06
『ありがとユン、ぇと、"おにぃたんおいちぃ"』
『……ああ』
兄から突き刺さる視線は、お前意思疎通できる魔術が使えるだろ? と言っているがユンファイエンスはにこりと笑顔を返すだけだった
――招かれざる客に首輪を填めて野に放ったあの後
眠らせた妻を抱え、兄を連れて建造中の新居に戻り
ゆめうつつに彼女はユンファイエンスによって悪い夢を見たと思い込まされた
落ち込む都子の気を紛らわせ少しでも元気付ける為にと兄が用意しておいてくれた料理を出せば、気落ちしているのに義理の兄に気遣いを忘れないこの健気さ
だというのに、この無言の訴え
無骨な兄だが口に出さない程度の配慮はあったようだが(単に口下手で口数が少なく口を挟んでいいタイミングが見つけられないだけだ、という普段ならできる考察は今の彼にはできない)
折角彼女が自力で覚える努力をしているのにそれを無駄にしてしまうようなことは避けたい、成果は兎も角として努力をするという行為は気力の面において重要だ
などとご大層な建前は兎も角、舌っ足らずな都子もかわいい、結局はソレに尽きる
兄の唯一の手料理である蒸し焼き(本日の素材は猪丸二頭)を妻の食べ易いように解体を終えたユンファイエンスに勧められ、食欲の無い彼女はそれでも折角作ってもらったのだから、と小さなその口で一生懸命食べる姿はいつもどおりにある種の欲を刺激するが、食べているのが兄の手料理というのが些か気に食わないところだ
それは兎も角、やはり食欲の無い都子には重い内容だったようで、ただでさえ少なかった食べる量が妊娠により格段に減っていたここ最近の食事量よりも更に減っている
『"おにぃたんごちちょたまれちた"あんまり食べられなかったけどユンの保存魔法があるからまた後で美味しく食べられるね』
『今度はわたしが作りますね、都子さんは鳥や兎の肉のようなあっさりした方が好きですからそちらを料理しましょう、今でしたら野生のものよりも養殖の方が貴女にはより食べ易い筈です』
『え、でもまだこんなにたくさん……』
『わたしが食べてしまいますから、安心して下さい』
『えっ、この量を?!』
もしかしてご飯今まで全然足りなかった? ごめんね、と申し訳なさそうに言う妻に、充分足りていますよと言いつつ栄養素を抽出したっぷりと濃縮した見た目は透き通り味もあっさりとした果実水のようなものを渡す
適度に冷やされたソレを食休めに美味しそうに少しずつ飲む彼女を見つつユンファイエンスは猛省した
(気を遣う筈が気を遣わせてしまうとは、いけませんね)
*** *** ***
『え、お義父さんとお義母さんが?』
『はい、どうも気にしているようで、使わないとは思いますが一応客間は完成したのでそろそろ呼ぼうかと思いまして』
父は兎も角として母が、とは言わなかった
興味が無いわけではないだろうが、ユンファイエンスの父親は待つように言われれば母親に関すること以外では催促するようなことは殆ど無い
予備知識無く初めて会う場合は基本的に受動的で来る者は拒まず去る者は追わず、初対面で凡その人間性を把握し、対応を決める
それが息子の嫁であろうとも対応に変わりは無いだろう
問題は母親の方だった
『出産と子育てが終わってからと思っていたのですが』
『流石にそれは……』
どうも妻が落ち着くまで待たせるのは無理のようだ
気を遣ってなのか昼間に一回きりとはいえ毎日様子を聞いてくる様子から察するに、そうとうユンファイエンスの嫁を気にしているらしい
まぁ、他の息子達の嫁とは異なり、幾千年ぶりの妊婦ともなれば心配にならない方がおかしいのだが
『お義父さんとお義母さんの好きな食べ物ってなに? あと気をつけなきゃいけない食材とかは?』
『好物……ですか』
早速出迎える準備をしなければ、と筆記具を手に戻り良妻ぶりを発揮する都子を悦に浸りながら膝に抱え直し、手に持った本の文字と挿絵を眼で追い吟味しながら暫し考える
『うん、あとお土産は日持ちのするものがいいかな、って思うんだけど、どうかな』
『そうですね……父の好物は母の作ったもの総てです』
『あ、うん、え、あ、はい』
どう考えても父親の好物は他に思い当たらなかった
母親抜きで外食をした時には彼女の好みそうなものを注文し、来るべき日のために予め評価をしておくのが使命なのでは、というような様子なので結局 妻という要素を抜きにした彼の好物は分からない
