第27話
カン、カン、と。
私の光の鎚が、番人の巨大な矛の魂を打ち直していく。
一振りごとに、矛にこびりついていた千年の嘆きが、清らかな光の粒子となって、解き放たれていった。
やがて、最後のひと打ちが終わる頃には、あれほど禍々しかった矛は、まるで生まれたての赤子のように、清浄な輝きを取り戻していた。
『…我が矛ガ、泣イテイルデハナク、喜ンデイル…』
番人は、自分の矛を見つめ、初めて、感情のこもった声を漏らした。
彼は、その巨大な身体を、ゆっくりと脇へとずらす。
『行ケ、人ノ子ヨ。ソノ力ガ、コノ国ノ理ニ何ヲ成スカ、見届ケヨウ』
番人は、そう言うと、再び、石像のように動かなくなった。
「…ありがとう」
私は、一礼して、門の先へと足を踏み入れた。
隣で、半透明の影月が、驚きと、そして、どこか誇らしさが入り混じった、複雑な表情で私を見守っている。
門の先に広がっていたのは、静かで、物悲しい、果てしない世界だった。
空は、どこまでも昏い鉛色。地面には、血のように赤い彼岸花が、風もないのに、さわさわと揺れている。
そして、その中を、無数の、半透明の魂たちが、皆、同じ方角へ向かって、静かに、静かに、列をなして歩いていた。
生前の身分も、力も、ここでは何の意味も持たない。すべての魂が、等しく、ただの魂として扱われる、死者の国──黄泉。
私たちは、その魂の列に沿うように、世界の奥へ、奥へと進んでいった。
やがて、忘却の水が流れるという、大きな河のほとりにたどり着く。
その、河べりに、一人の男の魂が、ぽつんと座っていた。
懐かしくて、温かくて、私が決して忘れることのない、魂の匂い。
「…父さん?」
私の声に、その魂が、ゆっくりと振り返る。
それは、三年前、病でこの世を去った、私の、大好きだったお父さんだった。
『朱音か…』
父さんの魂は、驚いたように目を見開いた後、その瞳を、懐かしそうに、そして、悲しそうに、細めた。
『大きくなったな。立派な、鍛冶師の顔になった』
「父さん…! 会いたかった…!」
私が駆け寄ろうとすると、父さんは、静かに、それを手で制した。
『ならん。ここは、お前のような、生者が長居する場所ではない。ましてや、その身は、ただの魂。早く、お帰り』
父さんの、私を案じる魂の声が、痛いほど伝わってくる。
でも、帰るわけにはいかない。
私が、事情を話そうとした、その時だった。
私たちの周りの空気が、すうっと、凍りついた。
河の水面から、静かに、しかし、圧倒的な存在感を放つ、一人の女神が姿を現した。
夜空を映したかのような、黒い衣。その瞳は、星もなく、月もない、完全な虚無。
この世界の理を司る、黄泉の国の支配者。
『ソノ男ノ魂ヲ、現世ニ繋ギ止メタキカ、人ノ子ヨ』
女神の声は、感情というものを、一切含んでいなかった。
彼女は、すべてを見通した上で、私に、ただ、法則を告げる。
『ヨカロウ。ダガ、コノ国ノ理ヲ曲ゲルニハ、相応ノ代償ヲ捧ゲヨ』
彼女の、冷徹な視線が、私を射抜く。
『オ前ノ魂ノ半分ヲ、コノ国ニ、置イテイケ』
究極の、選択。
影月を救うには、私の魂が、半分、この死者の国に縛り付けられる。もう、完全な人間としては、生きられなくなる。
『そんな、馬鹿なことがあるか!』
父さんの魂が、悲痛な叫びを上げた。
私の隣で、影月の霊体が、激しく揺らめいているのがわかる。
でも、私の心は、不思議なくらい、凪いでいた。
私は、一瞬の迷いも見せず、顔を上げた。その表情は、きっと、晴れやかでさえあったと思う。
そして、黄泉の国の支配者に向かって、はっきりと、告げた。
「いいわ」
私の魂の半分くらいで、影月が、あの温かい日常に帰れるのなら。
また、二人で、あの縁側で、風鈴の音を聞けるのなら。
「安いものよ!」
その、私の言葉に、今まで沈黙を保っていた影月が、魂を振り絞るような、悲痛な叫びを上げた。
「馬ako を言うな、朱音ッ! 俺は、俺は、そんなこと、望んではいない!」
私の、自己犠牲さえも厭わない、覚悟。
それを、必死に止めようとする、影月の、愛。
そして、その二人のやり取りを、静かに、冷たく、値踏みするように見つめる、黄泉の国の支配者。
三者の想いが、この、世界の果てで、激しく、激しく、ぶつかり合っていた。




