05
頭がいいって、逆に不憫なことってあるよね
突然人の姿に、ルルヴィスに戻ったことで驚かれるのは覚悟していたが
ユンファイエンスの予想に反し、彼女が驚いたのは彼の容姿の良さについてだった
それも、この驚き方は、あまりいい感じの驚き方ではない
なんとか彼女から良い反応を引き出したくて
ユンファイエンスはもう一つの姿をとることにした、アヴァニスの姿に
『これならいいですか??』
アヴァニスの姿でも十分以上に容姿は整っているが、彼女は狼と仲が良さそうに接していた
ルルヴィスの姿よりも良い反応を得られるのでは、と
彼が混乱して眼をきょろきょろと挙動不審にあちこちへ向ける彼女にそう声を掛けると
彼女の動きはぴたりと止まり、驚きに見開いていた眼を、さらにまぁるく見開いた
しかしそれも無理はない、普通は身体の形体が変わることなどないのだから
『ひゃう?! ご、ごめんなさい顔が良いのが悪いんじゃないの
ちょっとここまで顔がいい人と遭遇するのは初めてで
びっくりしたっていうかでもなんか親しみやすいから
その姿でいてもらえますかホントスミマセンゴメンナサイィィイイ!!』
少しの間の後、彼女はユンファイエンスが気分を害したと思ったのか
慌てて取り繕うように捲くし立てた
ルルヴィスやアヴァニスの女といえば、大抵自信過剰なものだが
相手の気分を害したのでは、と気遣う彼女の様子は
幼い頃からそんな女にばかり言い寄られたユンファイエンスの眼には殊更好ましいものに見える
しかも彼女はどうやら異性に免疫がないらしく、
恥ずかしがってなんとか離れようともがく姿さえ愛らしい
くすぐったいような力加減でくいくいと押されていると
彼女にじゃれられているような錯覚を起こし、ユンファイエンスは嬉しくなってきた
自分も、と じゃれ返すと
彼女の顔はますます恥ずかしそうに赤くなっていった
(…なんと初々しい)
一瞬たりともその愛らしい様子を見逃すまいと、彼女の様子をつぶさに見ていると
ふ、と彼女のさらりと流れる黒髪の合間に、耳が見える
(そういえば、先程、離れた場所から見た時も気になりました)
彼女の耳はまぁるく、毛皮もない
位置的にも、彼女は猿の種なのでは、と思いもしたが どうもそういう風でもない
それに尾も見当たらなかった
いくら尾が短くてもこのような薄いシャツならば、少しくらい尾の形が浮き出てもいい筈だ
手で触ってみようと思ったが
手は彼女の身体から離れたくは無い、と訴えてくる
ユンファイエンスとしてもそれに異論はなく
手には尾を確認させることにする
彼は、彼女の小さな耳の感触を確かめるように
鼻先で すり…、と擦り寄ってみた
『んぅう?!』
突然の感覚に驚いたのか
彼女の身体は、腕の中できゅぅぅと縮こまる
身体に回していた腕をするすると滑るように尾を求めて彷徨わせれば
尾の存在はどこにも確認できなかった
『まぁるい耳ですね…遠目には猿の種のように感じたのですが、違うようです……
毛皮が全くありません…もしや剥ぎ取られてしまったのですか?』
嫌な想像がユンファイエンスに過ぎった
大抵のルルヴィスとアヴァニスは己の力や生命力のコントロールが上手いとされるが
稀に、身体の状態だけで、能力にまでバランスの良さが及ばない者もいる
そういった存在は、報復を恐れて他の能力あるルルヴィスやアヴァニスにあたれない分
その妬みを一身に受けてしまう場合があるのだ
『尻尾も…痕すらありません』
彼女はもしかしてその所為で毛皮を剥ぎ取られ、尾すらも跡形もなく…
そう考えると、彼は じわじわと暗いものが腹の底から湧き出てくるような錯覚を覚えた
『ぁう、あの、はな、はなしてくださぃぃいいい!!』
『?、どうかしましたか?』
もしや、身の内から湧き出る灰暗いものを彼女も感じ取り、怯えさせてしまったのだろうか
そう思い彼女の顔を覗き込むが、彼女の眼には怯えはなく
代わりに焦るような感情が浮かんでいた
『あのあのあのっ』
焦る彼女とは裏腹に、唐突に
そう、唐突に、彼女から濃厚な甘い匂いが漂ってきた
『?、何でしょう……甘い』
あまりにも記憶にあるソレと違うので一瞬分からなかったが
この匂いは
『…血の匂いですか?』
もしや怪我を?
先程の想像が現実味を帯びてくる
彼女は何者かに虐げられたのでは?!
