第12話
そうだと言ったら、どうする。
その言葉は、呪いのように私の心に突き刺さり、抜けなくなった。
影月が雨の中に消えていった後も、私はその場から一歩も動けなかった。全身の力が抜けて、冷たい雨が降りしきる玄関先に、ずるずるとへたり込む。
もう、どうでもいい。
何もかも。
彼が誰を想おうと、誰を守ろうと、もう、私には関係ない。
信じていた。ううん、信じたかった。私と彼の絆は、本物だって。でも、全部、私のひとりよがりだったんだ。
頬を伝うのが、雨なのか、涙なのか、もうわからなかった。
いっそ、このまま冷たい雨に打たれて、溶けてなくなってしまえたらいいのに。
「──いつまでそうしているつもりだ?」
不意に、頭上から声が降ってきた。
顔を上げると、蒼司が、私に傘を差しだして、静かに立っていた。いつもの人を食ったような笑みはどこにもなく、その瞳は、真剣な色をしていた。
「…ほっといてよ」
私は、顔を伏せたまま、力なく呟いた。
「もう、どうでもいいの。あいつが〝そう〟だって言うなら、私にできることなんて、何もないじゃない…」
「そうか」
蒼司は、静かに私の隣にしゃがみこんだ。
「じゃあ、やめるか。鍛冶師も、あいつのパートナーとやらも。全部放り出して、里に帰るか? 僕が馬車を用意してやろう。それもいい。だがな、朱音」
彼が、私の名前を呼んだ。真剣な声で。
「それで、お前は本当にいいのか? 好きな男一人、信じ抜くこともできずに逃げ出して、それで一生、鎚を握れるのか?」
「…!」
「あいつが何を言おうと、お前が信じると決めた男だろう! だったら、最後まで信じ抜け! それができないなら、今すぐ全部やめちまえ、この馬鹿者!」
強い、叱咤の声。
「なによ、あなたに何がわかるっていうの…!」
反発しながらも、彼の言葉が、氷のように冷え切った私の心の真ん中に、熱い楔を打ち込む。
そうだ。私は、悔しかった。悲しかった。
でも、その奥底で、まだ信じていた。あの不器用で、口の悪い、でも、本当は優しい彼を。
私は、震える手で、懐に入れていたお守り袋を握りしめた。里を出る前、おばあちゃんが「お守りだよ」と渡してくれた、小さな布袋。
中には、折りたたまれた、一枚の紙切れが入っていた。
開くと、そこには、おばあちゃんの、少しだけ震えた、でも、温かい文字が書かれていた。
『信じる心が、一番の力だよ』
ああ、そうだった。
私は、鍛冶師だ。
鉄の声を聞き、その魂と向き合うのが、私の仕事。
信じることから、すべては始まる。
なのに、私は、一番大事な人の心を、信じようともせずに、ただ泣いていただけじゃないか。
ぽつり、ぽつりと降っていた雨粒が、涙と一緒に、その紙の上に落ちて、滲んだ。
「…そうよ」
私は、ぐい、と腕で涙を拭うと、顔を上げた。
雨でぐしゃぐしゃの、ひどい顔だったに違いない。でも、私の瞳には、もう一度、炎が宿っていた。
「私は、鍛冶師だもの」
ゆっくりと、でも、確かな足取りで立ち上がる。
蒼司が、驚いたように私を見ていた。
「打ち直すのは、刀だけじゃない」
私は、自分に言い聞かせるように、強く言った。
「あいつの、あの石頭の、頑固で不器用で、どうしようもない魂も! その迷いも、悲しみも、過去の呪いも、全部まとめて!」
──私が、打ち直してやる!
その瞬間、まるで私の決意に応えるように、厚い雨雲の切れ間から、一本の光が、まっすぐに差し込んできた。
私の顔を見た蒼司は、呆れたように、でも、どこか嬉しそうに、ふっと息を漏らして笑った。
「…やれやれ。ようやく、お姫様の目が覚めたらしいな」
彼は立ち上がると、懐から一枚の地図を取り出して、私に渡した。
「僕も、ただ指をくわえて見ていたわけじゃないんでね。奴らが向かった先は、おそらくここだ。…貸し一つ、だからな」
地図には、都の外れにある、古い砦の場所が記されていた。
「ありがとう、蒼司さん!」
私は、力強く頷くと、腰の道具袋に入った、愛用の小さな鎚の柄を、ぎゅっと握りしめた。
雨は、もう上がっていた。
私は、光が差し込む先へ──影月がいるはずの、決戦の地へと、力いっぱい駆け出した。