?てか篤子さん家にいないと、」
「私も今来たとこよ。
コナも四季もいないから退屈で。
それに歩いた方がいいって言われてるから」
篤子がニコッと笑ったのを見てコナの体に入っていた力が抜ける。
篤子がドシドシ、と歩いていくのにコナが後ろから着いて行った。
「枝折、峠は越したみたいで。
部屋も普通の個室になったのよ」
もうナースステーションの隣ではなくとも良いらしい。
昨日移動した、と篤子は歩きながら言った。
「良かった」
「まだ寝てるんだけどね。血液検査の数値は良いんだって。
先生が早く目覚めてごはん食べてもらわないと、って言ってたわ」
一番奥から二番目の部屋の前で篤子が足を止める。
入り口のネームプレートに【佐藤枝折】とあった。
コナが篤子と中に入ると、酸素マスクは外れていたが飲食しないので点滴はまだ繋がっていた。
二人で長椅子に座る。枝折はすやすやと眠っていた。
「話しかけてもいいかな」
「もちろん。私毎日、起きなさい!って言ってるわよ」
ふふ、と篤子が笑う。
小さな個室なので真ん中に置かれたベッドのそばに寝転がることができる長椅子、そしてロッカーがあるだけだ。
長椅子とベッドの間は一人がやっと通れるほどしかない。
コナが長椅子から立ち上がるとすぐにベッド柵に手が届いた。
「枝折さん。ただいま」
もう何日も食べていないからなのだろうか。
間近で見た枝折の顔はひと回り小さくなっている。
長いまつ毛が気持ち良さそうに呼吸とともに揺れているのを見ながら、コナは枝折にハワイでの話をした。
「ゆりさん、今は優しい旦那さんと娘さんのマオちゃんと暮らしてるって。幸せだって言ってたよ」
「そうなの。良かった。ねえ、マオちゃん、
コナに似てるでしょ?」
長椅子に座って話を聞いていた篤子がコンビニで買ってきた水を飲みながらくすくす、と笑った。
「なんでわかったの?」
「コナって女の子みたいに可愛い顔してるから。妹さんだ、って言うし」
「そういうことか。ゆりさんが最初に僕を見てマオちゃんかと思ったぐらい似てる」
ゆりが家族と幸せに暮らしていると聞いて篤子はうれしかった。辛い目に遭ったのだから幸せになっていてほしい。
「空港で別れる時に…ゆりさんに言ったよ。
俺にもお母さんがいるから安心して、って。
東京に来てから俺を大切にしてくれているお母さんがいるから、って。
マア、ってハワイ語でお母さん、って意味なの。
最後にゆりさんにマア、って呼ばせてもらった。
でもなんか変な感じで。
やっぱり俺のお母さんは枝折さんなんだ」
コナの話を聞いてさっきまで楽しそうにしていた篤子がスッと下を向く。
美容院にも行けず伸びてしまった篤子の髪。
後ろで一つに結んだその髪が小さく震えていた。
「ゆりさんに会えて良かった。
ゆりさんが必死で産んで守ってくれた自分の命を大切にするよ。
一生懸命生きてみせる。
枝折さんや篤子さんを守れるぐらい強くなりたい。
ゆりさんもきっと喜んでくれるから」
コナがじっと見つめていた枝折の目尻からツー、と細い涙がこめかみへと流れていく。
指で枝折の涙をぬぐうと枝折がゆっくりと目を開けた。
「…お母さん」
「……」
開いたまぶた。
枝折の目から涙があふれて落ちる。
少し乾いた唇もかすかに動き始めた。
「…コナ」
「お母さん」
長椅子で泣いていた篤子がびっくりしてコナの横に立ち、あはは、と泣き笑いをした。
「コナには敵わないわね。枝折、おはよ」
「篤子…」
「あんたにはコナが特効薬ね。でも良かった。
やっと起きました、って看護師さんに言ってくるわ」
ナースコールを押せばいい、とコナが言おうとしたが、篤子はもう部屋を出ていた。
ぽかぽかとした日差し。ハワイの日差しに似た優しい光が目覚めた枝折の頬をピンクに染めている。
コナは枝折の手を握り、うんうん、と頷いた。
廊下に出た篤子は深呼吸していた。
また泣きそうになるのを必死で堪える。
あまり泣くと腹に力が入るから怖い。
枝折がやっと目を覚ましてくれた。
そしてコナと四季が無事に帰ってきてくれた。
あとは自分がしっかりと子どもを産むだけだ。
こぼれた涙を拭って篤子はドシドシ、と廊下を歩く。
ナースステーションで枝折が目を覚ました、と報告すると中にいた看護師たちが、良かった!と篤子のところへやって来た。
「血液検査もいいのでごはんがしっかり食べられるようになったら抗がん剤を一回して、退院しましょうか」
枝折の診察をしに来た主治医が篤子とコナに振り向く。
枝折はまだうっとりした顔をしているが、今夜から食事を出す、と主治医は言った。
「転移も落ち着いてますし、このお薬を長く続けたい。
それには佐藤さん、体力ですよ。体力をつけていただかないと」
「はい。がんばって食べます」
コナも店も気になる。
そして何よりも篤子が臨月に入っているのだ。
