第四話:家族崩壊
その夜のことだった。太一が春子に離婚を申し出たのは。
太一はその日、喫茶眉唾で聞いたことを春子と桃に話した。
春子と桃に愛しているとも言った。
幸せだったとも言った。
最後に、素晴らしい人生だったと春子と桃に告げてから言った。
「人生をやり直したいから別れてくれ」
「わかりました」春子はあっさり返答した。
あまりにあっさり返したので、桃が思わず「ママ!」と春子の服を引っ張った。
春子は、笑顔を湛えたまま、「あなたの好きなようにしてください」と言った。
太一も春子があまりに物分かりがいいのに面食らい少し戸惑った。
しかし、春子は微笑んでいる。
太一はそんな春子の顔を見て「あ、ありがとう」と一言言った。
春子は終始笑顔。
いや、笑顔でいられたのは、春子が太一の申し出を重く受け止めていなかったからだ。
春子は、太一は宝くじが当たり、突然、六億円というある意味、非現実的なお金を手に入れ、現実を見失い、頭が混乱しているのではないか、と思っていた。
そんな錯乱状態の人に何を言ってもそれは無意味と。
それよりも、暫く、好きなようにさせれば、そのうち冷静になり、まともになって帰ってくると考えていたのだ。
当選金の六億円は、太一の望み通り、三人家族で三等分にした。
太一は二億円を持って家を出て行った。
それから一週間が過ぎても太一は帰ってこなかった。
桃は太一が帰ってこないことに不安になり、本当にもう戻ってこないのではないかと春子に言った。
春子は意に介さず、「まだ一週間よ。ハワイに行ったってまだ帰ってこないわよ」と一蹴された。
桃は春子もまた二億円という法外なお金を手に入れ、どこか変わってしまったように思えた。
それはたとえ夫が帰ってこなくとも、二億円あるから生きていけるという余裕が生まれたからかもしれない。
そういう意味では、太一を心配する思いは春子より桃の方が大きかった。
桃にとって、二億円はあまりにもリアリティのない金額だった。
そして、そのお金は今の桃には必要なものには思えなかった。
それよりも父の家出の方が桃にとって切実なものだった。だからこそ桃は動揺した。
しかし、母は取り入ってはくれない。
「きっと帰ってくるわ。それに二人合わせて四億円あるんだから何も心配することはないわよ。それより桃、二億円あるからって無駄遣いしちゃだめよ」
宝くじが当たると、結果、家族が不幸になるということを聞いたことがある。
古淵家の場合、こうして家族が崩壊した。