ゼロイン
CIAがアジトとして用意したログハウスを中古のパジェロミニで出発して、緩い登り坂の舗装路を10分ばかり走行していると、道路はいつの間にか砂利だらけの未舗装路へと変わり車の底部には、タイヤが弾いた小石が跳ね返ってぶつかり、その音が車内にまで響いてくる。
そんな砂利道を40キロぐらいのスピードで走行していると前方左側に軽自動車1台がやっと通れる程度の広さがある脇道が見えてきた。
彼は、その脇道へ向けてハンドルを切り、次いでフットブレーキを踏み込んでスピードを20キロ程度にまで落とした。
この脇道は、入って直ぐに傾斜30度くらいの下り坂になっているだけではなく所々には小さな岩が露出してデコボコ状態となっており、あまりスピードを出した状態で走行するとハンドルが取られるだけではなく場合によっては車が横転してしまう危険性すらあった。
そんな脇道を慎重に下りきると彼の目の前にはテニスコートよりも少し広く平坦そうな感じがする雑草地が表れてきた。
米国から航空機で日本へ渡ってから、CIAがアジトとして指示してきたログハウスに落ち着いて1週間ぐらい経過した頃、彼は身体が鈍らないようにハンティングがしたいのでCIAに対してライフル銃を用意して欲しい旨を寄越されていたスマートフォンを使ってメールしてみた。彼から要望してみたもののあまり期待をしていなかったのだが、以外なことに翌日にはCIAから了解した旨のメールが届き『どのようなライフル銃が必要なのか指定欲しいが、今後の作戦に使用してもらう可能性も考慮して遠距離狙撃に対応できる機種が望ましい』とまで記載されていた。
そこで、以前に親しい射撃仲間が所有していたルガーファイアアームズ社製のプレシジョンライフル・ジェネレーション2を試射させてもらったことがあり、高性能なライフル銃にしては値段が安価であるにも関わらず、精度が1MOA以下で感心させられたことを思い出し、そのライフル銃を要望しようと思ったが、そのままの状態では3カ所ほど不満に思った部分もあったので、その部分を改修したモデルにしたいと要望を伝えた。
彼が改修を要望した内容は、先ず銃口先端に発砲音や発射炎をカットするために取り付けられているマズルブレーキなのだが思った程の効果が薄いばかりか、消音器を装着しようとすると形状的に不便であることから、消音器の装着が容易にできるタイプのマズルブレーキに交換してもらうこと、また昨今の銃器がトレンドとしている引き金にトリガーセーフティと呼ばれるブレード状のパーツが備わっていることで、確かにトリガーセーフティという装置は射手が意識をして引き金を引く動作をしない限りは銃が暴発することがないような仕組みになっているのだが、彼のようにトリガーセーフティがない頃から銃器の扱いに慣れた者にとっては、引き金を引く人差し指への感触が好きになれないので、トリガーセーフティの仕組みになってないタイプの引き金にしてもらうようにリクエストし、最後の改修箇所は、オリジナルの銃床の交換であった。純正の銃床は持ち運びの利便性を考えて折り畳み機能を有しているほか、引き金から肩までの距離をできるほか、ライフル銃に取り付けた光学照準器を覗き易くするために頬当てパーツの高さの調整もできるようにしてある。機能自体は充分に申し分がないのだが、調整部分を固定するパーツの取り付けが緩いのか、動く度にカタカタと音を発するは実践では使えない。そこで折り畳み機能は無くても良いので、引き金から肩までの距離と頬当ての高さを調整機能があるが、その固定するパーツの音が鳴らないような銃床への交換を要望したところである。
なお、ライフル銃の改修箇所を伝えた際には改修したマズルブレーキ専用の消音器、ライフルスコープ、ライフルスコープをライフル銃に取り付けるときに使用するスコープマウント、要望したライフル銃に取り付け可能な二脚銃架バイポット、スコープを調整する際に必要となるスポッティングスコープと付属の三脚、実弾50発に耳を保護するためのヘッドフォン型のイヤーマフラーも同時に送ってもらうことも忘れずに伝えた。
詳細な要望をメールで伝えてから、1週間程でCIAが『メールで要望のライフル銃と装備品一式の受け取りができるように段取りができた』と連絡を送ってきた。
受け取り場所は、在日米軍横須賀基地付近にいるCIAの連絡要員が経営する自動車整備工場で、就業時間が終わる午後6時に整備工場で受け取るようにと指示された。
