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02

『……はずかしい……はずかしすぎる……穴があったら入りたい……』


『恥ずかしがる姿も可愛らしいですね都子さん、既に穴の中ですよ』



あぅあぅと羞恥に身悶え二人がくるまる毛布に頭まで潜り込もうとする都子の姿にユンファイエンスはすりすりと頬擦りをした、その尾は常態よりも三割り増しほど激しく振られて毛布の裾を逆巻かせている



『……妊娠なんて初めてだから全然分からなかった……っ』


『えぇ、大丈夫ですよ、分かっています』



妊娠なんて初めて、えぇえぇ勿論そうでしょうとも、わたしが最初から最後まで唯一人の男ですからね!


悦に浸ったユンファイエンスの尾は激しさを増し、毛布の裾は風圧で真上に向かってはためいていたが、夫に抱き込まれていた妻は寒さを感じることは無かった


……というか後から後から湧き上がる羞恥心にそれどころではなかったので、鬱積を晴らすよう身体中まさぐるかのごとく撫でまわしている夫の過剰なスキンシップにも殆ど反応できてすらいない状態だった


そうしてそれぞれ全く方向性の異なる思考の海に沈んでいた夫婦であったが、唐突に動きの止った都子に、ユンファイエンスがどうしたのかと自分も毛布の中に頭を突っ込むと


都子から、先ほどまでのユンファイエンスの不安に答えが与えられたのだ



『この子もユンみたいにふさふさの耳としっぽがあるのかなぁ?』


『ッ! ……それが……都子さんの望みなのですね』


『うん』



ユンファイエンスは頭から尾の先までびりびりとしたものが突き抜けるような錯覚を受けた



(血肉を分けた、夫に良く似た子供が欲しい、と……

 愛しい夫であるわたしの子を産みたい、と 貴女はそう言うのですね!)



誰もそんなこと言ってない。


ソレは兎も角として、先ほどまでは分かっていなかったようだが今では彼女も自身の体調不良の原因が何か理解している

不安になるほど睡眠を必要とするのも、食が細り、それでも頑張って食事を摂って尚 痩せ細るのも、全て、その所為だと知っている


ユンファイエンスは敢えて都子の故郷とこちらとの差を確かめるような質問を彼女にすることは無いが、それでも時折空から降りてくる子供を遠目に見ても彼に尋ねない辺りを考えると、この世の子供は母親の胎から生まれるものではないと、恐らく彼女は理解している


妊婦が存在しないということは、都子の現状を助ける経験者も産婆も医師も存在しない、と いうことだ


それでも尚、妊娠に恐怖を感じることも、こんな環境で本当に産めるのかと疑問にすら思わない


当たり前のように、受け入れている



『……では、わたしたち二人で立派に育てましょう』


『うんっ』



――ソレが貴女の意思ならば、わたしはそれを全力を以って支えましょう


方や命を賭けるほどの心構えで決意をする夫

一方で夫が有能すぎるお陰で何不自由なく暮らし、現代日本で当たり前に受けていた恩恵と現状に大した差異も感じずというか寧ろ娯楽以外は現代日本よりも便利な環境でのほほんと母親としての心構えを(本人としては真剣に)硬く決意する妻


心構えの方向性も深刻度も違うが最終的な目的は一緒なので、お互いに意思の疎通がまったくできていないにも関わらず夫婦は一致団結するのであった


もうどうにでもなれ。




 *** *** ***




母体が安定期に入ったのか、食欲もほんの僅かながら回復し、体力面にはまだまだ不安が残るが体調面では悪阻も軽減してきた都子の気分転換を兼ね、ユンファイエンス達は街に買出しに来ていた


今回は姿を隠さないままだ、以前のように金銭価値の高い物品の売買の為に閑散とした通りを向かうなら目暗ましの術を掛けてもいいが、その状態で人の多い街路を歩くにはそれなりに不便が生じる

だいたい、基本的な穴として人目の多い一般の商業区画で買い物時にだけ姿を現すというのは馬鹿かと断定できる程目立つ上に不信感急上昇だ


姿を変える術も妊婦である都子に適した肉体に影響を及ぼさないものが幾つかあるが、この場合は特に天候や影に気をつけなければならなず、勘の鋭い者なら違和感を感じ実体と虚構の差異に気付くだろう、ユンファイエンスをはじめレヴァルヴムの者なら絶対に気付く


それに体高が低いだけで頭身やバランスが体高相当の幼いものではないこの身では、物理的な変装をしても医学知識のある者には見破られるだろう、頭身を気にしないのなら変装に意味など無い


