6 フルール、有能な侍女になる
フレイヤがスパイとして本格的に行動する前に、ランドールはフルールと会う機会を作ってくれた。
王宮内で活動するにはフルールの協力が不可欠だ。
ランドールからは、きちんと協力するように言い聞かせろと命じられているが、そんなことは頭になかった。
半年ぶりにフルールに会える。
用意された部屋で待っていると、かちゃりと鍵を外す音がして、フルールが顔をのぞかせた。
「レイ。会いたかった」
そのまま抱きつかれた。半年会わない間に、フルールはちょっと大人っぽくなった気がする。
フレイヤはそっとフルールの頬を撫でた。
「わたしも。すっごく」
息が詰まって『会いたかった』は言葉にならなかった。
「宿下がり以外で会えるなんて思ってなかった。こんな素敵なことがあるなんて」
これから、やることを考えたら手放しで喜べるものではないが、フルールは無邪気に喜んでいた。
「運が良かったのね」
フレイヤはそれだけ言った。
「きっと精霊が助けてくれたのよ」
フルールが笑う。
「精霊が?」
「だって、レイは会ったのよね?」
精霊の加護、精霊の魔法、これまで証明されたことはない。
誰も見たことがない。
国王だけは国を任されるときに会うというが、その内容は語られることはない。
本当はいないのではないか、迷信なのではないかという科学者も出てきている。
でも。
フレイヤは聞いた。
『日の精霊王の名の元に運命を戻そう』
フレイヤを助けてくれた声は精霊王の名を語った。
フレイヤは巫女ではないし、献身もしなかったけれど、精霊王の力で助けてもらった。
それはフルールにも話してあって、それでフルールは精霊を信じるようになったのだ。
「私、精霊王の祭壇を一生懸命お掃除しているの。フレイヤを助けてくれたから」
フルールがにこにこと笑う。
フレイヤも任せられたからには実績をあげないとならないので、きちんと掃除していたが、フルールはもっと熱心に打ち込んでいるようだ。
「それに、頑張ってお掃除したら、私にも精霊が見えるかもしれないじゃない?」
「私は見てないわ」
正確には声を聞いただけだ。
「それでもいいかな。声だけでも」
「そうなの?」
「素晴らしくない?精霊の声よ?ロマンチックよねえ」
フルールがキラキラと目を輝かせた。
精霊王。
本当にいるなんて思ってもいなかった。
しかし、助けてくれたからには存在しているのだろう。
だったら、フルールの前にも現れてくれればいいのに。
「会えたらいいね」
そうしたら、つらい王宮の暮らしも少しは楽しくなるだろう。
フレイヤはマーサの指導の下に、仕事をさぼって自分のしたい勉強をして、なかなか有意義な王宮人生を送っていたが、フルールは姉より気が良くお人好しだ。
意地悪な先輩侍女たちにこき使われて疲弊してしまう時、王宮には精霊がいるかもという希望が彼女の助けになるかもしれない。
フルールが家に帰りたいと泣いたらどうしよう。
そう思うと、つらくないかと問う一言が出なかった。
「どうしたの、レイ。寂しい?」
「え?どうして?」
「だって、なんか泣きそうな顔をしているもの」
それはフルールの方じゃないかと思ったけれど、フルールは笑っていた。
「私も寂しいけど、こうやって会えるのが分かったから大丈夫」
ぎゅっと抱きしめてくる。優しい体温を感じると気が緩む。本当に泣きそうだ。
フルールのほうがずっとつらいのに。
と、思ったのに。
フルールは予想もつかなかったことを言った。
「こっちはみんないい人ばっかりだから楽しいよ」
「はあ?」
それは、おかしくないか。
フレイヤがビックリして向き直ると、フルールも同じようにびっくりした顔をした。
「なんで驚くの?」
「だって、いい人ばっかりって」
ユリアーナはわがままでイレニ夫人は優しいけれど力が無く、先輩侍女たちは意地悪だった。
「まあ確かにユリアーナ殿下は気分屋さんだけど、子供ってあんなものじゃないかしら」
「そうかなあ」
「先輩たちも厳しいけど、仕事を教えてもらうんだから仕方のないことじゃない」
それはそうかもしれないが。
「仕事終わりにお茶に誘ってくれたりするわ」
それが苦痛だろうに。
フレイヤもお茶に誘われた。
そこで手土産が必要なことを言われたし、ドレスが適切でないことも指摘された。
実家が貧乏なことを冷笑された。
伯爵家は後に財産を築いて裕福になったが、その時にはフレイヤは嫌になってお茶会には出なくなった後だったから意味がなかった。
「お茶会用のお菓子、持ってくればよかった」
セリーナ大叔母に言えば用意してくれただろう。
お茶会の茶菓子として用意すれば顔が立ったはずだ。
「それは駄目よ。私たちが会うことは秘密じゃない」
フルールはもっともなことを言った。
「それに、『うち、貧乏なんです』って言ったら、しょうがないわねえって分けてくれたわ」
「そんなこと言ったの」
「本当のことじゃない」
まったくもって驚きだ。
裏でのいい話の種になったことだろう。
「貧乏って広まったから、知らない騎士様にお菓子を貰えたし」
「え?何、それ」
「そのままよ」
