ミッション1
カワサキは、先日の日本で行った初めての出猟が思っていた以上の成果があったことに気を良くして、その後も何度か出猟してみたが、ほぼ毎回と言えるくらいに獲物を仕留めることができた。
元々、ハンティングは4キログラム以上の重量があるプレシジョンライフルを担いで山中を駆け回ることで体力の保持と射撃感覚を鈍らせないようにすることを目的にしていたが、最初の出猟から5度目ぐらいまでは中東でのトラブルによる1ヶ月以上の入院生活と、その後すぐに軍を除隊して運動らしい運動をしていなかったことで、思っている以上に体力が落ちて、狩猟が終わってログハウスへ戻り夕食を取り終えた頃には、何もする気力が湧かないくらいに疲労感を感じていた。しかし、最近では幾らか体力も回復してきたようで、一日中を山の中で動き回っても大して疲れを感じなくなってきた。
そんな折り、CIAから寄越されたタブレット端末にかなりのデータ量が添付されたメールが送られてきた。送付されたメールには、『朴真男という名前の朝鮮人を事故死に偽装して暗殺せよ』との指令であった。複数の添付ファイルのなかから、画像データが入っているものを開けると、幾らか画質が荒い隠し撮りされた朴と思われる画像が複数枚表れた。
画像の朴の顔をよく見ると顎が張ってアジア人特有の平たい顔に目尻が上がり気味の三白眼で残忍さを感じさせる顔つきになっていた。しっかりと朴の顔を頭の中に叩き込んでから、朴のプロフィールが纏められているファイルを見ると身長は175センチメートルに、体重は60キログラムと痩せた体型をしている。また、朴の素性は北朝鮮の国家安全保衛局の機密作戦室に所属している特殊工作員であることも記載されていた。その朴が、一週間前に日本海沿岸から密入国を果たし、現在は新潟県親不知海岸付近で在日朝鮮人同胞連合という北朝鮮日本支部のような位置付けの法人が所有している保養施設にカムフラージュしたアジトに潜伏中であることまで記載されている。
また、別の『分析レポート』と題されたファイルには、朴という特殊工作員が日本へ派遣された理由が、近年の北朝鮮による相次ぐミサイル発射実験で、マッハ5を越えて飛翔する極超音速ミサイルが実用段階を迎えつつあり、この極超音速ミサイル技術が確立して量産体制が整った場合には、米国本土を射程にするまでには至らないが、在日や在韓の米軍基地を標的として捉えることが可能になる。そのような事態を米国として傍観しているわけにはいかないし、当然に日本や韓国は領土そのものがミサイルの射程圏内に入ることになるので防衛対策は喫緊の課題となる。そこで新たな対ミサイル監視防衛システムを三か国で構築するための共同開発プロジェクトを立ち上げる目的で、3ヶ月後に東京を会場に米国国防長官、日本の防衛大臣、韓国の国防大臣が集まって防衛実務者会議が予定されており、その会議開催を妨害する目的で要人暗殺テロを画策していると分析されていた。
当然、三か国とも要人が出席するような行事には米国シークレットサービス、日本のセキュリティポリスに韓国の警護チームが、それぞれ自国の要人を警護するために派遣されるが、要人暗殺テロの未然防止は開催国である日本の司法当局が担うことになり、確固たるテロの証拠がなく単に疑わしいという段階では、やれる事にも自ずと限界がある。そうなると要人暗殺テロが実行される前に実行行為者となる朴を始末して妨害工作を阻止するだけではなく、北朝鮮に対して牽制する意味合いもあるので、カワサキに朴の暗殺指令を出したのである。
最も、CIAは仮にカワサキが作戦を失敗したとしても表面上は米国が動いたという証拠が残らないので、国際世論も見据えたリスクマネージメントについても抜かりがないのだが。
