ネクスト・ミッション 1
新たなアジトに移ってから数日、この間にアジトを訪ねてくる者や監視をしている不審な人影等はなく経過していった。そのため懸念していた朴暗殺に対する報復の心配はなさそうだと思えてきたので、カワサキの精神状態にも多少の余裕が芽生えてきた。
昨日まで、カワサキは朴暗殺に対する報復を警戒して極力外出を控えていたから、未だ新しいアジトの周辺を的確に把握できないでいたのだ。
そこで、幸いにもスミス・アンド・ウエッソン社製のM&P5.7拳銃が手元にあるので、拳銃を携行のうえで歩いて周辺を偵察してみることにした。
このアジトにも地下室があったので、本来ならば手元にあるライフル銃と拳銃は地下室に仕舞うはずだが、いざと言う時に備え直ぐ銃器で反撃できるようベッドの周辺に置いていたのだが、朝食を取り終えた後にライフル銃だけは地下室に置場所を変えた。
手元に残したM&P5.7拳銃を携行して偵察するのだが、専用のホルスターが手元にないので今日の偵察では、履いていたジーンズのベルトの左前側に拳銃を差して、その上から厚手のジャケットを羽織り秘匿携行することにした。
スミス・アンド・ウエッソン社製のM&p5.7拳銃は、弾丸の口径が5.7ミリメートルと小さいのだが、他の自動拳銃で使用する拳銃弾と比べてサイズが若干長いのと、弾薬のポテンシャルを最大限に引き出す目的で、拳銃の銃身長を可能な限り長くとっていることもあって拳銃自体のサイズが大型にならざるを得ず秘匿携行するのにはあまり適していないデメリットがある。しかし、M&p5.7拳銃には手動の安全装置が備わっているので拳銃の薬室に実弾を装填していても安全装置を掛けている限りにおいては、秘匿携行している最中に暴発する心配はないし、謝って自分の脚を撃ち抜くようなこともないと言える。
今日の天気は、寒くはないものの薄曇りで厚手のジャケットを羽織っていても暑くはなく周りから見ても不自然さはない。
玄関のドアを開けて周囲を見回すとブナの樹木が林立して、今度のログハウスも以前のアジトに雰囲気が類似している。唯一の違いは、前のアジトは直ぐに舗装路へ出ることができたが、今度のアジトは琵琶湖に近い場所にあるものの湖の周回道路からは100メール以上も奥まっており、その100メールは未舗装路になっている。また、今度のアジトは別荘地帯の端に位置していることもあり人の往来は殆んどなく静かである。そのため、ログハウスの周囲を観察すると野生動物のフィールドサインがいたる所で目にすることから、この辺りは暫く人の気配が無かったことで近隣で生息している野生動物が気軽に徘徊しているのだろう。ならば、ログハウス周辺に出没する野生動物を極力刺激しなければ、カワサキを襲撃するような輩が現れても野生動物が発する警戒サインで、その存在をカワサキも察知することができる。
2時間あまり周囲を見回ってから、ログハウスへ戻ると机の引出しに入れてあった車の鍵を取り出し、それからベッドの反対側にあるドアを開けると、そこはガレージになっていて色こそ違うが見慣れたパジェロミニが1台止められていた。
カワサキは、コンクリート造りの階段を降りてガレージに入ると、シャッターのロックを外して周辺の野生動物を刺激せぬよう静かにシャッターを開けた。運転席に着いてエンジンを始動させ、ゆっくりとパジェロミニをガレージから出すと一旦はパジェロミニを停車させて車外に出るとガレージのシャッターを閉める。
パジェロミニが湖岸道路に出ると、カワサキは近隣のスーパーマーケットを目指した。新しいアジトに到着して暫く警戒をして外出を控えていたので、食事は専ら冷凍庫に備蓄されていた冷凍食品で済ましていたが、そろそろ冷凍食品にも食い飽きたので周辺の道路状況を把握することも兼ねて食糧の買い出しに出掛けた。
