04
「おおお落ち着けっ! 今の会話の流れで何がどうしてそうなった?!
原因究明のために会話の検証を要求す、……あ?」
周囲を埋め尽くさんばかりに密集していた魔法陣は男が瞬きをした次の瞬間には消え失せ
いつの間にかユンファイエンスの姿もルルヴィスからアヴァニスになっている
そして、若さ故かそれとも経験の足りなさからか、男は先程見ないふりをできなかったが、技師のジャルグ爺や衣料専門店の店員と職人、食堂の店員は長年の経験によって培った見ないふりをやりぬいたソレ
ぶんぶんと、高速で振られる、尻尾
どうやらユンファイエンスは足音で都子が戻ってきたのを察したらしいと理解した男は
命綱が戻ってきたぜ、と自分もそちらを向くが……
『おまたせユン』
『いいえ、大して待ってはいませんよ、気にしないで下さい』
『うん、でもごめ……ひぃっ?!』
相変わらず男には聞き取れない発音で話す二人を眺めるが、出てきた都子の反応がおかしい
行く前は男の姿などまるで見えていない様子だったのに、今は見えているらしい
しかし、おかしい
反応が…おかしい……
何と言うのか…そう…汚物を見るような……
引き攣るような小さな悲鳴を上げた都子は、ユンファイエンスの背後に回り込んで男の方をびくびくと警戒している
自慢だが、男は乳飲み子から熟女に至るまでこんな反応を受けたことなどない
「おい何か妙な反応してんぞこの嬢ちゃんっ
お前何かしたのっ?!」
『"特に変わったことは何も? 貴方の事が怖いんじゃないですか? 不審人物ですし"
都子さん、この性犯罪者は放っておいて、買い物の続きに戻りましょう』
『せ?! え、い、いいのそんな危険人物ほっといてっ』
都子が傍にいる時のユンファイエンスは、相変わらず男を無視して会話らしきものを進めているし都子が男を見る眼はますます恐怖に引き攣っている
『大丈夫です、この通り彼は一目で判断できますから』
『そ、そうか皆にこの人は危険ですよって警告を兼ねてるんだね…!』
「お前何かしたんだろっ?! なぁそうなんだろ!!
何したんだこのやろう!!!」
間違いなく何かされている!、ユンファイエンスと旧知の男でなくとも初対面の者でも思いつく通り、勿論何かされている
別に男自身に変化はない、ただ、裏で出回っている寂しい男の夜の共になる映像魔具に登場する男のように顔の辺りがぼかされているだけだ
因みに犯罪者の周知においては顔はごまかすことなく公開される
『"では、わたし達は退席させていただきます"
都子さん、消耗品の類も買いに行きましょうか』
『う、うん!』
「あ、おい待てこら!
何かしたなら元に戻してけこらぁ!!」
背後で喚く男の声は、勿論ユンファイエンスは無視し 都子には滝の轟音で聞こえていない
男に掛けられた魔術は程なく解けるだろう、本当は一月ほどそのままにしてやろうかと思ったが、ユンファイエンスは流石に都子といる自分が冷静さを欠いているのは気付いていたので大人気ない行為は控えた
(それでも、都子さんが確実にわたしの妻になるまでは
ルルヴィスやアヴァニスどころか全ての男という男は絶対に彼女には近寄らせませんけどね)
男はルルヴィスの上に、顔も整っている
都子の好みが分かっていない現時点で愚行は犯せない、用心に越したことは無い
そんなわけで名前は勿論、男の顔が女受けのいい容姿をしていることも、日本の動物園で好まれているパンダの獣人だということも知られないまま、都子の記憶には顔にモザイクを入れられた性犯罪者としてしか記録されていないのであった
*** *** ***
消耗品の類を購入した二人がその日の宿を求めて宿場通りを訪れると、どこも満室でやっと見つけた部屋も一人部屋一つだけだった
(闘技会のせいで流石にどこも満室ですね……
寝台は体格の大きな客を基準に設置してあるでしょうから、
わたし達二人なら問題はありませんが……)
年頃の男女が一つ屋根の下、一つの寝台と体温を分け合って……
青年として健康的な妄想がユンファイエンスの脳裏を這い回るかと思いきや
「寝台は一つだけど大丈夫かい? 悪いが坊や、兄妹で仲良く寝ておくれ」
「いいえ、夫婦です」
