第五話:桃、父を探しに喫茶店眉唾へ
そのことを青は桃から聞き、開口一番、
「ぶっ飛んでるな!でも、親父さんの気持ちもわからんでもない」
青は右肩を撫でながら「俺だって腱板断絶で肩を痛めなければ、あのまま野球を続けていた。夢に諦めをつけるって、そんなに簡単に出来ることじゃない。しかもおじさん、昔の相方が売れた姿を見てしまったんだろ?尚更だよ」
「でもそんな、若いころに戻れるわけないじゃない!騙されてるよ!」
「だから、おじさんは、騙されて金を奪われて始末されたっていうのか?」
桃は頷く。
青は笑いながら言った。
「それはないと思うな」
「なんで?」
「そんな、おじさんの行き先がはっきりしているのに、もしそんなことしたら真っ先に捜査されるだろ。お金を騙し取るのにそんな大っぴらにやるか?」
「んん」
「考えすぎだよ。おばさんのいう通り、気長に待ってれば帰ってくるんじゃないか。それとも本当に若いころに戻っていたりして」青はニヤッとした。
「青まで変なこと言わないで」
「じゃ、行って確かめてみるか?」
「行くって。眉唾に」桃は露骨に嫌な顔をする。
「そんな顔しなくてもいいだろ。眉唾だってれっきとした喫茶店だ。お茶くらい飲みに行ってもいいだろ。珈琲でも飲んで、パンケーキがあればパンケーキでも食おうや」
桃はそんな軽い気持ちにはなれない。そんな桃の顔を青は見て、
「何?行ったら神隠しにでも会うかもしれないから不安か?」と一笑した。
「そんなんじゃないよ!」桃は拗ねた。
「でも、もし本当に金で買えないようなことが叶うのなら、俺、一つ叶えてほしいことあるんだよね。だから興味はある」
「何よ?」
青は少しニヤついてみせた。
桃は喫茶眉唾に行くのも、どうも気が進まなかった。
しかし、青も一緒に行くということだったので、学校帰りに二人で眉唾に行った。
二人とも驚いたのはギャップだった。
眉唾が入っている雑居ビルは雰囲気が悪いが、眉唾の店内は至って普通の喫茶店。それどころか調度品がアンティークで揃えてあり、とてもいい雰囲気を醸し出している。怪しいお店という評判とは似ても似つかない。
青と桃は奥の席に着いた。
そこは偶然にも太一が座ったところだった。
青はきょろきょろと店内を見渡すも、桃はどこか警戒して身を固めていた。
魔貝がトレーにお冷とおしぼりを乗せてやってきた。
「いらっしゃいませ」魔貝は二人に微笑んで見せた。
青と桃は魔貝のあたりの柔らかさに加え、若くイケメンだったので自分たちが眉唾の噂から想像していた人物と違ったのか、二人ともどこか呆気にとられた顔をした。
魔貝は二人を見て言った。
「学校帰り?」
「はい」と青。
「若いっていいですよね。ご注文が決まりましたら呼び鈴を鳴らしてください」そういって魔貝はさがっていった。
「意外だなぁ」開口一番青が呟いた。
「確かに、もっと胡散臭い人かと思ったら、普通にイケメン」
「あの人が胡散臭いこといったのか?」
「でも、ほら」といって桃は壁に視線を送る。
そこには『狼人間の里に行くツアー募集』というチラシが貼ってあった。
太一も見たチラシだ。
「ほんとだ……。でもまぁ、いいや。とりあえず頼むの決めよう」太一はテーブルの脇に立て掛けてあるメニュー表を見た。二人は注文するものを決めて呼び鈴を押した。
魔貝がやってきた。
「お決まりですか?」
「このおすすめのチョコレートココアください」と桃。
「俺はアイスコーヒーで」と青。
「かしこまりました」そういって魔貝が戻ろうとしたとき、青が呼び止めた。
「あ、あの壁のチラシって本当ですか?」
「ああ、本当ですよ。今度、ここに来る常連さんと行きますよ」
「やっぱそうなんだ」と桃。
魔貝は桃を見た。
「いや、ここは都市伝説とか、なんか嘘のようなことが好きな人が集まるお店と聞いていたから」青が補足した。
魔貝は微笑みながら言葉を返した。