というか、基本的に外出しても食事時には転移で帰宅する
出掛け先で合流する相手の都合や、自宅の食事時に合わせて帰れない場合などは母親の用意した弁当を持参し、その上で日数が掛かる外出も保存の術を使っての長期対応をする
父親が外食をするのは初めて訪れた土地の食堂や、新しく開店した店に母親の好みそうな料理があった場合と、母親の慰労とデートの時だけだ
可能ならばもてなされる宴の席であろうとも妻の用意した弁当を食べている
他にも家の内装や衣服の趣味、人間関係、諸々総てが妻を基準に取捨選択されている
父母の関係は降りてきた時からのものなので、ユンファイエンスのように出逢う前はどうだったのか、などというものも存在しない
『母の好みは木の実の使われた料理ですね、その為、父が母の為に作った家も堅牢さは勿論のこと様々な種類の木の実がいつでも好きなだけ食べられるようになっている程です』
『へぇぇ、あ、ユンはお義父さん似なんだね』
『はい! "……ええ、勿論気付いています"都子さん、少々外に出てきますね』
勿論、都子の言う通り、今では食の好みは彼女の手料理で、空が裂け大地が崩壊しようともびくともしない家を手ずから建てるあたりよく似ていると言えるだろう
そういったユンファイエンスの性質をしっかりと見抜くあたり妻は自分のことを良く理解してくれているな、と愉悦を感じる
……とそこまで考えたところで水をさされた
ユンファイエンスが此処と定めた範囲内に入り込んだ、自分でも妻でも兄でもない存在
分かり易く、気配を抑えることもしない
『もしかして、お義兄さん?』
『そうです』
都子をそっと降ろし屋外へ出たユンファイエンスは、ついっと顎をしゃくる兄に僅かに頷いて応える
「随分と急ですね」
「あらかじめ予告しといたんじゃ、色々と取り繕われちまうかもしれないからね」
ユンファイエンスが暴走しているのを迷惑に思っているのに、夫の両親に気を使って言えない、ということが無いように先触れ無しで訪ねるという手段に出たようだ
木々の向こうから父親に手を引かれながら現れた母親が答えた
「何を取り繕うことがあると言うんですか」
「妻が夫に気を遣って言いたいことも言えない、なんてこともあるさね」
「そんなことありません」
「あたしゃウチの男共の嫁に関する発言は話三割に聞くことにしてんのさ」
低過ぎませんかソレ、という言葉は飲み込んだ
"ウチの男共"の中に間違いなく母親を溺愛する父親が含まれていることに敢えて気付かなかったことにした兄弟だったが、そこへ話しがひと段落したと判断したのか父親が取り出したものをユンファイエンスが受け取った
「手土産です」
「……なぜ梟なんですか?」
絞めてあるから愛玩動物でも伝書鳥というわけでもなく、足を持って逆さに吊るされた二羽の梟は丸々としており恐らく食用という認識でいいのだろうと判断する
判断はするが、なぜ梟なのか分からない
食べられないことは無くは無いが、あまり食用には向かない肉だ
「ルルがお前のお嫁さんの好物だって教えてくれたんだよ」
「……兄さん?」
母親の一言にユンファイエンスは胡乱げな眼で兄をじっと見……いや凝視した
「義妹の好物だろう?」
「何故そう判断したのですか」
じっと見詰め合う兄弟
確かに兄の前で鳥の肉の話はしたが、だからといって梟などという単語を吐いた覚えは無い
――が、ルヴガルドはあの会話で都子の好物は梟肉だと何故か確信していた
それはそれとして下処理済みの状態なら兎も角、見た目梟そのままだと都子の先日の問題でトラウマになっている可能性もあるので看過できない
彼女に見つからないうちに解体してしまうしかないだろう
「それはそうと、あんたの嫁さん」
「都子さんです」
「ミヤコ、可愛らしい名前だね、そのこは今具合はどうなんだい?」
「まぁまぁと言ったところです」
「じゃあ、話しができるかどうか声掛けてみておくれ、ルル」
「何で兄さんなんですか」
わたしが行くべきでしょう、というユンファイエンスの訴えは、ふん、と鼻であしらわれた
「……その信用の無さは一体何故なんですか」
「何故なんでしょうね」
父親と息子は揃って首を傾げた
次回更新は水曜の同じ時間です
※逢引きって書こうと思ったけど、流石に古風すぎる気がして他に思いつかずにデートと表現……