07
……かちゃ
「こ、こにちゃ」
いかにも恐る恐るといった様子で僅かに開かれた扉の隙間からちょこんと顔を出して発せられた幼さを感じさせる挨拶の言葉とその主の姿に、ユンファイエンスの両親……というか主に母親が衝撃のあまり言葉を失った
(流石に都子さんに血の惨劇は見せたくはありませんがやはり避けては通れませんか)
あんたって子はこんな小さな子を!! ……という罵声と共に父親からの鉄槌が下るのを覚悟したが、しかし彼の予想は外れた
小さな子供どころか歩き始めの幼児のようなその姿に許容量を越えた母親は石のように固まって都子を凝視していた
一方の都子はというと、眼をぱちぱちとさせながらきょろりきょろりと現状把握の為か視線を泳がせる
その視線が兄と父親を認識し、恐らく母親はどこにいるのかと暫し彷徨った後、上にあがる……と
『……かわいい』
眼をまぁるく見開いて、貧血気味だった頬をほんのり紅くそめた彼女の呟いた本音が母親の耳に直撃したらしく、母親の尾がびくりと反応する
夫や息子ほどではないが、環境的にはちょくちょくと耳にする為に母親も古代語の読み書きは出来ないが聞き取りならなんとかできる
それは兎も角、これは絶好の好機
「おかぁたん?」
『そうですよ、母のミュリアルと父のセレスセラスです、わたしたちと同じ姉さん女房なんですよ』
『えぇぇあんなにかわいいのに姉さん女房なの?!』
かわいい、若妻、眼がくりくり、だきつきたい、大興奮の彼女は本音駄々漏れ状態なのにも気付かず、はっと我に返り自己紹介を始めた
抱きつきたいの発言で父親がぴくりと反応したがすぐさま話しが切り替わったのは幸運といえよう
一方の母親は同じ姉さん女房という言葉にぎょっとユンファイエンスの顔を見たが やはり息子であるユンファイエンスで慣れているのか その驚きはそう長くは続かなかった、しかし続く褒め殺しの数々には父親の所為で相当慣れている筈なのにろくに思考が働かなくなっているようだった
父親からすれば久しく眼にする妻の初々しい様子に嬉しいやら嫉妬心が募るやら、我が父親ながら面倒だな、と兄弟は思った
「えと、キサラギ=ゆんぁいんす・うりゅ・ふりゃう・ミヤコれしゅ! そぇかりゃ、えと、えと……としは、じゅうがふたちゅと、いちが、ひとちゅ……」
二十一という言葉にまたも反応するが先ほど程の驚きは無い
「そぇかりゃ……そぇかりゃ……」
彼女の言葉は徐々に勢いを無くし、無意識なのか下腹部を保護するように押さえだした
『ぁ……』
『都子さん? どうし……』
『……うまれそう?』
「「「?!」」」
父親を除く三人に激震が走った
「うっうまっ?! ユ、ユユユ、ユンあんた巣穴巣穴巣穴っ」
「今すぐ掘り……いえもう掘ってあります!」
母親にせっつかれて慌てて地面をがつがつと掘り起こしたユンファイエンスははっと思い出して答えるが、次の質問にまたも思考を乱された
「枯れ草は敷いたのかい?!」
「く、草?!」
「む、蒸し焼きをした後の剥いだ毛皮ならあるぞ」
「あんなもの焼けてしまっているじゃありませんか!」
触るに触れずおろおろと蹲る都子を囲って右往左往する三人に父親が冷静に水を差す
「お前達バカですか落ち着きなさい、ベッドがあれば充分です、後は煮沸済みのお湯と清潔な布を大量に用意するんですよ、ミューも落ち着いて下さい、家畜の出産とは違うんですから、ちゃんとユンが調べていますよ」
「あ、そ、そうだったね、人間のお産だものね、ひ、ひい、人間のお産!! もしものことがあったらどうしたらいいんだいあたしゃ!」
「ああ、わたしの心優しい愛しいミュリアル、大丈夫です、失敗しても貴女はどうにもなりませんから安心して下さい」
