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2 フレイヤ、過去に戻る

フレイヤはゆっくりと目を開けた。

夢か。

悪い夢を見ていた気がする。

自分がスパイだと疑われて斬り殺される夢だ。

なんだったのだろう、あれは。

うーんと伸びをし、ふと気づく。

左手首に痣のような模様がある。手首を一周するような線と、日の紋章に似た円型がふたつ。

『約束の印』

確かにそう言われた。

『日の精霊王の名の元に』

あれは…なんだったのだろう。

でも、フレイアには記憶があり、腕には痣が出来ている。

フレイアはひらひらと手を動かした。

痛みはなく、動きがおかしいということもない。

ただ、すこし小さい。

なんだかよくわからない不安を感じて周囲を見渡す。

薄暗くて気が付かなかったが、王宮で侍女に与えられている自分の部屋ではない。

しかし、見覚えのある部屋だ。

王都にあるデュアルフ伯爵家の子供部屋。

隣にベッドがあるのは双子の妹、フルールの物だ。

何故、自分は家にいるのだろう。

斬られて逃げ延びたなら実家にはいないだろう。

「ルー?」

妹を呼ぶ。返事はない。

不安なまま起き上がるが、身体が小さい。服も子供が切るような寝間着だ。

「レイ。起きたの?」

ドアが開いてフルールが入ってきた。

既に普通の普段着用のドレスに着替えている。

その姿にまた衝撃を受ける。

幼い。

記憶にある姿よりも幼いフルールがこちらを見ている。

「レイが寝坊するなんて珍しいわね」

そのままカーテンを開ける。

日差しはそんなに強くなかった。

「今日はお客様が来るから早めに朝ごはんを食べておいてって言われたじゃない」

言われた。

言われたけれど。

フレイヤは混乱していた。

王宮で確かに斬られたと思ったのに。

でも、確かに、昨日父親に今日は来客があると言われた記憶もある。

それは何の記憶だろう。

じんわりと思い出される。昨日のフレイアは14歳だった。

目の前のフルールはそのくらいで、鏡の前で確認たフレイヤ自身も14歳くらいに見える。

「早く支度をしないと」

フルールがクローゼットを開けてデイドレスを取り出した。

「どうしたの?ぼんやりして」

言われても答えられない。

あれは、夢だったのだろうか。

あまりにも鮮烈な夢を見たせいで、今、現在の自分の立ち位置が曖昧になってしまっている。

もやもやとしたままぼんやりと過ごしていると、フルールに心配された。

「もう、どうしちゃったの。レイったら」

「何か調子が悪いかも」

「ええっ大丈夫なの?」

フルールが心配そうに見上げてくる。

さらさらと波打つ金髪。ブルーグレイの大きな瞳を縁取る睫毛は長く、肌は陶器のように白い。

唇は愛らしいカーブを描いて、何もしていないのにつやつやとした潤っている。

フレイアの双子の妹。

ガラガラと馬車の音が響いてきた。

「あ、お客様だわ。もう来ちゃったのね」

フルールが窓から身を乗り出した。

「うわあ。素敵なコートを着てる」

釣られてフレイアも窓の外を見た。

中肉中背の男が馬車から降りてくるところだった。

上から見ると頭のてっぺんが薄い。

あの男は知っている。

ミントン伯爵だ。上からだとわからないが、正面から見たら、洒落た口髭を生やしているはずだ。

フレイアは背筋が凍り付くのを感じた。

父の友人、ミントン伯爵がこの家に来るのは初めてだ。

なのに、自分はあの男を知っている。

あの男は父に言うのだ。

娘のどちらかを王宮に侍女として出仕させないか、と。

ユリアーナ第一王女の身の回りの世話をするのに、適した年齢と家柄の娘が足りないのだ、と。

フレイアは自分の運命が変わった日のことを覚えていた。

夕食の後、父とその話をしていた。

父は支度金も出るし、王宮に行けば、いい家の子息とご縁が出来るかもしれないといいことばかりを吹き込まれた。

実際に支度金は出たし、フレイアの給金も高かった。

だが、フレイア自身はそれを使うこともなかったし、御子息とのご縁もなかった。

最後にはスパイと疑われて殺されて、いいことなんか何もなかった。

今朝の夢は予知夢なのだろうか。

しかし。

フレイヤは左腕を見た。

痣がある。

日の紋章の痣が。

あの時、言われた。

運命を戻そうと。

であるならば、自分は4年後から戻ってきたのではないだろうか。

やり直すために。

ここで侍女にならなければ、すべてが回避できる。そういうことではないのだろうか。

「夜までいるかしら。お客様がいらっしゃるなら、今日の晩御飯は御馳走ね」

フルールが顔をほころばせた。

その意味するところをフレイアは一瞬で理解した。

そういえば、この頃は家にお金がなかった。

母が大病をして亡くなった時の医療費の借金が残っていて、父の商売も上手くいっていなかった頃だ。

領地はやせた土地で、農作物の出来は悪い。細々と暮らしていくにも足りずに、商売で稼いだ金で補填していたのだ。

フレイヤが出仕する支度金で商売を立て直すことができ、フルールを社交界に出すこともできた。

だとすれば、侍女になるのを断るのは得策ではない。

フレイアは考えた。

侍女になって冤罪で死ぬのは駄目だ。

でも、支度金は欲しい。そうでなければ家が困窮してしまう。

お金のない貴族令嬢など死ぬのと一緒だ。

これを解決するには、どうしたらいいのだろう。

簡単だ。冤罪で逮捕される前に侍女を辞めてしまえばいいのだ。

父の商売は2年くらいで持ち直し、ずっと右肩上がりだったと記憶している。

