あたしの子供達
「ママ!買ってきたよ」
里美は、ダブルケイの扉を開けると、恵子のもとへ走り寄った。
手には、LikeLoveYouのYASASHISAのシングルを持っていた。
街にでて、大型の外資系CD店に買いにいったのだ。
まだ、日本盤は出ていなかった。
里美は、2枚買ってきており、1枚を恵子にプレゼントした。
「お金払うわよ。里美ちゃん」
里美は、大袈裟に首を横に振り、
「いいよ、ママ。無理矢理押しかけて、雇ってもらってることだし」
頑として、お金を受け取らない里美に負けて、
恵子は有り難く、頂くことにした。
早速CDをかけた。
恵子は、涙した。
里美達には、見られないようにしたが…。
流れる音には、歌手明日香がいた。
もう…恵子を超えていた。
(若い頃なら、嫉妬したかしら?)
恵子は、心の中で、首を横に振った。
(いえ…しなかったわ)
そんなレベルの話じゃない。
誰もが聴いて、癒される音。
誰もが、日常にきいてる音。
風の囁き、鳥達の囀り、小川のせせらぎ、
心臓の鼓動。
(そうなのね…)
恵子は、瞳に感動の涙が溢れた。
(あなたが、手に入れたのは…自然の音)
誰もが、普通に聴いていて、
意識してない音。
雑音や人工の音でも、
楽器の音でもない。
(あなたの声は…)
自然に、明日香の言葉が耳にはいり、
全身に染み渡る。
何の違和感も
嫌悪感も感じさせないで。
ライブで、一発録りされた音源は、大したミックスダウンもせず、
そのままの形で、リリースされた。
人々の感嘆、ため息…歓喜の叫び声。
すべてが、丸ごと入った…記録をこえた作品だった。
CDが、プレスされるまでの間、
LikeLoveYouは、徹底的にライブを行った。
最初は、悲劇の歌姫…河野和美の弟という興味によって、観客は集まってきた。
そして、ライブを見た観客は…
啓介のテクニックと、エモーショナルな音に驚き、
明日香の切ないトランペットよりも、
彼女の歌声の虜になった。
人々は、口々にこう言った。
彼女より、うまい歌手はたくさんいる。すごいテクニックを持った歌手も。
だけど…なぜか、もう一度聴きたい…聴きたくなるんだ。
ついに、アルバムはリリースされた。
シングルは、ラジオでかかりまくってことで、好調だった。
アルバムは、ライブであったから、最初は売れなかったが…
じわじわと、少しずつ地道なライブ活動によって、上がってきた。
リリースから半年…。
LikeLoveYouは、最大のチャンスを得る。
テレビ演奏だ。
それは、LikeLoveYouと、
ジャズ界の大御所…マリーナ・ヘインズとの共演だった。
マリーナ・ヘインズ。
無冠の女王といわれ、数多くの名盤を生み出しながらも、
決して、メジャーレーベルと契約を結ばなかった…ミュージシャン・オブ・ミュージシャン。
シンガー・オブ・シンガー。
彼女は今年、引退を表明していた。
ライブが終わり、
スタジオの近くのbarで、明日香達は一息ついていた。
明日香は、カウンターに座り、ジントニックを頼む。
そう言えば、
お酒をゆっくり飲むのは、この国に来て初めてだ。
渡米して、半年。
ライブばかりだった…。
明日香は、ジントニックを1口飲んだ。
(おいしい!)
