カウンターアタック
北朝鮮の工作員であった朴を暗殺して、レンタカーの営業所でワンボックスカーのレンタル料金を支払い、パジェロミニに乗り換えてアジトであるログハウスへ向かった。
帰りの道中は警察の検問に合うこともなく至極順調にログハウスへ帰り着くことができた。
ログハウスの駐車場にパジェロミニを入れてエンジンを切ると、作戦を成功させるために適度な緊張感はあったので、朴の暗殺が完了して無事に作戦をやり遂げた安堵感に包まれているものの身体的な疲労感はなかった。
ログハウスに入り、パジェロミニから運んだ2個のクーラーボックスに収納していた食糧と飲み物は冷蔵庫に仕舞い、拳銃を収納したプラスチックケースはキッチンのテーブルの上に置いてから、タブレット端末を起動させて朴に関することを検索してみると、報道されていた内容は、原因不明ながら右前輪がパンクしたSUV車が、スピードの出し過ぎで濡れた路面でスピンを起こしてガードレールを突き破り、道路から転落後に火災が発生してドライバーは焼死したが、そのドライバーの身元は現在のところ不明であるとされている。しかし、最も注目されたのは車両火災が発生した後、SUV車に積載されていた爆発物に引火して爆発も起こしており、警察当局の関心はドライバーの身元確認と爆発物の入手経路や積載していた経緯の解明であるとされていた。
カワサキは、CIAへの作戦実施の詳細な報告も兼ねて連続を入れ、その際に報道には出ていない情報を問い合わせてみた。
日本の警察当局では、タイヤのパンクは先端が鋭利な金属がタイヤの側面を貫通したことが原因と推測しているが、現場からの押収物で該当する物が発見されていないので、それ以上の内容を詰められないでいるが、パンクの原因よりも重要視しているのはドライバーの身元と爆発物の入手経路の解明することになっているそうである。
身元については、行方不明者に該当する人間が見当たらないだけでなく、歯形等を歯科医師会に照会しているが、そちらからも有望な情報がない状況だそうである。一方の爆発物については科学捜査研究所で分析した結果、プラスチック爆薬であることが判明したが、一般的に民間人が容易に入手できる火薬ではないことに加え、2ヶ月後には東京で日・米・韓の3か国による防衛担当事務レベル会議が開催される時期に東京から離れている所で発生した事件が、会議に出席する要人を狙った爆弾テロの可能性も秘めているので、その入手経路を突き止めることに重点を置いて調べているとのことであった。
カワサキに対して、一通り朴の暗殺に係る日本の警察当局に関する動向を伝え終わった後に、別件の情報として朴と一緒に保養施設にした男について行方をロストしたと伝えてきた。保養施設については朴が暗殺されてからも暫く24時間の監視を続けていたが、その監視体制を外したところで男の動向をロストしたとのことだった。そのため、その男がカワサキの殺害を目的として接触してくる可能性があるので充分に注意するよう警告された。
CIAとのやり取りがあってから、1週間以上も経過したが、朴と一緒にいた男の接触はなく、CIAからの新たな指令もなかったことから、カワサキは久しぶりにハンティングを行おうかと思い立ち出猟の準備を始めた。
出猟する朝、ログハウスの地下室からソフトケースに仕舞っていたプレシジョンライフル銃を持ち出し、パジェロミニの後部ラゲッジドアを開けた瞬間、ログハウスの前を通る舗装路の反対側から『パンッ』という拳銃の発砲音が聞こえてきた。
カワサキは、反射的にしゃがみ込んでパジェロミニの陰に身を隠したが、しゃがんだ瞬間に頭上を『ヒュン』という風切り音と共に弾丸が飛び去るのを感じた。
カワサキは、拳銃の発砲音が聞こえた辺りに視線を向けながらパジェロミニに積み込むつもりでいたソフトケースからライフル銃を取り出し、次いでソフトケースの脇ポケットから昨夜のうちに10発の実弾を装填していた箱型弾倉も取り出すとライフル銃にセットして、急いで遊底を操作すると初弾を薬室に装填した。いつものハンティングであれば安全装置を掛けるところだが、今回は直ぐに発砲できるよう安全装置は掛けない。
車両の陰から相手の動向を伺いながら、一体誰が自分を狙っているのかと思った途端にカワサキの脳裏にCIAから警告されていた男のことを思い出した。