その頃のフレイアはずっと王宮で勤めていたので詳しく覚えていないが、フルールは16歳で社交界にデビューしてブライトンと知り合ったと言っていた。

そこまで働けば、金銭的には十分だろう。

父親の商売が上手くいったのを確認して上手に退職すればいい。

よし。そうしよう。

考え込むフレイアの腕をフルールが引いた。

「何を考え込んでいるの?」

「今後の生活について」

「貧乏のこと?」

フルールがコテンと首をかしげる。

フレイアは笑った。

確かに貧乏についてだ。お金があれば、王宮への出仕をすっぱり断ることが出来るのだから。

「そうよ。私が働きに出たら貧乏から抜け出せるってこと」

「フレイアがどっか行っちゃうのはやだあ」

「そうだけど。私たちもそろそろ大人になるんだし。考えてかなきゃ」

一緒に生まれたのに甘えん坊のフルール。

いつまでも一緒にはいられない。

フルールが斬られそうになったところが目の裏に浮かぶ。

あんなことになってはならない。


来客はやはりミントン伯爵だった。

卵のようなつるんとした顔に変な髭があって、それが子供だったフレイアの記憶に強く残っていたのだ。

フレイアの記憶が確かならば、夕食の後、いい話があるのだと言って、出仕の話を切り出すのだ。

「いい話があるんだよ」

ミントン伯爵は言った。

「お嬢さん方のどちらかを王宮に侍女として出仕させられるかもしれないんだ」

その切り出し方と大袈裟に手を広げたアクションまでもが記憶の通りだ。

「侍女?うちの娘がかい」

「ユリアーナ第一王女殿下の宮で人手が足りないんだそうだ」

未婚の王女の宮に侍女として勤めるのであれば、貴族の女性であることが必須条件だ。

「12歳以上の女の子で、家は伯爵位以上が条件だ」

ミントン伯爵は幸運にもたまたま空きがあるといった口ぶりだったが、フレイアはそうでないことを知っていた。

下級メイドならばともかく、王女の侍女となると、侍女本人もいい家の令嬢ばかりだ。

しかし、それがゆえに、ユリアーナの侍女を希望する者は少なかった。

ユリアーナは6歳とまだ幼く、使用人をまとめる主としては力が不足している。

本来ならそこを管理すべき王妃や乳母も、そういった資質に欠ける人物だった。

前の王妃を病で亡くした国王に美貌を見染められた王妃は、元々国母になるような家柄ではなく後ろ盾が弱い。本人も、ふわふわと浮ついたお嬢様育ちだった。

乳母も同様で人柄は優しいが、厳しく締めることが出来ない。

蝶よ花よと育てられてきている令嬢たちはまとまらず、宮は落ち着いていなかった。

なにか粗相があったら厳しい処罰の対象にもなる。割が合わない。

なり手が少ないし、些細なことですぐに辞めてしまう。

伯爵家でありながら困窮していて逆らえない、デュアルフ家の娘はちょうどよかったのだと今ならわかる。

ミントン伯爵は支度金の話をし、父親がどんどん乗り気になるのを姉妹はぼんやりと見ていた。

この後、父であるデュアルフ伯爵が言うのだ。

「うちから王女殿下の侍女が出せるなんて光栄なことだ。どちらがいいだろう」

そしてミントン伯爵が言う。

「長女は婿を取らねばなるまい。下のお嬢さんかな」

そう言って、フルールを覗き込むのだ。

記憶のままに、変な髭の男がフルールを覗き込む。

フルールの手が伸びてきて、隣に座っていたフレイヤのスカートをつかむ。

そう。

あの時、フレイヤが言ったのだ。怯えるフルールを見て。妹ではなく自分が行く、と。

なのに。

「わかりました。侍女になります」

そう、フルールが言った。

「え?だって。ルー?」

駄目だ。フルールを行かせるわけにはいかない。

フレイアは知っていた。

ユリアーナは子供らしく気分屋でわがままだ。付き従う侍女たちもお高く止まったお嬢様ばかりで、自分の仕事をフレイアに押し付けていた。

あんな所に行かせるわけにはいかない。

「私が行くわ。ルーが侍女なんて無理よ」

フルールは首を振った。

「大丈夫よ。私だってもう14歳だもの。しっかりお役目を果たせるわ」

「そうだとも。フルールは偉いな」

デュアルフ伯爵はフルールの頭を撫でた。

「フレイヤ。おまえはおまえで良い婿を取るよう学ばなくてはな」

父とミントン伯爵が頷きあう。

フレイヤは尚も止めようと声を上げかけ、ふと、止まった。

このままフルールを出仕させた方がいいのではないかという打算が働いたのだ。

王宮は外とのつながりが薄く、ある意味、情報から遮断された場所だ。

そこから自分で上手に退職する方向に持っていくのは難しい。

前の人生で、フルールはブライアンと付き合って交友を広げ、フレイヤに結婚退職の口を用意しようとしていた。

しかし、侯爵令息のブライアンは結婚するには身分が高すぎて、攻略するには難しい相手だと、当時のフレイヤは思っていた。

別の適切な相手と速やかに結婚し、その夫人として権力を得た方が出来ることも増える。

令嬢と夫人では立場が大きく違うのだ。

父の商売だってそうだ。

フレイヤはこれから何が流行るか、何が必要とされるかを知っている。

それに、今から2年後、天候不順で飢饉が起こり、暴動が頻発する。

未来を知っている自分が外にいた方が、情報を有意義に使えるのではないか。

なんのために巻き戻ったのかは不明だが、危機を回避できなければ、巻き戻った意味がない。

「そうね。王女殿下の侍女に選ばれるなんて素晴らしいことだわ」

フレイヤは言葉を絞り出した。

そうして、フルールの出仕が決まったのだった。

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