ラストレター
恵子との電話を終え、啓介はスタジオに戻る。
明日香だけが1人、ギターを片手にメロディを奏でていた。
聴いたことがある。
真夏の果実だ。
鼻歌まじりに歌っている。
啓介の姿を認め、弾くのをやめた。
「おじさん達は?」
リズムセクションがいない。
「疲れたから、少し休むって」
今までに、馴染みがない音楽をやらされ、
彼らは、いつも以上に疲れてるはずだ。
「よくやってくれているよ。感謝しなくては」
啓介はそう言うと、スタジオの壁にもたれかかった。
「ママの調子はどうなの?大丈夫かしら」
「たぶん」
「たぶん?」
「ああ…。俺に、本当のことはいわないだろ…。心配させまいとな」
啓介は、ため息をついた。
明日香は、そんな啓介を心配気に見つめ、
「早くも帰らないとね。ママのもとに」
「まだ無理だ。もうすぐ発表がある。ノミネートされたら…帰れない」
啓介は、苛立ちと焦りがあった。
それは、音楽に対してではなく、
早く恵子のもとに帰りたいのだ。
胸騒ぎがしていた。
「とらなければ、意味がない。だけど、こんなに、長く離れていて…よかったのか…」
「ダブルケイに…ママのもとに帰ろうよ」
啓介の様子を見て、明日香が言った。
「え」
啓介は、明日香を見つめた。
明日香は、優しく啓介を見つめ、微笑んだ。
「あたしも…ママが、心配…ダブルケイに戻りたい」
「明日香…」
啓介は目をつぶり、
明日香の言葉を、噛み締めた。
自分自身に舌打ちすると、サックスを手にとり、凄まじいブロウを繰り広げる。
それは、泣き声のようだった。
啓介は、汗だくになりながら、吹きまくる。
明日香は、啓介の音を聴いていた。
啓介は吹き終わると、
「帰れない。今は」
また壁にもたれかかり、
「今、帰ったら…怒られる。例え…賞が取れなくても、許してくれる。だが、途中で帰ったら…絶対許さない。そういう母親だ…」
啓介は、サックスを置いた。
明日香は啓介の汗を、ハンカチで拭ってあげる。
「啓介は、天才だよ。だから、絶対取れるよ」
「俺は、天才じゃない」
「この国に来ても…啓介以上の音を、聴いたことないもの」
「フッ…天才なんて…自分で思うものじゃなく、他人が評価することだ」
「あたしは、あなたをそう思うわ」
啓介は、少し照れながら、明日香から視線を外し、
「俺のお袋は、天才だった。どんなに…否定的に聴いても、天才だ」
啓介は、明日香から離れ、スタジオにある楽器達に触れる。
「安藤啓介…天才の息子。皆、俺をそう見る。俺が吹けるのも、お袋の血をひいてるからだと!でも、違う!俺の音は、血なんかじゃない!母さんの愛情から、生まれた音なんだ!」
啓介は叫んだ。
「KKで…いろんな人に支えられて、生まれてきたものなんだ。安藤理恵は、みんな知っている。だけど…」
明日香は、啓介を見守っている。
啓介の思いが、伝わってくる。
「速水恵子を知る者は、ほんの一部だ!俺は、母さんの息子として…母さんの音を、みんなに伝えたいんだ」
啓介は、明日香を見た。
「マリーナ・ヘインズはこの前、明日香に…和美を利用してると言ったが…利用してるのは、俺だよ」
啓介は、ドラムセットの中で座り込む。
「俺は…お袋も和美も、利用している…最低なやつだ」
明日香はゆっくりと、啓介に近づき、
ぎゅっと抱き締める。
明日香には、言葉がなかった。
抱き締めるしかなかった。
「最低じゃないよ」
やっと、
明日香は呟いた。
「最低じゃないよ。啓介は」
啓介は、明日香に抱き締められながら、
「ありがとう」
と、呟くだけだった。
CDをセットし、
恵子は、ソファーに腰を降ろした。
好きなお酒。
ワイルドターキーをロックで楽しむ。
そういえば、
このお酒を好きだったのは、健司だった。
最初は、全然おいしいと思わなかったのに…。
意地で飲んでた。
たぶん、女はお酒なんて、いつも…
意地で、飲みだすのよ。
いつのまにか、啓介もかずちゃんも、好きになってた。
音楽が始まる。
恵子は、静かに目をつぶった。
光が、恵子を包んだ。
眩しい光。
恵子の目の前のステージに、
啓介が、
阿部が、
武田が、
原田がいる。
そして、
明日香が歌っている。
明日香の声、啓介の音。
すべてがすばらしい。
観客の歓声が、ため息に変わる。
(そうか…取ったのね!)
かずちゃんに続いて。
恵子は、涙を流していた。
(あたしの子供達が!)
