第17話
最初の神具「神聖な火」を手に入れたことで、『朱月』は、以前にも増して温かい光を放つようになった。そして、その光は、私たちの旅路を確かに照らしてくれている。
「見て、影月!」
旅の途中、道端で羽を怪我していた小鳥に、私がそっと手をかざす。すると、手のひらからこぼれた『朱月』の光が、小鳥の傷を優しく癒していった。
「…お前の力も、変わりつつあるようだな」
影月が、どこか眩しそうに私を見ている。
「ううん、私の力じゃない。これは、あなたと、私と、そして炎の神様から貰った、みんなの力だよ」
二人でなら、きっと大丈夫。
そんな確かな手応えを感じながら、私たちは、次なる目的地である、北の「古の森」へと向かっていた。
その森は、これまでの道中とは、何もかもが違っていた。
一歩足を踏み入れた途端、空気が、氷のように冷たく、そして重くなる。生命の息吹に満ちているはずの森が、まるで時間が止まってしまったかのように、シンと静まり返っていた。
「…この気は、好かんな」
影月が、眉をひそめて呟く。
「静かすぎる。まるで、森全体が、何か巨大なものの夢の中にいるようだ」
『朱月』が指し示す森の奥へ、私たちは慎重に進んでいく。
やがて視界が開け、霧の中に、鏡のように静かな湖と、その中央に天を突くようにそびえ立つ、一本の巨大な古木が見えてきた。
その、古木の幹から、すうっと、人の形をしたものが分離した。
樹皮のような肌。苔の衣。枝のようにしなやかな四肢。男でも女でもない、中性的な顔立ち。その瞳は、底なしの湖のように、静かで、冷たかった。
第二の神、森の神だ。
『──人の子よ、あやかしの子よ』
その声は、風の音とも、木の葉のざわめきともつかない、不思議な響きをしていた。
『お前たちは、何を拠り所に、我ら神に挑む?』
「私たちは、戦いに来たのではありません」
私は、一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「荒ぶる神々の心を鎮め、この世界の調和を取り戻すために、あなた様のお力をお借りしたく、参上いたしました」
敬意を払う。対話する。それが、私たちが学んだ戦い方だ。
しかし、森の神は、その美しい顔を、わずかに傾けただけだった。
『絆? 愛? そのような、移ろいやすく、儚い感情が、永遠なる我らに通じるとでも?』
その冷たい言葉に、私は息を呑んだ。
そして、神の視線が、私を通り越し、隣に立つ影月へと、真っ直ぐに注がれた。
『…ほう。面白いものを持っているな、そのあやかしの子は』
森の神の瞳が、まるで彼の魂の奥底まで見通すように、すっと細められる。
『神の血、か。永い時の中で、人の血と交わり、ひどく薄れてはいるが…。その魂の根源には、確かに、我らと同じ〝永遠〟の匂いがする』
「…!」
影月の身体が、微かに、しかし、はっきりと強張った。
「何を…言っている…? 俺は…ただの武将の霊だ。人間として生まれ、人間として死んだ…」
『否』
森の神は、静かに、だが、有無を言わせぬ力で、影月の言葉を遮った。
『お前が仕えたという主君も、お前が愛したという女も、とうに土に還り、その名さえ忘れ去られた。だが、お前は在り続ける。その〝孤独〟の意味を、いつまで偽り続けるつもりだ?』
孤独。
その一言が、引き金だった。
「う…ぁ…」
影月の身体から、制御を失った黒い霊力が、稲妻のように迸り始めた。
彼の赤い瞳が、苦悶に見開かれる。彼の心の中で、人間としての記憶と、神に指摘された「永遠」という名の呪いが、激しくぶつかり合っている。
「影月! しっかりして!」
私が叫んでも、その声は、もう彼には届いていないようだった。
「神の血を引く者が、なぜ、滅びゆく定めの人の子などに従う?」
森の神の、冷徹な声が追い打ちをかける。
「思い出せ。お前の還る場所は、そちら側ではない。我ら神々の、静寂なる永遠の中だ」
「やめてッ!」
私は、思わず影月の前に立ちはだかった。
でも、どうすればいい? 彼の心を蝕むのは、怨念じゃない。呪いでもない。彼自身の、魂の根源。私には、どうすることもできない。
「アァァァァ…ッ!」
影月が、苦悶の叫びを上げて、頭を抱えた。
その瞳から、理性の光が、急速に失われていく。
パートナーの、魂が、今、目の前で、壊れようとしていた。