KとK
二軒目のBARを出て、みんなと別れると、
恵子は、最終近くの駅へと向かっていた。
タクシーの川の向こうに、駅が見えた。
信号は赤。
もう12時前だというのに、
人通りは多い。
一番前で待っている恵子の横に、
誰かが立ってた。
恵子は反射的に、ちらっと隣を見た。
視線は下にしていたから、
見えたのは、手元だけだった。
楽器ケース。
恵子が、視線を上げた瞬間……信号は変わった。
動き出す人達。
楽器ケースを持った男は、真っ先に歩き出す。
黒いスーツの後ろ姿。
恵子は、歩き出すタイミングを失い、止まってしまう。
人々が、恵子を追い越していく。
「あ…」
恵子の動きは、完璧に止まった。
交差点の途中、
楽器ケースを持った男は振り返り、
恵子を見ていた。
2人の動きが止まる。
それは、ほんの数秒のことだろう。
男はただ…頭を下げると、すぐに歩きだした。
恵子は、そんな男をしばらく黙って、見送ってしまった。
信号が変わった。
渡れなかった恵子の前を、タクシーの群が、次々と通り過ぎていった。
信号を渡り切り、
駅への階段を下りていく健司は…なぜか、ニヤニヤと笑っていた。
自分では、笑っていることに、気付かない。
階段の途中で、足を止め、
振り返って、見上げた。
さっきの女は、来ていない。
「あの子は…」
健司は、壁にもたれた。
「タバコの似合わねえ女だ」
客席にいた…本物の観客。
健司は、待つことにした。
なぜ、待つのかわからなかったけど、
健司は待った。
この駅に向かってるのかも、わからない。
この階段を下りてくるかも、わからない。
健司と同じ時に、信号を渡った人達は、
健司を追い越していった。
しばらくの間。
見上げ続けていた健司の目に、女が映った。
ステージ上からではなく、
外で、まじまじと見た女を…健司は、美しいと思った。
驚く女に、健司はまた、頭を下げた。
女も、途中で足を止め…頭を下げた。
健司は思った。
訂正しなければ…。
この女はいずれ、
とびきり、タバコが似合う女になると。
「あっ…」
思わず、小さく声を出した恵子は、
地下鉄への階段を下りる途中に、健司がいることに気づいた。
健司は壁にもたれ、じっとこちらの方を見ていた。
足が止まりかけたが、
恵子は、止まる理由がないことに気づき、
階段を下りていく。
もう終電が近いし、戸惑っている余裕もない。
急がず、慌てず、
ゆっくり下りていく恵子を、健司は目で追っていた。
恵子は、健司の前を通る瞬間、軽く頭を下げた。
知らない訳ではない。
だけど、自分はただの観客。
向こうが、覚えてる訳がない。
少し速度を上げようとした、恵子の背中に、
「え…演奏…どうでした?」
緊張した声を、何とかクールに抑えて、健司は声をかけた。
(あたしに気づいていた)
恵子は、足を止め、
思わず振り返った。
だけど、言葉がでなかった。
しばらく…ほんの数秒、
視線を合わせた2人。
「あ…あのお」
突然で、何を言ったらいいかわからなかった。
だから、素直な言葉を。
「曲は、知りませんでしたけど…演奏は、最高でした」
恵子は、健司の顔を見れなかった。
「初めて聴く曲なのに…心の中に響いて…か、感動しました!」
少し興奮気味に、答えてしまった恵子を見て、
健司はにこっと笑うと、
「ありがとう」
そう言うと、階段を上がっていた。
顔がにやけてしまって、
恵子のそばにはいけない。
少し、ポカンとしてしまった恵子は、
下から聞こえる最新電車を告げる駅員のアナウンスに、はっとなって、
慌てて、階段を下りていった。
逆に、再び地上に出た健司は、
もう帰れなかった。
さっきの最終は、健司にも最終だった。
だけど、
「乗れるかよ」
ニヤニヤ笑いがとれない。
健司は、ポケットからタバコを取り出した。
「わかるやつも、いてくれる」
健司は、タバコをくわえながら、
しばらく火をつけず、
ただニヤニヤと笑い続けた。
「だから…音楽はやめれない」