とにかく、妊婦の存在しないこの世界で肥満というわけでもなく不自然に腹部だけ大きいというのが目立つのだ、体型を誤魔化す格好をしていれば大分違うし、まだそこまで大きくはない


見た目が子供の二人だけで行動することで人攫いに襲われるという可能性は、人気の無い場所や治安の悪い地区でなければそこまで警戒する必要は無いだろう

子供の存在は殊の外 大切にされているために大人たちは常に気を配り、こうした人通りの多い場所や人口が少なく顔見知りだらけの田舎では余所者がいれば直ぐに分かり対処される


問題は寄り添っているのが誘蛾灯なのか広告塔なのか判別に困る男だということだけだ


見目が良ければ相手が子供であろうが構わない、否、子供のように小柄な男でも構わないという層は一定数いる

普段であれば、そういう輩にはそれ相応の対処をするが、今では彼にも守るべき妻がおり、その上身重だ、万難は排した方がいい


ユンファイエンスは道端の石のように存在感は薄くとも相手が自然に避けてくれる程度まで目立たなくなる術を妻共々掛けた、元々此方を知っている相手には効力が薄いが大多数相手には役に立つだろう



『あ、これかわいい……けどあたしには大きいなぁ』


『都子さんはこういった系統のものがお好きですか?』


『うん、こっちとかこんなかんじのも好きだよ』


『そうでしたか、都子さんに良くお似合いですよ

 それならこの際ですから色々と見て回って好みのものをわたしに教えて下さい

 陶器も硝子も経験はありませんが造り方は知っています』


『え、や、焼いてくれるの?! ユンが?!』


『はい、勿論です、なんでしたら詳しい要望など教えていただければ

 店頭のものに似せたものでなく理想に近いものが焼けると思います』


『わぁ…… あ、でも、ユンの好みは? あたしの好きなのばっかりじゃ悪いよ』


『わたしは使い勝手が良ければ柄に拘りはありませんから大丈夫ですよ

 取り敢えず今回の買い物は無難な客用のものだけにして、焼けるまではそれを使いましょう』


『じゃ、じゃあ後で絵に描くね、ユンは器用だから楽しみだな』


『ご期待に沿えるよう心血を注いで尽力しますね』


『う、うん、い、色違いとか柄違いでしっかり考えるね』


『夫婦茶碗ということですか、素晴らしいですね!』



帰ったら早速窯を設えようと考えつつも、都子を疲れさせない為に片腕に抱えたユンファイエンスは彼女の目線を追って興味の向いた食器の傍に移動し、都子に手渡す


彼女は陶器や硝子製の食器を慣れた力加減でそっとさわり確かめている

食堂で鉄製の食器類を使った時には珍しそうにしていたことを考えれば、彼女の元の生活では当前のように生活面に馴染んだ材質なのだろう


こちらでは、脆く繊細な陶器や硝子に木製の食器は実用性を必要としない蒐集家のためのものといった側面が強い

勿論丁寧に扱いさえすれば器としての本来の役目も果たせるだろうが、赤子を相手にするよりも繊細な取り扱いが常時必要となると、気が休まらず食事も楽しめない


だから食器類は一般的に丈夫さと加工し易さから鉄製のものが好まれ、料理の放熱を抑える為に卓の天板は木製であることが殆どで、カトラリーについては食堂で常備されるのは使い捨て可能な木製で大半は持ち込みが推奨される、これは客の種によって手の大きさや形状が異なり対応が難しいためだ、大抵の場合 注文時に自前のものが出されていなければ店員が食事と一緒に出してくれる


器の熱で彼女の手を火傷させないために外食時には食器に魔術を加えているが、一般的には火傷するほど人々の手の皮は薄くないため、そんな配慮も必要ない分 安価で加工し易い鉄を素材としたものは食器は元より家具など手で触れるものには好んで使用される


いつもと違う環境で気分と共に気力が向上したのか、この分なら近いうちにユンのご両親にご挨拶できるのではないかと両親の予定を尋ねてきた都子の気遣いに嬉しいものを感じるが、この体調で緊張を強いるようなことは避けたほうがいいだろう

