特別編 色のないあたし
あなたに触れられていない
あたしは、
まだ色のないあたし。
真っ白でもない。
透明なんだけど、
少し気付いたの……
涙さえ…色があることに…。
スタスタと、あいつはあたしに気付かずに、横を通り過ぎ、
何段か上がってから、
「あっ」
と呟いてから、振り返る。
「おはよー上月」
階段で、止まったままだったあたしは、振り返り、
少し不満そうに、返事した。
「おはよう…ゆうくん」
だけど、あいつは、あたしの気持ちなんて、わかるはずもない。
挨拶した瞬間から、あいつはあたしを見ていない。
前を向いて、ただ階段を上がっていく。
その後ろ姿を見送りながら、あたしは切なさと、
ほんの少しのうれしさを感じていた。
「まったく…好きよね。あんた…」
夕焼けが支配する空の下、
渡り廊下で佇むあたしに、親友の麻美が、ため息をついた。
渡り廊下から見えるグラウンドを見つめるあたしとは、逆に……
麻美は、背中で手摺りにもたれ、欠伸をしていた。
「最近…ちょっとだけ…話せるようになったの」
嬉しくて、顔がほころんでしまうあたしの横顔を、
麻美はちらっと見て、
「ただ…挨拶するぐらいでしょ…」
またため息をついた。
「何言ってるのよ!」
あたしは、手摺りから身を乗り出し、
「あそこから…ここまであったんだよ」
グラウンドを指差し、渡り廊下を指差した。
そう…ちょっと前までは、ここから、
ゆうを眺めることしかできなかった。
サッカー部の部員であるゆうは、いつもグラウンドの真ん中で、練習をしていた。
麻美は、眉を寄せ、
「……こんな遠くから、ただ見てるだけ…。あんた、牧村にボールが回ったときとかも、応援しないだろ」
「だって…」
「ただ見てるだけって…誰を見てるかもわからないだろ」
「ちゃんと見てる!ずっと見てるもん!」
あたしの視線は、ゆうにしかむいていない。
「それって…軽いストーカーだろ?」
麻美は肩をすくめた。
「もっと近くに言って、応援しろよ」
「は、恥ずかしいよ〜!」
近くにいって、応援するなんて、できるわけがない。
夕焼けのオレンジの光に紛れて、あたしは、ただ彼を見ていただけだ。
あたしの存在は知ってほしいけど、
アピールまではしたくなかった。
うざい女と思われたくない。
夕陽が沈む…わずかな時間だけ。
あたしは、彼を見ようと決めていた。
夕陽は沈む。
輝いた後、必ず沈み……後は、闇になる。
暗くなった道を、あたしは帰るだけだ。
「あんた…好きなんでしょ」
麻美の言葉に、力強く頷いた。
あたしの体も、夕焼けによって…赤い。
夜は暗くなる。
あたしには、色がない。
まだ…何でも染まってしまう。
好きという色は、あるのだろうか。
「あたし…先に帰るね」
ダンスのレッスンを受けている麻美は、忙しい。
「うん…」
この渡り廊下に来るようになってから、一緒に帰ることは、なくなったけど、
いつも時間まで、ここにいてくれる。
それが、うれしかった。
夕陽が沈み出すと、練習も終わる。
練習を終えるゆうが、こちらを見たような気がしたけど…
気のせい……。
離れている為、表情がわからない。
視力がもっとよかったら、あいつの顔がよく見えるのに。
ゆうが練習を終える時、あたしが…渡り廊下から下りる時でもあった。
数ヶ月、そんな繰り返しの毎日で、
ゆうと挨拶をかわせるようになったのは、奇跡かもしれない。
奇跡……。
そんな些細な奇跡が起こったから、
あたしは、それ以上の奇跡を望んでしまう。
それ以上の奇跡って……。
体育館と南館を結ぶ渡り廊下を、グラウンドとは逆に下りると、