「そうかいそうかい(おままごとかね、可愛いもんだねぇ)」
妄想は中断されたが、己の発言に一片の疑いも無くユンファイエンスは無駄に男らしく堂々と将来的且つ希望的展望を告げた
『え?』
『すみません、闘技会でこの街の宿は満室のようです』
『だから……一人部屋?』
『はい、二人部屋は空いていなかったので』
『えー…と……寝袋とか』
『ありません』
彼一人だけならば、転移の術で普段通りに自宅の自室へ戻ればいいだけの話だが、都子相手に転移の術は使えない
彼女一人を宿に残すという案は元から存在すらしない、例えこの世の誰も破ることのできない結界を結べるとしても、ソレとコレとは別問題だ
都子の言う寝袋は、野宿において必需品だと思われがちだが、寝袋で手も足も出ない状態で凶暴な野生生物や夜盗に襲われる可能性もあるので、あまり現実的でない寝袋は、店頭に並ぶことはまずない
『えっと…えっと……』
それでも、覚悟を決めかねてしどろもどろする彼女に、ユンファイエンスは利点を提示してみた
『でも、部屋自体は良い部屋なので風呂がついていますよ』
風呂という単語に、やはり年頃の女性らしく都子の表情はぱっと喜色に満ちたが、逸る気持ちを落ち着けるように恐る恐る他の入浴手段について尋ねた
『因みに、他にお風呂に入る手立ては……』
『公共浴場ですね』
『こ、こうきょう……』
彼の答えに恐らくこの街に入ってすぐ人込みで蹴り飛ばされそうになったことを思い出したのだろう、都子は顔を引き攣らせた
『義肢をつけたまま髪を洗ったりはできませんし、
どちらにしても選択肢は一つしかありませんが』
『!!』
新たな事実発覚に、都子の表情は更に衝撃に染まる
『寝台の問題は取りあえず荷物の整理をしてから考えましょう』
『はぅ?!』
更なる衝撃に呻く都子の声は、賑わう宿泊客の浮かれ声に掻き消されたが
勿論ユンファイエンスには聞こえていた、しかし彼は一つ屋根の下に浮かれていたために耳で聞こえても頭で認識はできていなかった
『ここがわたしたちの部屋です』
『うわぁ……』
室内に置かれたテーブルに荷物を降ろし、それから両手で丁寧に都子を椅子に座らせた
部屋の設備は自分達には大きかったが、小さいよりは使えるだけましというものだ
たとえ子供に見られても、金さえ前金で払えば余程怪しい店でない限り部屋を借りることはできる
一人部屋のため寝台が一つに、テーブルと椅子が一つずつ
家具は最低限しかなく内装も素っ気無いが地方では上等の部類に入る宿だ
室内は一部、囲うように壁が設けられ、その向こうは水周りになっている
風呂の方をちらちらと気にする彼女に使い方を教え、暫く用事で部屋を空けると伝えたユンファイエンスは部屋を出ると見張り番のように扉の前に背を向けて立った
彼女からは言い辛いだろうからと先んじて部屋を出て来てしまったが、一時間ほどで入浴は終わるだろうか?
そう思いつつ地図を取り出す、咒具と共に配られた紙はこの地図だ
地図には幾つかの薄い円が描かれ、円の一部は色が濃くなっている、色が濃いのは既に魔法陣を構成する為の紋様が施された部分
そして地図に散らばる12の点、これは女神召還の為に集まった十二人の魔導師の位置だ
咒具は地図と連動していて、位置情報を発信する術が施してある
これで大体の進行方向を察することができるため、行き先が被るということも減らせる
……筈なのだが
「先は遠そうですね……」
(こんなに固まって、何の為に各個に咒具を配したのか……)
半数以上の者が2~3人で固まって行動している
いつまで子供気分なのか、仲良しごっこは他所でやってもらいたいものだ
溜め息を吐きつつ、ユンファイエンスは実家に連絡をとった
彼が意識を実家に向けると、耳の奥でチリンと音がする
相手が呼び掛けに応じた証だ
(どうしたんだい、ユン)
(母さん、暫くは帰りませんから)
(珍しいね、何かあったのかい)
呼び掛けに応じたのはユンファイエンスの母だった
どんなに遠くに行っても転移の術で眠りには帰ってくる息子が、暫く帰らないというのは母親としては気になる
(気になる女性ができ、)
ぐしゃぁぁぁああああっ!
