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08

「あんた、どうしたんだいっ」


「分からないんです、なにも、わからない」



相変わらず、引き攣るように息を途切れさせる妻と子供達を連れて外へ出たユンファイエンスは、驚いて傍に来た母親に理由を問われるが、何一つ答えることができない


一方で父親は母親が持参してきた焼き菓子をさくさくと齧り、兄は距離を置いて此方をじっと注視している

男が近寄らない方がいいことは経験上よく理解しているからだ



『ひ、お、義母さ、ごめ、なさ』


「上手く聞き取れないね、何て言ってるんだい」


「ごめんなさい、と」


「ごめんなさい? 何をだい」


「……分かりません」



以前都子が泣いた時は、己の移動速度が速すぎて怖がらせてしまい、そこへ唐突に引き離された家族のことも相俟って泣いてしまったことがすぐに理解できたため、余裕を持って宥めることができたし、幼い弟妹や甥姪の世話を経験しているユンファイエンスは、勿論 大した理由も無く泣いた子供だってあやしたことがある


だが今回は、まるで理由に思い当たらない



「お前もしっかりと莫迦だったようで一安心ですよ」


「どういうことさねセラ」


「わたしのように、愛する妻のこととなると途端に眼が塞がれ盲目になってしまうということですよミュー」


「はぁ?」



訳知り顔の父親の言葉に母親は苛立ったように問い質すが、相変わらず会話の遣り取りは変化球ばかりだ

どうしてこの夫婦はこれで上手くいっているのだろうか



「どういうことだ親父」


「その娘が謝る相手をよく考えなさいということです」


「謝る相手……?」



言われて、冷静を心掛けながら聞き直してみると、謝る相手は父親に母親に兄に自分、そして彼女の両親と生まれたばかりの子供達、更には会った事すらない筈のユンファイエンスの兄弟にまで謝っている



「……ど……ういう……なぜ」


「全く冷静になれていませんね、もっとよく聞きなさい、こんな自分が母親でごめんなさい、こんな自分が妻でごめんなさい、と言っているでしょう」


「えっ?! なんでだい何を謝ることがあるんだいっ」


「ああ、愛しのミュー、つまりこういうことです"初対面の舅姑に無礼な振る舞いをするわたしのような女を妻、母に持たせてしまいごめんなさい"」


「なんだってぇッ?!」


「無礼? 何のことだ」


「ぁ……つ、つまり、初対面の夫の両親を野外に置き去りにしたまま産気づき、そのまま気付かず放置してしまい、そんな自分を妻に持ったわたしに、母親に持った子供達に、ごめんなさい、と」


「その通りです」


「なっ、ば、そんなことあんたが気にするこっちゃないよ!!」



母親の言うとおり、野外に置き去りにしてしまったのは母親と父親の事情であって都子には関係が無い


確かに母親の体格は非常に大きく、ユンファイエンスが誂えた家には到底入れないように見える


だが、母親は自分の身体を不自然に大きくも完全な獣のこの状態から父親に釣り合った体格のルルヴィスに変えることもできるのだ

両親が若い頃、母親の為に父親が考えた調律によって、ここにいる兄や彼自身もその恩恵に預かり、それぞれ現在の容姿を成している


ユンファイエンスのように獣そのものの姿で降りてくる子供は多くは無いが極稀にいる、母親は姿こそ完全な獣だが体格が大きいからこそ見逃されず人として育つことができたし、そんな母親の存在があったからこそユンファイエンスは無事発見された

こうした者の殆どが自分が人であることすら知らずに寿命を終えていった可能性が高い


そんな世の中で母親がルルヴィスの姿をとらないのは、単に夫婦の問題だ

その姿だけは、父親以外誰も知らない、二人の為だけの姿を母親はけして夫以外の誰の眼にも晒さない


だから例え都子が身体を小さくできると知った上で室内へ招待したとしても母親は辞退しただろう

だが、都子はそんな事情など欠片も知りはしないのだ


考えてみれば、妊娠前はユンファイエンスの事情に合わせて挨拶を先送りにすることに納得していたが、妊娠が分かってからは体調が悪いのにいつだったら両親の時間が空いているか と尋ねてきたり、今は安静にして体調が良くなってからにしましょう、と言えば気晴らしの買い物よりも挨拶や手土産を気にした