「その通りですよ。それは僕の趣味と言うか、祖父の代からの趣味で、それを脈々と受け継いでいるんです。どうです。一緒に狼人間の里に行ってみますか?」
「面白そうだけど、違うんです……」青は言って桃を見た。
「人を探してるんです」桃は魔貝に真剣な眼差しを送った。
「人っていうのは狼人間? それとも、普通の人間の方ですか?」
「普通の人間の方です!」
「ごめんごめん。ほんとの人探しなんだね」
「父です!私の父です!」
「お父さん?」
「一週間ぐらい前に父がここに来たと思うんです。そして、父はここで若いころに戻れるというのを聞いて、家を出て、ずっと帰ってきてないんです!だからここへ来れば何かわかると思って」
「もしかしたら、あの人のことかな?」魔貝は虚空を見た。
「来たんですか」
「たぶん。心当たりある人がいます。そして、その人に若いころに戻れるっていいました」
「じゃ、父は過去に戻ったんですか?」
「さぁ、戻ったかどうかは」
「今、戻れるって言ったじゃないですか!」
「いや、厳密に言うと戻れると言われているとある場所を教えただけです。その後、どうなったかどうかは、本人次第ですから」
「そんな無責任な!」
「そういわれても。参ったな」魔貝は苦笑した。
桃と魔貝のやり取りを黙って聞いていた青が割って入ってきた。
「でも、言ったんですね」
「ええ、言いましたよ。でも、それであの人が自分の進むべき道を見つけたのならそれはそれでよかったんじゃないですか」
桃が間髪入れずに言った。
「良くないわよ!そのせいでパパはいなくなっちゃったんだから!」
「いやぁ、参ったな。なんか悩んでいたから、人助けのつもりで教えただけなんだけどなぁ」
「でも、本当なんですね」青が尋ねた。
「何がですか?」
「いや、まことしやかに言われていることです」
魔貝は、笑みを浮かべた。
青は続けた。
「ここの喫茶店は店名の名の如く、現実的に考えるとありえないことに本気になっているっていうのは」
「ロマンに本気になっていると言ってほしいなぁ」
「でも、真相は定かではない」
「本気になる価値はあると思うよ」
「なら一つ、やってみたいことがあるんだけど、相談に乗ってくれますか?」
「若いころに戻りたいんですか?といっても、十分若いと思いますが」魔貝の顔から笑みがこぼれた。
「いえ、違います。俺がやりたいのは、好きな子が俺を好きになるようにしてほしい」
「ほ~、それはそれは」魔貝は表情を緩ませた。
「でも、そういうのは、何かに頼るより、自分で何とかするもんじゃないかな。そっちの方が面白いし、それが青春なんじゃないかな」魔貝は穏やかな口調で言った。
青は不貞腐れた表情をした。
「なんとかしたよ。ちゃんと彼女とデートもした。でも、そのデートが最悪だった」青は過去に思いを馳せた。
そう、それはついこないだのことだった。
青はクラスメイトの才女でマドンナ、御堂詩織とやっとの思いでデートに漕ぎつけた。
詩織が演劇が好きだったので劇場で芝居を見て、デパートの屋上にあるオープンテラスでいい雰囲気のレストランに行った。
それが最悪だった。
青と詩織は景観のいい場所に座り、ウェイトレスに注文した。
料理が出てくるまで芝居の感想などを言い合って、盛り上がっていた。
しかし、三十分ぐらい経っても料理が一向に運ばれてこなかった。
青はウェイトレスを呼んだ。
「すいません。注文したんですけど、まだですか?」
「すみません。只今、確認してきます」そういってウェイトレスは店内にある厨房に向かったが、ウェイトレスが戻ってくることはなかった。
それから十五分ぐらい経った。
青と詩織はしゃべることがなくなり、そして、料理も一向に来ない。決まづい雰囲気になった。
青は席を立ち、「ちょっと聞いてくる」と言って店内に入っていった。そして、青は、厨房の前にいるウェイターに言った。
「すみません。もう四十分ぐらい経っているですけど、一向に注文したものが来ないですけど」
「すみません。今調べますから少々お待ちください」そういってウェイターが厨房の料理人に伝える。