早速、パジェロミニを運転して片道3時間を掛けて横須賀の自動車整備工場へ向かい大したトラブルもなく無事にライフル銃と装備品を受け取ることができ、こうして彼の手元に届いたライフル銃の試射とスコープの調整をしようしているのである。
ライフル銃の試射のために訪れた雑草地も、ハンティングの要望を伝えた際にCIAのほうから衛星写真付きで場所が指定されてきた。日本にも射撃場がないわけではないが、比較的容易に銃が所持できる米国と違って、日本での銃の所持は容易ではないので、簡単に彼から要望されたライフル銃を持たせて日本国内の射撃場で試射をさせるわけにはいかないし、ましてや彼を隠密な作戦要員とするために米国における個人の記録を全て抹消して、偽造した各種の身分証まで与えて日本人とした彼を在日米軍基地で試射をさせるわけにも当然ならない。
CIAとしても、いくら特殊部隊に在籍して各種の訓練を受けていたとしても銃を射撃しない期間をつくってしまっては、今後において作戦を遂行させるうえでも支障があると判断したので、彼にハンティングをさせるのを承認したわけだが、そうなると問題になるのは、彼のように射撃経験がある者であれば初めて手にする銃を試射したいというのは当然であり、それがライフル銃であれば光学照準器であるスコープの調整をさせなければ使い物にならない。
そこで、現時点で彼を寝泊まりさせているアジトから、それほど離れてなくライフル銃を撃たせても問題とならないような場所を探しだして、ライフル銃とその他の装備品を送る旨の連絡をする前にメールで衛星写真も添えて指示しておいたのである。
CIAからのメールを受け取った翌日、彼はライフル銃やその他の装備品を取りに行く前に試射場として指定された場所を下見に行ってみた。確かに指定された場所は近くの人里から直線距離で5キロメートル以上離れているようなので、ライフル銃を発砲したとしても怪しまれる心配はなさそうであった。しかし、ススキと思われる雑草が全体に生い茂り彼の背丈ぐらいになっているので、これではライフル銃の試射を行うどころではない。
そこで一旦ログハウスに引き返して、ログハウスの物置を覗いてみると電動工具や電動のチェーンソーに加えて電動コードレスの草刈り機があった。その電動草刈り機を手に取って見てみるとバッテリーが充電されているようなので、草刈り機本体に予備バッテリー、円盤状で歯がついているチップソー3枚を車に積み込んで、試射場とされた場所の整備をすることにした。その日の夕方には、ライフル銃の試射を行うのに必要な面積の草丈を足首ぐらいにまで刈り終えることができた。ただ、これだけでは即ライフル銃の試射はできないので、翌日も引き続き整備作業を続けることにした。
翌日は、物置から電動チェーンソー、電動工具一式に釘や木ネジ、更に適度な厚みがあるベニヤ板数枚を車に積み込んで試射場整備の続きを始めた。
昨日の草刈りをした場所の周辺で手頃な大きさの樹木を電動チェーンソーで斬り倒し、長さが120センチメートルほどになるように4本切り出した。物置から持ってきたベニヤ板を天板にして切り出した4本を釘を打ち付けて固定し簡易なテーブルを作った。応急で作ったこともあり見てくれは悪いがライフル銃の試射で使うだけなので、見た目よりは必要最低限の強度さえあれば事が足りる。
出来上がったテーブルを草刈りをしたエリアの隅に設置すると、その脇に立って着ていたジャケットのポケットからゴルフ用のレーザー距離計を取り出してテーブルを置いた反対側を覗きだした。丁度、25メートルぐらいの距離に比較的大きな木があったので、レーザー距離計をジャケットのポケットに仕舞うと持ってきた残りのベニヤ板から30センチメートル四方の大きさに1枚切り出して、その板と釘数本に金槌を持って、目星をつけた木に向かった。その木の前まで来ると高さ130センチメートルほどの幹のところへ釘数本を使って、ベニヤ板の面がテーブルの方を向くように金槌で打ち付けて固定した。ベニヤ板の固定ができるとテーブルの方へ戻り、レーザー距離計で改めて距離を計測すると概ね25メートルであった。
本来であれば、ベニヤ板を打ち付けた後方に相当量の土を積み上げて試射した弾丸のバックストップも準備したいところだが、たった1人で大量の土を運ぶのは困難だし、こんな山奥に来る物好きもいないであろうと判断してオミットすることにした。
