第二話:喫茶店眉唾
この町に住む者で喫茶眉唾を知らない人はいない。
いや、数年前に全国的に報道されたことがある。
富士の樹海で遭難事件があった。
その遭難者メンバーが喫茶眉唾で集まったメンバーだった。
そして、遭難者たちが樹海探検に行った理由が世間を騒がせた。
その理由は、戦国武将の武田信玄の末裔が武田家滅亡後、富士の樹海で隠遁生活をしているから会いに行ったというものだった。
それで遭難した。
報道された当時は、あまりにも荒唐無稽すぎて、笑いもの扱いされた。
しかし、それが、結果的に喫茶眉唾の名を全国区にした。
それ以来、喫茶眉唾は都市伝説的なことを真剣に追っている者たちが集うアングラ的な場所になった。
太一の精神状態は六億当たった喜びと、元相方の優勝への羨望が入り混じり、精神的に不安定な状態だった。
天秤にのっかっているのは六億と人生の夢。
あまりにもふり幅が大きく精神的に乱れるのは当然だったのかもしれない。
そんな状態だからこそ、無意識にどこか途方もないことに救いを求めた。
それが喫茶眉唾へと向かわせた動機だったのかもしれない。
喫茶眉唾に行けば、何か途方もないものがあって今の自分を救ってくれる、と。
喫茶眉唾は、雑居ビルの地下にある。
その地下へ下りると、別段、変わったところはない。地下の明かりはオレンジっぽいどこか温かみのある電球色の中に喫茶眉唾があった。眉唾の外観も飾り気はなく、質素でシックな雰囲気を漂わせている。至って普通の純喫茶のような店構えをしていた。
太一は訝しげな気持ちをもって喫茶眉唾のドアを開けた。
太一は店内を見渡しながら入った。
店内の照明は雑居ビルの地下の明かりとは打って変わって昼白色、自然の光の明るさでどこも怪しい感じはしない。新聞を読んだり、読書をしたりするのに丁度いい。調度品はアンティークで揃えてあり、とても落ち着けるいい雰囲気を醸し出している。とても雑居ビルから漂う雰囲気とは別物。立地のいい場所に出店すればお客さんは沢山入ってもおかしくない。いや、店名を変えて評判を払拭すればそれだけで十分集客は期待できる。
太一は少し拍子抜けした。
太一は客のいない店内で一番、奥のテーブル席に着席した。
「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」
眉唾店主の魔貝亨がトレーにお冷とおしぼりをもって現れた。
太一は魔貝を見た。魔貝は太一が想像していた人とは全く違っていた。まがまがしい話をするだけに、どこか胡散臭いおじさんとばかり思っていた。
しかし、太一の前に現れた男性は、アイドルのような顔立ちで、年もかなり若く見える。
太一は魔貝に「じゃぁ、珈琲」と注文した。
「かしこまりました」と言って魔貝はさがった。
太一は、何気なく店内を見渡した。
すると壁に手作りのチラシが貼ってあるのに気づいた。そのチラシには『狼人間の里に行くツアー募集』という大きな見出しがあり、その下に小さな文字で詳細が書いてある。
「狼人間の里。なるほど、これがこの店の評判を物語ってるんだな」
太一は、席を離れ、チラシの前まで行き、チラシを見た。すると魔貝がトレーに珈琲を乗せてやってくる。魔貝は太一を見て微笑みながら言った。
「それ、気になりますか?」
「ええ、まぁ」といって、席に戻る。
「どうです?一緒に狼人間の里に行ってみませんか?」
太一は思わず、吹き出す。
「狼人間の里って、そんなのあるんですか?」
魔貝は何気なく太一の向かいの席に腰掛けた。
「第五代将軍の徳川綱吉はご存じですか?」
「綱吉って生類憐みの令を出した将軍ですよね」
「そうです。生き物を殺してはならぬ、と。天下の悪法と言われ、庶民には受けが悪かったあの将軍です。綱吉は、犬公方とも呼ばれてました。その犬公方が本当に守りたかったものがなんだか知っていますか?」
「動物じゃないんですか?」
「動物は動物でもタダの動物ではありません。狼人間です。普段は人間として過ごし、満月を見ると狼に変身してしまうというあれです」
太一は思わず吹き出し、
「その狼人間がいるんですか?」
「子孫がいる里があるんです。その子孫に会いに行くんです」
太一はニヤニヤしながら、
「いやいや、それは」
「あれ、狼人間なんていないと?」
「いや、いないでしょ」と終始ニヤついている。
しかし、魔貝は気にも留めず、太一がニヤつけばニヤつくほど、笑みを見せなくなった。
「どうして、いないっていえるんですか?」
「いや、常識として」
「その常識が常に正しいとは限りませんよ。現にいるかいないか調べていないわけですよね。もっともいても、名乗り出ることはしない。それは狼人間でなくとも人間だって同じです。知られたくないことは誰でも隠す」
魔貝の顔は真剣そのもの。
太一もニヤつくの辞めて、
「なら、あなたはそれを知っているんですか?」
「ええ」
「どうやって?」
「それは言えない」
「言えないって」と太一は突っ込む。
「でも、いるから会いに行くんです。一緒に行きませんか?」
「私は別に」太一は苦笑する。
「あれ、おかしいな。ここに来るのは初めてですよね」
「ええ」
「地元の方ですか?」
「線路の向こう側の公団に住んでます」
「なら、この喫茶店がどういう喫茶店か知ってますよね?」
「噂だけは」
「知っててここにくる人は、私と同じような好奇心を持つ人がほとんどなんですよ」
「来ちゃまずかったですか」
「いえ、構いませんよ。喫茶店ですから。興味本位で来られる方もいます。それでもお客さんですから来るもの拒まずです」
太一はその場で胸の内に秘める思いを整理し始めた。
そして、魔貝に向かって話し始めた。