それに今日も、両親の好物は何か……と



「わたしのため……ですか」



謝るのはつまり、そういうことだろう

自分のような不義理な妻を持ってしまった夫や子供が悪く言われたらどうしよう、都子の涙はつまりそういった不安の表れなのだ


彼女が、こんなにも不安に駆られ涙に濡れているのに、仄暗い愉悦が我が身を支配していく


ユンファイエンスは仄暗くも甘美なソレに逆らわなかった

泣き伏せる都子の頬に手を滑らせると、そぅっと、頤を持ち上げ


――ごすっ。



「だから安心できないんだよ全くウチの男共ときたら!」



母親の意を汲んだ父親に殴られた

妻を抱えて恨めしそうな眼で上目遣いに見てくる息子に対してふん と息を吐いた母親は、次の瞬間にはやれやれと表情を緩める



「でも安心したよ、この娘はあんたに押し切られて嫁になったんじゃないんだね」


「当たり前です」


「そのくらいにしておきなさい、酸欠になりますよ」


「そうですね」



父親に促されて兄が彼の前に手の平を広げると、そこには採ったばかりと見られる数種の木の実と草花があった

ユンファイエンスはソレを魔力で拾い上げると、その成分だけを水分と共に取り出し、そっと都子の口に含ませる


ひ、ひ、と響いていた不自由な呼吸音はやがて収まり、彼女が眠りにつくと子供達も落ち着いたようだった

飲ませたものの成分は単に喉薬だ、眠らせるのは魔術で事足りる



「まぁ何にせよ、あんたたちが子育てに専念できるように暫くは滞在するよ、ここには直接転移できないんだろう?」


「暫く……ですか?」


「そうだね、念のため一年くらいかね」



一年も、冗談ではない



「一泊もすれば充分でしょう、炊事洗濯掃除育児、総てわたし一人で問題ありません」


「あんたは問題無くても、ミヤコは問題あるんだよ」


「いくら家事が免除状態でも子育てに忙しいのにお前の相手までしていられませんからね」


「あんたが言える台詞じゃないよ」



父親がいつものようにばしっとしばかれる様子を無視しつつも交渉は続く



「せめて三日」


「一年だよ」


「一週間」


「……半年」


「一ヶ月ならどうです」



いかにも渋々と苦渋を飲んだような顔で言うユンファイエンスから、とうとう精一杯の妥協案が出た……が、一ヶ月というのは都子が言っていた産後安静にしていなければいけない期間であり、もともと我慢する予定の期間だ、何ら不都合は無い



「……仕方ないね、あまり無体なことをするんじゃないよ」


「するわけがありません」



神妙な顔をしつつも何を当たり前のことを、といった様子に母親と兄は唯一人の女と出逢ったレヴァルヴムの男にしては随分と自制心が効くものだ、と感心したが息子としては予定調和である


勿論、父親は気付いているが母親を煩わせない限りはそれについては何も言わない上に、一年もの滞在は自分の妻を独占したい父親としても不満の募るところだ、息子の意見に反対する要素は何一つ無い




 *** *** ***




滞在期間を過ごす為の仮の家を父親が用意する傍ら、母親と兄弟とで初めて接する乳児に四苦八苦する


何せ降りてくる子供はみな二歳前後と離乳が済んでいる状態が殆どだ、乳児など眼にすることすら初めての上に信じられない位に小さく、その上ころりころりと動作のたびに獣の姿と人の姿を行ったり来たりする

もう一人の自分のお陰で乳児の知識があり、こちらでも人以外は繁殖していることから獣の乳児の知識もあるにはあるが、こうも行ったり来たりされるとどちらに合わせていいのやら