こうして簡易的ではあるが、一応ライフル銃の試射場が出来上がったので、明日にもライフル銃と装備品類を受け取りに行くことにしたのである。
パジェロミニを止めた彼は、運転席から降りると最後部のラゲッジドアを開けてライフル銃を収めたソフトケースと大型バックを取り出して、ソフトケースは自作したテーブルの上に、大型バックは自作テーブルの脚元に置いた。
大型バックのジッパーを開けて、ライフル銃を固定するための革製のベンチマスター社製シューティングレストを取り出して、テーブルの上にライフル銃を置いたときにペーパーターゲットの方向を向くように配置し、次いでスポッティングスコープと付属の三脚を取り出して組み立てて、三脚の脚は伸ばさぬ状態でシューティングレストの右脇に置いた。
そこまでの準備ができると、大型バックから30センチメートル四方の大きさがあるペーパーターゲットを1枚取り出した。
ペーパーターゲットには、一定間隔で大きさの異なる同心円10個が印刷されており、同心円の縦方向と横方向には外側から順に1から8の数字が打たれており、7番目の円から10番目の中心円までは黒色に白のラインで印刷されている。ペーパーターゲットを手にテーブルとは反対側へペーパーターゲットを張り付けるために歩き出した。ライフル銃を置いてあるテーブルから25メートルしか離れていないが、ペーパーターゲットを設置している間に熊や猪等と遭遇しないとも限らないので、気休め程度にしかならないが刃渡り73ミリメートルのガーバー社製の折り畳み式ナイフをジーンズのポケットに忍ばせている。
前回、幹に打ち付けたベニヤ板に途中で外れることのないようシッカリとペーパーターゲットを張り付けてから自作テーブルに戻った。
テーブルに戻ると、大型バックから50発の.308口径のライフル実弾が収納されているプラスチック製の弾薬ケースをスポッティングスコープの手前側に置き、次いでライフル銃をソフトケースから取り出した。一旦、ライフル銃はシューティングレストに仮置きをして、ソフトケースの外側にあるポケットから金属製の箱型弾倉を取り出して、弾薬ケースから10発のライフル弾薬を箱型弾倉に装填した。
実弾を装填した弾倉は弾薬ケースの隣に置いて、仮置きしていたライフル銃を手に取るとライフル銃に取り付けてあるライフルスコープの対物レンズと接眼レンズを保護するために着いているスコープカバーの蓋をそれぞれ跳ね上げてスコープを覗いた際に見えるレティクル(照準線)を赤く発光させるイルミネートスイッチをオンした。
映画やテレビドラマ等でライフル銃で狙撃するシーンを想像すると分かりやすいのだが、レティクルの十字線は黒い線で表現されている。ただし、目標対象物が黒い色のものである場合や周囲が暗い場合にはレティクルが黒いままでは色が同化して正確に照準ができなくなるので、そのような場合にはレティクルを発光させて照準しやすくするのである。
レティクルが赤く発光していることを確認すると、彼は慎重にライフル銃の機関部から遊底を取り外し、外した遊底をテーブルに置くと遊底が外れたライフル銃をシューティングレストに置いて、ライフル銃の後方から銃身の内側を通して設置したペーパーターゲットが銃身の穴の真ん中にくるようライフル銃を動かしていた。直径7.62ミリメートルの弾丸が通る銃身の穴からは、ペーパーターゲットは本当に小さくしか見えないが、どうにかペーパーターゲットの黒い中心部を銃身の穴の真ん中辺りに捉えることができた。
位置が決まったライフル銃には触れないように注意しながらライフルスコープを覗きレティクルの中心がペーパーターゲットの中心と重なるように、上下方向を調整するエレベーションノブと左右方向を調整するヴィンテージノブを回してゆく。
レティクルの中心がペーパーターゲットの中心に重なればゼロインの第一段階が完了したことを意味し、ここから先は実弾をペーパーターゲットへ射撃しながら微調整を行っていくことになる。
実弾射撃を行うにあたり、テーブルに置いていた遊底を手にすると細かなゴミ等が付着していないかを確認してから、大型バックの脇ポケットに入れてあったチューブ入りのグリースを取り出して、遊底の各所に適量のグリースをまぶしてからライフル銃の機関部に戻してやる。CIAが、自分の元にライフル銃を送ってくれるにあたって一通りの整備はしているであろうが、少しでもトラブルなくライフル銃を作動させるためにも細心の注意を払う必要がある。