と思える。
やっと…心に少し余裕が、できたかもしれない。
恵子にはほぼ毎日、阿部と啓介が連絡していた。
明日香も電話に出る。
恵子はいつも、元気そうだった。
いつも、明日香のことを心配していた。
「大丈夫よ」
と、明日香も恵子もこたえる。
それが、おかしくて笑った。
後ろの小さなステージでは、
ミュージシャンが、バンドネオンを弾き、タンゴを奏でる。
この地区は、どこでも音楽があった。
音楽による地域の活性化と、子供達の育成を目指していた。
いい国。
と安心したら、サミーに怒られた。
(この通りを、少しでも離れたら、命がなくなるぜ)
明日香は、それも分かっていた。
寝泊まりしているスタジオ上のアパートから、
そんなに、遠くないところで、銃声がきこえた。
それは、1晩だけではなかった。
パトカーの音は、日常の当たり前の音になっていた。
明日香は、ジントニックをおかわりした。
「失礼…。あたしにも、ジントニックを」
隣に、女性が座った。
明日香には、誰かわからなかった。
妙に存在感がある。
店内が騒めく。
明日香は、隣を見た。
よく見ると、年をとっているが、
それを感じさせない。
目に、力があった。
バーテンが、ジントニックを女性の前に出す。
女性は、グラスを手にとり、明日香の方を向くと、
「乾杯、よろしいかしら?」
明日香は一瞬唖然とし…はっと我にかえると、
慌ててグラスを手にとる。
その姿を見て、女性はクスッと笑う。
明日香は、恥ずかしそうに、乾杯する。
女性は、グラスを傾けた。
明日香も飲む。
女性は、そんな明日香の様子を眺めていた。
「アスカ・コウヅキね」
明日香は…
この女性が、誰かわかった。
「マリーナ・ヘインズ…」
マリーナは微笑むと、明日香に握手を求める。
グラスを置き、
明日香は、マリーナの手を握った。
(何て大きく、ゴツゴツした手…)
優しく微笑む顔と違い、手は力強い。
(これは、母親の…本当の女の手だ)
「かわいいわね」
握手を解くと、マリーナはまたクスッと笑った。
「去年は、カズミにとられた…あたしが、貰うはずだったもの…」
マリーナは苦笑し、
「まあ、あれは…この国の気紛れ…」
グラスをゆっくりと揺らし、氷を鳴らした。
「二度はないわ。まして、亡くなった者を、利用するなんて…音楽を侮辱している」
マリーナは、明日香を見つめた。
明日香は、マリーナの視線をまっすぐに受け止めた。
和美のことを言われるのは、わかっていた。
利用してるかもしれない。
でも、
明日香は…
利用なんてしていなかった。
マリーナの力強い視線。
明日香は、そらさない。
「利用じゃありません!あたしは、意志を継いでるだけです」
「意志?」
マリーナのグラスを揺らす手が、止まった。
「ただ…自分の持てるすべてを、歌に託すだけです」
「あなたに歌えて?ジャズを」
明日香は首を横に振り、
「ジャズは、歌えません」
明日香の言葉に、マリーナは驚き、
「何が歌えるの?」
明日香は唾を飲み込み、
「あたしの過去から、今まで…育てた歌だけです」
「過去…」
マリーナが、何か言おうとした瞬間、
サックスの音が、店内の空気を変えた。
「ケイスケ…」
はっとして、マリーナはステージを見た。
いつの間にか、
啓介が立っていた。
一通り吹くと、
啓介はステージを下り、明日香達に近づく。
「お久しぶりですね。マリーナ」
啓介は、マリーナに挨拶した。
明日香は驚いた。
啓介は説明する。
「昔。彼女のアルバムに、参加したことがあるんだ」
マリーナは、肩を震わせて、
「ケイスケ…あなた程の者が…なぜ、こんな素人と組む?」
啓介は、首を捻った。
「素人?マリーナ・ヘインズともあろう人が、わかりませんか?」
啓介の視線と、マリーナの視線が絡み合う。
やがて…。
「お邪魔したわ」
マリーナは席を立ち、お金を置くと、
まっすぐに店を出た。
待たせてあった車に、マリーナは乗り込んだ。
明日香のことは、わかっていた。
だから、ここまで来たのだ。
だから、
なぜ、和美のことを利用するのかわからなかった。
彼女は、いずれ成功する。
それなのになぜ…
和美の名をだす。
それは…
まるで、急いでるようだった。
早く駆け上がる為に。
マリーナはまた、クスッと笑った。
「意志を継ぐ」
マリーナは、過ぎゆく街並みを眺めながら、
「そう簡単に、継がせないわ」
女王が、
明日香を認めた瞬間だった。
明日香の案で、サンプラーがライブで導入され、
啓介の学生時代の知り合いのDJが、参加する。
ラッパーはいれなかったが、DJがMCを担当した。
武田は、順応力が高く、
ヒップホップのリズムも、叩き出すことができた。
本日の一曲目は、ア・トライブ・コールド・クエストのFind A Wayだ。
印象的なサンプリングループから、
明日香のトランペットと啓介のサックスが、韻をふむように、ラップする。
印象的なコーラス部分は、DJが歌い、
2コーラス目からは、明日香が歌う。
