第28話 最終話
「いいわ。私の魂の半分くらいで、影月が救えるのなら、安いものよ!」
私の、迷いのない言葉が、静寂な黄泉の国に響き渡る。
父さんの魂が「朱音!」と悲痛な叫びを上げる。しかし、それよりも早く、私の隣で、影月の霊体が激しい怒りで揺らめいた。
「馬鹿を言うな、朱音ッ!」
彼の魂からの叫びが、私の心に直接、突き刺さる。
「俺は、俺は、そんなこと、望んではいない!」
「でも、これしか方法がないじゃない!」
私も、振り返って、彼の半透明の瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「あなたと一緒にいられるなら、私は何だっていいの! 半分でも、そのまた半分でも、あなたがいるなら、私は生きていける!」
「俺は、違う!」
影月が、苦しげに声を絞り出す。
「俺は、お前が〝お前〟のままでいる未来が見たいんだ! 俺のために、お前が欠けてしまうことなど、耐えられん! それくらいなら、俺は…!」
俺は、このまま消えた方がましだ。
そう言おうとする彼の唇を、私は、そっと、自分の指で塞いだ。
その時だった。
「…朱音」
静かで、でも、芯の通った声が、響いた。父さんだった。
「お前は、いつからそんな〝一人〟で全部背負い込むような子になったんだ?」
「え…?」
「お前の打つ鉄は、いつも、誰かと支え合っていただろう。お前の炎は、一人で燃えていたか? 違うだろうが」
父さんは、私の隣にいる影月を、じっと見つめた。
「お前の隣には、そいつがいるんだろうが。二人で、一人前の鍛冶師じゃなかったのか?」
父さんの言葉に、ハッとした。
そうだ。一人で犠牲になるのでも、相手のために諦めるのでもない。
私たちは、いつだって、二人で一つだったじゃないか。
私は、影月の手を取った。彼は、驚いたように私を見る。
その手を、強く、強く、握りしめる。
「…そうか。そうだったんだね」
私たちは、顔を見合わせ、頷きあった。
そして、黄泉の国の支配者に向き直る。私たちの心は、もう、寸分の狂いもなく、一つになっていた。
「俺たちの魂は、半分になんて、分けられません」
影月が、静かに、しかし、きっぱりと言った。
「ええ」
私も、続ける。
「だって、私たちの魂は、〝神々の婚礼〟で、元々一つになったんですから!」
その瞬間。
私と影月の身体から、まばゆいほどの、温かい光が溢れ出した。
それは、かつて、世界の危機を救った、二つで一つの、完璧な魂の輝き。
その、あまりにも純粋で、絶対的な愛の光は、生と死という、この世界の根源的な理さえも、優しく照らし出すようだった。
『……』
黄泉の国の支配者が、初めて、その表情を動かした。
その瞳に、驚きと、そして、どこか懐かしむような、微かな光が宿る。
『…見事だ、人の子の愛よ。我が理を超えたか』
女神は、静かに、微笑んだ。
『よかろう。道は、開かれた。その魂、失わぬよう、固く、固く、結びつけておくがいい』
その言葉と共に、父さんの魂が、私の目の前に立った。
『大きくなったな、朱音。…行け。お前の帰る場所へ』
「父さん…!」
『幸せになれよ』
涙で滲む視界の中、父さんは、今までで一番、優しい顔で、笑っていた。
次の瞬間、私の魂は、強い光に引かれ、現世へと、一気に引き戻されていった。
*
最初に感じたのは、自分の手を、誰かが、力強く握りしめている、温かい感触だった。
ゆっくりと、目を開ける。
そこには、心配そうに、不安そうに、そして、今にも泣き出しそうな顔で、私を覗き込む、影月の姿があった。
もう、半透明ではない。陽光に透けることもない。確かな実体を持った、私の、愛しい人。
「…ただいま、影月」
私が、かすれた声でそう言うと、彼の赤い瞳から、一筋、熱い雫がこぼれ落ちた。
「…おかえリ、朱音」
彼は、それだけ言うと、私の身体を、壊れ物を抱きしめるように、優しく、強く、抱きしめた。
鏡の向こうで、蒼司さんが、安堵のため息をついて、ぐしゃぐしゃの顔で笑っているのが、ぼんやりと見えた。
「俺の、たった一人の鍛冶師」
もう、言葉は、いらなかった。
数日後。
風祭の里の、いつもの縁側。
私たちは、二人並んで、穏やかな夕日を眺めていた。
影月は、もう、透けることはない。その温もりを、すぐ隣に感じられる。それだけで、世界は、こんなにも、輝いて見えた。
彼が、私の手を取り、その甲に、まるで永遠の誓いを立てるかのように、そっと、口づけた。
「もう何も恐れることはない。俺の魂は、永遠に、お前と共にある」
「うん」
私も、彼の手を、優しく握り返した。
「私も、ずっと、あなたのそばにいるよ」
私たちの物語は、きっと、これで、本当に、おしまい。
いや、違うな。
これから始まる、どこまでも長くて、幸せな、〝日常〟という名の、新しい物語の、始まりだ。
(了)