急に離れようと焦りだしたのは、わたしに心配を掛けまいとしたからかもしれない
そう考え至ったユンファイエンスが彼女の怪我を確かめようと服に手を掛けた瞬間
『きゃぁぁぁぁあああああああッッ!』
『ふぐっ?!』
鼻につんとくる刺激臭を感じ、ユンファイエンスが怯んだ瞬間
彼女は彼の腕からすり抜けて距離をとった
鼻を押さえた手の平から零れ落ちるのは、気付け薬として重宝される野草だった
狼の種の中でも殊更嗅覚の鋭い彼にとって効き目は絶大だった
あまりの刺激臭に滲む視界の向こう、怪我を隠すように衣服を着込んでいく彼女の姿に
やはり、どこかに傷を隠しているのだ、とユンファイエンスは確信した
何故、彼女は傷を見せてはくれないのだろう
やはり逢ったばかりの男だと自分を警戒しているからなのか
怪我のことも、どの程度なのか心配だった
こんなにも濃厚な匂いを伝えてくるのだから
ユンファイエンスはなんとか彼女を宥めて怪我の状態を確認しなければ、と声を掛けた
『す、すみません、何か悪いことをしたのでしょうか……?』
『い、いえ、心配してくれたのは分かりますからっ』
そっと近寄れば、その分、彼女は遠ざかってしまう
切ない感情がユンファイエンスを襲った
遣る瀬無い思いが募ってゆく
『しかし、まだ血の匂いがします
…止血をしなければ』
なんとか怯えさせないよう、警戒させないよう、慎重に、慎重に距離を縮め
彼女を怖がらせないよう、そっと手をとったその時、
『ぁの、も、もういいから……っ』
顔どころかシャツの裾から覗く指先まで赤く羞恥に染まった彼女の
その涙に とろりと潤む、黒い眼、手に伝わる、僅かな振るえは
ユンファイエンスの身体に、別の反応をもたらした
『ッ!』
『え…?
……あの?』
地面に、蹲るようにして伏した彼を心配そうな彼女の声が気遣う
まさか、自分の身体がこんな風に反応するだなんて、彼は初めて知った
(母や義姉達を前にした父や姉婿、兄達が度々このような状態だったのは
一応、理屈では理解したつもりでいましたが……
発情期でもなかったのに、と疑問ではありましたが、まさかこのような衝動だったとは……!)
『だ、大丈夫……?』
『大丈夫です……
成人して四年経ちますが、初めて大人になったことを実感しました』
『え?』
『いえ、何でもありません』
『…そ…う?』
『ところで話は戻りますが、止血を』
話を戻すと、一旦落ち着いたように見える彼女の顔色が、また赤くなる
『だ、大丈夫だから!!
これはなんていうか、怪我でも病気でもないから!』
『遠慮はいりません、医療系の術なら心得ています』
『遠慮じゃなくて!
え、っと、その、これは生物として当然のことというか
むしろ、健康が証明されているというか!!』
生物として当然?
彼女の顔は赤みに拍車を掛けるばかりで
どうも心配を掛けまいと怪我を誤魔化す、というのとは違う風にも見えてくる
ユンファイエンスは、はて、と首を傾げた
こんな状態の母や義姉達を見たことがある、それは何故だっただろうか……
『?、つまり??』
『つ、つつ、つまり、えー…あー……
せ、生理なの、生理現象っ!』
生理!
『つまり貴女の種はこれから発情期ということですか
犬の種や狼の種の系統なのですね』
その結論に達したとき、ユンファイエンスは、はっとなった
父や兄達によくよく言い聞かせられていたのに、迂闊にも自分は気付かなかった
彼女たちは恥ずかしさのあまり、自分達を誘おうにも上手く誘えないのだ、と
だからここは男である自分達が、そのことをよく察してあげなければならない、と
散々言われていたのに、初めてのことにそこまで考えが至らなかった……!
