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あの国

せせら笑うかのような沈黙の中、


健司は、一人部屋にいた。


叩き壊したトランペットに、亡くした歌声…。


もう健司に、音楽への意欲は残っていない。


結局、何も残せなかった。



天才だった。


特別だったあいつが、なぜ…死ななければならない。


この国に、日本人としての居場所なんてない。


それは音楽にも。


俺達は、本物だったはずだ。


だが、本物だからだめなんだ。


日本人は、この国の顔色ばかりを伺い、すり寄ってきた。


だから、他の民族のように強いコミュニティーがない。


あるのは、


自国内…


島国の中だけだ。


別に、他の日本人にすがろうとは思っていない。


俺は外人なんだ。


この多民族国家の中。


音楽という世界でも。


島国の中で、日本人だけ相手に、じゃれ合っていればよかったのか。


できるやつだとしても。


天才だったとしても。


日本人は、日本国以外では外人だ。


もう日本にも戻れない。


捨てたから。



啓介は、サミーに預けた。


唯一信頼できるアメリカ人。



もう…トランペットも吹けない。


終わりにしょう。


ただ…からっぽになっただけだ。


すべて捨てて、


新しく手に入れようとしたものが…手に入らず、


手に入らず…


からっぽに…


からっぽになっただけだ…。


終わりもないのかもしれない。


空になった…


ターキーのボトルを眺めながら、


健司はゆっくりと、アパートの窓へと歩き出した。


ここは5階だ。


からっぽの俺の


今の中身は一体…


何だ……。








啓介のサックスが、ライブハウスの空間を切り裂く。


ずっしりにしたリズムセクションの安定感も、啓介には頼もしかった。




日本人だけでやりたい。


という願望はあった。


黒人と組むと、周りからブーイングがあった。


なぜ俺を使わず、日本人を使うのかと。


お前はできるやつだが…雇えないと、断られることが多かった。


何とか、ミュージシャン間に知られ、


よくゲストには呼ばれるようになったが、


自分のバンドは、持てなかった。


それが、アメリカを去った理由だった。


今は、阿部達がいる。


LikeLoveYouのメンバーとも、いずれは、この国でやりたい。


ライブが終わると、どこでもスタンディングオペレーションになる。


狭い業界だ。知ってる顔も多いが、


周りから、グレイトという声が上がった。


ライブハウスをでると、すぐに次のライブハウスへ移動した。


とにかくライブだ。


今は、ライブしかない。


YASASHISAのシングルも、もうすぐ出来上がる。


先に三百枚くらいサンプル盤はプレスし、各ラジオ局に散布した。


バンド名はやはり、LikeLoveYou。





移動中のタクシーから、YASASHISAが流れてきた。


世界中で一番忙しく、


一番早く流れる情報と、時間の街。


そこの谷間を走るタクシーの、


閉鎖された空間に流れるYasashisa。


あまりにも場違いなシンプルな音。


しかし、タクシーの運転手が言った。


「こういう曲っていいですね」


啓介はただ、


窓から流れる街並みを眺めていた。








初めての海外だった。


日常会話は、何とかできる。


短大の時、


ペパーミントてして活動してた街は、


ジャズの街といわれ、外国人がたくさんいた。


日本語が、しゃべれない人もいたから、


片言の英語で、コミュニケーションをとっていたからだ。


空港まで見送りに、里美が来てくれた。


しばらく海外生活だ。


明日香は、ロビーで里美と抱き合うと、


元気よく、手を振って旅立つ。


「いってきます」


「いってらっしゃい」




できるだけ、荷物は少なく。


アメリカへ。


少なくても、一年近くはアメリカにいる。


でも、明日香は絶対に、日本に帰ってくる。


絶対に帰ってくる。


狭いエコノミーの席で、明日香は離れていく地面を見つめながら、心に誓った。







ニューヨーク。


初めての海外。


行き交う人々の多さとビルの多さに、


明日香は、感嘆した。


圧倒されるよりも、空気感が、日本と違った。


まるで、空気が、肌を突き刺すような感覚。


(国が…違う)


明日香は、改めて、外国ということを意識した。




時間どおりに、空港に迎えに来た啓介とともに、タクシーに乗り込んだ。


明日香には、この街が好きになれそうになかった。




タクシーがいきなり、あるビルの前に停まった。


青く…小綺麗とはいえないビルは、周りから少し浮いていた。


タクシーを降りると、啓介に促され、ビルに入る。


長い階段を上がると、そこは、スタジオだった。


灰色のロビーの向こうに、数多く並ぶ扉から、漏れてくる音は、明らかにリズムを刻んでいた。


少し驚く明日香を迎えたのは、阿部達だった。


緊張気味だった明日香は、知ってる顔を見て安心した。


タブルケイにいるみたいだ。


でも、


ロビーにいるスタッフはみんな、外人。



(あっ、あたしが外人か)