送られてきたメールを一通り読み終えた夜、カワサキは先ず朴が潜伏している新潟県の保養施設を偵察してみようと考えていた。そこへ、CIAから数日中に具体的な実施作戦を立案してレポートをメールで送るように指示が送られてきた。
翌日の朝、中古のパジェロミニを駆って新潟県の保養施設を目指して出発した。移動の途中で、スポーツ用品店とスーパーマーケットに立ち寄り、一人用テント等のキャンプ用品や3日分の食糧を買い込んで準備物とした。なお、今回は偵察がメインなのでライフル銃は携行していない。
道中は、何度か休憩を取りながらスマートフォンをナビゲーションにして親不知海岸を目指した。夕方近くに親不知海岸まで来ることができたのだが、CIAから送られた保養施設を示している衛星写真と符号する場所が分からず、暫く海沿いの道路を走行していると糸魚川市と上越市の中間ぐらいのところで、道路からは建物は見えないが衛星写真と符号しそうな場所を見つけた。
その頃には、太陽が日本海に沈み始め辺りは徐々に暗くなってきた。カワサキとしても多少の焦る気持ちがあったが、一旦は上越市へ向けて保養施設と思われる前を通り過ぎてから途中で引き返して、保養施設の近くにある脇道へ車首を向けた。
ヘッドライトを点灯して暫く脇道を山側へ登って行くと、道から少し外れた所に狭いながらもパジェロミニを止められそうな場所を見つけたので、車を乗り入れてヘッドライトを消灯してからエンジンを止めた。
カワサキの最初の予定では、日暮れまでに保養施設を見下ろせる場所にテントを設営して偵察を始めようと考えていたが、予想外に保養施設と思われる場所を見つけるのに手間取ってしまったので、無理をせずに今夜は車中泊することにした。特殊部隊にいた頃は、深夜のジャングルを行軍した経験もあるので、夜中に偵察場所を探して移動することは難しくなかったが、夜中に保養施設の周りを彷徨いて施設の人間に見つかった場合に、野鳥観察のために訪れた等と言い訳をしても到底信じてもらえないし、かえって不信を持たれてしまい警戒されてしまう。
エンジンを止めたので、車内は暗いのだが運転席で、事前にコンビニで購入しておいたサンドイッチと野菜ジュースという簡素な夕食を済ませてから、背もたれを倒して夜空を眺めていた。こんな時は、ビールかバーボン等を飲みたいというのが本音だが保養施設に何人の人間がいるのか分からないし、何らかのきっかけで深夜に保養施設の連中から襲撃を受ける可能性も否定できないので、ブラックの缶コーヒーで我慢する。こんなことなら、ライフル銃を要望した時に、携行しやすい拳銃とホルスターも頼んでおけばと悔やんだが、ライフル銃は持って来なかった彼の武器は、狩猟にも使った折り畳みのナイフだけである。
仮に襲撃してきた相手が一人であれば、例え拳銃を持っていたとしてもナイフ一本で撃退する自信はあるが、相手が複数となると武器の種類にもよるがナイフ一本では勝ち目がないので、そのような場合のケーススタディを考えているうち、いつの間にか眠ってしまった。
早朝、野鳥の鳴き声に慌てて目を覚まして周りを見渡してみたが何事もなかったようである。取り敢えず一安心できたのだが、一晩とは言え狭い車内で眠ったために身体中は強張り切っていた。運転席のドアを開けて、欠伸をしながら外に出て大きく背伸びをした後にストレッチをして身体全身を解した。幾らか冴えてきた頭で考えると、この状況から保養施設にいる連中はカワサキの存在に気が付いていないと判断できた。
身体中の強張りが解れたカワサキは運転席に戻り、ビスケットタイプの栄養補助食品と500ミリリットル入り紙パック野菜ジュースで朝食を終わらせると近くの草むらの中で排便を済ませ、その後は車の後部座席に置いてたキャンプ用品や食糧とライフル銃を試射した際に使ったスポッティングスコープ等を収納しておいた黒いナイロン製の大型旅行バックを背負い、森の中へ向けて歩き出した。