久しぶりの買い出しは、生野菜に果物、食パン、牛乳、野菜ジュースと缶ビールである。しかし、カワサキはバーボンも買おうか悩んだが、完全に警戒を解ける状況でもないのでアルコール度数の高い蒸留酒の購入は諦めた。
食糧の買い出しが終わると、カワサキは真っ直ぐにアジトへは向かわずパジェロミニで周辺を見て回った。スマートフォンのナビゲーション機能を使って色々な場所に行ったお陰で、湖の周辺についてはナビゲーションを使わなくても良いくらいに道を覚えることができた。
一通り周囲の状況を把握してアジトへ戻る頃には、だいぶ陽が暮れ始めてきていた。ここ数日は朴暗殺に対する報復を警戒して三食とも冷凍食品で済ましていたので、些か食欲が減退していたカワサキだったが、久しぶりに冷凍食品から解放されることに減退した食欲が戻ってきそうである。決して料理上手というわけではないカワサキであるが、やはり一から作る料理は冷凍食品にはない食材の新鮮さからくる上手さがある。
出来上がった料理は、その見た目が決して良いわけではないが、それでもカワサキは夢中になって貪り食った。食事が終わり使った食器等の後片付けを済ましてから冷蔵庫から二本目の缶ビールを取り出して寛いだ気分で飲んでいるところへ、充電器にセットしておいたタブレット端末からCIAからのメールが届いたサインの音楽が流れた。
充電器からタブレット端末を外してキッチンのテーブルへ持って来たカワサキは、何か報復に関する新たな情報が来たものと思い、少し憂鬱な気分で飲み掛けの缶ビールを左手に持って、CIAからのメールを開いてみた。
しかし、CIAから届いたメールはカワサキの想像に反して新たなミッションが記載されてあった。
その概要は、アジトから近い瀬戸内海には大小様々な島が点在しているが、その中の1つの島を在日朝鮮人同胞連合が所有している。その島は、表向き在日朝鮮人同胞連合の研修所としているが、その実体は粗悪な品質の合成麻薬の製造と保管をするための工場兼倉庫となっている。
ここで製造された合成麻薬は日本の暴力団に売り捌いているほか、中国マフィア等にも卸して北朝鮮の貴重な外貨稼ぎの手段の一つとなっており、売り上げた資金は北朝鮮のミサイル開発資金になっている。
そこで、この合成麻薬製造施設を壊滅状態にして北朝鮮の外貨獲得手段に打撃を加えることを目的にしているが、施設を壊滅状態とする手段については可能な限り事故を装った方法を採用して欲しいとも書かれてあった。なお、作戦実行にあたって島への上陸及び脱出については米海軍の協力が得られる見込みなので、近日中に出発準備が整ったら早急に連絡するよう指示がされていた。
送られてきた全ての資料に目を通したカワサキは、今回のミッションも朴暗殺に使用したスミス・アンド・ウエッソン社製のM&P5.7拳銃が適していると判断したが、現状でカワサキの手元には弾倉が1つだけなので20発しか携行できない。
施設の殲滅と言っても何人の人間が施設に居るのかは現地に行ってみないと分からないにしても、20発の弾薬だけでは余りに心許ない。そこで、M&P5.7拳銃用の弾倉を2個、サバイバルナイフ1本、更に黒い防水加工がされたジャンプスーツにサバイバルブーツ、M&P5.7拳銃を携行するためのナイロン製ホルスター、前回同様に亜音速の実弾50発を手配して欲しい旨をCIAへメールしたが、要望した品々が手元に届けば作戦行動は開始出来ることも伝えた。
カワサキがCIAへメールを送った翌日には、CIAから返信が届き3日後に大阪港区にある倉庫街へ向かうよう詳しい住所が記載され、更にカワサキが要望している装備品等は海軍の人間と合流した時に全て手渡すとされていた。
大阪へ出発する前日の夜、カワサキは護身用に消音器とドットサイトを装着していたM&P5.7拳銃から、一旦それぞれを外してプラスチックケースに仕舞った。拳銃だけは就寝時に枕の下に置いておき、出発前に拳銃もプラスチックケースへ収納することにする。