明日香の顔つきが、真剣になる。


空気が告げていた。ここにいたいなら、お前の存在を示せと。


明日香は覚悟した。時間をかけて、コミュニケーションを取る暇はない。



「どうしたらいいの?」


明日香の真剣さに、啓介は微笑むと、


「アルバムをつくる。1日でだ」


「今?」


「いや、今夜ライブハウスで録音する」


武田が、指で軽くリズムを刻む。


「それまでここで、リハするぞ」


啓介が、アルトサックスを掴む。


明日香は着替えが入った鞄を置き、もう一つの荷物…


大切な楽器ケースを開けた。


十七歳の頃から、明日香とともにあるトランペット。


昔、アメリカに渡った健司がダブルケイに置いていったトランペット…。


今は、どこにいくにも、明日香といっしょだった。


(あなたも、アメリカは初めてね)


スタジオに飛び込むと、明日香は、トランペットのマウスに口づけをした。


トランペットの歌が始まる。




ブースにいるエンジニアやスタッフ達は、


最初は、タバコを吹かしたり、話したり、リラックスしていたが…一応、耳をすましていた。


聴いていない振りをしながら。



そして、明日香の音に合わせ…バックの音が混ざり合った瞬間、


スタッフの顔つきが変わった。


おもむろにタバコを消し、


真剣な表情で、スタジオ内に顔を向け


明日香のトランペットのメロディーに、鼻歌で合わす者も出だした。


さらに、啓介のサックスが、絡みつく。


エンジニアが、感嘆のため息をつく。



明日香は、啓介をちらっと見る。


軽くトランペットを、シェイクさせる。


原田が、それに反応し、


弾き出したメロディーは、


和美のメロディー。


明日香は、ミュートをトランペットにはめ、音を奏で、


やがて歌い出す。


YASASHISAだ。


知っているのか…スタッフから、歓声が上がる。


明日香は、心を込めて歌う。



人が、人に対する思いやり、優しさは変わらないはず。


母親が子供に対する、家族に対する…


愛する人に対する思いは…


人種も国もこえて。


人は、絶対に一人では生きれないし、


みんな誰かに支えられて、成長してきた。


明日香のまっすぐな歌声に、啓介のサックスが寄り添う。


啓介のサックスには、明日香を支え、


包み込む愛情が、溢れていた。


二人の音が今、アメリカに響き始めた。




スタジオをでると、


横合いから、明日香の肩を、叩く人がいた。


体格のよい、黒人のお爺さんだ。


白い髭が、とても似合っていた。


「お嬢さんは…自分がやっている音楽を、何だと思ってる?」


お爺さんは、明日香の目を覗き込み、


「ソウルかい?それとも……ジャズかい?」



唐突な質問にも、明日香は微笑み、お爺さんの目をまっすぐ見据え、


「あたしの音楽は、ジャズともソウルとも、いえません。そんな…ジャズといわれるほどよくないし、まだまだです。だから…」


明日香は少し悩み、


「…あたしの音楽は、まだまだの音楽」


明日香の答えに、お爺さんは驚き、


やがて大笑いした。


「まだまだの音楽!そんな答え、はじめてだ!大体、若いやつはジャズだとか、ロックとかいうもんなんだがな。あとは、今風の言葉を並べやがる」


お爺さんは感心したように、頷き、


「特に…俺が、知ってる日本人ってやつの多くは、ジャズと答えても、ジャズ風の演奏しかできないやつばかりだった。お前以外はな」


お爺さんは、啓介を見た。


啓介は肩をすくめた。


「さすがは、啓介の彼女だ。俺は、ジャズとかソウルとか…言葉に、捕らわれてるミュージシャンが、大嫌いだ。俺らの頃は、そんな言葉なんてなかった。ただ俺の音楽。ヒップなな」


