5 フレイヤ、スカウトされる
やっと。スパイになります。
フルールが王宮で真面目な掃除係になっている間に、フレイヤも自分のなすべきことを進めていた。
父デュアルフ伯爵の商売を成功させる。玉の輿に乗るべく淑女教育に勤しむ。
商売のほうは最初の成功を得た。
火の国では、前の年に王太子殿下が火の国の王女マージョリー殿下と婚礼を上げている。
フレイヤ達もパレードを見に行ったが、それはそれは素晴らしかった。
その影響で、火の国の文化が流行ったのだ。
婚礼の時の衣料に使われたオレンジの薄絹は火の国の特産物であるボニワの葉で染めている。
婚礼の直後は高価な絹が輸入されていたのだが、値段の高さで庶民には手が届かなかった。
ボニワの葉を輸入して綿の染物を作るようになってから一気に広がった。
それを覚えていたフレイヤは父を炊きつけ、ボニワの葉を輸入させたのだ。
デュアルフ伯爵は同時に染物工場も手配して、大儲けをしている。
商売は大忙しで、おかげで娘に目が届いていないし、それを気づきもしていなかった。
そもそも貴族の当主は子供の面倒など見ない。夫人か乳母、もしくは親戚の女性の仕事だ。
ナント男爵夫人ことセリーナ大叔母様は、その『親戚の女性』だった。
ただ、セリーナ大叔母様は自由人で、この人もあまり子守には向いていなかった。
フレイヤは前の人生で、王宮でみっちりと礼儀作法を叩き込まれている。
立派な淑女の振る舞いをすることで、父である伯爵と大叔母のどちらもが、相手がフレイヤを躾けていると思い込んだ。
そうして彼女は自由時間を手に入れた。
最近のフレイヤは図書館に通っている。
王宮の近くには官僚を養成する学校がある。
貴族の長男は自宅で領地の運営等を学ぶが、次男以下で、自ら身を立てるものは騎士になったり官僚になったりする。
補助業務も多いので平民や女性も受け入れている。
施設内に図書館があって、そこは一般の人々も入ることが出来るのだ。
フレイヤの目的は地図だ。
他にも書物を調べて今現在の状況を確認し、曖昧な記憶を整理する。
これから4年間、何が起こるか。
オレンジ色の布のように町中を席巻するほど流行れば別だが、それ以外だと自信がない。
特に、暴動が起こる地域などは時期や場所を思い出しておきたい。
今更のことになるが、これから反乱を起こす王弟は、実際にことを起こす前から叛意ありという噂が出ていたのだ。
王弟の乳兄弟でもあった腹心の部下が、暴動の鎮圧に出たまま行方不明になっていた。
暴動を起こした組織に寝返ったという話で、王弟も疑われていた。
王弟は皇太子に世継ぎの御子が生まれたら、臣下に下って大公になると言われていた。
だが、結婚した王太子夫妻は長らく子供に恵まれなかった。
側妃を持たせるかどうかという話が持ち上がっいたが、ちょうどその頃に不作による飢饉があり、その対応に追われていた王家は特に何も対応をしていなかった。
暴動が最初に起こったのは西の王家の直轄地だった。
何かヒントになるようなことがないだろうか。
「珍しいな。こんなところに麗しい女性がいようとは」
後ろから、陽気な声がかかった。
振り返ったフレイヤが見たのは、流行りの服を着崩した若い男だった。
薄茶色の髪に緑の瞳、すらりと伸びた身体つきは記憶より若い。
ランドール第二王子。
うっかり出かかった声は必死に噛み殺した。
フレイヤは彼を見たことがない。今の世界では。
「おや、挨拶もなしか」
「紹介されておりませんから」
フレイヤはすくっと背を伸ばすと真っ直ぐに彼を見た。
「なるほど、淑女であれば、それも道理だな」
ランドールが面白そうにニヤニヤする。
「俺は護衛騎士のジョーだ。ドルトン侯爵家の一門だな」