いつ生まれてもおかしくないぐらい篤子は大きなお腹をしていた。
こんなところで寝ている場合ではないのだ、と枝折は自分に喝を入れた。
「コナ、少し起こして」
「うん。これぐらい?」
コナがリモコンで頭元をギャッジアップすると半座位まで起き上がれることができた。
こうすると篤子とコナの顔がよく見える。
枝折は目を細めて微笑んだ。
「篤子のお腹にいる子のお父さんにはなれるけど、私をお母さんにしてくれたのはコナだけよ」
「枝折さん…」
「あんた、うまいこと言うわね」
篤子のひとことで、しみじみとしていた雰囲気が一変に明るくなった。
コナも枝折も声を出して笑った。
枝折が晩ごはんを食べたあと、篤子とコナは病院を後にした。
四季を誘って寿司を食べにいこう、と言い出した篤子と、コナはタクシーで銀座に向かっていた。
「四季もお父さんとの話が終わったみたいね」
「うん」
コナは篤子に、四季さえ良ければ佳樹の会社を継ぐことをもう一度考えてもいいのではないか、と話した。
佳樹ともっといろんな話をしたいと言っていた四季。
心が通じ合えば親子で働けるほど素晴らしいことはない。
ホストももちろん四季には合っているのもわかっているが。
「私もそう思うわ。四季のお父さんは確かに仕事ばかりしていたけど、だからと言って家族を愛していないということではないのよ」
四季が自分で気づかなければならないことだ。
他人がどうこう言ったところで四季自身が納得しなければならない。
ハワイに行って、ゆりと会えたことが四季のこれからの人生も大きる変えるだろう。
篤子は四季がどんな道を選ぼうと全力で応援する気だった。
「仕事が変わったからって、会えなくなるわけじゃない」
「そうだよね」
「コナも私も枝折も、四季が幸せな人生を歩いてくれることが願いだものね」
そろそろネオンが灯り始める銀座が近づいて来た。
東京にはハワイのような広い空はない。
しかし篤子もコナもこの狭い空の下でこれからも生きていくつもりだった。
四季と合流して、篤子と枝折の高校の同級生が経営する寿司屋に入る。
立派な引き戸を開けると出迎えてくれたのはせりなだった。
「いらっしゃいませ」
「せりなちゃん久しぶり。いじめられてない?」
「誰がいじめるんだよ」
オーナーがカウンターの中で魚を切りながらチラッと篤子たちの方を見た。
「なんだお前その腹」
「食べ過ぎたみたい。でもまだ食べられるからじゃんじゃん握って」
「はあ?」
せりなが間仕切りされた個室に三人を通した。
「コナ。この子せりなちゃん。私がこの店紹介したのよ」
「初めましてせりなです。四季、久しぶり」
「元気そうだな。安心したよ」
せりなは借金を一生懸命返している。
ここなら時給もいいしなにより篤子と枝折の親友がオーナーなので気が置けない。
せりなの笑顔を見ていると、楽しく働いていることが篤子にはわかった。
「オーナーとせりなちゃんも飲んでね」
「ここはスナックじゃねえぞ。まあ、一杯もらうか」
「ノンアルにしなさいよ。仕事中でしょ」
飲み物を持って来たせりなが、各々の前に
グラスを置いた。
「篤子さんが来たらオーナーうれしそう。
普段はあんなに話してくれないのに」
「照れてるからよ。
あいつ見かけによらずシャイ過ぎるから
せりなちゃんが相手だと無口でしょ。
私のことは女だと思ってないからこうなるのよ」
オーナーに聞こえないように篤子がせりなと
ヒソヒソ、と話している。
他の客が店に入って来たのでせりなは個室から
出ていった。
「お待たせ」
おしゃれな板の上に寿司が並んでいる。
色とりどりで美しいと思えるほどだった。
「いただきます!」
「いただきます!うまそー」
コナと四季が手を合わせてパクッと寿司をひとつ頬張る。
お互い顔を見合わせて目をキラキラとさせていた。
オーナーが篤子の腹に視線を置いたのに気づいた篤子が自分の腹を撫でた。
「誰の子だよ」
「…枝折よ」
「お前…」
高校の時から篤子が枝折を想っていることを
オーナーは知っていた。
枝折の心が女性だと知っていたからなにもしてやれなかったが。
枝折の子を身籠ったと言った篤子は幸せそうに見える。
オーナーの胸の中にあった小さな塊。
それがスッと消えた気がした。
「おめでとう」
「ありがとう。次はあんたね。
40過ぎたけど私たちまだまだよ」
「俺は、もう一生独り身だな」
「よく言うわ。せりなちゃん、あんたが話してくれないって悲しそうだったけど?」
ぱく、と寿司を食べて篤子がオーナーを見ると、耳まで真っ赤になっていた。
「あはは。あんた相変わらずねえ」
「うるせえ。つ、次もすぐ持ってくるから、腹の子の分もいっぱい食えよ」
風のようにオーナーが去って行く。
話を聞いていなかったコナと四季はおいしい、と言い合っていた。