要人暗殺テロの命令を受けた朴に必要な支援が出来なかったばかりか暗殺までされて、国の指導部から責任を問い詰められてカワサキを殺しに来たのであろう。そうであれば、襲撃してきた相手はカワサキが拳銃を持っていることを承知しているはずなので、迂闊に接近してくることはないと判断できる。また、カワサキは相手が拳銃による銃撃戦の訓練を受けているとも思った。
たぶん、相手が所持しているのは北朝鮮製のトカレフだと思われる。そうなると弾倉に装填できるのは8発でしかない。仮に、相手が銃撃戦の素人であれば相手が拳銃を持っていることで恐怖感が先立ち、自分が使う拳銃の装填数を忘れて無闇に発砲してくるはずだが、初弾を外したので次のチャンスを求めて場所を移動しているのようである。
ただし、特殊部隊並みの訓練は受けていないのであろう。物音は極力しないが潜んでいる草丈が高い茂みを移動する度に雑草が不自然に揺れて簡単に居場所が分かってしまう。
そこで、カワサキは車の物陰から一旦離れてログハウスを迂回して襲撃者から距離を取ったうえで反撃しようと考えた。相手が1人であるのか判明していのは気掛かりだが、今のところ襲撃者の武器は拳銃だけのようである。そうであれば、相手との距離を取ることで周囲が見渡せるようにして人数を把握しながら反撃を加えれば良い。
カワサキにとって有利なのは最大有効射程が50メートル程の拳銃に対して、カワサキが持っているライフル銃の最大有効射程は600メートル以上で、しかもゼロインが完了したスコープのお陰で100メートルの距離であればスコープを調整すること無しに命中弾を送り込める。
カワサキは、ハンティングで行うストーキングのテクニックを駆使して、パジェロミニの物陰を利用してログハウスの裏側に移動すると物音一つ立てることなく小走りでパジェロミニと反対側に回り込んだ。ログハウスの物陰でニーリングのポジションを取り、襲撃者が潜んでいる辺りを見てみると、襲撃者は未だカワサキがパジェロミニの陰に居ると思っているようで、パジェロミニとログハウスの間を狙える位置に移動している。
その様子を見ていたカワサキは、ライフル銃を構える前にスコープの倍率を3倍に落とした。スコープの倍率を落とすと標的を拡大して狙うことはできないが、代わりに標的の周辺までを見ることができる。仮に、他の襲撃者がいたとしても何らかの異変に気付くことができるし、目の前の襲撃者が隠れている辺りに狙いを付けていれば、相手が拳銃を発砲したときに、周囲の雑草が不自然に動くので、そこへ向けてライフル銃を発砲すれば襲撃者に反撃できるはずである。
そうしているうちに、カワサキの動きがないことに痺れを切らしたのか、襲撃者が『パンッ』という発砲音と共に2発目を撃ってきた。
襲撃者が発砲した辺りの雑草が揺れるのをスコープ越しに見ていたカワサキは、そこを狙ってライフル銃の引き金を引いた。
消音器を装着したままのライフル銃からは爆竹を鳴らしたような音が響き、カワサキはニーリングのポジションで発砲の反動を受け流しながら遊底を操作して、初弾の空薬莢を排出して2発目を薬室に装填すると再びライフル銃を構えてスコープ越しに様子を見た。『うわぁ』と叫ぶような声と共に両足をバタつかせているのが分かったが、カワサキとしても命中させた手応えはあったものの雑草がブラインドとなって相手の状態が見えないので確信が持てないため暫く動かずにいた。
相手が、撃たれた芝居をしてる可能性が捨てきれないか、カワサキは意を決してログハウスの物陰から離れ、ライフル銃を腰だめに構えながら、舗装路を渡って少しずつ襲撃者が居る辺りに近付いていった。
草むらの中に入ると、直ぐに近寄ることはせずに襲撃者の背後へ回り込むように遠回りをして近付いた。未だ暴れている襲撃者まで3メートル程の距離に迫ると足元にトカレフ拳銃が落ちているのを発見した。
落ちていたトカレフ拳銃は1933年にソビエト連邦が軍用として正式採用したモデルであったが、大量に製造することを念頭に開発された拳銃なので単純な作りにしている分、少々の汚れが着いても稼働するが、その代わり安全装置等はまったく備えていない。ちなみに目の前にあるトカレフ拳銃はカワサキが想定した通り北朝鮮製のようである。カワサキは、トカレフ拳銃を拾い上げると弾倉を外してから、遊底を引いて薬室に装填されている実弾を排出し、排出した実弾を弾倉に戻してから自分が着ているジャケットのポケットに仕舞う、トカレフ拳銃は遊底を機関部から外して直ぐに撃てないようにした。