-きゃあ?! お、お義母さんっ?!
最後まで喋るのを遮るかのように、鈍い音がした
鉄製のものがひしゃげるような音とでも言えばいいのか、表現としては難しい
(母さん? どうしました??)
(ユンですか?)
(そうです、父さん 母さんはどうしたんですか?)
(お皿を握りつぶしたんですよ、強化と保護の術を掛けていたのに
それもこんなに真っ青になって可哀想に……、お前何を言ったんです?)
(特別おかしなことは何も、話と言えば気になる女性ができた、くらいのものです)
(そうですか、別段おかしな話ではなかったようですが…何が原因でしょうね
彼女はとても繊細ですから、わたし達のような粗雑な人間には察せないのが心苦しいです
まぁ彼女のことはわたしに任せて、お前はその女性のことに専念なさい)
(まってまってまって! その通信ユンなの?!)
(そうです、その声はウリーファ義姉さんですね、どうしました?)
(どうしたもこうしたも、あんた、き、気になる女の子がいるってっ)
(はい、それがどうかしましたか?)
(後を付け回したりしてないでしょうね?!)
(?、そんなことはしていません)
常時抱き上げて一緒に行動しているので、そんなことをする必要性はない
(ねっとりと撫で回すように やたらと触りまくったりとか!)
(そのような変質者の真似事はしていません)
常時抱き上げて"密着状態"で一緒に行動しているので、そんなことをする必要性はない
(それだけじゃなく―――とか、―――で―――とかとかとか!!!)
(…義姉さん、その具体的な例は一体誰のことです?
義姉さんはそんな危険人物と知り合いなのですか?
交友関係を見直す必要があるのでは?)
(あんたにそんな、ば、この、むきぃぃぃぃいいいいいいいっっ!!!)
何かがキレたらしい
(父さん、そこにいますか? 義姉さんも様子がおかしいです)
(親父は母さんと寝室だぞ)
(ハッシェ兄さん)
(ウリーファのことなら気にするな
よしよしウィリッシュユーファニア、俺の可愛い小鳥ちゃん
落ち着け落ち着け、俺がいつでも傍にいるからな)
(―――が―――って―――っ ―――ッッ!!!)
彼の兄の声と最早何を言っているのか分からない義姉の声は徐々に遠ざかっていった
(ユン兄ちゃん)
(リチカ、どうしましたか)
(通信切らないってことは時間潰してるの?)
(そうです)
(どのくらい?)
(そうですねぇ…女性の入浴時間は長くても二時間くらいでしょうか)
がしゃぁぁぁあああああんんっっ!!
-ひぃぃぃいいいッ?!
入浴って何よ入浴ってっ誰か分かんないけど逃げてぇぇええエ゛エ゛エ゛ッッ!!
(聞かない声ですね、今のは一体誰です?)
(レッヒ姉ちゃん、友達が悪い男に捕まったって呑んだくれて酒焼けで声おかしいんだ
水飲むのにカップ取ろうとして食器棚に頭突っ込んだ)
(危ないですねぇ、怪我は?)
(ないみたい
ねぇ時間あるなら術の構成でいまいち納得いかないところがあるから教えて欲しいんだけど)
(いいですよ)
ユンファイエンスは部屋の扉に背を凭れさせたまま室内の気配を窺いつつ弟の勉強に一時間半ほど付き合った
『入っても構いませんか?』
室内の気配が移動するのを感じ、着替えの終わる頃を見計らってノックと共に声を掛ければ
中から、どうぞ、と都子の返事があった
扉を開けると、淡い華の香りと甘いミルクの匂いが……
慌ててぶるぶると頭を激しく振ると、彼女はびくっと驚いた
『ど、どうしたのっ』
『いえ、洗髪料とクリームの匂いが……』
『きつかったの? 鼻が利くからかな?
