裏切りの音符
安藤理恵。
明日香は、知っていた。
少し前、テレビで特集をしていた。
海を越え、世界で認められた歌手。
日本人でありながら。
伝説の歌手。
でも、自殺したと…。
恵子は目を細め.....
「2人は、すぐに惹かれ合い…愛し合ったわ」
恵子は、CDを見つめていた。
「そして、あたしを捨てて…健司は、理恵さんと2人で、アメリカに渡ったのよ」
恵子の悲しげな表情に、明日香は、胸を締め付けられていた。
恵子は、扉のKKのロゴに再び、目をやった。
「彼なしでは、あたしの音は、生まれない。だから…彼が、いなくなって…あたしは、歌えなくなった。KKは、1人じゃないから…」
恵子はCDを、棚にしまった。
「理恵さんが、亡くなって、すぐ…彼も、後を追うようにして、アメリカで亡くなったわ」
カラオケの代わりが終わり、拍手が、観客から起こる。
恵子もステージを下りるお客の方を向きながら、拍手した。
「だけど…明日香ちゃん。あなたが来た。あたしが、忘れてた…忘れようとしてた…音を持って。あなたは、言ってくれたわね。あたしの歌が、好きだって…。とっても嬉しかったわ」
明日香に、顔を戻した恵子は、涙ぐんでいた。
「ママ…」
明日香も、泣いていた。
「あなたに、出会えて…あたしは再び…音楽に、向き合えるようになったの。あなたのお陰よ。本当に、ありがとう」
恵子は、お客に見られないように、涙を拭うと、
明日香の涙も、ハンカチで拭いてあげた。
「お互い…泣き虫は、禁止よ。女の涙は、めったに見せない…武器なんだからね」
恵子は、明日香にウィンクした。
恵子の話が終わると、
明日香は、店を出た。
もう8時前だ。
決して明るいとは、言えない道を、駅まで下っていく。
昔は、本当の山道だったけど、最近はKKより上に、住宅が建ち並ぶようになり、街灯は多い。
駅までは歩いて、3分くらいだ。
階段を下り、改札を通ると、
里美がいた。
驚く明日香に、里美は手をあげ、
よっと、一言発した。
「里美!?どおして、ここに!用があって、帰ったんじゃ…」
「うん。でも…もう終ったから…」
里美は俯き加減で、
歩き出す。
でも、昨日と違い…どこか嬉しそうだ。
「何か、いいことあった?」
明日香は、里美の顔を覗き込んだ。
ちょっとにやけている。
あまり見られるのが、嫌みたいで、早足になる。
「いいことあったな」
里美の足が、止まる。
「何?」
明日香も、嬉しくなってきた。
チラッと明日香を見ると、
里美はまた、歩き出した。
ホームにでる。
タイミングよく、電車が入ってきた。
ドアが開き、2人は飛び乗った。
ドアが締まると、里美はドアにもたれかかる。
そして、またクスッと笑う。
「勿体ぶらないでよ」
里美は、明日香に、嬉しそうな笑顔を向けた。
「コクられた」
里美は、体を反転させ、
ドア越しに、流れる風景を見つめながら、呟くように言った。
電車は、地上に出た。
「誰によ!」
里美はまた反転し、明日香に正面を向けると、満面の笑顔を見せた。
「高橋くんに!」
明日香は、里美の言葉に喜んだ。
「よかったじゃない!」
里美は笑顔のまま、大きく頷いた。
「今日呼び出されて…付き合いたいって!明日から、いっしょに帰ろうって!だから、明日香とは…帰れなくなるから…。今日は、迎えにきた」
里美の幸せそうな様子に、明日香は心から、祝福したかった。
これで、少しギクシャクした2人の関係も、もとに戻ると。
次の駅で、電車を乗り換えると、一駅で、2人の学校がある駅に着いた。
2人は、電車を降りると、同じホームに向かうけど、
乗る電車が違った。