あそこにいるのは、
あたしの子供達なのよ。
あたしの自慢の子達よ。
次の日。
珍しく、ダブルケイの鍵が閉まっていた。
里美は、しばらく待っていたが、
恵子は来ない。
やがて、
亜希子が、車でやってきた。
里美から、店が閉まってるときいて、
青ざめた亜希子は、里美を乗せると、
急いで、恵子の住むマンションに向かう。
車で、10分ほど走ると、恵子の住むマンションに着いた。
2人は、3階にある恵子の家に向かう。
ドアの前に立ち、チャイムを鳴らすが、
反応がない。
もしもの為に、
亜希子は、合い鍵を渡されていた。
鍵を開け、部屋に入った2人が見たものは…
ソファーにもたれて、
眠る恵子だった。
その手には、
大事そうに、LikeLoveYouのCDを持っていた。
幸せそうな笑顔を、浮かべながら。
「姉さん…」
亜希子はその場で、崩れ落ちた。
今、1人の女が旅立った。
優しい笑顔を浮かべながら…
永遠の旅へ…。
啓介が、恵子に電話してから、
しばらくたった。
スケジュールが、詰まっており、クタクタになるまで演奏していた。
嫌な予感を忘れる為に。
LIVEが終わり、
スタジオに戻って、休んでいたLikeLoveYouに、日本から電話が入った。
サミーから…電話をかわったた啓介は、落ち着いた口調で受け答えしている。
「すいません…おばさん…」
電話の相手は、亜希子だった。
「すぐに日本に戻ります」
啓介の口調が変わる。
「え?もう通夜も葬式も、すませたんですか!?」
亜希子は説明する。
恵子から、亜希子はきつく言われていた。
もし、あの子達が向こうに行ってる時に、何かあっても、
決して、すぐに言わないように。
あの子達のやらなければならないことが、終わるまでは、
絶対、日本に帰らせては、だめだと。
啓介は、静かに受話器を置いた。
「啓介…」
明日香が、そばに寄る。
「母さんが亡くなったよ。7日も前らしい…」
倒れそうになる啓介を、明日香が支えた。
明日香もまた倒れそうだったが、啓介を支えた。
「間に合わなかった…」
明日香の胸にしがみつき、啓介は泣き崩れた。
原田と武田も、声を殺して…泣いていた。
「畜生!最初から、わかっていたんだ!間に合わないことは」
阿部は叫んだ。
啓介と阿部は、知っていた。
恵子が、
末期癌であったことを…。
発見したときには、
すでに、
手遅れだったことを。
恵子は、病院で死ぬことより、
KKで、最後まで過ごすことを望んだ。
例え、
病院にいたら、何日か命が延びたとしても。
医者いわく、
立ってるのも、奇跡だと…。
恵子は、痛みを感じなくなっていたのだ。
啓介は、恵子の気力にかけた。
彼女の夢だった…
アメリカでの成功を見せることで、命が長らぐことを。
死ぬ前に、夢を叶えてあげたかったのだ。
彼女の息子、速水啓介として。
阿部は、声を出して泣きながら、その場に崩れ落ちた。
「俺は…啓介とちがって、そばにいるべきだったんだ!それなのに、それなのに…格好つけたいばっかりに」
阿部は、床を叩いた。
「俺は、ダブルケイに入りたかった!姉さんといっしょにやりたかった。ベースを始めたのも…アメリカに留学したのも、姉さんといっしょに…やりたかっただけなんだ!」
激しく叩きつける。
「今、ここにいるのだって…最後に…姉さんに、俺がアメリカで活躍する姿を…見て貰いたかっただけなんだ!そばにいることより、てめえのことしか考えてなかった…最低野郎だ!」
誰が、阿部を責めることができようか。
ここにいる誰もが、
そばにいなかったのだから…。
四人が泣いてる。
明日香は、啓介を抱きしめながら、
阿部を心配した。
手が真っ赤になっている。
今、明日香は泣けない。
「阿部さん!もうやめて下さい」
阿部は…明日香の声で、叩くのを止めた。
そして、
明日香の顔を見ると、
「そうか…明日香ちゃんは…知らなかったんだね」
阿部は立ち上がると、
おもむろに歩き出した。
自分の鞄をあさり、何かを取り出す。
手紙だった。
阿部は、明日香に差し出した。
「姉さんからだ」
恵子からの手紙。
明日香は、手紙を受け取った。
「姉さんから預かってた…。もし、あたしが…明日香ちゃんに会えなくなったら…渡してくれって…」
阿部はまた、泣き出した。
啓介も武田も原田も…
ただ泣くことしかできなかった。
明日香は、部屋に戻った。
まだ、明日香には実感がなかった。
頭が、ぼおっとしている。
恵子の病気のことも、詳しく知らなかった。
過労で倒れたとしか。
恵子からの手紙…。
しばらく…
明日香は、封を開けず、見つめていた。
開けることに戸惑う。
明日香は…
封を開けることにした。
明日香ちゃん…。
あなたがもし、この手紙を読んでるんでしたら、
あたしはもう…この世にはいないんでしょうね。
本当は、あなたが帰ってきた時、
あたしの口で伝えたかったんだけど…。
明日香ちゃん。
いつもありがとう。
あなたに出会ってから、4年近くたつわね。
初めて会った日。
あなたが、トランペットを吹いた日。
泣きながら店に来た日…。
あの時は困ったわ。
初めて、あなたが歌った日。
すべてを覚えています。
あたしね。
明日香ちゃん…。
ずっとあなたのファンだったのよ。
たぶん…あなたのファン第一号。
啓介より早いわよ。
世界中のあなたのファンに、言いたいわ。
あたしが、明日香ちゃんの1番最初のファンだって。
自慢したい。
自慢の娘だと。
ごめんね。
勝手に、娘だと思っていたわ。
たぶん、向こうの世界では、まだ知られてないわね。
向こうにいったら、あたしの娘は凄いんだって、自慢してやるんだから。
そう思うと、向こうに行くのも楽しみね。
いつまでも、まっすぐで素直なあなたの歌を、聴かせてちょうだい。
いつまでも、あたしはあなたのファン。
あたしの自慢。
あなたの歌を大切に。
歌うことを大切に。
いつまでも、あたしはあなたを愛してます。
あなたに会えて、幸せだったわ。
ありがとうね。
明日香ちゃん。
追伸。
啓介をよろしくね。
あいつが、ひどいことをしたら、化けてでも、説教してやるからね。