今窓開けるから、ごめんね、極力匂いのしないの選んだつもりだったんだけど』
『大丈夫です、その……、普段嗅がない香りなので戸惑っただけです』
『そう?』
『ええ、女性は身体を冷やしてはいけません
少し早いですが夕食にしましょうか、今日は長距離移動しましたし疲れたでしょう』
『うん、あ、じゃあえっと…椅子が足りないよね、ユン先に食べて』
『少し行儀が悪いですが、ベッドに座って一緒に食べましょう』
並んで座り膝の上に包み紙を広げる
口には大き過ぎる夕食をこぼさない様にと必死にあぐあぐとかぶりつく都子の口元を凝視している所為かやけにばぐばくと食が進むユンファイエンスは話を振った
『そういえば、ご家族を探すにあたって、特徴など教えてほしいのですが』
『特徴なら、えっと、ちょっと待ってね
電源は落としてあったから電池はまだたっぷり残ってるはず……
えーっと……あった、これ』
彼女は荷物の中から、小さくて光沢のある人工物を取り出し
ソレを彼に見せた
『術…いえ、違いますね……
初めて見ます 驚きました…とても精密な絵…いえ、映像……ですか』
術でもなく、絵でもない、初めて見る類いのものだ
彼女の育った文明は、本当に自分達の文明から枝分かれしたものなのだろうか……?
『一人ずつ写ってるのはこっちね
これがお父さん、これがお母さん、こっちはおばあちゃん』
『…貴女はお母様に似ていますね』
『うん、よく言われるんだ
でも叔母さんの方が双子かと思うくらいお母さんに似てるよ』
本当に、似ている……
彼女がそのまま年齢を重ねていけば、そうなるのだろうと想像できた
そして都子の口元は父親に似ていた
三人ともルルヴィス、しかも顔の似ている親子など、彼は初めて見る
この世では、親子が似るのは動物以外にはありえないからだ
降りてきた子供を引き取る時に種族の関係なく多少面差しが似ている子供を選ぶ親もいるが
そんなことは滅多にありえないものであるし、大概は同種の子供を選ぶ
しかし、彼女の発言から推察するに、恐らく彼女の住む場所では子供は降りてこない
多分、かつての自分達がそうであったように、彼女は両親との血縁があるのだ
双子などという言葉がするりと何の特別性もなく出てきたこともそれを表している
降りてくる子供は一度に複数箇所に降りる場合はあるもののそれぞれは一人ずつ
双子だなどと、ありえない
この世のどこかに、まだ知らない土地があるのだろうか?
この狭い世界のどこに、そんな
世界の中心は砂漠で人は住むこともできないし、砂漠を囲むようにある国々は一周すれば戻って来れる、行けない場所はない
では、どこに……?
まさか、端までいった奈落の底だろうか?
それとも、大地の裏側に……?
『それでね、これが愛犬のぷりん』
『!!』
こ、これが、これが忌々しいぷりんですか?!
色々と深いところに思考を沈ませていたユンファイエンスであったが、ぷりんという言葉に一気に思考が切り替わった
これが自分が彼女に抱擁したときに誤認されたぷりんなのだ
見れば、ただの犬、それも見たところ雌だ
ライバルでもなんでもない
『ふふふ、かわいいですね』
『ユンもそう思う?
ねー、可愛いよね、でもこれでも凄くお婆ちゃんなんだよ?
だけどぷりんの可愛さは子犬にも負けないよ』
『ええ、かわいいものです』
このような小さなものに敵愾心を燃やしていたとは
しかし、彼女と同性で犬とはいえ敵は敵
どちらが上であるか、いずれ理解させて差し上げますよ
ユンファイエンスはよく分からないが燃えていた
都子は久々に見た家族の写真に釘付けであったため、ユンファイエンスの笑顔が実は全く笑顔でないことや、"かわいい"が可愛らしいではなく"取るに足らない"という意味合いを多分に含んでいることには、幸運にも全く気付いていなかった
『あ、それからね、お願いがあるんだけど』
『何ですか? 何でも仰ってください』
彼女からのお願いなど珍しい! 全力で叶えさせていただきます、と彼は居住まいを正した
都子はその態度に驚いたのか、少し引き気味に遠慮がちに切り出す
『あのね、お鍋とかフライパンとか欲しいの、あ、小さいのがね
できれば明日にでも売ってるお店に連れて行って欲しいんだけど……』
『鍋……ですか?』
『うん、あの…やっぱり外食ばっかりっていうのは身体によくないと思うの
だからね、自分で作ろうと思って…』
心配そうに見上げてくる彼女と眼が合い、彼はごくりと生唾を嚥下した
『都子さんが手料理を振舞って下さるのですか!』
『えっ、う、うんっ……え?』
あまりの素晴らしい提案にユンファイエンスはぐっと彼女に詰め寄り、ぎゅっとその手を握った
都子は目をまぁるく見開いて、彼を見上げる
(あぁっ、都子さんはわたしの健康を心配して下さるのですね!
