3 フレイヤ、秘密を打ち明ける
もう手筈は整っていたのだろう。あっという間に話が進んで、フルールが王宮に行く日が迫ってくる。
支度金は出た。最低限の支度を整えると、残りは父であるデュアルフ伯爵の商売の金になる。
それではいけなかったのだ。
本来なら、王宮で一目置かれるセンスのいいドレス、小物などに使わなくてはならなかった。
お金も持って行って、王宮内で使わねばならなかった。
仲間の侍女たちに気の利いたもてなしができないと、王宮の中でいじめられるのだ。
だが、そうやってフルールの支度を整えてしまうと、手持ちの資金が減って、デュアルフ伯爵の商売が持ち直すこともないだろう。
それに、あまりにも運命が変わってしまうと、冤罪に問われるタイミングもズレてしまうかもしれない。
そう考えると、フレイヤには何もできなかった。
フルールは淡々と持っていくものを用意している。
その横顔を見ていると迷いが生まれる。
「ねえ、ルー。やっぱり私が王宮に行こうかしら」
「それはダメよ」
おっとりしたフルールは日頃はいつもフレイヤに合わせてくれていたが、こればかりは頷かなかった。
「レイは長女だもの。おうちの跡を継ぐんだから」
「そんなの、出仕を終えてからでもよくない?きっとそんなに長くないよ」
王宮の侍女は貴族の子女ばかりだ。適齢期になると職を離れるのはよくあることだ。
人によっては乳母や女官として戻ってきたりもするが、短期間で箔だけつける令嬢のほうがずっと多い。
「短期間だというなら、なおさら私でもいいじゃない」
「なんでそういうこと言うかなあ」
フレイヤは妹を抱きしめた。
「意地悪されちゃうかもよ。ルーは優しいからいいようにこき使われたりして」
それは実際にフレイヤがされたことだった。
可愛い妹をそんな目に合わせたくはない。
「怖くないの?ルーは怖がりじゃない」
知らない場所に1人で行くなんて本当は嫌なはずだ。
フルールがフレイヤを抱きしめ返した。
「怖いけど。レイが怖いのはもっとイヤだもの」
ぷにっと頬をつかんでくる。
「大丈夫よ。周囲はいい家のお嬢様ばかりでしょう。きっとよくしてくれるわよ」
それは楽観的すぎるというものだ。
フレイヤはついに最終手段に出ることにした。
これまであったことを話すのだ。
フレイヤの不思議な体験を。
「ねえ、フルール。聞いてほしいことがあるの。信じられないかもしれないけど」
フレイヤは話した。
4年前、同じようにミントン伯爵が来て、侍女として王宮にあがったこと。
真面目に仕えていたのに、スパイの疑いをかけられたこと。
フルールが助けに来て、2人で死んだこと。
気がついたら4年前に巻き戻っていたこと。
「頭がおかしくなったと思うかもしれないけど、すべて本当のことなのよ」
フレイヤはそう締めくくった。
フルールはずっと首をかしげている。
「精霊って本当にいるの?」
「さあね。巻き戻ったんだからいるんじゃないの?」
「すごいわ。私も会ってみたい」
「会ったわけじゃないけど」
正確には声を聴いただけだ。
「それで、私は侯爵令息と仲良くなって、レイを助けに来るの?」
「そうだったわ」
「私がそんなことをするなんて信じられないけど」
フルールの中で折り合いがつかないのはそこらしい。
「でも、すごくハンサムで素敵な人だって言ってたわよ」
そう言っていた。侯爵令息だから、コネもたくさん持っている、ブライトンと結婚したら、フレイヤにも楽をさせてあげる、と。
そのコネで王宮の牢に忍び込むという暴挙を犯したわけだったが。
「確かにアイデアとしては悪くないわ」
「どこが?」
「だって、私が侯爵令息と結婚したら、人脈でお父さまの商売も上手くいくだろうし、レイにもいい縁談が用意できるわ」
そうしたら侍女を辞められる。そうだ。前回、そう言われたことがあった。
なるほど、フルールはそう考えるのか。前回も今回も。
しかし、そこは問題ではない。
重要なのは職場環境の悪さである。
「ユリアーナ様はまだ子供で侍女の管理とかできないの。先輩も私に仕事を押し付けてばっかりだった」
「そうなのね」
フルールは考え込んだ。
「でも、わかっていれば平気よ。何も知らないより怖くなくていいと思う」
それはあまりに楽観的過ぎる。
「仕事だけじゃないわ。兵士とか、変な男に言い寄られたりするのよ」
「レイは美人だものね」
全く同じ顔を持つ妹が笑う。
「笑い事じゃないわよ。すごく気を遣っていたんだから」