正門に続く一本道のすぐそばに出る。
あとは、その道をまっすぐ帰るだけ…。
それは…奇跡っていうより、
当然のことだった。
同じ電車だったのだ。
と言っても、駅は一つしかない。
あとは、方向だ。
山手の方へ向かうか…町の中心に向かうのか。
あたしは、中心へ向かう方だった。
駅数でいうと、五つ向こう。
ゆうは、もっと向こうの駅のようだ。
車両も五つあった。
その日の朝は、いつもと違う車両に偶然乗った。
すると、ゆうがいたのだ。
満員電車に近い車内のドアの横に、ゆうはもたれていた。
あたしはその日……何とか乗り込むと、
ドアの前にギリギリに立つことになった。
つまり、ゆうの前だ。
あたしは、ゆうに気付いたけど…ゆうはドアの窓から、風景を眺めていた。
神様のいたずらか…。
あたしが降りる駅まで、後ろのドアは開くことはない。
降りる駅まで、前にいる人達は、変わっていく。
少し空いたが、あたしは固まって、ドアの前から動けなかった。
だって、数センチ隣には、ゆうがいたから。
あまりに緊張していて、何とかドアにもたれることで、何とか立っていた。
だから、降りる駅についた時、ドアが開いた瞬間、
あたしは、背中からよろけてしまった。
「キャッ!」
電車とホームとの隙間に、バランスを崩し、倒れそうになるあたしの腕を、
ゆうの手が掴んだ。
しっかりと力強く手が、あたしを支え、倒れるのを防いでくれた。
体勢が落ち着き、ホームに降り立ったあたしは、
どきどきする心臓を押さえて、
「ありがとう…」
と言った時には、
もうゆうは、改札口に向かって歩いていた。
「あ、あのお〜」
呼び止めようとしたけど、次々に人が降りてきて、
学校へ向かう生徒達の背中に、声はかき消された。
その日から、あたしは…ゆうのいる車両に乗り続けた。
乗り込む時に、頭を下げ、
それから、話し掛けようとしたが…あまりにも、近すぎる。
言葉が出ないのだ。
毎日、乗り込んでは深々と、頭を下げては、無言で隣に立つ。
一応、乗り込むと、背中ではなく、体をドア側に向けて…いつでも、降りられる体勢は作っていた。
だから、ドアが開くと、スタートダッシュみたいに、ホームに飛び降りることになってしまう。
数週後、いつものごとくスタートダッシュし、
なぜか駆け足で、改札口に向かうあたしよりも、
ゆうは早く、ホームに降りた。
そのあまりの素早さに、あたしは驚いた。
「あのさ〜」
ゆうは鞄を背負ったまま、振り返ると、あたしを見つめ、
「もう…謝らなくいいから」
そう言うと、背を向け、
「感謝は、伝わってるから」
そういうと、右手を軽く上げ、改札口に向かって、走りだした。
そんなことがあると、
次の日は、すぐに…打ち解ける思ったけど、違った。
照れ笑いを浮かべながら、また軽く頭を下げ、あたしはすぐにドアの方に、顔を向ける日々は続いた。
少し違うのは、ゆうも軽く会釈をするようになったことだ。
そして、2週間後、照れ笑いを浮かべるあたしに、ゆうはいつもと違う行動に、出た。
「おはよう」
その言葉に、あたしはすぐに反応できなかった。
「え?」
思わず、ゆうの方を見た。
ゆうと目が合う。
じっと見つめるゆうの姿に、頭が真っ白になるけど…言わなきゃいけない言葉くらい…わかった。
「お、おはよう…」
ちゃんと言ったつもりだったけど…もの凄くか細い挨拶に、なってしまった。
この時は、気付かなかったけど…
ゆうもまた、あたしと同じくらい緊張していたのだ。
照れ屋の二人。
それを、あたしが理解するのは…もっと先の話だ。