04
(落ち着け、お前は弱い)
(えぇ、よく、理解しています)
苦々しくも返事を返しながら結界の範囲を抜けた彼はすぐさま転移した
その滲み出るかのような殺気を受け、魔導師たちはぎくりと青褪める
兄の言う通りユンファイエンスは弱い、勿論、原因は自分自身でも嫌になる程に良く理解しており既に解消法も確立してはいる
……が、環境に恵まれない現状では焼け石に水だろう
ソレは大多数の者からすれば気付けず、前知識を持っていても知覚すらできない程の僅かなものだが、気付く者は気付く
今のところ家族以外でそんな相手と対峙したことはないが、もし争うことになれば確実に相手を倒す為に此方の付け入らせる隙を餌に徹底的に殲滅する
緒戦で潰せなければ、次には対抗策を講じてくる可能性が高いからだ
その為には取捨選択の判断などせず、そこに居合わせた人も街も、全て、手段を選ばなかった事により喩え多くを血の海に沈め犠牲にするとしても、だ
日常生活では気付く筈も無い致命的なソレに相手が気付くのは、当然の事ながら相対し戦う時くらいのものだろう
敵であれば、潰せるうちに潰してしまわなければ、その致命的な弱点を知る者を生かしておけば、自分のみならず、いずれ家族の者にまで害を及ぼす
だから、必ず、確実に、元から絶たなければならない
喩え相手が気付いていなくとも、その可能性が極僅かにも存在するのなら
「さて、何の御用でしょうか? 連絡のための陣は教えてあった筈ですが」
手近な椅子に腰を下ろして足を組み、威嚇代わりに不必要なほどゆぅっくりとそれぞれの顔を見回す
この場に居るのは自分を含め五人、他の魔導師は配した咒具を介して持ち主の魔力の波長を察するに二名は本人、三名は他者、残り二名は所持しておらず誰も近場にいない、加減が解らず使い方を誤ったのだろう、魔力の枯渇は生命力の枯渇も同義、そして本人か他人かは兎も角として陣を敷いているのは三人
ユンファイエンスとしては別にこの術が完成しようがしまいがどちらでも構わない
現状、彼にとっての問題は全くの別次元にある
女神の帰還は単なる興味程度のものでしかなく彼の望みではない、都子や家族に"悪影響"が無ければどうでもいいことだ
勿論、外界へ跨いで彼女の家族を探す為にも術の結果は観察するし悪影響の場合も考えてはいる
相手が女神などという未知数の存在の為に対策が間に合っているかは分からないが、それは実際に対峙しないことにはそれ以上はやり様が無い
――では問題とは何か
それは、あれだけ脅しておいたにも関わらず こちらに接触を図ってきたことだ
絶対的な技量の差を見せつけ、あからさまに監視を意図する咒紋をこれ見よがしに含む咒具を持たせ、相手の無礼な態度を気に入らないと腕を切り落とし、馴れ合わず扱い難さを前面に押し出した冷酷で狭量な態度を披露し、駄目押しに陣全体の三割を片付け、声を掛け難い環境を整えておいたにも関わらず……だ
あの後、人員が入れ替わったとき、恐らくラ=カ・フィラーダ王は新しい者に何があったかを話し、その上で計画に加わる意思があるかどうかを確認している
でなければ、ユンファイエンスを恐れて計画を抜けたいと申し出る者が今後も出てくる可能性があるからだ
人員が頻繁に入れ替わるのは作業にとって致命的だ、だから王は間違いなく具体例を示した上で確認している
例え人員が入れ替わっていても、知らない者はいない筈だ
そうした数々の恐怖の楔の効果によって、此方の気に障らないよう目立たず、息を潜め、存在感すら希薄にしているようですらあったのに、何の前振りも無く突然呼び出しを掛けるという、今までからすれば暴挙のような行動
何も無いという方がおかしい
「そ、それは」
「それは? 陣を介するより直接顔を見ながらの方が誠意が伝わる……とでも?」
「い、いや、そんなことは」
挙動不審に視線をあちらこちらと泳がせるその姿は、誰の眼で見ても図星以外のなにものでもないだろう
最早、呆れることすらも億劫なユンファイエンスの意識は、一方で当然の事ながらその大半は都子に向けられている
ざわざわと這い上がる不快感にも似た怒りを抑え、目を凝らし、耳を澄ませる
彼女の名を知る者は、自分と父母とこの兄とジャルグ、名前と姿が一致する者は自分とジャルグしかいない
都子の戸惑う姿はこの不審者が知人ですらないことを示し、……であるにも関わらず相手は彼女のことを知っている
『あの御方と共に戻られたのですね、お懐かしゅうございます
迎えが遅くなり申し訳ございませぬ、すべて我が不徳の致すところ』
『え、あの、』
『しかし良かった、本当に良かった
貴女様が連れ去られたとあの御方より聞かされたときには
御身ご無事でおられるのか、その御心に憂いはないか、と
案じるあまりこの身が張り裂けるかと思いました』
(……連れ去られた?)