「不吉なことを言わないで下さい!!」
父親の差した水で幾分か冷静さを取り戻したユンファイエンスは妻をそっと抱え上げようとして手が汚れているのを思い出し、慌てて魔術で清めてから負荷を掛けないよう恐る恐る抱え上げたが続く水どころか冷水に苦情を言いながら、ノイローゼの熊のように行ったり来たりする母親とそれを宥める父親と焼けて腐りかけの毛皮を持ったまま放心する兄を置き去りに家の中へ駆け込んだ
――そんなこんなで三十分もしないうちに
『ぴゃあっ』
『きゅうっ』
『くぁうっ』
『きゅあっ』
『ぴゃうっ』
『……想像以上に安産……っていうか小さっ! 文字通り仔犬サイズなんですけど?!』
立て続けに産声を上げた子供達を見て産んだ本人の都子は呆然としていた
最初、息む為にユンファイエンスの手を両手で握っていた彼女は、一人目が生まれると"あれ?"という表情になり、立て続けに全員産んでしまった
ユンファイエンスももう一人の自分の記憶で出産時に母子共に命を失った話を幾つも聞いていたので相当な覚悟で臨んだのだが、それらは杞憂に終わり、けれど たかだか数十分緊張しただけだというのにどっと疲労が押し寄せるのを感じる
それでもこの日の為に念入りに構築した魔術で出産により傷ついた都子を癒し、子供達を清めて彼女の隣に寝かせてやり、汚れた布類を取り替える
すぐに母乳を欲してもごもごと動き回る子供達は、寝返りのたびにユンファイエンスと同じ完全な四足歩行の獣型と都子と同じく一切獣の部位の無い人型とを行ったり来たりした
毛色は母親に似たのだろう、五人とも狼の姿の時は白毛で、人の姿の時の肌色はまだ赤いが落ち着けば恐らく都子よりやや褐色めで髪は黒だ
性別は全員男、顔つきはまだくしゃくしゃなので断言はできないが恐らく父親似だろう
『ありがとうございます都子さん、大丈夫ですか、身体は辛くありませんか』
『あ、う、うん、だいじょぶ、ユンが魔法で治してくれたから、聞いた話しだとほんとは産後一ヶ月は安静にしてなきゃいけないみたいだけど、これなら普通の生活がおくれそう』
『一ヶ月ですか……治癒はしましたが、ゆっくりと労わらないといけませんね』
更にまだ後一ヶ月も我慢しなければならないのか、とは思うが、もう一人の自分は産後 家事や農作業中に倒れてそのまま亡くなった女達を何人も知っている、それを考えれば一ヶ月など永遠の別離と比べれば我慢の苦労など無いのと同じだと己を奮い立たせる……が、血は多目に抜いておこうと硬く誓った
それでも一ヶ月が待ち遠しいのは仕方がない
これらの思考を主に廻らせながらやや放心気味に我が子を撫ぜる都子をお湯で絞った布で拭き清めた上で着替えさせたユンファイエンスは、その服の胸元に作られた切れ込みから母乳を求めてきゅうきゅう鳴く子供達の頭を差し入れて授乳を手伝った
満腹にならないうちに子供を乳房から引き離し次の子を吸い付かせているとぴゃあぴゃあと抗議の声が響き、ぼんやりとしながらも都子自身"おなかいっぱいになってないのにどうして?"という表情で夫を見上げるが、一人が満腹になれば残る四人は一切母乳にありつけないことになるので仕方が無い
そもそも彼女の小さな身体では母乳を五人分もまかなうのは無理があるため、人工乳とで併用して育てることになる
もっとも吸い付く勢いから想像するに一人分としても足りないかもしれないことはこの際置いておくとしても、だ
因みに現在どころか過去にも無かったこの構造の服は、もう一人の自分があちらで乳児を抱える母親を見た時に授乳の度に人目を避ける場所を探すのは大変そうだな、と思っていたことを思い出し、仕立て屋に構造を説明して依頼しておいたものだ
