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第5話

里人たちが去ったあと、鍛冶場には墓地のような静けさが戻ってきた。

さっきまで浴びせられていた罵声が、まだ耳の奥で反響している。


『お前のせいだ』

『役立たず』

『父なし娘がでしゃばるから』


その一つ一つが、見えない棘となって、私の心に深く突き刺さる。

私は、その場にへなへなと座り込んだ。もう、指一本動かす気力もなかった。

壁に立てかけられた幽月が、静かに私を見下ろしている。


(ごめんね、幽月…)


あなたの呪いを解いてみせるなんて、大きなことを言ったのに。

私は、里の人たち一人も救えない。それどころか、あなたさえ、守ってあげられないかもしれない。


(私じゃ…ダメなんだ…)


お父さんのように、なれるはずなんてなかった。

鎚が、やけに重く、冷たく感じられる。もう、握ることさえできそうになかった。

涙がぽろぽろと零れ落ち、土間の地面に小さな染みを作っていく。


その時だった。

目の前に、すっと影が差した。顔を上げると、そこに影月が立っていた。

いつもと同じ、美しいのに冷たい表情。その赤い瞳が、私を静かに見つめている。


「…やはり、お前では無理だったか」


彼の言葉は、刃物のように私の心を抉った。

わかっている。そんなことは、私が一番よくわかっている。


「人の非難ごときで、その様か。鍛冶師の誇りとやらは、どうした」

「…もう、ないわよ、そんなもの」

私は、膝を抱えたまま、か細い声で答えた。

「私には、何もない…。力も、覚悟も…。みんなが言う通り、私じゃ、ダメなのよ…」


私がそう言った瞬間、影月の眉が、わずかにピクリと動いた。

彼が何かを言おうとした、その時。


「──言わんこっちゃない。やはり君には荷が重すぎたんだ」


鍛冶場の入り口に立っていたのは、一条蒼司だった。

その後ろには、里長をはじめ、不安そうな顔をした里の人たちが数人控えている。蒼司は、まるで断罪の宣告を下すみたいに、冷ややかに言った。


「里の皆さんから、正式に依頼された。妖刀『幽月』は、僕が責任をもって破壊する」

「…!」


心臓が、大きく音を立てて跳ねた。

蒼司はゆっくりと中へ入ってくると、腰に佩いた自分の刀に手をかける。

「君の気持ちもわかるが、これも里のためだ。諦めてくれ」


彼の言うことは、正論だった。

私がこのまま幽月を持っていても、里の瘴気は消えない。それどころか、もっとひどくなるかもしれない。里のみんなを救うためには、彼に任せるのが、一番いい方法なんだ。


頭では、わかっている。

わかっている、のに。


(いやだ)


心の中で、小さな私が叫んでいた。


(いやだ。いやだ。いやだ…!)


幽月を、影月を、失いたくない。

彼がどんな過去を背負っていようと、どんなに口が悪くて意地悪だろうと。

私にとっては、もうただの呪われた刀じゃない。

私のダメなところを叱ってくれて、私の知らない鉄の声を教えてくれて、そして、不器用に私のことを心配してくれた──たった一人の、私の。


「…いや」


気づいた時には、私は立ち上がっていた。

ボロボロの体を引きずるようにして、蒼司と幽月の間に、両手を広げて立ちはだかる。


「いやよ…! この刀は、渡さない…!」

「朱音…!」

おばあちゃんの悲痛な声が聞こえる。

蒼司は、心底呆れたというように、ため息をついた。

「正気か? 君は里の人間全員を見殺しにして、その怨霊を選ぶと?」

「…っ」


言葉に詰まる。

でも、足は動かなかった。動かしたくなかった。


「どきなさい」

蒼司の声が、厳しくなる。彼が鞘から抜き放ったのは、刀身が青白い光を放つ、霊力を帯びた特別な刀だった。

「どかないのなら、君ごと斬るまでだ」


もう、だめだ。

そう思った瞬間。


「──こいつに指一本触れさせるな!」


今まで感じたこともないような、凄まじい霊力が、私の背後から爆発した。

突風が吹き荒れ、蒼司も里の人たちも、思わず後ずさる。

私の背中を守るように立っていたのは、その赤い瞳に、燃えるような怒りの炎を宿した、影月だった。


「か、げつ…」

「下がっていろ、朱音」


初めて、彼は私の名前を呼んだ。

その声は、命令なのに、不思議と安心できた。


影月は、私を後ろに庇ったまま、蒼司を睨みつける。

「我の契約者に、その汚れた刃を向けるか。万死に値するぞ、人間」

「…なんだ、この力は…」


蒼司が、驚愕に目を見開いている。

「ただの怨念じゃない…これは、守ろうとする意志の力…!? バカな…!」


そうだ。これは、ただの破壊の力じゃない。

私を、守ろうとしてくれている。この、誰よりも人間を信じていないはずの彼が。


じわり、と目の奥が熱くなった。

崩れ落ちて、空っぽになったはずの心に、温かい光が灯っていく。


「…ありがとう、影月」


私は、溢れる涙をぐいと拭うと、もう一度前を向いた。

「私、もう一度信じる。あなたのことも、そして、鍛冶師としての私自身のことも!」


その言葉に、影月がわずかに振り返る。

彼の赤い瞳と、私の瞳が、まっすぐに交わった。


「…フン。好きにしろ」

彼は、わざとらしくそっぽを向いて言った。

「だが、次はないと思え。この我に、二度も同じ真似をさせるなよ」


その憎まれ口が、今はなぜだか、最高に心強く聞こえた。

呆然と立ち尽くす蒼司と里の人たちを前に、私と影月は、初めて二人で、同じ敵に向かって並び立った。


本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。

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