第25話
蒼司さんの、非情な宣告。
その言葉が、耳の中で、意味のない音の羅列となって、ぐるぐると回っていた。
消滅、する。影月が? この世界から?
目の前が、真っ白になる。
隣に立つ影月の顔を、見ることさえできなかった。
通信機の鏡の中で、蒼司さんが、何かを必死に言っている。でも、その声は、まるで水の中にいるみたいに、遠くにしか聞こえない。
その、静寂を破ったのは、影月自身の、驚くほど、穏やかな声だった。
「…そうか。蒼司、調べてくれて、感謝する」
彼は、静かにそう言うと、私の肩にそっと手を置き、鏡に向かって、通信を切るように、小さく頷いた。
鏡の中の蒼司さんの姿が、苦渋に満ちた表情のまま、ふっと消える。
後に残されたのは、息が詰まるような静寂と、私と、そして、あまりにも静かすぎる、影月の背中だけだった。
その夜。
私たちは、いつものように、縁側で並んで月を見ていた。
でも、その空気は、いつもとは全く違っていた。触れれば、壊れてしまいそうなほど、張り詰めて、脆い。
「…朱音」
先に、沈黙を破ったのは、影月だった。
「綺麗な月だな」
「…うん」
「俺は、お前と共に、この国の四季を見ることができて、本当に幸せだった」
その口調は、まるで、すべてを懐かしむようだった。すべてに、別れを告げるようだった。
やめて。そんな、言い方。
「俺の魂の旅も、ようやく、終わりが来たらしい」
彼は、穏やかに、微笑んでさえいた。
「俺がいなくなっても、お前には、蒼司がいる。里の皆も、おばあちゃんもいる。だから、朱音」
──俺のことは忘れ、お前は、お前の人生を幸せに生きろ。
その言葉が、私の心の最後の糸を、ぷつりと断ち切った。
「冗談じゃないッ!!」
私は、立ち上がって、彼の胸を、力の限り、叩いていた。
「ふざけないで! 何が、幸せに生きろ、よ! あなたがいない未来なんて! あなたがいない世界なんて、私にとっては、なんの意味もない! そんなの、幸せになんて、なれるわけないじゃない!」
涙が、ぼろぼろと溢れて、止まらない。
叩かれた影月は、何も言わず、ただ、悲しげな瞳で、私を見つめていた。
その瞳が、私に、諦めを促しているようで、たまらなく悔しかった。
私は、彼に背を向けると、屋敷の蔵へと、駆け込んだ。
諦めるもんか。絶対に。
方法が、ないはずなんてない!
私は、蔵にある、風祭家に代々伝わる膨大な古文書や手記を、片っ端から引っ張り出した。埃にまみれ、指先が傷つくのも構わずに、ページをめくり続けた。
影月は、何も言わずに、時々、私のために水や食事を運んできては、蔵の入り口で、ただ静かに、痛ましげに、私を見守っていた。
どれくらいの時間が、経っただろうか。
窓の外が白み始め、私の体も、心も、疲れ果てて、もう限界だと思った、その時。
一冊の、黒い革で装丁された、ひときわ古びた禁断の書が、私の目に飛び込んできた。
恐る恐る、そのページを開く。
そこに記されていたのは、神代の昔、風祭の巫女が、神域に迷い込んだ愛する者の魂を連れ戻すために使ったという、禁断の秘術。
〝魂渡り(たまわたり)の儀〟
自らの魂を、生きたまま霊体として飛ばし、世界の〝境界〟の向こう側へと渡る、あまりにも危険な、最後の手段。
──これだ。
私は、その禁断の書を胸に抱きしめ、ふらつく足で、影月の元へと向かった。
蔵の入り口で、私を待っていた彼は、私の姿を見て、すべてを察したように、その赤い瞳を、悲しげに揺らした。
「やめろ、朱音」
彼の声が、震えている。
「それ以上は、いけない。お前まで、失うわけにはいかん…!」
私は、彼の前に立つと、その頬に、そっと手を触れた。
もう、私の瞳に、涙はなかった。そこにあるのは、鋼のように、決して揺らぐことのない、決意の光だけ。
「やめるもんですか」
私は、穏やかに、でも、力強く、微笑んだ。
「あなたは、私が諦めそうな時、いつも、言ってくれたじゃない。『二人なら、きっと』って」
私は、彼の瞳を、まっすぐに見つめ返す。
「今度は、私の番」
「待ってて、影月」
──私が、必ずあなたを迎えに行くから!
その言葉に、影月は、何も言えなくなった。
彼の赤い瞳から、一筋、美しい涙がこぼれ落ちたのを、私は、見逃さなかった。
私の、長くて、危険な旅が、今、始まろうとしていた。