「で、四季。お父さんとお話してきたんでしょ?」
もぐもぐと寿司を食べていた四季が、うん、と頷いてごくん、と飲み込む。
子供っぽいその仕草に篤子は思わず微笑んだ。
「俺、お父さんのこと誤解してた。誤解、とは違うかな。
お父さんのこと何も知らなくて、ただ、俺や
お母さんより仕事が好きで大事なんだなって思ってた」
だからこそそんな人の会社に入るなど絶対に嫌だった。
冷たい氷のような家にいたくなくて四季は飛び出したのだ。
「初めてコナをお父さんに会わせた時、お父さんの過去を聞いて今まで俺が思っていたお父さんと違うって思った。
ゆりさんに会って…ゆりさんとコナを必死で守ろうとしてたお父さんがかっこいいって思えた。
それが、俺や弟やお母さんに対しても同じだった、って気づいたんだ」
「そうよね。四季のお父さんが悪い人なら
ゆりさんは感謝なんてしてないものね」
「俺のこともそうだよ。
俺をおじいちゃんとおばあちゃんに預けたのも、佳樹さんは働いて俺を育てようって思って
くれたからなんだよ」
話などした記憶のない父の胸の中にある思いは、四季には到底わかるはずもなかった。
わかろうとしなかったのかもしれない。
大人になった今なら愛する人を守るために働く、ということがかっこいいことだとわかるのだ。
「継ぐつもりはなかったんだけど…
お父さんに、少しずつでいいから仕事を教えてほしいって言ったんだ」
篤子が優しく頷く。四季はホストが嫌になって辞めるのではない。
ホストとして働き、学んだことを持って佳樹の会社に入ろうとしていた。
「四季が決めたことならそれが正解よ」
「ありがとう篤子さん。でも、お父さんに…」
“ホストの仕事が好きなんだろ?”
佳樹はそう聞いた。うん、と四季が答えると、好きな仕事を辞めてまで来るのは違うと思う、と続けた。
「生半可な気持ちで、とか言ってるんじゃない。うちに来るからにはもちろん一生懸命やってもらう。
私の願いを叶えたいと四季が思ってくれているのはうれしいよ。
でも四季は好きな仕事を見つけてるんだ。
本当は続けたいんだろ?」
まさに四季の心にある思いだった。
自分と母をちゃんと愛してくれていた父の仕事を手伝いたい。
それが父の願いならなおさらだ。
しかし佳樹の言う通り、四季はホストという仕事が心から好きだった。
「一度きりの人生だから、好きな仕事をしろ、って」
「四季は…本当にそれでいいの?お父さんの願いは抜きで、大丈夫なの?」
「篤子さんが言ってたでしょ。
来てくれるお客様に楽しんでもらうために精一杯働くのがこの仕事だ、って。
お客様の喜んでくれる顔を見てると俺、幸せなんだ」
「四季…」
篤子の元にやって来た時の四季は、見るからに世間知らずの坊ちゃんだった。
してもらうばかりで、人のために今まで何かしたことなどないような。
されて当たり前の環境で育ってきた四季がこんなことを言えるようになるなんて。
篤子は四季の成長ぶりに驚いていた。
「だから篤子さん。これからもよろしくお願いします」
眉根を寄せている篤子の肩に四季が手を置いた。
佳樹はあまり話もできなかった息子の思いをちゃんと理解していたのだ。
「俺が決めたことなら正解なんだよね?篤子さん」
「もう」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
成長した四季が決めたことだ。
篤子もこれが正解だったと思えるように精一杯働こうと思った。
枝折とコナと四季と、生まれてくる子どもと。
家族としてずっとずっと支え合っていきたい。
それが篤子の今の夢だった。
「コナ。これからもよろしく」
「よろしくね。一緒にこの世界でがんばろう」
佳樹と四季が決めたことをコナは応援したいと思った。
それが、幼かった自分の面倒を見て大切にしてくれた佳樹の願いなら。
「お待たせ」
オーナーとせりなが舟盛を持って来た。
テーブルの真ん中にどん、と置かれた舟の上には新鮮な刺身が綺麗に並んでいる。
せりなが汁椀を配り、四季がそれを受け取っていた。
「せりなちゃんにもまた来てもらわないと」
「うん。また行くわ。
まだ返済中だからそんなに使えないけど」
「全然。一杯でいいんだよ。元気な顔を見せてくれたら」
うれしそうにせりなが頷く。
その後ろにいたオーナーが篤子と目を合わせた。
「せりなちゃんまたうちの店に来てくれるらしいわよ」
「自分の稼いだ金だ。せりなが好きに使えばいい」
「そうじゃなくて。あんた、ホントに40?」
「篤子!」
四季とコナが真っ赤になったオーナーを見て笑う。
せりなも後ろを振り返って笑っていた。
「篤子、お前いつもひとこと多い…
おい、どうした。篤子?」
篤子がお腹を押さえて顔をしかめている。
四季があわてて後ろから篤子の肩を抱いた。