本当にびくびく怯えながら過ごしていた。案外危険が多いのだ。
「いい家のお坊ちゃんとかがいて、貧乏な家の侍女なんて遊び相手だと思っているの」
「それは困るなあ」
フルールはそんなに困ったようではなかったが、考え込んでいたようだった。
「変装しようかしら」
「変装?」
「そうよ。髪を茶色にして眼鏡をかけて行くの。マーサが言ってたじゃない」
マーサは通いのメイドだ。
「なんか、メイドがお屋敷のお坊ちゃまに迫られる、みたいな話をしてたじゃない」
「御曹司とのロマンスなんて素敵だわねって言ったら怒られたやつ?」
「そうそう。マーサも嫌な思いを何度もしたって」
マーサは身分の高い男は自分勝手だと言っていた。
それは、王宮に入ってフレイヤも痛感した。
王女の侍女なので、その近くには身分の低い男はあまりいなかった。いい家柄のぼっちゃんばかりだ。
彼らは身分の低い侍女やメイドは遊び相手にしてもいいと思っているような男ばかりだった。
いきなり手が伸びてきて胸をつかまれたこともある。
必死で抵抗したら冗談だと笑われた。
それも話すとフルールは考え込んだ。
「どうしたらいいかしら」
「マーサに聞いてみる?」
確かに、その話をした本人に知恵を借りるのが一番手っ取り早いだろう。
2人はマーサを探しに洗い場まで下りて行った。彼女はメイドの中でも身分の低い通いの下働きだ。
本来ならお屋敷のお嬢様であるフレイヤやフルールと口を利くこともない立場である。
下っ端の使用人は雇い主やその家族の目の届かないところで作業するものだからだ。
専属の雇われ人ではなく通いとなれば尚更だ。
しかし、当時困窮していたデュアルフ家では、礼儀を心得た使用人や、仕事量に合わせた人数を雇う余裕がなかった。
なので、マーサは便利屋として幅を利かせていた。
多くのお屋敷を渡り歩いていたマーサは博識でおしゃべりも上手かった。
彼女は平民で学の無い女性だったが、一言で言えば、いろいろなことを『心得て』いた。
そこには上手にサボる術も含まれていて、フレイヤが王宮にあがった際にも役に立ったものだ。
マーサを探しに行くと、彼女は案の定、サボっていたところだった。
「雲の上の宮殿でも、助平な男はいるだろうからね」
出仕するが変な男がいるかもしれないと聞いた彼女は大きく頷いた。
「確かに、そのまま行くのは賢くないね」
マーサはいろいろな屋敷で下種な男もたくさん見てきたという。
「若い女の子が奉公にあがると、屋敷の坊ちゃんや従僕、厩番の男どもが群がるのさ」
1人で勤めに来ている少女を守ってくれる人間はいない。
誰かと常に複数でいて隙を見せないことが大事だが、見た目を悪くするのにも一定の効果があるという。
「美人だと、誰があの子を落とすかみたいな賭けの対象にもなっちまうしね」
マーサはフルールをじろじろ見た。
「まずは染め粉を買わないといけないね」
「染め粉?」
フルールが首をかしげる。
「きれいな金髪のお嬢さん。その目立つ髪を染めるんだよ」
あとは眼鏡だ。
「瞳がわかりにくい瓶底眼鏡をかけるのと、後は肌だね」
マーサはカサカサになった指でフルールの頬に触れた。
「吹き出物でぶつぶつしてるといいんだけどねえ」
肌が汚く見えるのもなかなか効果的らしい。これも化粧でなんとかなるそうだ。
「まあ、いろいろ試してみたいっていうならそれもいいけどねえ」
マーサはフルールの耳元で下品な冗談を言って笑った。
フレイヤには聞こえなかったが、内容はだいたいわかる。男を試せということだ。
そういうところはどうかと思うが、彼女の知恵は役に立つ。
これからは立場の弱い奉公人として身を守らなくてはならないのだ。
そうして、茶色い髪に眼鏡をかけたあまりいいドレスを着ていない田舎娘がしあがった。
父であるデュアルフ伯爵はたいそう驚いたが、そこは大叔母の入れ知恵ということにして乗り切った。
母方の親戚であるセリーナ・ナント男爵夫人は奔放な人柄でデュアルフ伯爵とは折り合いが悪い。
しかし、姉妹の母が病気の時に、彼女が姉妹の面倒を見て助けてくれたので、父も逆らえないのだ。
実際に、ナント男爵夫人はフルールの変装を褒めてくれた。
「チビちゃんたちも賢くなったものね」
父であるデュアルフ伯爵が何か言ったら自分の名前を出すとよい。ナント男爵夫人は安請け合いした。
フレイヤとフルールが何を考えているかは知らされずに。
姉妹は夫人の名前を最大限に有効活用するつもりなのだったが。