第21話
「私、風祭朱音が、この度の〝調停役〟、謹んで、お引き受けいたします!」
私の宣言に、あやかしの里の薄暗い洞窟は、一瞬、シンと静まり返った。
若い天狗の楓さんが、安堵と期待の入り混じった表情で私を見る。美しい妖狐の玉藻様は、扇子の向こうで面白そうに目を細め、鬼の頭領・巌様は、ふんと鼻で笑ってそっぽを向いた。
前途多難。それは、火を見るより明らかだった。
まず私が提案したのは、双方の穏健派による、準備会議の場を設けることだった。
すぐに都の蒼司さんに手紙を書き、人間側で、話のわかる村長や代表者を集めてくれるよう依頼した。
『了解した。だが、人間側も一枚岩じゃないぞ』
数日後、蒼司さんから届いた返信には、そう書かれていた。
『あやかしをただ恐れる者、この機に森の土地を奪ってしまおうと企む者、様々だ。一筋縄ではいかないと思え』
わかっている。でも、やるしかない。
私たちは、あやかし側と人間側、双方の代表者リストを作り、会議の日程を調整するなど、地道な準備を進めていた。
ほんの少しだけ、未来に光が見え始めたような気がした。
──だが、そんな淡い期待は、見えない敵の悪意によって、いとも容易く打ち砕かれた。
最初の事件が起きたのは、人間の里だった。
里の大切な水源である井戸に、どろりとした紫色の液体が投げ込まれ、水が飲めなくなってしまったのだ。液体からは、あやかしが使う呪詛に似た、不吉な気が立ち上っていた。
「あやかしの仕業だ!奴ら、俺たちを皆殺しにする気だ!」
里は、パニックに陥った。
私と影月が駆けつけ、私が持つ浄化の力でなんとか井戸を清めたけれど、人々の心に深く植え付けられた恐怖と不信感は、どうすることもできなかった。
「…妙だ」
清めた水を検分しながら、影月が眉をひそめた。
「これは、本物のあやかしの術とは、どこか違う。憎しみを煽るためだけに、形だけを真似た、歪んだ〝まがい物〟の匂いがする」
その言葉通り、事件は、それだけでは終わらなかった。
間を置かず、今度はあやかしの里で、第二の事件が起きたのだ。
あやかしたちが、聖域として大切にしている森の泉。その清らかな水の中に、人間の使う、錆びついた鎌や釘が、大量に投げ込まれていた。鉄を不浄のものとする、多くのあやかしにとって、それは魂を踏みにじられるにも等しい、最大の侮辱行為だった。
「見ろッ! これが人間どものやり口だ!」
長老会議の席で、鬼の頭領・巌様が、憤怒の形相で叫んだ。
「奴らは、我らと話し合う気など、さらさらないわ! 我らの魂を踏みにじることしか、考えておらんのだ!」
「巌様、お待ちくだされ! これは何かの罠やもしれませぬ!」
楓さんが必死になだめるが、一度燃え上がった不信の炎は、もう誰にも止められない。
「罠だと? この期に及んで、まだ人間を信じるか、この甘ちゃんが!」
里の空気は、一気に強硬派へと傾いていく。当然、予定されていた代表者会議も、「これでは話にならん」と、無期限の延期となってしまった。
すべてが、裏目に出ている。
私が、私たちが、平和のために動こうとすればするほど、見えない誰かの手によって、事態は最悪の方向へと転がっていく。
双方の魂から聞こえる声は、もう、悲しみではなく、純粋な「憎しみ」の色に変わり始めていた。
「…ごめん。私の力が、足りないから…」
その夜、私は、自分の無力さに、ただ打ちひげることしかできなかった。
「お前のせいではない」
影月は、そう言ってくれるけど、その声にも、正体不明の敵への苛立ちが滲んでいる。
彼は、私の肩に手を置いた。
「朱音。お前は少し休め。下手に動けば、敵の思う壺だ。奴の尻尾は、俺が必ず掴んでみせる」
それは、私を心配しての言葉だと、わかっているのに。
今の私には、その言葉が、「お前には、もうこの役目は任せられない」と、そう言われたように聞こえてしまった。
彼の背中が、なんだか、すごく遠くに感じられる。
見えない敵の、狡猾な悪意。
人間とあやかしの間に横たわる、あまりにも深い、不信の溝。
そして、私の心に、ぽつりと落ちた、孤独の雫。
私たちの前には、どこまでも続く、暗くて長いトンネルだけが、口を開けているようだった。