ライフル銃の機関部に遊底を取り付けた状態で、何度か遊底を動かしてみて異常がないこと確認すると10発の実弾を入れた箱型弾倉を掴んでライフル銃に装填し、間違いなく装填されているように弾倉の底を掌で叩いてみる。その後、遊底を手前に引いてから遊底を戻すと弾倉の一番上にあったライフル実弾は遊底に押されて薬室に入り、更に遊底を最後まで元に戻すと安全装置を掛けライフル銃をシューティングレストに置いた。
ライフル銃を置き終わると、彼は大型バックからヘッドフォン型のイヤーマフラーを着けてからライフル銃を構える。このライフル銃には、彼の元に送られてきたときから既に銃口先端部に消音器が取り付けてられていた。そうなると、消音器付きのライフル銃を発砲するのにイヤーマフラーは不要に思えるが、どのような銃であっても消音器を装着したからといって完全に無音になることはない。
そのため、消音器を装着しないで発砲した際には、途轍もなく大きな発砲音が響き渡ることになり、特にライフル銃の実弾は火薬量が多く、更にライフル銃を構えると実弾が装填されている薬室も耳が近くに位置することから耳の保護をしないで発砲を行っていると聴覚障害を引き起こす可能性がある。どんなに性能の良い消音器を装着したとしても発砲による音量や音圧を二分の一か三分の一程度にしか低減させられないのである。
シューティングレストを使ってライフル銃を構えてスコープ越しにペーパーターゲットの中心を狙って、慎重に3発を発砲した。3発目を撃ち終えて、遊底を手前に引いて薬室が空の状態にしてからスポッティングスコープのほうでターゲットの着弾状態を確認してみる。
3発とも狙った位置から右下5時の方向に10センチメートルくらい離れた辺りに着弾しているのが見えた。狙った位置からは外れたが3発の着弾は2センチメートル内の範囲に纏まっている。この結果を踏まえて、スコープのエレベーションノブとヴィンテージノブを回して微調整を加えてから、改めて3発をターゲットに向けて発砲した。
先程と同様に、遊底を開けて薬室を空の状態にしてからスポッティングスコープを覗いてみると今度はターゲットの中心付近に着弾しており、更に2発の弾痕は重なっていることが確認できた。ゼロインの成果と射撃感覚が鈍っていないことに満足した彼は、エレベーションノブについているゼロセットダイヤルを回してゼロストップ機能を使えるようにした。
ゼロストップ機能は、ゼロインができたスコープは、その後に使用する度に射撃距離が変わるとレティクルの上下方向を調整するエレベーションノブだけを回して照準を合わせていくことになるが、何度も繰り返してエレベーションノブを回しているとゼロインをした位置が分からなくなり、ゼロインを最初からやり直すことになり手間がかかるので、そのような場合にゼロセットダイヤルを回して機能が使えるようにしておけば、必要なときに素早くゼロインの状態へ戻せる機能なのである。
ところで、スコープを調整したのであれば全弾がターゲットの中心に重なって着弾しそうなものであるが、そのようにならない理由は風等の影響を無視すると弾丸が飛んで行く方向は、弾丸が銃口を飛び出したときに銃口が向いている方向になる。しかしながら、弾薬を激発させて火薬が燃焼・爆発を起こし弾丸が撃ち出されて銃身内を移動している最中に第一次の反動が発生することで、銃口の方向が狙ったときよりも動いてしまうためである。そのため、どんなに高性能のスコープを調整して狙ったとしても全弾が命中することは余程の偶然でも重ならない限りは望めないのである。
ライフル銃の試射とスコープのゼロインが順調にできたので、いつまでもライフル銃を持ってウロウロしていられないため、直ぐに後片付けを始めてログハウスへ戻ることにした。
使用したペーパーターゲットを回収して大型バックに仕舞い、発砲し終えた6発の空薬莢は全て拾い集めて弾薬ケースに収納したうえで大型バックへ入れる。空薬莢を回収したのは、そのままにしておくと実弾を発砲した確かな証拠が残ることを避ける意味があるが、それ以外に偶然にもログハウスの地下室には発砲済みの空薬莢を再利用して新たな実弾にできるリローディング機器があったという状況もあった。
いかに高性能なライフル銃があっても使用できる弾薬がなければ単なる飾り物にしかならないので、これから何らかの障害が発生してCIAから弾薬の供給が望めなくなるケースを念頭に予め備えておかなければならない。