いずれ自分で選ぶであろうことを今強制する必要はないため好きにさせるつもりではあるが、獣の姿に重きを置くのなら害獣扱いされないようにしなければな、と思う面々だった


そうこうしている内に、やっと落ち着いたのか子供達が都子の膝の上で小さく身を寄せ合って温和しくなると、入れ替わりのように彼女が眼をさました



「あぁ、起きたんだね"これえらぶ"」


『え?』


『見本の束から都子さんの好きなものを選んでほしいそうです』


『みほん?』



いつでも介助できるように、と傍で刺繍を施していた母が赤地の生地に下地を大体刺繍し終えた物を広げ、刺繍の見本帳を差し出した


元々予め刺繍を施していた膝掛けは草花が差された上で完成し子供達がくるまっており、現在は兄から赤が好きだと聞いた母親が改めて彼女の為に、と刺繍を施してくれている

子供達の分は、人数が分かったので滞在中にそれぞれの為に何か刺繍を施したものを贈ってくれるそうだ


……赤が好きだという話は聞いたことが無いのだが


それは兎も角として、母親の繊細で美しい刺繍は都子の顔色を明るくした

まるで華やかな演芸を見るように眼を輝かせる彼女は、ややあって起きた子供達にせがまれて授乳をし、むつきを替え、寝起きから不安に思っていたことを思い出させないような忙しさは都合の良いものだったが、いつまでも忘れていられる類いの不安ではない



『がんばった、つかれた、すこし、やすむ』


『あ、"おかぁたん、ありぁとごじゃま!"』



母親が、つい今し方まで刺繍を施していた肩掛けを彼女の肩にそっと掛けた

都子はまさか自分に掛けてもらえるとは思っていなかったようで、大きく見開いたそのまぁるい眼は肩掛けと母親を行ったり来たりする



『それ、ミヤコの』


『え』


『母が、都子さんの為に差したんですよ』


『……いただいても、いいの?』



恐る恐る確認する彼女の頭を、母親は安心させるようにそっと撫でた



『ユンと、わたしたちのかぞく、かんげいする、なかよく、する』


「ぁ、あいっ、こちらこしょっ、おねがいよろちくれしゅ!」


『肩の力を抜きなさい、何事も程々が一番ですよ』



そう言って父親が、珍しく、非常に珍しく、母親手作りの焼き菓子を一枚だけ摘み上げ、都子に渡した


友好の意味も含まれているのだろうが、勿論それだけではない

彼女は母親を喜ばせる類いの気性だ、そこに重きが置かれているのだろう


父親は自分と同じ類いの人間なので、当然のことながら夫婦以外の第三者は極力減らしたいがそうもいかない、そこで選ばれる第三者は伴侶に対し毒にも害にも、そして有用な薬にもならない人物となる


勿論、親子や兄弟、友人への情愛が無いわけではない、しかし妻に対するそれとは遥かに次元が異なるのだ


――だが、二人きりの世界というのは、成り立つものではない


物理的に成り立たせることは可能だろう、しかし精神的に可能かと言えば都子や母親を含む大多数の者には無理だ、無理を通せば肉体に深刻な影響を及ぼす程に精神面を大きく損なう


だからレヴァルヴムの男達は妻を核に家族を"許容"する

父親も、勿論ユンファイエンスも彼の兄弟も


――妻を壊してしまわないように



『今日の都子さんは泣き虫ですねぇ』



そう言いつつも、父親が渡した焼き菓子をせめてと砕いて形を変えて都子の口に手ずから運び、一頻り泣いた彼女が落ち着いた頃、子供達の名前を提案した


翡翠、柘榴、琥珀、玻璃、黒曜


名は色を示し、色は五行を表している

その色は、五つ揃ってこそのもの


自分達夫婦をいずれ置き去りにさせてしまうであろう彼らが

誰一人として欠けることなく、天寿を全うできるよう




 *** *** ***




数日後、ユンファイエンスは父母と兄の助けを受けながらも早くも動きが活発になってきた息子達を構っていた

乳児ということもあり最初は梃子摺っていたが流石に幼い弟妹や甥姪を世話していた分 経験則があり、今では慣れた様子だ



「はぁ、早く一ヶ月経たないでしょうか」


「うん」



今回のことでこの上なく愛されていることを実感したので、妻をこの上なく余すことなくねちっこく愛で倒したいが、現在の環境も彼女の体調もそれを許さない

そんな現状から思わず漏れた心の底からの呟きに、なんと、妻の、都子の


心の底からしみじみといったような、こ・た・え・が……!


ユンファイエンスが思わず笑みをもらすと、応えるように彼女も頬を染めた

恥ずかしそうに、嬉しそうに、幸せそうに


――そんなわけで待ちに待った一ヵ月後、都子は再び妊婦になった



(……また我慢ですか)



ユンファイエンスはなるべく自然の状態を維持した避妊方法を考えることに渾身の力を尽くすことにした

次回更新は水曜の同じ時間です

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