第1話
カンッ! キィン!
夜の静寂を破って、甲高い金属音がリズミカルに響く。
私の仕事場──風祭家の鍛冶場に、真っ赤に焼けた鉄の色を反射して、汗で濡れた自分の顔が映り込んでいる。
風祭朱音、十六歳。この風の里で唯一の、そしてたぶん国中で一番若い、女鍛冶師だ。
「ふぅっ!」
息を吐き、ふいごで空気を送り込む。ごう、と音を立てて炎が勢いを増し、炉の中の鉄が太陽のかけらのように輝いた。熱い。肌がじりじりと焼けるようだ。でも、この熱さが私の日常で、私の誇り。
──カンッ!
熱した鉄を金床に乗せ、重い鎚を振り下ろす。ほとばしった火の子が、星屑みたいに闇夜へ舞い上がっては消えていく。
(もっと、もっとだ…!)
鉄には〝声〟がある。
キン、と高く澄んだ声。ゴン、と鈍くこもった声。それは鉄が「今、こうしてほしい」と訴える魂の叫び。亡くなったお父さんがそう教えてくれた。私には、その声が聞こえる。他の誰にも聞こえない、鉄と炎のささやきが。
「…朱音。もう夜も更けた。その辺にしておきなさい」
鍛冶場の入り口に、心配そうな顔で立っていたのはおばあちゃんだった。
「うん、あと少しだけ。この子の声が、もう少しだって言ってるから」
「お前は本当に、親父さんそっくりだねぇ…」
おばあちゃんはそう言ってため息をついたけど、私にとってはそれが最高の褒め言葉だった。
里一番の鍛冶師だったお父さん。三年前、病でこの世を去ってから、私がこの鍛冶場を守っている。守らなきゃいけないんだ。
でも、里の人たちの目は冷たかった。
『女に神聖な炎と鉄が扱えるもんか』
『風祭の家も、あいつで終わりだな』
うるさい。うるさい。うるさい。
心の中で悪態をつく。見てなさいよ。いつか絶対、お父さんみたいな、人の心を動かす刀を打って、里一番の鍛冶師になってみせるんだから。
鎚を振るう手に、ぐっと力が入った。
*
その夜、異変は起きた。
鍛冶を終え、冷たい水で顔を洗って母屋に戻ろうとした時、肌を撫でた夜風が、ひどく冷たかったのだ。まるで氷みたいに。
(…なんだろう、この感じ)
胸騒ぎがして、私は母屋の奥、一番日当たりの悪い場所にある「開かずの間」へと足を向けた。そこには、お父さんが遺したたった一つの〝心残り〟が封印されている。
「幽月」
そう名付けられた、一本の美しい太刀。
お父さんが若い頃にどこからか持ち帰ったもので、人を惑わし、持ち主を破滅させる呪われた妖刀だと言われている。おびただしい数の注連縄と、何枚ものお札で厳重に封印されているはずだった。
なのに。
扉の隙間から、黒い靄のようなものが、ゆらりと漏れ出している。
瘴気──。不吉で、冷たい気の塊。
「うそ…!」
慌てて扉に駆け寄ると、キィィ…と耳障りな金属音が内側から聞こえてきた。
違う、これはいつもの鉄の声じゃない。苦しみと、憎しみと、そして深い深い悲しみに満ちた、魂の悲鳴だ。
(しっかりして、幽月…!)
私はお札が貼られた扉に手を当てて、心の中で呼びかける。でも、瘴気は濃くなる一方で、まるで私を拒絶するように、扉がビリビリと震え始めた。
このままじゃ、封印が破られる。瘴気が里中に溢れたら、大変なことになる…!
どうしよう。どうすればいいの?
パニックになった私は、お父さんが言い遺した言葉を思い出し、隣の蔵へ駆け込んだ。埃っぽい空気の中、必死で書物を漁る。
「あった…!『鎮刃秘要』!」
風祭家に代々伝わる、いわば禁断の書。震える手でページをめくっていくと、目的の箇所を見つけた。
【妖刀ノ鎮魂儀式】
そこに書かれていたのは、信じられないような内容だった。
『──怨念ヲ鎮メ、魂ヲ浄化セントスルナラバ、風祭ノ血ヲ引ク娘子ト、刀ニ宿リシ霊トノ間ニ〝婚姻ノ儀〟ヲ結ブベシ』
「こ、婚姻…? け、結婚!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
この私が、あの呪われた刀と、結婚!? 意味が分からない。というか、ありえない!
頭を抱えてうずくまっていると、蔵の外から声が聞こえた。
「ごめんください。風祭の当主はいらっしゃいますかな?」
上品だけど、どこか人を食ったような、知らない男の人の声。
こんな夜更けに誰だろう。おばあちゃんが対応してくれているみたいだけど、なんだか嫌な予感がする。私は『鎮刃秘要』を懐に隠し、そっと表へ顔を出した。
月明かりの下、そこに立っていたのは、私と同じくらいの歳に見える男の子だった。
きらびやかな狩衣に、腰には見事な装飾が施された太刀。さらさらの銀髪が月光を反射して、まるで物語の中から抜け出してきたみたい。
そして、その顔には、絶対的な自信に満ちた、人を食ったような笑みが浮かんでいた。
「ほう。あなたが風祭の跡取りですか。噂には聞いていましたが…なるほど、ずいぶんと煤けたお姫様だ」
「なっ…!」
カッと頭に血がのぼる。なんだ、こいつ!
おばあちゃんが慌てて間に入った。
「朱音、無礼を働くんじゃありません。こちらは都で今一番と評判の、一条家の…」
一条。その名前に、私はハッとした。
お父さんから何度も聞かされた名前。風祭家とは代々腕を競い合ってきた、最大のライバル。
銀髪の男の子──一条蒼司は、私を見下ろすように、扇子で口元を隠した。
「一条蒼司と申します。…さて、本題に入りましょうか」
彼の瞳が、すっと細められる。その目は笑っていなかった。
「その家に封じられている妖刀『幽月』。邪気が漏れ出しているようですね。手に余るなら、この僕が一族に伝わる術で〝破壊〟して差し上げますよ」
破壊、という言葉に、心臓が氷で掴まれたように冷たくなった。
それは、お父さんの形見なのに。私が、いつか鎮めると誓った刀なのに。
懐の『鎮刃秘要』が、やけに熱く感じられた。
私と、妖刀との、〝結婚〟。
ありえないと思っていた選択肢が、目の前の自信過剰な男の子のせいで、急に現実味を帯びて迫ってくる。
──私の運命が、音を立てて動き始めたのが、はっきりと分かった。