明日香は普通。
里美は急行だ。
ホームに、電車が滑り込んで来た。
急行だ。
「じゃあ…お先に…」
電車に、乗り込む里美の背中に、
「おめでとう!里美!」
明日香は、声をかけた。
里美は振り返り、
「ありがとう…明日香」
里美は、涙ぐんでいた。
ドアが閉まり、電車が動き出しても、明日香は手を振り続けた。
電車が、見えなくなるまで。
「明日香…」
里美はドアにもたれ、涙を拭っていると、
携帯が鳴った。
切ろうとしたけど、画面を見て、
里美は慌てて、出た。
口元を手で覆いながら、
「高橋くん。今、明日香と別れたところ…」
電話の相手は、高橋だった。
次の日。
昼はいつも、里美と食べていたけど、
今日から1人。
里美は、高橋くんとランチらしい。
幸せでよかったけど…
少し寂しい。
明日香は、いつものように、体育館の裏のベンチで、サンドイッチをパクついていると、
優一が、顔をだした。
「先生!」
びっくりする明日香に、優一は頭をかき、
「ごめん。癖だな…ここに来るのは。あれ?今日は1人?有沢さんは」
「ちょっと…」
口ごもる明日香に、優一は肩をすくめ、
「別に、関係ないか…」
そう言うと、その場を去ろうとしたが…優一は思い出したように振り返り、
明日香を見、笑いかけた。
「今日は、元気そうだね。よかった」
「え」
優一の言葉に、驚く明日香。
優一は、優しく微笑み、
話題を変えた。
「先生は、大変だね…。今から授業まで、勉強だ」
優一は、そう言うと、ベンチ前から、消えていった。
「変なの…」
明日香は、首を傾げると…再びサンドイッチをパクつく。
「どうして…あそこに、いつも足が向くんだ…」
優一も、頭を傾げながら、歩く。
ベンチがある場所は、体育館の裏側であり、体育館に沿って、校舎まで歩いていると、
当然、渡り廊下の横を通る。
「うん?」
優一は、視線を感じ、真上を見上げた。
手摺りは確認できたけど、
そこから、覗き込むものはいない。
気のせいか。
優一は、歩き出そうとしたけど、
再び…上を見上げた。
しばし見上げ、
「いるわけない」
フッと笑うと、再び歩き出した。
「先生!」
優一に、気づいた女生徒が、10人くらいに、優一の周りに集まってくる。
「先生!ご飯、食べたんですか?」
「あっ…いや、まだなんだけど…」
口ごもる優一を、
「じゃあ!一緒に食べましょう」
両腕を捕られ、優一は囲まれながら、
渡り廊下と、反対側の北校舎の横にある食堂へと、連行されていく。
1人になると、自然に考えるのは、
ゆうのことだった。
今…何をしてるのだろう。
何を食べてるんだろう。
明日香も、里美のように一緒に、ランチしたかった。
恵子の歌声や、メロディーも浮かぶ。
恋するなんて、簡単…
とは、明日香は思わない。
でも…恋をして、
永遠の愛を得て、
それを失うなんて…。
明日香には、考えられなかった。
やるつもりは、なかった音楽。
でも…やってみると、わかる。
自分の心が、自分の戸惑いが…。
明日香が、わかったことは…
わからないことばかりと、いうこと。
自分の心さえも…。
そうだ。
ゆうにきいてみよう。
あたしが、音楽をやってると言ったら、
何て言うだろうか。
あたしが、
愛や恋が、わからないと言ったら…
あなたは…、
何とこたえるのだろうか。
明日香は、自分の願うこたえを、口にするゆうを想像し、
赤くなった。
妄想は自由だ。
しばらくして、妄想が落ち着くと、
明日香は、現実に戻り…大きな溜め息をついた。
「会いたいな…」
誰もいないベンチで、ぽつんと呟き、
明日香は早く、放課後になることを願った。