それを聞いた料理人がウェイターに言った。
「それならもうとっくに出たよ」それを聞いたウェイターは、オーダー票を見てから、青に言った。
「もう、お出しになっているのですが……」
青は呆れた。
「いや、まったく来てないから。だからここに来たんですけど!」
青に対応しているウェイターが先輩ウェイターに尋ねた。
青はそのもたつきを見ていった。
「おいおい、いい加減にしてくれませんか!こっちは水とおしぼりしかもらってないんですよ!」
青は露骨に不貞腐れた顔をしてウエイターにクレームを言った。
その姿をたまたま化粧室に来ていた詩織に見られた。
青も詩織と目が合った。その後、真っ先に料理が作られ、青と詩織のテーブルに運ばれてきた。
しかし、青は不貞腐れた顔を詩織に見られ、詩織もまたウェイターに噛みついている青を見たせいか、無言で料理を食べた。
無言はその後も続き、初めてのデートの終わりに青が言った。
「今日は、なんか、水を差されたけど、また一緒に出掛けよう」
詩織は小首を傾げて唸った。
「いや、なんか私とは合わないような気がする」
「どうして!?」
「レストランで料理が出てこないので怒るのはわかるけど、なんか、ああいう怒り方する人、私、苦手」
「え、そんなことで!?」青は眉間にしわを寄せ、情けない表情をした。
「人って、ああいう時、本心と言うか、人間性が出ると思うんだよね。だからさ、ごめん」
詩織は踵を返し、一人家路についた。
青はただただ詩織の後姿を見ていた。
詩織は姿が見えなくなるまで青の方を振り返ることはなかった。
デートは散々に終わった。
それを青は眉唾の魔貝に言った。
「俺は何も悪くないのに彼女に輩に見られたんだ!」
魔貝は苦笑した。
「それはお気の毒だったね」
「でしょ!こっちは初めてのデートだったけど、あわよくば、と思っていたのに、思いっきり肘鉄食らったわ!」
「そんなことがあったの?」桃が口を挟んだ。
「ああ」
「一言言ってくれれば」
「そんなカッコ悪いこと言えるか!」
「だからさ、惚れられなくてもいいから、うまい具合にいくようなものないの?」
「ないことはない」
「ほんと!?」
「Oヘンリーというアメリカの文豪を知ってる?」
青は知らないというも、桃は知ってると言った。
「O・ヘンリーの作品に、アイキイの惚れ薬という短編があるんだ。その名の通り、惚れ薬を使った小説だ。そのアイキイの惚れ薬に出てきた、惚れ薬の化学式が書いてあるメモを僕は持っているんだよ。それを紐解ければ惚れ薬が出来るんじゃないかな」
「出来るんじゃないかなって、やったことないの?」
「やったことはない。必要なかったから」魔貝は笑った。確かにイケメンでモテそうな顔をしている。
「ほんと、眉唾だなぁ」
「でも、面白い。面白い方へ進む。それがたとえ不確かなモノでも眉唾でも面白ければ行ってみる。興味があればぜひ動いてみる。それが私なんでね」
「ふ~ん」青は魔貝の考えに一応の理解を示した。
「もし、それでよければコピーしてあげるよ。もっとも難解な化学式だと思うけど。あ、作れたら教えてね」
「どうする?」青は桃に尋ねた。
「え、私はいいよ」桃は身振りで拒否した。
「何言ってんだよ。桃だって嶋に弁当作ってるだろ。惚れ薬を飲ませれば、弁当を作る必要なくなるんだぜ?」
「好きで作ってるから。それにそういうことは自分で努力することが大切だし、第一、嶋君に私の作ったお弁当を食べてくれるのが嬉しいから私はいいよ。それにここに来た目的はそれじゃないし……」
「そうか。そうだったな。でも、おじさんはここに来たんだ」
「ええ、来ましたよ。それからどうなったかはわかりませんが、もし、ここに来たら、娘さんが心配していましたよって伝えておきましょうか?」
「お願いします」桃は言った。
「わかりました」魔貝はカウンターに戻った。
「このコーヒー飲んだら帰るか?」
桃は頷いた。