唐突に家族と離れ離れになったとは言っていたが、誰かの手によって、という話は聞かなかった
何かに怯える素振りは無く、ただ生き別れた家族だけを気に掛けている姿は追っ手やそれに準ずる存在を気にする風ではない
『ひとちがいじゃ……』
『そのようなこと有ろう筈がございませぬ
喩えあの頃とは御姿が違おうとも、どうして見間違うことができましょうか』
(姿?)
確かに都子はその身に一欠けらも獣の部位が無く一般的に見れば不可思議だ、しかし彼が見る限り彼女は自身の姿に疑問も違和感も感じてはいない
だが今のところ相手の目線や瞳孔に揺らぎは無く、声も不自然な強弱や溜めは感じられない、自分の判断に確信があり、一切の迷いは無いように見受けられた、相手にとってはソレが真実なのだろう
ユンファイエンスがジャルグとその家族らを守る為に口元へ指を立てた時、彼は自分や家族の為にも自ら箝口の楔を受け入れている、本人の意思でこれを破ることは難しい、術者がユンファイエンスならば尚更にだ
この術は破ったところで懲罰的なものは発生しない、ただ、その物事を仄めかしただけで耳目を惹き付け、それを吐かせようと危害を加えられる可能性はある、それを防ぐ為の術だ、これが破られた時、それはすぐさま術者である彼に伝わる
『あの、でも、』
『ときに都子さま、あの御方はいずこにおられるのでございましょう
あの御方が貴女様をお一人にしておくなど考えられませぬ
しかし現状では貴女様はあの御方とではなくあの男と共におられる』
『ま、まって、』
『あの御方がそのようなことを許されるはずがございませぬ
都子さま、あの御方はどうなさったのでございますか、よもや、あの男が……?
貴女様の御姿が違うのももしやその所為で……?』
『……あの……おかた?』
ジャルグの安否は今現在も感知でき、負の要素は感じられない、ジャルグ経由で名前と姿が伝わったわけではないだろう
当然、実家経由も考えられない、あそこは魔窟だ、レヴァルヴムの名を聞かない土地は無いが、中でも父の悪名は殊更に高い
妻のことで目的があれば、狙う者はユンファイエンスが護りの堅固な実家に居ると踏んでくるろう、おいそれと踏み込むことはできず、しかし囮としては良く目立ってくれる筈だ
だからわざわざ実家とは別に家を構えた
「……それで? 何の用でしょうか?
まさか、わたしが敷いた三割以外の残りの陣も負担しろ、などと、戯言を吐いたりはしませんよね?」
「ぐ、」
「おやおや正解でしたか……、まぁ期限があるわけでもなし、気長にやってみてはどうですか?」
「しかし、期限が無いと言っても、子供が降りてこなくなるといったのはそちらではないか!」
「おや? まさか仮に女神が還ったとして、そう都合よく不都合が解消されると本気で思っているのですか?