啓介は、明日香にお爺さんを紹介した。


「彼はサミー。エンジニアだ。もしかしたら…黒人で初めて、エンジニアになったかもしれない。もともとミュージシャンで、ビーバップ全盛期を、知ってる生きた化石だ」


「化石とは酷いなあ。どこかの博物館に飾ってもらおうか」


「博物館はここだろ?」


啓介は、このスタジオを指差した。


「啓介!いきなり、押しかけてきたと思ったら…スタジオをアパートを貸せだぜ」


「ダイアナは、快く貸してくれたぜ」


サミーは頭を抱え、


「この糞ガキは、うちの奥さんにうまく、取り入ってやがる」


「この国で、やっていく為に、1番大切なのは…女に気にいられることだっていったのは、サミーだぜ」


サミーは明日香に近づき、耳打ちする。


「気をつけることだ。とんだ女たらしだぞ…あいつは」


サミーの忠告に、笑顔でこたえる明日香。


「そうなんだあ!気をつけます」


明日香の満面の笑顔に、啓介は慌てる。


「冗談に決まってるだろ。アメリカンジョークだ」


啓介の様子を見て、サミーは阿部にきく。


「啓介は、尻にしかれてるのか?」


阿部は、ニヤニヤ笑いながら、頷く。


「あの啓介がな…。昔は、どんないい女に、口説かれても、見向きもせずに…サックスのことしか考えてなかったやつが…あんなお嬢ちゃんに」


意外そうなサミーに、阿部がきく。


「なあ、サミー。あんなの目からみて、彼女はどうだい?」


サミーの顔が、エンジニアであり、プロデューサーでもあるプロの顔に変わる。


「歌は、申し分ない。自分の音も持っている。ただし、まだまだの音という…日本人特有の謙虚さが、この国で通用しない」


サミーの忠告をきき、阿部は安堵した。


「あの子のさっきの言葉は、謙虚じゃない。あの子の音楽のハードルが、異常に高いだけさ」


阿部は、タバコに火をつけた。


「あの子には、マイルスディビスが基本のレベルなんだよ」


「帝王がか?」


阿部は頷く。


「だから、あの子のまだまだは、謙虚じゃないのさ」


阿部は、タバコを吹かす。


その癖、俺や周りの演奏にすぐに感動する。


自分に厳しく、周りに甘いではなく…


自分に厳しく、周りのすべてを受け入れる。


(あの子はすごい子かもな)


阿部は、タバコを灰皿にねじ込むと、


もう一度スタジオに入った。


原田も武田も続く。


彼らには分かっていた。


啓介はもちろん、明日香も自分達をこえている。


演奏が上手いというレベルではなく、音楽に愛されている…


ほんの少しのミュージシャンであることを。


愛されていない者達は、せめて彼らの…少しでも力になることだけだ。


三人はただ…啓介と明日香の音を、


さらに際立てる演奏に、徹することを誓った。


かつて、恵子の為にしたように。



リハーサルをすませ、


そのまま、体があたたまった状態で、近くのライブハウスに移動する。


サミーも、ライブを録音するために同行する。


そこの店自体は、ダブルケイより少しだけ、広かった。


入っているお客の多さは、ダブルケイの倍はいる。


ぎゅうぎゅう詰めになりながらも、騒いでいた。


しかも、ほとんどが黒人だ。


サミーが、明日香に耳打ちする。


「ここはまだ、上品な方だ」


ジャズという骨董品を、


嬉しがる若い黒人はいない。


耳がこえた…ある程度、年配の人ばかりだ。


狭いステージでは、ピアノトリオが演奏していた。


しかし、誰もステージ上には見向きもせず、おしゃべりに夢中だ。


「ヒップな演奏なら聴く。よくなければ、聴かない…。ただそれだけだ」


サミーの言葉に、明日香は息を飲む。


「次いくぞ」


啓介の言葉に、一同に緊張が走る。


ステージで、ピアノトリオの演奏が終わる。


拍手もない。


ステージを、見ることさえしない。


金を払って…飲んでいるのだ。つまらない音楽に、拍手をする義務はない。


金を返せと言われないだけ、ましな方だ。


観客をかき分け、明日香達はステージに向かう。


珍しい日本人の珍客に、ちらっと見、鼻で笑う客もいた。



一発録り。


失敗は、許されない。


明日香は、大きく深呼吸すると、


トランペットを握り締め、ステージに上がる。



足をしっかりと、ステージに固定し、


ペットの先を客席に向け、オープンで吹く。


まるで、吹き間違ったようなフレーズに、観客がステージを見た瞬間、


明日香は、静かにブルースを奏でる。


爆音から、静かなブルースへ。


観客の反応に合わせて、


啓介のサックスが、店内に轟いた。




阿部は、舌をまいていた。


(いきなりオリジナルか)


それも、ステージで作曲していく。


啓介は、曲順を決めなかった。


ただ、LikeLoveYouの曲をやると。


いきなり知らない曲。


そりぁそうだ。


今、作曲している。


それも啓介ではなく、


明日香だ。


初めての外国。


まったくちがう観客の前で、ライブで曲をつくるだと。


阿部達は、明日香のトランペットの音に、全神経を集中させる。


明日香は、天性のメロディメイカーだ。


それもどこか日本ぽい。


それに、懐かしい。


心をかきむしるような…切なさがある。


それは、何かをカバーしてるとか、切なく吹いてるではない。


子供の無邪気さ。


無邪気な子供に戻れない切なさ。


無垢な音。



(チッ)


阿部は、舌打ちした。


明日香の邪魔をしないように、弾くだけで精一杯だ。


気が付くと、原田はピアノを弾くのを止めていた。


弾いたら、邪魔だと感じたのだ。


明日香の展開に、難なく合わせていく啓介にも、驚いた。


武田は、リズムキープに徹している。


もうだめだと、阿部が思った時、


明日香は、ストレートミュートを付け、印象的なイントロを奏でる。


間一髪を入れずに、原田がピアノを弾く。


yasashisaだ。


知っている曲に変わり、


阿部はほっとした。


観客は、息を飲んだ…。ため息すら、飲み込んだ。


今、この瞬間、


明日香は、トランペッターとして、


羽ばたいていく。


LikeLoveYouの


アメリカでの活動が、始まったのだ。




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