何事もなく夜が明けて、冷凍食品ではない朝食を済ませて身支度を整えると、M&P5.7拳銃の薬室に装填していた弾薬を取り出して、排出した弾薬を弾倉に戻してからM&P5.7拳銃へ再装填するとプラスチックケースに仕舞った。
そのプラスチックケースを右手に持ってガレージに向かい、パジェロミニの助手席の下にプラスチックケースを置くと、シャッターを静かに開けてから、運転席に着いてエンジンを始動させる。パジェロミニをガレージから出すと一旦、車から降りてシャッターを下ろしてシャッターの鍵を掛けた。
CIAのメールによれば、米海軍との合流場所へは午後6時30分に到着したら良いので、焦って向かう必要がないカワサキは、法定速度を守った安全運転に終始した。しかし、カワサキの予想に反して道路は混んでいて何度か渋滞に遭遇することになり、大阪市内まで来たのは午後1時30分を過ぎていた。カワサキは、倉庫街へ向かうルートから外れて目についたファミリーレストランの駐車場へパジェロミニを入れた。このファミリーレストランで遅めの昼食を取ることにする。
昼食を終えて腕時計を見ると米海軍との合流時間まで余裕があったので、カワサキはパジェロミニを2日間ぐらい周囲から不審に思われず車を停めておけそうな場所を探すことにした。
今回のミッションは、相手が所有する島が舞台となるので車を近くには停めておけない。少なくとも米海軍と合流する近辺に車を停めることになるが、下手な場所に安易に停めて置くと周囲が不審に思い警察が出動してくる可能性があるので、ミッションを終えてパジェロミニに戻って来た時、無用なトラブルになりかねない。
そこで、合流場所の周辺をパジェロミニで流してみると、幸いにも合流場所から比較的近い場所で24時間営業のコインパーキングを見つけることができた。
米海軍との合流時間には少し早いが、カワサキは迷わずパジェロミニを見付けたコインパーキングの目立たぬ区画に停車させると、車から降りて徒歩で周辺を探索することにした。
カワサキがパジェロミニを停めた一角は、正に倉庫街といった雰囲気なので米海軍と合流する頃には、街路灯が一定間隔で設置されているものの周囲は暗くなり人気も少なくなるだろうと考えながら歩き回っている内に、気が付くと夕暮れが迫り、カワサキの周辺は暗がりに沈んでいく。カワサキが視線を遠くへ向けると輝くネオンの光が見える。あの光の元には細やかな日常が営まれているのかと思うと、カワサキが佇んで居る場所との極端なギャップに別世界へ取り残されたような感覚に囚われた。
そんな感慨に浸っているところへ、前方からヘッドライトを点灯させた1台のトラックがカワサキの方に向かって近づいて来る。ヘッドライトの眩しい光を右手で遮りながら、トラックをよく見ると車体の色は見慣れた米陸軍のオリーブドライブに塗装され、取り付けられているナンバープレートも米軍専用のものが付いており、荷台は幌で覆われている。
軍用トラックは、カワサキの目の前で停車すると助手席から米海軍の戦闘服を着用した白人の男性が降りてきて、カワサキの前で軽く敬礼すると『米海軍の者だが、貴様がCIA特殊要員のカワサキだな?』と自らの名前を名乗ることなく英語で問い掛けてきた。
戦闘服には階級章等が一切ないが、カワサキは男性を見て上級准尉ぐらいの階級だなと想像しながら『イエス』と返答して頷くと、上級准尉は『一緒に荷台の方へ来てくれ、CIAからの預り物を渡す』と言って荷台の後部へ歩き出した。カワサキも荷台の後部へ向かうと軍用トラックのエンジンが止まり、運転席から兵曹も降りてきた。
上級准尉が荷台の幌を捲り上げると荷台の中には2名の兵曹が乗っていて、1人はアサルトライフルを構え、もう1人は荷物が詰まっている黒いナイロン製の大型バックをカワサキの方へ差し出した。上級准尉は『これがCIAからの預り物だ』と説明した。