無理矢理戻されたと怒りを露に人の世を滅ぼしたりはしないと、どうして確信できるのです」
「!! そん……な……ことが……」
女神さえ戻れば総ては丸く治まるとでも思っていたのか、よくそれで魔導師を名乗ったものだ
あらゆる都合の良い可能性の他に、ソレを遥かに凌ぐ不都合の可能性が存在する、そんなことは余程幼い子供でもなければ誰でも考え付く筈だ
「そんな分かり切ったことは兎も角、わたしは他人の宿題を代わりにやるような馬鹿ではありません
誰がこんな幼稚なことを言い出したのかは問いませんが それは単なる責任放棄、わたしの知ったことではありませんね」
"宿題"と相手の稚拙さを強調して揶揄し"お人よし"ではなくわざわざ"馬鹿"という表現を使って不快感を煽る
勿論、相手が妻であれば手取り足取り懇切丁寧に優しく優しく教えるが
「わ、私ではない……それはエウラファが、」
「エウラファ?」
「ひ、わ、わたしじゃないわっ!」
「しかしお前が言ったのだぞ!! レヴァルヴムだけずるいと!」
「だ、だってアグディアディルグがっ」
「わしの所為だと申すか! みなで強力した方がいいと言っただけじゃ!」
「なぜです?」
「いくら能力が高くとも、これは競うものではないのに、……そう言われ、確かに……そうだと」
競う物ではないからこそ分業にしたのに、一体何を言っているのか、彼らの言い分を実行に移すとするなら、ユンファイエンスが一人で総てこなすのとなんら変わりない
それにしても連想を上手く使った遣り方だ、意識というのはどうしても不満を持つ方向へ流れ易く、それが複数人にもなれば同じ思想を持つもの同士背中を後押しし合い、意気投合し易い
喜びや興味の感情は個々の性質主義嗜好によるが、同じ環境下で感じる不満や妬みというものは大体が似たり寄ったりになり、思想統一は驚くほど容易だ
ユンファイエンスを最初に名指ししたのはこのエウラファという女だが、それ以前から誰も彼もがユンファイエンスに過剰な嫉妬や不満を覚えていたのだ
あれだけ恐怖で脅されていたのに、それはもうしっかりと
とてもおかしなことに、妬みの感情とは、ときに恐怖をも上回ることがある
「わたしを名指して?」
「いや、そなたを名指してはおらなんだ、……ここには居らぬが、そう言ったのはティルグラフィムじゃ」
ティルグラフィム……、その名が本名かどうかは兎も角として、集められた十二人の魔導師の中で人員入れ替え後も残っていたヴォルシスの女だ
都子の目の前に恭しく跪くアヴァニスの姿とは似ても似つかず、魔力の波長もその姿に相応しく整っている為にティルグラフィムと一致はしない
毛色、いや羽色か、それすらも異なり、共通点は辛うじて種が鳥類だということくらいだろう……だが
自分や実家の面々で既に実証されている、姿や魔力が一致しないことが別人である証明にはなり得ない
肉体が変質すれば魔力の波長はそれに合わせて変化する、当たり前のことだ
『お忘れですか都子さま、貴女さまの愛娘です、あんなに仲睦まじい母娘だったではございませぬか』
『まな……むすめ……?』
(……娘ときましたか)
娘と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、今、妻の胎に宿っている命だろう
自分の知識に誤りがなければ、都子は確かに自分が女に変えたと断言できる
であるのならば"娘"という存在が自分達二人が出逢う前に生まれていたとは考え難い
しかし、勿論 現段階において性別が分かる筈も無い、まだ生まれてもいない性別すらも定かではない段階の存在の話だ、それでも敢えてソレを理屈に当て嵌めるのなら"色々と面倒な事実"という相当に胡散臭いものが何通りか鎌首を擡げることになる
――それらの予測が正しいか正しくないかはこの際置いておくとしても……だ
『そうでございます
さあ、積もる話もございますが このような場所にいては都子さまに悪影響を及ぼしかねませぬ
どうやら旗色が悪くなったもよう、あの男が戻ってくる前に此処を離れましょう』
『ひ、』
「ここまでのようですね」
やはり此方を盗聴し様子を伺っていたか
ユンファイエンスがそう言って立ち上がると、魔導師たちはびくりと慄く
彼が覗く都子の視界はゆぅっくりと狭まり、暫定ティルグラフィムが慌ててその身体を支えようと翼を差し向けたまま立ち上がるのを前に、完全に閉ざされ、……闇へと沈んだ
「仲良しごっこはわたし抜きで、どうぞ気の済むまで、お好きなように」
「待っ、」
――もう、此処に、用は無い
次回更新は水曜の同じ時間です