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第23話

 戦場の、全ての音が、消えた。

 怒号も、武器の音も、風の音さえも。

 牙を剥くあやかし達も、剣を構える人間達も、誰もが息を呑んで、私を見ている。

 谷の中心で、たった一人、これから始まる神聖な儀式のように、炉に火を灯す、小さな鍛冶師の姿を。


 私の心は、不思議なくらいに、静かだった。

 もう、迷いはない。

 私は、楓さんを通じてあやかし側から譲り受けた、森の記憶が宿る「欠けた霊石」と、蒼司さんを通じて人間側から譲り受けた、長年使い込まれた「古びた鍬の刃」を、静かに炉の中へとくべた。


(これは、ただの鉄じゃない。人間の汗と、土の匂いが染み込んだ、営みの証)

(これは、ただの石じゃない。あやかしの祈りと、森の記憶が宿った、魂の欠片)


 ふいごで風を送る。炎が、ごう、と音を立てて燃え上がり、私の決意に満ちた顔を、赤く照らし出した。


「やめろ!」


 その時、空間が歪み、甲高い声が響き渡った。黒幕・天邪鬼が、焦ったように姿を現す。

「争え! 憎しみ合え! それがお前たちの本性だろうが!」

 彼が放った悪意の波動が、私に襲いかかる。

 でも、今の私には、もう届かない。


 私は、魂のすべてを燃やすように、「鍛冶の精魂」を解放した。

 それは、浄化でも、攻撃でもない。

 対立するものを、慈しみ、受け入れ、その魂を解きほぐし、新たな一つの形へと導く──どこまでも温かい、創生の光。


 私は、赤熱した鉄と石を、金床の上へと取り出した。

 そして、光り輝く鎚を、振り上げる。


 カンッ!


 一振りごとに、神聖な音が谷間に響き渡る。

 鉄と石が、反発しあい、悲鳴を上げる。人間の魂と、あやかしの魂が、互いを拒絶しあっている。


(大丈夫。ちゃんと、声を聞いてあげるから)


 カンッ!


 あなたの痛みも。あなたの悲しみも。

 あなたの怒りも。あなたの孤独も。

 全部、全部、私が受け止める。


 カンッ!


 私の鍛冶は、いつしか、祈りになっていた。

 憎しみ合う、この二つの世界が、いつか、手を取り合える日が来ますように、と。


 その光景を、鬼の頭領・巌様が、食い入るように見つめていた。

 彼の瞳から、一筋、熱い涙がこぼれ落ちる。それは、怒りではない、もっと別の、温かい涙だった。

 人間も、あやかしも、誰もが、武器を下ろし、その神々しい光景に、ただ、引き込まれていた。


「つまらん…」

 天邪鬼が、忌々しげに吐き捨てる。

 不和を糧とする彼にとって、この融和の光は、毒そのものだった。

「実に、つまらん世界になりそうだ…!」

 彼は、そう言い残すと、自らが作り出した影の中へと、溶けるように消えていった。


 そして──。

 私の、最後の一振りが、振り下ろされる。

 コーン、と、夜明けの空に、どこまでも澄み渡る音が響いた。


 光が収まった時、私の手の中にあったのは、一つの、美しい「鍬」だった。

 鉄の刃は、朝日にきらめき、柄頭に埋め込まれた霊石は、森の木々のように、穏やかな緑色の光を、静かに放っていた。

 人間とあやかし、二つの力が、いがみ合うことなく、一つの道具の中で、完璧に調和している。


 戦いは、始まらずに、終わった。


 私が作った鍬を、恐る恐る、一人の人間の子供と、一匹の小鬼が、一緒に手に取った。

 その瞬間、鍬が、ふわりと温かい光を放つ。

 子供たちの間に、笑顔が生まれた。


 それを見ていた巌様が、私の方へと、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 そして、その巨大な身体を折り曲げ、私の目の前で、深く、深く、頭を下げた。


「…見事だ、人の子よ。わしらの、負けだ」


 その日、人間とあやかしは、歴史的な、新たな共存の盟約を結んだ。


 *


 数ヵ月後。

 季節は巡り、かつて両軍が睨み合った殺風景な谷は、緑豊かな、広大な畑へと生まれ変わっていた。

 あの奇跡の「鍬」で耕された畑では、人間の子供と、あやかしの子供たちが、一緒になって、楽しそうに笑いながら、作物の世話をしている。


 その光景を、丘の上から、私と、影月と、そして都から様子を見に来た蒼司さんの三人で、眺めていた。


「やれやれ。とんでもないものを見せてもらったよ」

 蒼司さんが、呆れたように、でも、どこか嬉しそうに言う。

「歴史が動く瞬間、というやつかな」

「ううん」

 私は、首を振った。

「これは、終わりじゃない。ここからが、始まりなんだよ」


 そっと、影月が、私の肩を抱いた。その瞳は、未来を見つめるように、穏やかだった。

「そうだな。俺たちの仕事は、まだ始まったばかりだ」


 彼らが見つめる先には、人間とあやかしが、共に汗を流し、共に笑い合う、新しい世界が広がっている。

 私たちの戦いは、未来を耕し、希望の種を蒔くための、長い、長い、物語の序章に過ぎないのかもしれない。

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