武田のリズムが鋭い。
曲が終わっても、
武田のドラムだけは、終わらない。
まるで、ミックステープのように。
シンプルに単純な音。
堅いスネアの音が、観客の心を激しくノックする。
啓介のサックスが、宙を舞うように漂う。
デイアンジェロのBrown Sugarだ。
明日香のクールな声が、会場に響く。
LikeLoveYouは、来ている観客に合わせて、曲調を変えた。
決して、媚びてるわけではなく、
あくまで、明日香と啓介をメインにしていた。
ただ…観客を楽しませたい。
明日香が、トランペットを吹けることもよかった。
明日香の歌声は、ダンスナンバーには向いてなかったけど、
トランペットは別だった。
オープンからミュート…
使い分けも鋭く、
得意のホワッツゴーイングオンでは、
トランペットで、観客を煽りまくった。
そして、
Yasashisa…。
LikeLoveYouは、
ライブバンドとしての実力を、発揮し始めた。
そして、そのライブの雰囲気は、オープンであり、
誰でもが、参加できる隙間を開けていた。
時に、ラッパーが上がり、自由にライムを奏で、
楽器を持った者が、音に交ざることもあった。
自由と楽しさ……そして、切なさ。
人種が入り交じり、ステージは、音という交流の場となっていた。
言葉が通じなくても、人はコミュニケーションがとれる。
人の心は、言葉をこえるのだから。
店を終え、
恵子は、一人マンションに帰ってきた。
鍵をあけると、電話が鳴っていた。
慌てて取ると、啓介だった。
「母さん、元気にしてる」
「うん。元気にしてるわよ」
恵子の声の調子が、元気そうなので、啓介はほっとした。
「ちゃんと病院いってる?」
「いってるわよ。毎日」
恵子は、嘘をついた。
「もうすぐ発表がある。何とか、いけそうだ」
「そんな簡単に、取れるものじゃないわよ」
「取れるさ!ここ半年以上、俺は持てる力のすべてを使って、演奏してるんだぜ」
「誰だって、いつでも全力よ。それでも、たどり着けない…」
「大丈夫だよ」
「どうして?」
「和美に、明日香もいる」
恵子はしばらく無言になり、
「そうね。かずちゃんと明日香ちゃんがいれば…大丈夫かもね」
「俺だけじゃ、だめなのかよ」
恵子は笑った。そして、真剣な言葉で、
「あんたは天才よ」
「わ、わかってるんだったら、心配するなよ。絶対取るから、母さんの息子が」
「そうね。取れるわね」
「俺だけじゃない。明日香も和美も、母さんの娘だからな」
「わかってるわ。みんな…あたしの子供よ」
恵子は、目をつぶった。
「ごめん…母さん。大変なときに…そばにいなくって…ごめん」
啓介の言葉が止まる。
しばらく無言になる二人。
恵子は、目をつぶり、クスッと笑った。
「わかってるわよ。あんたが、アメリカに行ったのは…かずちゃんの為だけじゃなくて…あたしの為でもあるんでしょ」
遠い昔…。
あたしと、啓介だけだった時代から、
あんたは優しかったから…。
遠い昔の話…になるわね。
恵子が、歌を歌えなくなってた時期。
幼稚園で、いやなことがあったらしく、
帰ってきても、泣き止まない啓介。
理由を言わない。
激しく泣き止まない啓介に困り、
仕方なく、
昔、すぐに泣き止んだ方法を思い出した。
恵子は、歌った。
優しく。
啓介は、恵子にしがみつき、
「ママは…もう一人のママも歌うひとだったの?」
恵子は驚いた。
「啓介は、安藤啓介だけど…ママは、安藤じゃないから…」
啓介の涙を浮かべた瞳が、せつない。
「だから…ママが、別にいるって…どっかに…。でも啓介のママは…ママだけだもん」
啓介を、ぎゅと恵子は抱きしめ、
「あたしは、啓介のママよ」
「ママは、ほかにいないよね」
恵子は首を横に振り、啓介の顔を見た。
「もう1人のママは、遠い国にいるわ」
「どうして、遠い国にいるの?」
「そうね。歌が上手だから、向こうにいったの」
「ママの方が、上手だよ。ママもいっちゃうの」
「いかないわ」
「ママの方が、絶対上手だもん!絶対!でも…いっちゃいやだよ。いやくなっちゃ、いやだよ」
また泣き出す啓介を、
恵子は抱き締めた。
「大丈夫。ずっと啓介のそばにいるからね」
「俺は、ママの子供なんだ。本当は、安藤なんていやだった」
啓介の声が震える。
「音楽も、俺が…生きてきたすべては、母さんから教わり、学んだことなんだ…だから!」
恵子は、息子の声を聞いていた。
「母さんの息子が、絶対に賞を取る。歌手である母さんの息子が!その姿を見るまで、絶対元気でいてくれ」
受話器を置き、
泣いてしまった恵子は、
アメリカから届いた荷物に気づいた。
中身は、CDだった。
LikeLoveYouのライブ盤。
ジャケットは黒一色で、白字でメンバー名が書いてあった。
恵子は驚き、大粒の涙を流した。
Keisuke Hayami
速水啓介と書かれてあった。
初めて目にした…心には描いていたが、隠していたもの。
恵子は、CDを抱き締め、
ただ泣いた。