森の中を2時間近くは歩いただろうか、カワサキの額から汗が滲み出してきた頃に、保養施設から直線距離にして500メートルくらい離れているが敷地全体を見下ろせて、一人用テントを設営するのに充分な広さがある場所を見つけることができた。
カワサキは、背負っていた旅行バックを下ろしてから、テントを設営する箇所の雑草を踏み均して平らにしてからグリーンのドームテントを設営した。
テントの設営ができると、下ろしていた旅行バックをテントの中に仕舞い、そのバックの中からスポッティングスコープを取り出した。
保養施設の方にスポッティングスコープの対物レンズの反射光が届かないように注意しながら、先ずは敷地全体を偵察する。
敷地は、サッカーコート1面ぐらいはありそうな感じで、敷地の境界線はフェンスが張り巡らされて、フェンスの上部には猪除け用の電気柵みたいな電線まで備えていた。そのような敷地の中央辺りに鉄筋コンクリート造り2階建てで広さが270坪程の施設が建っていた。個人の住宅と比べれば大きいのだが、敷地の広さからすれば違和感を覚えるくらいにひっそりと建っているようにしか見えない。更に、建物の周囲を見るとカワサキが居る方とは反対側に乗用車10台が停められそうなアスファルト舗装された駐車場があり、その駐車場の端にシルバーのSUVと思われる車両が1台停められている。建物自体は、全ての窓に厚手のカーテンが引かれていて内部を見ることはできない。
スポッティングスコープで一通り保養施設を偵察すると、一旦スポッティングスコープから目を離したカワサキは肉眼で建物の方を見詰めていた。
1時間以上は眺めていただろうか、偵察を開始してから施設の外に出てきた人間は一人もいない。あまりにも動きが無さ過ぎる状況に、車両が1台駐車しておりCIAからの情報では朴が潜伏中とされていたが、既に施設を出払って東京方面に移動したのではと疑心暗鬼になっていた時、カワサキが居る側で施設の勝手口と思われるドアが開いて室内から2人の男が出てきた。
カワサキは、慌ててスポッティングスコープを掴んで、その2人の男を見てみると勝手口付近に置いてあるスタンド灰皿を挟んで紙巻きタバコを吸い始めたのが確認できた。
カワサキは、スポッティングスコープの倍率を上げて2人の男の顔がよく見えるようにして、朴がいるのかを確認すると一人はCIAから送ってきた画像ファイルにあった男の顔と特徴が似ているし、身体的な特徴にも矛盾する点が見られないことから間違いなく朴であることを確信した。
2人の様子を引き続き見ていると、2人とも紙巻きタバコを吸い終わると何事もなかったように勝手口のドアを開けて室内に戻っていった。これで、CIAの情報通りに朴が保養施設に潜伏していることの確認ができたので、カワサキは少し安堵して引き続き偵察を続ける気力が湧いてきた。
その後もスポッティングスコープや肉眼で保養施設を偵察していたが、気が付くと太陽は徐々に日本海へ沈み始めて辺りはすっかり暗くなり始めた。しかし、辺りが暗くなってきているのに何故か保養施設の窓から灯りが漏れている様子が見えない。まさかとは思うが、昼間のうちに自分の存在がバレて保養施設にいる連中から襲撃を受けるのではないかと身構えて暫く緊張しながら様子を窺っていたが、その心配は杞憂であったのか一向に何事も起こらない。
緊張感を保って翌朝まで偵察を続けたが、結局は何事も起こらず人気のない建物がひっそりと佇んでいるだけであった。
一晩中寝ないで監視を続けたので、カワサキの目の下にはクマができてしまったが、彼はテントを畳み始め、スポッティングスコープ等と共に旅行バックに仕舞うと、旅行バックを背負ってパジェロミニを止めておいた場所へ戻っていった。