ところで蛇足だが、依頼された仕立て屋は頼まれた服の構造から、イカガワシイコトに適した服じゃないのか、と考え付き
しかもその服の大きさが明らかに幼児向け(且つ女児が背伸びをして少し大人っぽい格好をしているのとはワケが違う感じに大人の女性向け)だったことから通報しようかどうか悩んだ
なにせ子供は宝どころか至宝だ、殊 犯罪被害に子供が関わるのではと疑われる場合、疑わしきは罰せよ、といった考えが世間の常識的に蔓延している
……が、依頼主が年端も行かない少年(仕立て屋目線)であり、構造は兎も角として見た目はイカガワシイ外観ではないので悩みに悩んだ末に妻に相談したところ
依頼された服は大きさから考えて少年が腕に抱えていた女児のものであろうということと、女児の顔色の悪さと痩せた様子から何か持病を持っており頻繁な診察が必要なのではないかということ、そして病気ゆえに身体が小さく本当はもっと上の年齢の可能性もあり そこから背伸びした服と考えればあれだけ大人っぽいものも可能性があるのではということ、それらから想像するに恐らくこの服の構造は診察に適したものなのだろうと妻の新たな視点からの指摘を受けた仕立て屋は己の穢れた眼を大いに恥じて苦悩した
結果 通報されることが無かったことにより、ユンファイエンスは知らぬ間に公的な汚点を回避していたことをここに記しておく
『お義母さんとお義父さんとお義兄さんは?』
『外にいますよ、都子さんは彼らのことは気にせずに身体を休めて下さい』
漸く意識が覚醒してきたのか、義理の家族のことを気にし始めた都子にユンファイエンスは気にする必要は無いという風に軽く答えたが、その答えの何が彼女をそこまで動揺させたのか、都子の顔は見る間に青褪めていった
『都子さん? 顔が真っ青です! どうしたんですかっ体調が思わしくありませんかっ?!』
『あの、ごめ、ゆ、ゆん~!!』
『きゅぉ~ん!』
『きゅう! きゅう!!』
『きゅぉあぁぉぁああぉぉんっ』
両親の動揺が伝わったのか、生まれたばかりの子供達までもが一斉に幼い遠吠えを始める
妻の涙と子供達の遠吠えはユンファイエンスの動揺を更に煽った
『どうしました? 教えてくださいっ』
『ひ、ぇ、ぅ、ひぁぁあああんっ!』
『きゅぅう~お!』
『きゅうっ! きゅうきゅう!!』
慌てて寝台に乗り上げて妻を子供達ごと膝の上に抱えあげべろべろと涙を舐め取るが、彼女は ひ、ひ、と小刻みに息が詰まるようで何か言いたいことがあるようだが言葉にならない様子にユンファイエンスの焦りも強くなってくる
『都子さんっ? 都子さん!』
『めんなさ、ひ、ゅん、ごめ』
何を謝っているのか分からない、何を謝ることがあるのか分からない、何を不安に思うことがあるのか分からない、何故 彼女を理解してやることが出来ないのか分からない
――何故 分からないのかが分からない
相手が都子ではなく、且つ普段の冷静な状態の彼ならば、状況と会話の流れや経験から類推し、その涙の原因に辿り着けたかもしれない
だが、相手は妻だ
彼女が涙に濡れることがあれば、その涙が哀しみのものであれ喜びのものであれ、どちらにせよ まだ若く経験の浅いユンファイエンスは冷静でいることは不可能だろう
「都子さん、少し揺れますよっ」
己の不甲斐なさを咒うように思わず舌打ちをしそうになるが、余計に怯えさせてはいけないと寸でのところでソレを飲み込み
彼は妻と子供達を抱きかかえて立ち上がると、屈辱にも似た想いをも抱えて逸るように家を出た
次回更新は日曜の同じ時間です
※出産シーンは流石に省きます(動物は出産後に胎盤を食べるんだよな、どうするかな~、人間も昔は滋養の為N(ry、げふっげふん! このお話のテーマではないですからね★)