第二王子ランドール殿下は、堂々と嘘をついた。
護衛騎士のジョー・ドルトンというのは、彼が良く使う偽名だ。
彼の乳兄弟にジョルジュ・ドルトンという男がいて、側近として文官のような仕事をしている。
ドルトン侯爵家の縁戚で、直系ではないので本人に爵位はない。
なので、問い合わせると、確かにジョー・ドルトンらしき人物がいるということになるが、実際は別人で、ジョルジュは最初から違うと言い抜けできるという寸法だ。
ランドールはこの名前を女性と付き合う時に使う。
第二王子が婚約者でもない女性と付き合うことはできないからだ。
婚約者がいなければ、独身男性として自由に振る舞えるかもしれなかったが、残念ながら金の国の王女と結婚することが決まっており、彼女はまだ8歳だった。
なので、別人という体で女性と浮名を流す。
王宮の中であれば、王宮中の女性がそれを知っているのでさしたる問題でもない。
だが、それを街中で知らない女性に名乗るというのはいかがなものだろうか。
「どうだ。お茶でも飲みにいかないか。いい店を知っている」
「知らない方とはご一緒しません」
フレイヤの正義感が口を開かせた。
「王太子殿下の婚約のパレードでお顔は拝見いたしましたけど」
誰かわかっているのだとにっこりと微笑んでやると、ランドールの顔がクシャっと歪んだ。
さすがに偽名を名乗っていたので、無礼を責めることはできない。
偽名を使っている時は、なりきってその身分の人間として振舞うのは彼の流儀だ。
女性関係にだらしのない男ではあるが、その分、女性に手荒な真似をすることもなかった。性格的にもフランクで、多少の無礼も気にしないところがあったと記憶している。
「どこの娘だ?」
「デュアルフ伯爵家のフレイヤです」
「見たことないな」
「まだデビューしておりませんから」
「ふうん」
ランドールは検分するようにじろじろと見てきた。
「見たことなくはないな」
ややあって、彼は言った。
「ユリアーナの侍女だな」
フレイヤは驚いた。
双子なので確かに同じ顔だが、フルールは髪を染めている。変装でかなり印象が変わっていたはずだ。
「髪は…地毛だな」
ぐっと掴まれた力が強い。
「今日は侍女の宿下がりではないはずだ。変装して王宮の機関に潜り込むとは、怪しい奴め」
その尖った物言いに、フレイヤは自分が誤解されていることに気付いた。
「侍女は妹です」
「妹は髪が茶色いのか」
「そうではなくて」
妹は変な男に寄ってこられるのを避けるために地味にしているだけだと抗弁する。
「王宮にそんな不届きな男はおらぬ」
「殿下がいらっしゃるでしょう」
うっかり口が滑った。
目の前の王子のような男を避けるためにやっていることだ。
ランドールはあっけにとられ、そして笑った。
「そうだな。おまえが正しい」
そのまま、フレイヤの隣の椅子を引いて勝手に腰かける。
「おまえら姉妹は賢いな。誰かの入れ知恵か」
「そういう噂を聞いたことがあったので」
「ふうん」
何事か考え込んでいる。
フレイヤは嫌な予感がした。
「ものすごく素晴らしいアイデアを思いついたのだが、聞きたくないか」
まったくもって聞きたくなかった。
聞きたくなかったのに無理やり聞かされたアイデアは予想通りろくでもなかった。
「妹からなにを聞かされているかは知らんが、俺が侍女に声をかけているのには理由があるのだ」
ランドールは言った。
「ユリアーナは俺の妹ではあるが、母親が違う。王妃は俺たちを嫌っていて、ユリアーナに近づけようとしないのだ」
彼の言う俺たち、とは兄であるランズベール皇太子と自分のことだ。
「ユリアーナは幼いがこの国の王女だ。国のために果たすべき責務がある」
そうは言っても、ユリアーナはまだ6歳だ。まだ早くはないだろうか。
