馬車の事故
街中に木霊する笛の音に警備隊や兵士が走り出し、それを追うティネント。リンクスも始めは手を引かれ走っていたが次第にその速度は警備兵を追い越すほどまでに早くなり、手を繋いでいたリンクスはティネントに担がれ重い荷物扱いであった。
「馬車が横転したようですね」
「横転したようですね、じゃなくて早く助けないと」
西と中央を結ぶ道の端では貴族用だと思われる装飾された馬車が横転しており馬が立ち上がろうと藻掻き、衝突したもう一方の馬車は荷を引いていたのか大量の薪が転がりぐったりと血を流して倒れる男の姿も確認でき、空から舞い降りた大賢者ナシリスが倒れている男へと回復魔法を掛ける。
集まった兵士たちは倒れた馬車から中に乗る人を救出しようと近づくが、跳ねるように後ろ脚を暴れさせる馬に手を焼いている。
「馬を落ち着かせる必要がありそうですね……」
「それなら即効性の睡眠薬が、」
「アイテムなど必要ないでしょう」
指輪の保存機能から馬を眠らせることができる即効性の睡眠薬を取り出そうとするがティネントは必要ないと口にすると飛び上がり馬目がけて着地すると視線を強める。
陽炎のように立ち昇るティネントの存在感と暴れる馬目がけて本気の殺気を放ったことで馬は泡を吹き倒れ気を失い、傍にいた兵士たちも同じように気を失う。更には野次馬をしていた市民も数名倒れ蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、担がれたままのリンクスは中で気を失っている複数の女性を目に入れながらも勇者ケンジにどう謝罪しようか考え、大賢者ナシリスは回復魔法を掛けながら大声で叫ぶ。
「こら! 街中で本気の殺気を放つ馬鹿がどこにおる! リンクスはとっとと中のものを救出せい!」
「失礼な、まだ本気ではありません!」
「いやいや、本気じゃないとかじゃなく、そろそろ降ろして下さい……はぁ……」
大きなため息を吐きながら下ろすよう口にするリンクス。ティネントは口を尖らせながらリンクスを下ろし横転した馬車の入口へ走りドアを開ける。
「大丈夫ですか!」
大声で声を掛けるが意識がないのか返事をする者はおらず、中へ入ろうとするが大賢者ナシリスが叫ぶ。
「中へ入らずとも指輪で馬車を収納せい! そっちの方が早いし安全だ。できるなら水魔法でクッションを作れ!」
頭を強く打っている可能性を考えあまり体を揺らすのは得策ではないと考えた大賢者ナシリスの言葉にリンクスは魔方陣を展開すると魔力を多めに込めた水球を馬車内に放出する。できるだけ中で倒れている女性とメイドに直接当たらぬよう注意しながらテニスボールほどの水球を入れ続け、内部を半分ほど埋め尽くすと目を閉じて魔力をコントロールしながら大量の水球をひとつにまとめる。
「これでいいかな。あとは中の二人が流れ出さないように包み込んで、収納」
一瞬にして指輪に収納される馬車。中の二人は大きな半球状の水の上に包まれながら現れホッとするリンクス。が、馬車の下敷きになっているもう一人を発見し、慌ててポーションを取り出して血を流す鎧姿の男へと振り掛ける。
「ナシリスがいうように馬車を収納して正解でしたね。男が下敷きになっているとは気が付きませんでした」
「いきもあるようですし……はぁ……何とかなったな……」
「こっちも意識があるの。やれやれ、そっちの嬢ちゃんは無事かの?」
「呼吸もあります。ポーションを掛けておきますか?」
「いや、ワシが行こう。ティネントとリンクスは倒れている警備の者たちを起こせ。起こしたら停車している馬車が通行できるよう薪を集めろ」
「薪集め……これは骨が折れそうだな……」
交差点には荷馬車から大量に散乱した薪が広がり、苦笑いをしながら魔法陣を展開し倒れている警備兵たちの顔へと優しく当てるリンクス。ティネントは横転した荷馬車を手で引きずり道を確保し、絶命した馬に手を合わせる。
「ううう、あれ………………大賢者さま!? どうして……」
半円状の水球の中で意識を取り戻した少女は先ほどカレーの屋台で謝罪してきたニッケラであり、倒れていた鎧の男もその場に居合わせた男爵付きの騎士であり、まだ意識を失っているメイドもニッケラと一緒に頭を下げていた女性であった。
「お主らは荷馬車と衝突して事故に遭ったのじゃ。それよりも痛いところや気分が悪いなどはないかの?」
「えっと、私は大丈夫です。セレン、セレン、大丈夫ですか?」
倒れているメイドの名を口にしながら肩を揺らすニッケラ。
「これこれ、倒れているものを揺らすでない。簡単な回復魔法を使ったが頭の中に傷があればそれが原因で命を落とすこともあるからの」
「ふぇっ!? あわわ、どうしたら!」
「うう、お嬢さま……」
「セレン! 大丈夫ですか? 痛いところや気持ちが悪かったりしませんか?」
「痛いところ……あの、お嬢さまの膝が私の手に乗っていることぐらいです……」
「ひゃっ!? ごめんなさい! でも、無事で良かった! 良かったよぉ~わぁ~ん」
メイドであるセレンの手から膝を退けるが新たに抱き付き涙を流すニッケラ。目覚めて状況が理解できないが涙を流し抱き着くニッケラと大賢者ナシリスが視界に映り、更には半球状の水に囲まれているが濡れていない状況に普通ではないと感じつつも、大賢者ナシリスが優しい笑みを浮かべた事で安全なのだろうとニッケラを抱き締め返す。
「うう、何かヤバイ生物に睨まれたような……」
「起きたのなら手伝って下さい。薪で道が塞がって、馬車も集まり始めました」
意識を取り戻した警備兵たちに声を掛けるリンクス。警備兵たちが続々と意識を回復させ直前の恐怖体験を生存本能から消しているのかティネントに向けられた殺気の事を忘れ薪拾いに参加する。
「これ、リンクスよ! 水球をゆっくり解除せい!」
大賢者ナシリスからの声に水球をゆっくりと広げるとメイドのセレンがニッケラを抱き締めながら立ち上がり、涙していたニッケラも鼻を啜りながら立ち上がる。
「衝撃的な事があって大変かもしれんが道の真ん中だからの。場所を変えるかの」
「お嬢さま、歩けますか?」
「ううう、はい……泣いちゃってごめんなさい……」
「ふふ、こちらへ来ることになり気を張っていたのですね。大丈夫ですからゆっくりと大賢者ナシリスに続きましょう」
「はい……助けていただきありがとうございます……」
歩きながら先を行く大賢者ナシリスに礼を述べるニッケラ。
「うむ、気にすることはない。それよりも馬車はリンクスが収納しておるからの。家か馬車を直す店などあれば運ばせるが」
「そこまでしていただく訳には……」
「だが、壊れた馬車を運ぶのは一苦労だからの。この辺りに住んでおるのなら構わんがの」
「で、でしたら領主館の方へ運んでいただいても宜しいでしょうか? これから領主館へと向かい謝罪しようかと思っていたので……」
「謝罪? 何か訳ありなのかの?」
足を止めて首を傾げる大賢者ナシリス。原因はそれこそ酒屋での大賢者ナシリスに対しての不敬なのだが本人に自覚がないのでは思い当たる節もないのだろう。
「おっ、あ奴も忘れておったの。ちょっと行って起こしてくるからの」
そう口にしてまだ意識のない鎧を着た男の元へと向かうナシリス。二人は静かに頭を下げ道の端へと移動するのであった。
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