パジェロミニを止めておいた場所に辿り着くと車や周囲にトラップが仕掛けられていないか等を注意してから、アジトであるログハウスへ向けて車のエンジンをスタートさせた。
順調なドライブで昼を少し過ぎた頃にはログハウスに到着し、簡単な昼食を終えるとタブレット端末を使い、CIAへ保養施設を偵察した結果を伝えると共に、朴が日本に潜伏して1週間以上も保養施設に籠りっきりになっていたとすれば、要人テロの手段はドローンを複数使っての爆弾テロではないかとの見解も伝えた。
その根拠として、最低2名の人間が保養施設に滞在していることが確認させたが、夜間になっても保養施設の各部屋から灯りが漏れていないのは保養施設に地下室が存在して、その地下室でテロに使用する複数のドローンを製作している可能性が疑われる。爆弾に使うプラスチック爆薬は、朴が日本へ潜入したのは、日本の税関からのチェックを受けない不法入国なので、爆薬を持ち込むことは難しいことではないし、ドローン自体は性能が良い物を日本で入手することは可能である。また、入手したドローンに必要な改造を施すための部品を調達することも困難ではなく、朴たちが改造作業に没頭しているのであれば、保養施設に籠りっきりでいる状況にも符号する。
これから東京を会場に開催される防衛実務者会議を狙うのであれば、要人警護対策として対ドローン対策も当然に講じられるであろうが、ドローン爆弾が1機ではなく複数を同時に飛行させれば、仮に1機のドローンを発見して飛行を妨害したとしても飛行不能となったドローン爆弾を都心で自爆させ、その騒ぎに日本の警察当局等の注意を向けさせている間に他のドローン爆弾を会場へ飛行させれば、会場へドローン爆弾の襲撃があったことを連絡して、要人の避難を始めさせても改造を施して最高速度が時速60キロメートル以上で飛行できる能力があれば、要人が会場から安全圏へ脱出できる時間は限られるので、テロが成功する確率が高いと想像される。
CIAも、カワサキから送られたレポートを参考にして再度の分析検討をした結果、在日朝鮮人同胞連合の銀行取引等を詳細に調査してみたところ、先月に5機分のGPS機能付き自立飛行タイプのドローンを購入した事実を突き止め、カワサキの指摘通りに朴の要人暗殺テロの具体的な方法は5機のドローン爆弾によるものと結論付け、カワサキの後方支援を兼ねて保養施設を偵察衛星による24時間の監視下においた。
そこで、CIAはカワサキに対して朴の暗殺作戦は保養施設内でドローンの改造作業中のところを狙うか、或いは改造の終わったドローンを飛び立たせるための場所へ移動する際に狙うように示唆してきた上で、具体的な作戦の実施内容を早急に立案してレポートを送るように命令してきた。
カワサキもCIAが示唆してきたタイミングで実施するのが最適だと思ったが、CIAから最初に送られたファイルには保養施設の建築確認申請時に提出された施設の平面図や立面図があったが、その図面には地下室の存在は記載されていなかった。たぶん、在日朝鮮人同胞連合は日本の役所に建築確認申請を申請する際に、偽造した図面を提出して、実施の施工では地下室を作ったのであろう。そうなると保養施設内部についての情報は、現時点で皆無ということになり、そのような状態で保養施設内部に侵入するのはリスクが高過ぎる。
そこで、カワサキは朴が改造済みのドローン爆弾を運搬のために移動しているタイミングで狙うことにした。作戦の実施にあたってカワサキは、CIAに新たな装備としてスミス・アンド・ウエッソン社製のM&P5.7という拳銃と、その拳銃に使用する5.7×28ミリメートル弾薬で亜音速タイプの物と専用の消音器、拳銃に直接装着できる光学照準器であるドットサイトを用意して欲しい旨と詳細な作戦内部を合わせてレポートを送った。