カワサキが大型バックを受け取ると、上級准尉は『我々は、これから揚陸用のゴムポートを準備しているから、貴様はさっさと服を着替えて準備してこい』と命令調で言ってきた。カワサキは『15分で準備を終えて戻ってくる』と答え、パジェロミニを停めているコインパーキングへ走って行く。
パジェロミニに着くと後部のラゲッジドアを開けて、荷台部分に大型バックを載せるとバックのジッパーを開けて中身を確認する。間違いなくCIAに要望した品々が全て揃っていたので、カワサキは着ている服を脱いで黒いジャンプスーツに着替えると要領よくコンバットブーツを履いた。更に、ジャンプスーツの上からホルスターを着けてM&P5.7拳銃を納める。次いで、50発の亜音速弾薬が入っているプラスチックケースから弾薬を取り出して、大型バックに入っていた2個の弾倉へ手際良く装填していく。弾薬の装填が完了した弾倉はフラップが付いた尻のポケットに仕舞い、M&P5.7拳銃に装着していない消音器はジッパーが付いた胸のポケットに仕舞った。一瞬、ドットサイトを持って行こうか悩んだが、ボートで移動中に濡れて故障する可能性があるので、今回は車に置いていくことにした。
更に、革製の鞘であるナイフシースに納めてあるサバイバルナイフをジャンプスーツに着けているベルトに装着して、海軍の連中が揚陸用ポートを準備している場所へ小走りで戻って行った。カワサキが戻って来た時には、大人8名が乗れる大きさの黒いゴムポートを海上に下ろしているところであった。
すっかり準備が整っているカワサキを認めた上級准尉は『貴様も準備が出来たようだな。それじゃ早速、ボートに乗り込め』と言ってカワサキに指示してくる。ボートには、2名の兵曹が乗り込んでいて、カワサキが乗り移るのをサポートしてくれる。カワサキが、ボートに乗り込むと、岸にいる兵曹と上級准尉はトラックの荷台からゴムポート用の船外機を運んできた。
先に、ボートに乗り込んでいた2名の兵曹が、船外機を受け取ろうとした時、1人が『あんたは、ボートが揺れないように岸を掴んで支えてくれ』と言ってきたので、カワサキはコンクリートの護岸を掴んでボートが揺れないように支えた。
岸の方から船外機を渡した兵曹は、直ぐにポートへ乗り込み2名の兵曹を手伝い船外機をボートに取り付ける作業をしている。
その間、上級准尉はトラックの荷台へ向い4本のオールを持って引き返して来ると、ゴムポートに乗り込んできた。上級准尉は、ゴムポートに乗り込むと手にした4本のオールを3名の兵曹とカワサキに渡し『ここから、暫くはオールで漕いで貰い、ある程度海上に出たら、船外機を使って目的の島へ向かう』と説明した。
今日の波は、割りと凪いでいるのでボートはあまり揺れることもなく、すっかり陽が落ちて真っ暗な海を4人でオールを漕いでいたが、カワサキにとって普段オールを使うことはないので上腕部が張って額に汗をかき出した頃に、周囲とデジタル腕時計でGPSの位置情報を確認していた上級准尉が、1人の兵曹に右手の人差し指を回す仕草をすると合図を受けた兵曹は船外機のエンジンを始動させた。
つい先程まで人力のオールで漕いでいるのとは違い、エンジンの動力で航行するゴムポートは舳先を持ち上げて勢い良く暗闇の海上を疾走していく。
大型船の航行に注意しながら1時間ほどゴムポートを走らせると暗闇よりも更に濃い黒い島の輪郭が見えてきた。黒い島の輪郭が徐々に大きく迫ってくるとゴムポートはスピードを緩めて目の前の島へ近付いていく。
カワサキが、見上げていた視線を前方に移すとコンクリートで作られた船着き場が見えてきた。
カワサキは、軍隊時代の訓練で教官がスタートのホイッスルを鳴らしたような感覚を思い出し、両手で自分の頬を叩いて気合いを入れた。