これは良い兆候です、義兄的に言うと脈アリというやつでしょうか、
父さんの偏食も母さんのお陰で治ったと聞きました、
恐らく間違いないでしょう、ええそうです、そうに違いありません!!)
『都子さんの手には市販の調理器具の取っ手は大きいでしょうからわたしが造りますね
明日は食材と香辛料や調味料の買出しに行きましょう』
『は、え、あ、う、うん、あ、ありが……え?』
その後、彼のあまりの喜び様に呑まれた都子は、今日はもう休んだ方がいいですねとユンファイエンスに言われるまま、取り出していた彼女の両親の姿が映るソレをしまい、その時中から覗いた書物を珍しがった彼に貸した
(彼女の故郷の知識を得るのにこれほど良いものはありません
とはいえ、読めるには読めますが知らない単語が多いですね……)
『"どいつ"というのは地名ですか?』
『地名と言うよりは国の名前だよ』
『実在の?』
『うん、この"イギリス"とか"フランス"とかもみんな国の名前』
"どいつ"も"いぎりす"も"ふらんす"も聞いた事が無い、勿論彼女の母国だという"にほん"も
しかも聞いた事すらない国が実在するという
"れいぞうこ"や"せんたくき"などは、似た機能を持つものがあるが読む限りでは動力源や構造が異なるように感じる
それに書物に記載されている人物の姿はどれもルルヴィスのように見え、都子と同じような耳だ
ユンファイエンスは気になるものは逐一都子に尋ねたが
やがて彼女は疲れが極限に来たのか、うつらうつらと舟を漕ぐようになり
とうとう眠りの世界に行ってしまった
自分の隣に座ったままの姿勢でこくこくと器用にバランスをとり眠る彼女をユンファイエンスはそっと横たえ、掛け布団を掛けて散らばる髪を撫で梳くように整える
『疲れていたでしょうに、つい熱が入ってしまって、すみません都子さん……』
眠った彼女に伝わるように古代語で話し掛けた彼は
そのままさらさらと指通りのいい髪を梳いていて、ふ と思い立った
(そういえば…彼女には術が効かなかったんですよね)
今まで通り彼女の身につける物に術を掛けていたのでは、いずれ不都合が生じるだろう
早急な原因の究明と解決が必要だった
彼はそっと術を展開し、己の掌に納まる都子の髪を視た
実態の髪の上に、拡大された髪が映る
術はレンズのようなもので、見えるものを拡大して見る為のものであった為に、直接彼女に作用するものではなかったことが幸いした
彼はそれをどんどん拡大する
(頬の痕を消した時のように魔力自体を流すことは可能ですから
術が行使されないというのもおかしな話です……)
血液が身体を廻るように、魔力、拡大解釈で言えば生命力とでも表現するのか、これも血液と同じ様に身体を廻っている
ユンファイエンスは魔力を流すことによって血液を誘導し、自然治癒の効果を早めたのだから
魔力を流すこと自体は成功し、問題も無い筈だった
「これは……」
細胞が目視できるまで拡大したところで、彼はすぅっと眼を細めた
それから都子の髪に沿わせるように自身の髪を持つ
拡大された映像は、一見して同じものに見えた、だが……
(細胞の形は同じですが……)
その細胞を構成するものが違う、一体どちらがそうなのかは分からないが
ユンファイエンスには一方が一方を模倣しているように見えた
「一体どういう……まさか外界の?」
夢に見る、首と胴の分かたれた男、もう一人の自分、その世界……
その世界の人々の中には、髪や眼の色、造形は多少異なるが、彼女のように獣を連想させる部位を持たない人種も存在していた
親子で似通った面影、聞いた事のない国名、見たことの無かった道具
突然家族と離れ離れになり、家族を探そうにも姿の違いを気にして人里に行けなかった
とつぜん、かぞくと、はなればなれに……
(突然、空間を越えた……?)