フルールが掃除終わりに部屋に戻ろうとした時、知らない少年がお菓子をくれたらしい。
金髪で宝石のような紫色の瞳をしていたという。
「すごくきれいな顔をしていたわ」
目鼻立ちがすっきりしいてあごのラインも整っていたとフルールは言う。
「目がこう、切れ長って言うのかしら。なんか、とても素敵なの」
「どこの家のご子息なの」
「さあ」
その少年は特に名乗らなかったそうだ。
『貧乏で食うにも困るって言われてたのは、おまえか』
と聞かれたらしい。
「なによ、それ」
「不思議よね。どうしてそういう話になったのかしら」
フルールが首をかしげる。
どうしてもこうしても、意地悪な先輩侍女たちがおもしろおかしく噂を広げたからに決まっているだろう。
「それで『王宮できちんとご飯をいただいているから困っていません』ってお返事したの」
そうしたら菓子をくれたという。
「ちゃんと食べてるって言ったのにね」
貰った菓子は何かよくわからないものだったという。
「木苺の味がしたんだけど白くてふわふわしてたのよ。飴っぽいのに柔らかいの」
不思議だよねえと小首をかしげる。
「でも、美味しかったよ。ちょっとしかなかったからすぐ食べちゃった」
すぐに悪くなるものかどうかもわからなかったから、フレイヤに残しておけなかったと言う。
「知らない人からよくわからないものを貰っちゃダメじゃない」
「ええ?でも王宮だよ。変な人はいないよ」
フルールは正しい。
王宮に入るには審査が必要で、その審査にも段階がある。
精霊王の祭壇や王女が生活するあたりに立ち入れる人間は、身分ならば伯爵家以上でなければならないし、しかるべき職務を持つものばかりだ。
そこにいると言うだけで、これ以上はない身分証明になる。
「服も仕立てのいいものを着てたし、お菓子も珍しい逸品だったんだと思う」
なにか思い出すように目をさまよわせ、ちょっと頬を染めた。
「素敵な人だったわ」
高級な菓子を貰って素敵とは安易すぎないだろうか。
フレイヤは内心面白くなかった。
自分の分身のような妹が、知らない男を素敵だと言い出すなんて。
「見た目がカッコよくてもいい人とは限らないんだからね」
フレイヤは言った。
「いい人だとしても、派閥が違うと困ったりするんだから」
それはフレイヤの体験談だ。
前にフレイヤが王宮に出仕していた時にも派閥はあった。
貴族にはそれぞれの利権があり、問題となりやすいのは、どこの国と仲良くするかという外交的な部分だ。
表向きはどことも等しくつきあうということになっているが、実際に取引するとなったらそうもいかない。
フレイヤが出仕する前の数年は、ユリアーナの兄である王太子の妃をどうするかで、とても争っていたと聞いている。
王太子ともなれば将来の国王陛下である。
その妻になる女性がどこの派閥の出身であるかは大問題だ。
結局、火の国の王女が嫁いでくることになった。
国王陛下には王太子の下に第二王子ランドールと第一王女ユリアーナがいる。
第二王子は土の国に婿に行く方向で幼い婚約者いる。
まだ口約束の段階だが、王家同士の口約束だ。よほどのことが無ければそのままだろう。
前回はずっとそのままの状態が続いていた。
最後の頃には父であるデュアルフ伯爵の商売がうまくいっていた。
フルールにはブライアンという恋人がいて、ブライアンの伝手でフレイヤにもいい縁談を紹介すると言っていた。
フレイヤ自身も18歳になり、フルールの言う良縁はともかく、父がそこそこの縁談を纏めてきて、晴れて結婚で退職するのではないかと思っていたのだ。
つまり、辞める気満々だったわけである。
前回、捕らわれた時に、助けに来たフルールは、冤罪にかけられたのは王女ユリアーナの縁談で揉めていて、その関係ではないかと推察していた。
ユリアーナはまだ6歳だけれど、今でもそういう話は聞く。
4年後だと更に佳境に入っていたの違いない。
フレイヤがその辺りにもっと気を配っていたら、罪を被せられることもなかったのかもしれない。
「派閥かあ。よくわかんないなあ」
フルールはのんきに言った。
「あ、でも。イレニ夫人がなんか付け届け?貰ってた」
「あるあるだなあ」
言われればフレイヤも見たことがあった。
イレニ夫人はユリアーナ王女の乳母である。取り入ろうとするものは多い。
「化粧品のすごくいいやつ。木の国製っぽかった」
「へえ」
木の国は緑の加護があり、植物の育ちが良い。良い成分の入った薬や化粧品もレベルが高い。
「持ってきたのすごく素敵な男性だった」
「それは、どうかしら」
ユリアーナの乳母でもあるように、イレニ夫人は既婚者だ。
だが、既婚者だからと言って、素敵な異性に恭しく扱われて嬉しくないわけがないだろう。
「名前わかる?」
「知らないわよ。紹介されるわけじゃないし」
確かにフルールの言うとおりだが。
「でもそうね。入れ替わるとしたら、誰がよく来てるとかはわからないとね。調べておくわ」
「お願い」
王宮内の人間関係はチェックしておかないと。
今度はフルールが冤罪を掛けられて、フレイヤが助けに行くことになったら本末転倒だ。