ならばせめて今のうちに手土産を選んでおきたいという心配りがいじらしい


だが、あまり疲れが溜まらないうちに切り上げて休んだ方がいいようにユンファイエンスは思った

今ははしゃいでいるから気付かないだけで、かなりの体力を消耗している可能性がある



『買い物はこれくらいにして今日は帰りましょうか、疲れたのではありませんか?』


『ユンに抱えてもらってるからまだ大丈夫、あたしの体調を気にしてたら次にいつ来れるか分からないし』



一時間には満たない程度、一頻り食器を見て回ったが、都子の顔色に若干の疲れが現れはじめたのを見て取ったユンファイエンスは会計を済ませると帰ることを提案してみるが、久々の外出に嬉しそうな彼女の顔を見ると、無理はさせられないと分かっていても ついつい彼女のお願いを聞いてしまう……しかし



『では喫茶店で休憩を挟んでから次はシーツやカーテン……あぁ

 すみません都子さん、呼び出しを受けてしまいました』



呼び出し音が頭の中に響き、憩いの時間は中断されてしまった

相手は女神召還で関わる魔導師連中だ、折角妻が楽しそうにしているのに、と若干の殺意を覚えるが、今は応じておいた方がいい

どうせ状況から考えて相手には含む物がある、彼が陣に掛ける手を止めたのはもう何日も前だ、接触が遅すぎる

どの方面からの意思か検めるのは都子の状態を考慮するなら恐らく今が一番いいだろう


彼女を家に連れ帰って出直そうとしたが、緊急の用かもしれないという都子の慈悲の心を立てて彼女を次に予定していた店に降ろす傍ら兄に連絡をとった


本当は喫茶店にでも、と思うが妊娠のことを抜きにしても小食で気の優しい彼女がお茶以外何も頼まずに店に居続けるのは気まずいだろう

分かった上で勧めてはみたが、やはり固辞されてしまった

残せばいいと言ってみても勿体無いしお店の人に申し訳ないと返す彼女の誠実さに ちゃんとした家庭で育ったのだな、と嫁株急上昇(通常運転)だが今だけは少しぐらいいいのに、と思ってしまう


一方で兄はまだ動き出さない、何故かと言うと構いたがりの他の兄弟に捕まっているからだ



(遊んでないでさっさとして下さい)


(あそッ?!)



収拾がつかないので向こうの騒ぎが治まるのを待たず荷物ごと転送する

出来る限り転移できるギリギリの距離まで転送し、後は残りの距離を此方に向かってもらわなければならない


都子の周囲の空間を歪めたくない為に、彼女を中心に随時広範囲に結界を展開し空間を繋ぐことが出来ないようにしているのだからこれは仕方がない

この問題についてはじっくり細部まで調整するとして、兄の足ならば問題の無い距離だが、それでも空白状態が発生することは避けられない


此方に接触してこようとする悪意有る第三者が世界的に稀少な子供を金持ちに売りつけるために攫うような人攫い程度の小物なら兎も角、ユンファイエンスが問題視しているのはその程度の相手ではない



『先日都子さんに姿を教えた兄を呼びましたから、安心して下さい』


『え、お義兄さんを? 悪いからいいよ、ユンがくれた御守りもあるし大丈夫』


『いえ、もう此方に向かってくれています』


『ぇ、うん、でも……』


『遠慮しなくとも兄は世話焼きの気質なので気にすることはありません

 いいですか、灰青色の毛皮で青緑の眼をした大柄な虎ですからね』


『うん、ルルお義兄さんだよね』


『そうです、くれぐれも無理をしないように、疲れたと感じたら休んで下さい、では行ってきます』


『行ってらっしゃい』



見送りの口吻けを彼女にしてもらい(セルフサービス)職場らしき場所という名の戦場(一方的虐殺の可能性過多)に赴く、まぁおませさんねぇという外野の声も見守るような温かな眼差しも何時も通り一切感知しないユンファイエンスは、都子の下に誘導している兄と同じく跳ぶようにその場を後にした



(左、右、右……あぁ、不届き者です)



……やはり来た、念の為にと兄の視界と並行して彼女の視覚と聴覚も覗かせてもらっていたが、相手の反応は早かった、彼女が屋外に出た途端に空から舞い降りたのは梟のアヴァニス


それも腕は無く、その鎖骨から繋がるのは大きな翼のみ

その姿は自分の完全な獣としての四足状態の狼の姿とは異なり、鳥獣を元々の骨格を無視し無理やり人のような姿勢で起立させたというよりは、獣よりは人にやや近く、アヴァニスよりは人にやや遠く位置する進化か退化、いずれかの途中といったところか


……だがそれよりも



("生きておられたのですね都子さま"……とは)



流暢な古代語でなんとも物騒な言葉を吐いてくれたものだ

次回更新は水曜の同じ時間です


因みにユンファイエンスの兄のイメージはマルタタイガーです

是非、画像検索などで一度見てみるといいですよ!

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