『女性である貴女にそこまで言わせてしまうとは…失礼しました』
恥ずかしがるなら兎も角、女性に恥をかかせるなど、言語道断
ここは男である自分が、彼女を思いやってリードしていかなければならないのだ
父や兄達の数少ない失敗談を思い出して、同じ轍を踏まないよう そう彼は気を引き締めた
『貴女のような素敵な方とこんな風になれるのはとても喜ばしいことです
早速子育てに最適な家を建てましょう
大丈夫です、わたしはこういったことは初めてですが、
父母や歳の離れた兄姉の子育てはちゃんと見て学習していますし、手伝いもしました
弟妹や甥姪が多い分、一般家庭よりも子育てに関する経験は豊富です』
しっかりと自分の意思を伝えつつ、その片手間に彼女の荷物も手際よく纏める
言葉でも態度でも頼れる男をアピールするのだ
『何も心配はいりません、総てわたしに任せて下さい
子供は見つけ次第わたし達の子にするとして、家は早急に造りましょう
豊富な水源と豊かな実りのある、草木の多い過ごしやすい所がいいですね
こんなこともあろうかと子供の頃から良さそうな場所は何十箇所か見つけてあります
今から行ってみましょう、その中に貴女の気に入った場所があればいいのですが……』
そう言いつつ、見つけた場所の中でも殊更よさそうな場所の候補を頭の中で挙げていく
家はどんな風がいいだろうか、姉や義姉たちは夫が魔術を使わずに造ると特に好反応だった
普段から咒具などを造っているのだ、彼は手先の器用さには少々の自信があった
しかし、そこで彼の思考に待ったが掛かる
『あ、あのっ、まだだから!!』
『?』
『あの、えー、うー、あのあの、あたしの"しゅ"?…は、
ちょっと特殊というかっ!!』
『といいますと?』
『生理の後すぐ発情期ってわけじゃなくて、あの……
他の"しゅ"とは逆なのっ!』
!!、
『…そうでしたか
わたしの早合点だったのですね』
一気に気力が萎えた
いくら自分が淡白だったとはいえ、もっと父母や兄姉達夫婦の様子を観察しておくのだった
最初の印象が大事だというのに、まさか出だしで二回も躓いてしまうとは
この汚名をなんとしても返上し、彼女に良い雄だと認めてもらうにはどうしたらいいだろうか
そのことを考えたいのに、思いのほか落ち込みは深く
なかなか立ち直れそうに無い……
(いいえ、一度や二度の失敗がなんです
ここで情けない姿を晒したままでは、ますます彼女の夫の候補から外れてしまいます)
いつ夫候補の話になったのかは定かではないが、
ユンファイエンスは気を取り直して、挨拶からやりなおすことにした
考えてみれば、正式に名乗っていないのだ
まずは礼儀正しくいくべきだろう
『先程は失礼しました、改めて自己紹介させて下さい
わたしはユンファイエンス、
レヴァルヴム=セレスセラス・ミュリアル・リュ・カ・ユンファイエンス
所用があって、各地を廻っています』
すると彼女も、彼に礼儀正しく応じてくれた
『う、あ、え、き、如月都子です』
(きさらぎ…木沙羅木?
この字はちょっと思い当たりません…勉強不足ですね
しかし、彼女に合った耳に良い響きです)
もしかしたら、都子という名前も当て嵌めた字が違うかもしれない
しかし、それならば彼女に教えてもらうのが仲を深めるにも良い手段では、と考え
まずは世間話からじっくりといこうとユンファイエンスは決めた
『貴女も旅を?』
『う、は、はい』
『どうも貴女の装いを見る限りでは人里は避けているようですが
失礼ですが…何か理由でも?』
『あ、う、えっと、あの、あ、あたし実は旅行中に財布をなくしちゃってっ!
だからその、それで買い物も出来なくなって、
仕方が無いから森で採った食べ物を狼に物々交換してきてもらったから、こんな格好で!』
しどろもどろと答える彼女の様子に、
怪我の事ではないにしろ、やはり何か事情があるのだと彼は感じた
『大丈夫です、咎めるようなことはありません』
『ぇ…と……』
なかなか言い出せない彼女を、じっと根気よく待つ
こういうときは、急かしてはいけないのだと思いつつも
しかし、早く彼女の悩みを知り、その力になりたいと彼は思う
『あの…う……』
『はい』
『その…う……』
『はい』
『えと…す、姿が、その』
姿!
『違うからですか?』
姿の差異にならば、心当たりがある
深淵読みを行う中で、様々な陰惨たる記憶も垣間見た
遥か昔、都市部より遠い地方では度々迫害が起こった
元々、ルルヴィスやアヴァニスといった恵まれた存在は少ない
特にルルヴィスのあまりにもアヴァニスやヴォルシスと違なる姿に人々は不安を感じ、
その上、地方であるが故に情報の流通が悪く、
彼らの異質さが脅威ではなく当たり前のことだということにも気付き難かった
それによって迫害が起こったのだ
そうだとすると、彼女は……
『では、いままでに人里に下りたことも?』
『ない…です……』
やはり!
彼女は迫害を恐れて、ルルヴィスだけで集まり、人里を去っていった者達の末裔だろう
もしかして、彼女が古代語を常用語としているのもその関係では?