「今から、相応の教養を身に着ける必要があるということだ」
「きちんとした教育を受けていらっしゃいますよ」
「そうなのか」
「まだ基本的な内容が多いですが、種類は多岐にわたっているかと」
ユリアーナには大学で教えるような先生がついている。普通ならまだ遊びのような読み書きをしている年齢だ。フレイヤ達デュアルフ姉妹は6歳の頃など何も習っていなかった。
「それがわからん。こちらには伝わってこないからだ」
「兄君に伝わらなくてもよくないですか」
親が心得ていれば、兄弟がとやかく言うことでもないように思う。
「父上にも伝わっていないな」
「陛下にも」
「父上は鷹揚なのでな。王妃がきちんと取り仕切っているはずだと楽観的だ」
「だったらそうなんじゃないですか」
「あの女の言うことは信用ならない」
『あの女』ときた。ランドールは不信感を隠そうともしなかった。
「聞いたことはないだろうか。王妃は奢侈を尽くした振る舞いをしていると」
それはフレイヤも聞き及んでいた。美貌の王妃はドレスや装身具の為に、湯水のようにお金を遣う。
王宮に出仕するものだけでなく、王都の商人の間では噂になっていたからだ。
フルールは気が付いているのかいないのか、そういった話を手紙に書いてきたりはしなかったが、父親は詳しかった。
「ユリアーナにも同じように贅沢をさせている、と」
「それは」
否定できない。
少なくともフレイヤが侍女として勤めていた時はそうだった。
しかし、一国の王女として、ある程度の贅沢は当たり前だという雰囲気だったし、周囲の侍女たちも裕福な高位貴族の娘ばかりで、特におかしいと言い出す者もいなかった。そして、何より、当時のフレイヤにはユリアーナが使う物の値段がわかっていなかった。
今、家に残って父親の商売の補助をしていると、それがいかに贅沢なことであったかがわかる。
「正攻法で聞いても埒があかん」
それで、ランドールはユリアーナの侍女と親しくなって、世間話のように近況を探っているのだという。
馬鹿馬鹿しいと思ったが、本人は大真面目だ。
「だが、これも、なかなか上手くいかないのだ。意外と口が堅い」
「女は皆おしゃべりだと思っていらっしゃいます?」
ユリアーナの侍女は高位貴族の令嬢ばかりだ。
つまりはとても高い教育を受け、親から分別を叩き込まれている。
自らの結婚相手にならないことがハッキリしている第二王子に対してはそれなりの対応になることだろう。
「そこでだ」
「妹に何か聞き出せと言うならお断りしますよ。そんなスパイみたいな」
「みたいなじゃなくてスパイだが」
「尚更、駄目です。フルールにそんなことさせられません」
「いや、おまえを送ろうと思う」
「は?私ですか?」
「そうだとも」
ランドールのアイデアは、フレイヤを自分の女官として王宮勤めをさせることだった。
金髪のフレイヤが女官として官僚棟で働く。
その裏で、茶色のカツラを被り、フルールのふりをして王族の住まいに入り込むというものだ。
「妹には侍女の仕事があろう。それがおろそかになっては怪しまれてしまう」
「そんなの。フルールが2人いたっておかしいでしょう」
「同じ場所にさえいなければいい」
「無茶なことを」
ランドールは頭がおかしいのではないか。
だが、その提案は魅力的だった。
フレイヤも出仕することになれば、王宮でフルールと会うことが出来る。
生まれた時から常に一緒にいた双子の妹に会わない生活は苦痛だった。
無事にしているだろうかという不安もあったし、純粋に寂しくもあった。
そうして、フレイヤはランドールの提案を受けることにした。
スパイの冤罪で断罪された彼女が、過去に戻ってスパイになるのだから皮肉なものだ。