これでトカレフ拳銃が暴発する心配はないし、仮に襲撃者が撃たれた芝居をしてトカレフ拳銃を手にしてもカワサキに向けて発砲することができない。最も襲撃者が予備の弾倉を持っていたとしても、外した遊底を戻している間にカワサキがライフル弾を襲撃者に打ち込めば終わることである。
こうしてトカレフ拳銃に必要な処置を終えてから襲撃者に近寄ると、相手は右の鎖骨辺りを左手で押さえながら仰向けになって暴れていた。口からは血を吐いた跡もあることから、カワサキが放ったライフル弾は相手の右鎖骨を破壊して、骨の一部は右肺を傷付けているに違いない。更に、右鎖骨を破壊したライフル弾は体内を通り右肩甲骨の一部も破壊して貫通したのだろう。
元々、カワサキのライフル銃で使用する.308ウインチェスターは熊や大型の鹿をハンティングの対象にできる破壊力を有しているので、皮膚が熊や大型の鹿よりも脆弱な人間が至近距離から被弾したのであれば、このような負傷を負うことは簡単に想像できる。
襲撃者が、カワサキの存在に気が付くと憎悪に満ちた目で睨み付け韓国語で『傀儡の犬ッ、地獄に落ちろ』と痛みを堪えながら喚いていた。
韓国語までは喋れないカワサキは、どの様にして相手から情報を聞き出そうか考えながら近寄ったとき、襲撃者は口から小さな白い塊をカワサキへ向けて吐き飛ばしてきた。
吐き飛ばされた塊を避けて襲撃者に声を掛けようとした時、急に襲撃者は痙攣を起こし、唇が徐々に紫色に変色していった。直後には口から泡を吐き出して、目を大きく見開くと一転して襲撃者の痙攣が止まり動かなくなった。
カワサキは、右手で相手の頸動脈の辺りを探ってみたが完全に脈は停止している。どうやら、奥歯に隠していた毒物を服用して自決したのだろう。先程、カワサキに向けて吐き飛ばしたのは毒物を仕込んでいた奥歯の一部と思われる。
至近距離からライフル銃で狙撃した相手が即死とならなかったので、何らかしらの情報を聞き出そうとしたが、相手が服毒して自決したのでは死人に口無しで何も聞き出せない。こうなっては仕方ないので、死体となった襲撃者の写真を何枚か撮影して、自分が襲撃された事の顛末をCIAに報告する際に、写真も添付して相手の正体なりバックの組織等を調べてもらうしかない。
スマートフォンで死体の撮影が終わったカワサキは、ライフル銃と簡易分解したトカレフ拳銃を持ってログハウスに戻った。
ライフル銃とトカレフ拳銃は、地下室に置いて朴の暗殺に使用した拳銃に持ち替える。更に、物置からガソリンが入れられた携行缶を右手に持って死体の所へ引き返すと辺りを見回して襲撃者が発砲した2発の空薬莢を見つけて、ジャケットのポケットに回収すると死体の両足を左手で掴んで、森の奥へと引きづっていった。死体を放置したままには出来ないので、森の奥で燃やせる所に運んで燃やすしかない。
暫く森の奥まで死体を運んでいると岩場だらけで、小川が流れている場所に着いた。死体を岩場に置いて、持ってきた携行缶のガソリンを死体に全て振り掛けた。空になった携行缶で小川から水を汲むとマッチを摩って死体に火を着けた。ガソリンを掛けた死体は勢いよく燃え出した。暫く燃えている状況を見守って、骨以外が灰になると携行缶に汲んでいた水を掛けて消火したことを確認してからログハウスに引き返しCIAに報告を入れた。
襲撃してきた男以外の気配は感じないが、相手の正体が判明していないし、更なる襲撃に備える意味で、カワサキはログハウスに留まることにした。
陽が暮れて夕食の準備を始めた頃に、CIAから男の正体を知らせてきた。襲撃してきた男は、在日朝鮮人同胞連合で総務課長をしている李正一という名前で、保養施設で朴と一緒にいた男に間違いないとのことであった。
朴が暗殺された2日後に保養施設の端末を使って海外のサーバーを経由させて日本の警察の自動車ナンバー自動読取装置(Nシステム)へ不正アクセスして、カワサキのパジェロミニに目星をつけてアジトを割り出したものと推測されるとのことであった。また、CIAの分析では朴と李は同郷の間柄で、共に国家安全保衛局に勤務していたことから、独断で朴の復讐を行ったものではないかと分析されていた。李の単独犯行とした裏付けとして、北朝鮮から特殊要員の派遣が確認されていないということがある。しかし、今回の一件が李の単独犯行だとしても北朝鮮本国に作戦の妨害者が居ることが判明しているので、カワサキが現在のアジトに滞在させるのは今後の作戦に支障を来すことになるので、近日中に新たなアジトへ移動してもらうとのことであった。
これで、カワサキは放浪の暗殺者となった。