しかし、そこまで考え至ると、やはりまた疑問が浮き上がってくる
『では、何故故郷を離れたのですか?』
『え、う、その、』
『何か止むを得ない事情でも?』
『はあ、まぁ……』
『これも何かの縁です、わたしに話してみてはどうですか?』
彼の言葉に、言うべきか言わざるべきかと悩む様子を見て
ユンファイエンスは、背中を押すつもりで更に言葉を重ねた
『貴女のようなか弱い女性が独りでこのような場所にいるのです
余程の事情があるのでしょう
失礼ですがご家族は? 頼れる者はいないのですか?』
『…かぞく』
その言葉は、思いのほか彼女の心の琴線に触れたようだった
『実は……』
『はい』
『家族と逸れちゃって…突然、はなればなれに…なって…
探そうとしているんだけど……』
彼女が、唯一人、このような山奥にいる理由は
それだけで、すぐに分かった
『姿の事で人里にいけなかったのですね』
彼の言葉に、こくんと幼い仕草で頷いて
彼女は痛みで悲しみを拭い去るかのように、自身の頬を強く抓った
その痛々しい様子に、
ユンファイエンスの胸は、締め付けられるかのようだった
『そのようにしては、痛いばかりでしょう
随分、ご自身に我慢を強いていたのですね』
『あ…り、がと……う』
弱っている時こそ陥落の好機なのだが
それでは男としてあまりにもなさけなさ過ぎる
ユンファイエンスは彼女の赤く爪痕の残る頬を優しく撫ぜつつ
魔力を少量流し込んでやることで血流を良くし、その爪痕を消してやった
『わたしの旅に同行しませんか?』
『え?』
『先程も言ったように、わたしは所用があって各地を廻っています
その旅に、貴女も同行しませんか?』
『あの…でも…用事があるんでしょ?
お邪魔じゃ……』
『そんなことはありません』
『でも……』
『旅は、ただ各地を廻るだけという状態に近いのです
わたしにも貴女の手助けをさせてくれませんか?』
『そんな……』
『では、こう考えてみてはどうですか?
貴女は人里に下りた事が無い、ですから貴女の常識が通じないことも多いでしょう
色々と不都合もあるかもしれません
ですから、そうならないよう わたしを利用してみてはどうですか?』
『利用だなんてっ』
最後の一言に対する彼女の反応は顕著だった
思った通りの反応に、彼は嬉しくなってくる
彼女は、人と眼を合わせることも思考も正常だ
『ふふ、優しいですね
では、わたしが一人旅で寂しいので
華を添える意味で、ついて来てはくれませんか?』
茶化すようなその言葉で、彼女はようやく決心がついたようだった
自分を頼ってくれる気になってくれたことが、凄く嬉しいと、彼は思う
『…あの…よろしく、…お願いします』
『はい、こちらこそ宜しくお願いします』
彼女は挨拶の後、暫く考えるようにユンファイエンスの顔を見ていたが
やがて、意を決したように、もう一度、改め直すように口を開いた
『あの、改めてお願いします
ればるぶむさん』
彼女の舌っ足らずなその様子に、思わず笑みがこぼれてしまう
(なるほど、古代語を慣れて使っているのなら常用語は難しい発音ですからね
これはなんとも可愛らしい
…そうです、彼女と一緒にそれぞれの言葉も学んでいきましょう)
お互い知らない者同士、分かり合っていくことができれば、それは二人の未来に繋がるだろう
また一つ楽しみが増えて、彼は挨拶に応えるため、彼女に手を差し伸べた
『こちらこそ
わたしのことはユンファイエンス…ユンと呼んで下さい
貴女のことは都子さんとお呼びしても?』
『は、はい』
応えてくれた彼女の手は
小さく、柔らかく、温かい
……が、
(…残念です、ルルヴィスの姿であれば
彼女の手の平のしっとりと吸い付くような肌の感触を味わえたのに)
ビロードのような毛皮が生えている分、密着感が感じられない
これは大きな誤算だった
(これはもう、徐々に慣らしていくしかありませんね)
ユンファイエンスは、度々ルルヴィスの姿に戻って
徐々にその回数を増やし、彼女をルルヴィスの自分に慣れさせていくことにした
『そのように硬くならず、自然に振舞っていただけると嬉しいです
わたしのコレは、父親譲りなので』
『は、ぁ、う、うんっ』
まずは気安く接してもらう為に、そう言ってみると
彼女から早速前向きな返事を得ることができた
もう一度、彼女の手をぎゅっと握ってから
名残惜しくも、そっと解放する
今の彼には、女神召還よりも重要なことだ
やるべきことは色々とある
ルルヴィスの姿に慣れてもらうことや
お互いの言葉を学ぶこと
生活習慣の違い
彼女のことを理解する努力をすること
他にも色々あったが、尤も重要なのは……、
(貴女に心の底から微笑っていただく為に
必ず都子さんのご家族を探し出してみせます)
消えたと思ったら、表篇の投稿になってる……
どうなってんのこれ