4 フレイヤ、過去に思いをはせる
フルールは王宮に出仕した。
フレイヤは心配だったが、どうすることもできず、不安な日々を過ごしていた。
折につけ、思い出しすのは過去に戻る4年前のことだ。
「あなたがフレイヤ・デュアルフですか」
一番最初に会ったのは、王宮の裏方を取り仕切っている女官長のストリン夫人だった。
ストリン夫人は背が高くてほっそりしていて、とても上品な女性だ。
着ている服も落ち着いたグレーのシンプルなドレスでありながら、どこか目を惹くものだった。
今なら生地と仕立てが違うのだとわかるが、14歳のフレイヤには理解できないけれど素敵な物として映った。
夫人は王宮で働くことの責任と心構えを説き、あとは面接のようにいくつか質問をされた。
内容は覚えていなかったが、たいしたことではなかった気がする。
そのあと、別の女官に引き渡されてこまごまとしたことを教わった。
初日は部屋の案内や食事や浴室といった施設の説明で終わって、ユリアーナ王女にお目通りがかなったのは翌日だった。
ユリアーナ王女はまだ6歳だった。
美貌で名高い母親の王妃に似て目鼻立ちはとても整っている。肌もぴかぴかで子供らしく可愛らしい。
レースとフリルがふんだんにあしらわれた豪華なドレスを着ていた。
金色の巻き毛が繊細な細工の髪飾りで結い上げられ、ドレスと調和している。
とても綺麗だった。
素敵な建物、素敵な部屋。上品な人たちに素敵なドレス。
きれいなものばかりを見て、フレイヤは浮かれた。王宮ってなんて素敵なんだろう。
ぼんやりと浮かれたフレイヤに、ユリアーナは言った。
「新しい侍女?おうちがすごく貧乏なんだって?」
ユリアーナは持っていたぬいぐるみをフレイヤに投げつけた。
子供の力なので、ぬいぐるみはポコンとフレイヤの手前に落ちた。
「まったく。ユリアーナ様にお仕えするのは家の誉れでありますのに。よくもまあこのような子を」
「平民のように商売をしているのですってよ」
他の侍女たちが口々に追従する。
それがしばらく続いた後に、ユリアーナの乳母であるイレニ夫人が彼女たちを諫めた。
「そのようなことを言うものではありませんよ」
しかし、それが建前だというのはすぐにわかった。
フレイヤは精霊王の祭壇の世話係に任命された。
要するに、王宮の地下にある精霊王の間という部屋の掃除係だ。
神聖なる精霊王のお世話は王女であるユリアーナの仕事であり、実際に取り行うのは彼女の侍女たち。
ユリアーナの侍女は高位貴族のお嬢様が多い。
みな、掃除などしない。
その為に、デュアルフ姉妹のような、中途半端な家柄の貴族の娘が雇われる。
「前にいた子はあっという間に辞めたわね」
「忍耐力がなかったわ」
先輩の侍女たちが口々に言った。
そうでしょうとも、雑用を押し付けられるためだけに雇われていたなんて。
フレイヤは自分が世間知らずだったと知った。
あまり楽しい始まりではなかったが、得るものは多かった。
王女の侍女には幅広い教養も必要とされる。
フレイヤは数々の知識をとともに、精霊について詳しく学んだ。
普通に暮らしていると知ることもないことだ。
この世界には6種類の精霊たちがいる。
日・火・水・土・風・木の六種類の精霊がいて、気まぐれに人間に加護を与える。
そもそも、国の成り立ちとして、精霊王が国を作り、自分が加護を与えた祭司を王として国を治めさせ、友好の証に王の妹を妻にしたという話だ。
精霊王の前には王はただの守り人にすぎない。
しかし、王家の人間には精霊の強い加護があり、その加護を持って国に利益をもたらすことができる。
その証明として、王は即位の時には王宮の地下にある祭壇で即位の儀式を行う。
そこには守りの水晶が置かれている。
即位する王位継承者はただ1人で一晩そこにいて祈りを捧げる。
他に誰かが立ち入ることはできない。
そうすると精霊王の祝福の証として、守りの水晶が輝くのだという。
祝福されないものは、王になることはできない。
そう言われている。
だが、王しか入ることが許されていないのに、水晶が輝いたのを誰が確認するのだろうか。
水晶は光ったりしていないにではないか。王家の威光の為に言われているだけだと疑う者たちもいるが、それもしょうがないことだ。
誰も精霊を見ることもなく暮らしているのだから。
フレイヤとフルールが生まれたのは日の国だった。
日の国の加護は天の恵みと言われている。
天候に恵まれるという意味だ。
しかし、水の国では雨に恵まれるという点で、天候に恵まれるのが加護だと言われている。
立地条件が違うので比べることはできない。
そのくらいの曖昧なものだ。
なので、そもそも精霊などいないのではないか、といった学説もある。
しかし、それは、ごくまれにいる、強い加護を持つ人間の存在によって覆されるのだそうだ。
加護のある人間は、その証を立てることが出来る、と。
王家はいざとなれば、その証を見せるここが出来るが、必要がないからしていない、のだという。
フレイヤには真偽はわからない。
粛々と部屋の掃除をするだけだった。
守りの水晶とそれを安置する精霊王の祭壇は、王族の女性が世話をすることになっている。
祭壇を隅々まで拭き清め、小麦と酒を捧げる。
今は第一王女であるユリアーナの役目だ。
つまりはユリアーナの侍女であるフレイヤの仕事だった。
仕事自体は特に苦にはならなかった。
フレイヤは伯爵家のご令嬢ではあったが、掃除がどのようなものか理解していた。
大きな貴族の家では使用人は主人やその家族の目の届かないところで作業をする。
部屋が多く、使用人も多いので、主人たちが食事中に寝室を片付けたりするようなことが可能なのだ。
だが、デュアルフ伯爵家では、そのような貴族的慣習を保つことは出来ず
メイドはフレイヤ達のすぐ横で作業をしていた。
どうすれば手際よくやれるかといった知識があったのだ。
王家の祭壇は地下深くにある。
毎日、洗濯物を集めてメイドに引き継いだ後、地下にある祭壇まで行って掃除をする。
通常2人一組で行うことになっているが、フレイヤが担当してから、早々に彼女一人に押し付けられた。
しかしそれは逆に幸運でもあった。
フレイヤには掃除については詳しい知識があり、良家のご令嬢が午後いっぱいかかる仕事を半分ですることが出来たが、それを判断できるものはいなかったのだ。
なので、祭壇のある部屋に入り浸っては、掃除をする振りでのんびり過ごしていたのだ。
王宮では高価な書物の置いてある図書館とは別に、そこで働く者が自由に立ち入ってよい図書館がある。
そちらは身分の低いメイドでも入れて、文字の読み書きなどを習ったりも出来た。
働きながら上の職を求めて勉強するものもいた。
フレイヤはそこで本を借りては掃除の時間に読んだものだ。
そのくらいの自由が無ければ、奉公の我慢は4年もは続かなかっただろう。
フルールも同じことが出来る。
彼女の出仕生活が少しでも楽なものであれば良いのだが。
フレイヤには祈るしかなかった。