何故
夢ではこちらへ渡るのは魂だけだった
歴史をあたっても、降りてきた人間の記録はみな子供のものだった
確かに、自分のように完全な獣の姿で降りれば、見過ごされてしまうが
人間の姿をしていれば、その限りではないはずだ
「いえ…それよりも……」
もし彼女が独り、空間を越えたのだとすれば
どんなに血眼になって探そうとも、けして家族は……
(いざとなれば、空間を越えるしかありません)
体面だけは探すふりをして時間を稼ぎ、空間を越える術を考えるしかない
勿論、彼女とは場所は異なるが此方に来ている可能性もある、探すことは無駄ではない
その当時のことを思い出させるのは酷かも知れないが、折を見て彼女にどんな状況で家族と離れ離れになったのか詳しく聞いておいた方がいいだろう
(術を考えるにしても、まずは都子さんに術が効くようにしなければ……)
……にぎっ
「!!」
ユンファイエンスの尾から脳天までを、電流のようなものが走った
彼は、ぎしり、と動きを止め、ぎぎぎ と目線だけやや後方下部へと向ける
『み…みやこさ、ん
そんな…だいたんな……』
混乱を極めつつも、その言葉はしっかりと古代語であった
当の都子といえば、ちいさなその手で、彼の尻尾の中程をにぎにぎと掴んでいる
尾の付け根や腰と言えば性感帯……
都子の握る部位は付け根ではないが、その延長線上にあることに変わりはなく
期待と欲望に、眼が爛々というかギラギラというか
しかし哀しいかな、彼女は深く眠りに沈んでいた
一方的修羅場とでも言おうか、実時間一時間、精神時間三日ほど悶々と……
ひたすら悶々と都子を凝視した後、それ以上どうすることもできず、さりとて彼女の手を尾から外すこともできず
諦めたユンファイエンスは、都子から借りた書籍類を読みつつ、都子に作用する術を思案し、同時に外の世界の事を考え、更に彼女が此方の世界へ迷い込んでしまった原因を考え、且つ"鎖"のことも考える、その上都子の喜びそうな各地の名産品や観光地も吟味したりと重要なことやどうでもいいこと その他様々なことを止め処なく考えた
このように、同時に複数の事を考えながら己の理性を応援していた彼だが、頭の良さが災いしてか都子の動向に翻弄される余力を持ち合わせていた
朝、彼女が目覚める瞬間まで、いや彼女が目覚めて一緒に朝食を摂っているその時も悶々と過ごし
思考は若干暴走気味になっていた
『都子さん、行きましょう』
『う、うん』
都子の小さく滑らかな手をとって、その甲に恭しく接吻け、頬にも唇を寄せた
都子から見せてもらった書物の中の幾つかに女性が好みそうな綺談があったので早速所作を真似てみたのだが、彼女の反応は上々だった
『しょ…小説、面白かった?』
ほんのり頬を染めて、少し緊張した自分を誤魔化すように話題を振ってくる都子に手応えを感じたユンファイエンスは
今までは興味が無く殆ど読んだことの無かったその手の書物を読み漁ろうと決意した
『はい、でも酷いです』
『え?』
『アレックスです、ナタリーは違うと何度も言ったのに、聞く耳も持たずに追い出すなんてっ
ニックの場合は見当違いの復讐まで果たしておいて今更よりを戻したいだなどと……っ』
『あー…う、うん、誤解だったとはいえ……酷いよね?』
やはり彼女もそういったことには不安を覚えるようで
彼は都子の不安を払拭するかの如く、その小さな手を強く握った
『わたしは絶対にそんなことはしません』
『う、うん?』
この時の対応が功を奏したのか、都子とユンファイエンスの心理的・身体的距離は破竹の勢いで縮まっていった
具体的に言うと、移動時に抱き上げる時、最初は遠慮するように体重を預けきることをしなかった彼女が安心を得るかのように自分に身を預けきるようになったことだとか
同室に多少の戸惑いを感じていたのだが、それが一切無くなるというような変化などだ
(この調子でもっともっと親密度を上げなくては
…節約と称して暫くは野宿などいいかもしれません、そうです、それがいい!)
闘技会もメインは終わり、後は目立った観光資源もないこの街では徐々に客足も引くだろうから宿も空き始めるだろう
すると部屋を一つしか取れないから同室で…というのも無理が出てくる
めぼしい買い物も終わったし、二人は漸く旅を始めることにした
2013/08/28 誤字修正しました、ありがとうございます!
今回の更新はこれで全部です、長らくお待たせしてしまいすみません!
次回更新までにまたかなりの時間が空くかと思いますが、書いてることは間違いないので菩薩のような御心で見守っていただけると有難いです
頑張ります!