さよならを教えて
日が沈み、
薄暗くなった病室のベットの上で、明かりもつけずに、
恵子はいた。
物思いにふけている…。
不意にドアが開き、廊下から明かりが、病室にこもれる。
「姉さん…」
阿部が入ってくる。
「あら、大樹」
「明かりもつけないで…」
阿部が、明かりをつける。
恵子はフッと笑うと、
「ちょっと、かずちゃんのことを考えてたの…」
「あの子は…結局、幸せになれなかったな」
阿部の言葉に、恵子は首を横に振る。
「すべてが…不幸ではなかったわ。歌手としての…高みは、経験できた。ただ…歌手としても、女としてもこれからだったのに…」
恵子は、睫毛を落とした。
阿部は、恵子の横顔を見つめた。
「でも、やっぱり不幸ね。殺されたんだから…」
「姉さん…」
しばらく無言が続く。
恵子は、窓の外を見た。
街の中心から、離れた病院は、静かで周りに何もない。
ただ…向こうに見える道路をまっすぐ行けば、kkがある。
「今日、店は?」
「明日香ちゃんが、入ってくれてるよ」
「そう…それなら大丈夫ね」
「ああ…あの子はすごいよ。本人は、気づいてないみたいだけど…。あの子の音を、手に入れようとしている」
「初めて会った時は…何も知らない女の子だったのに…」
昔を思い出す恵子に、
阿部が言った。
「姉さん!」
阿部の口調が強い。
恵子は、阿部を見た。
阿部は体を震わせ、
「退院するって、本当なのか!嘘だろ」
恵子は、阿部から視線を外すと、
「本当よ」
阿部は驚き、声が裏返る。
「退院なんて、できるわけないだろ」
「ここにいたって、同じことよ」
「しかし、ここにいた方がいいに決まっ…」
阿部の言葉を、恵子が遮った。
「あたしは、みんなや音楽に囲まれたいの。こんなところに、ずっといるなんて耐えられないわ」
一度目を瞑った後、
「でも…」
恵子は、阿部に微笑みかけた。
「大丈夫よ。さっき啓介から、電話があったの。一年後、今度は俺達がとるから…それまでは、元気でいろと」
恵子は、笑った。
「無理に、決まってるのにね。二年連続…日本人がとれるはずがないのに…。でも、待たなくちゃいけないわね。母親として」
「姉さん…」
阿部は、泣いていた。
たった一年。
それが、どんなに遠いことか、
阿部は知っていた。
「あたしのことは、大樹と啓介しか知らないから…誰にも言わないように。特に、明日香ちゃんには…。あの子の音は、優しさ。あたしのことで、曇らせたくないの」
恵子は、阿部に精一杯の笑顔を見せた。
笑顔。
そう笑顔。
できるだけ、
笑顔でいよう。
恵子は、そう誓った。
和美が残したメロディーを、聴きながら、
明日香は、いつのまにか眠ってしまった。
ステージ上に、和美がいた。
見たことがない人が、トランペットを吹いている。
音で分かった。
あの人だ。
(健司さん)
明日香は一人、観客席にいた。
なんて、すごい音なんだろう。
いつのまにか、
ステージで歌っている人が変わった。
細身で、スラッとしたモデルのような女性。
(あれが理恵さん!?)
感動で、泣きそうになる明日香。
気付くと、隣に、
和美がいた。
和美は微笑むと、
明日香の肩を、軽く叩いた。
その瞬間、
明日香の周りを、光が包んだ。
眩しい照明の中、
一人ステージの上に立っている。
手に、トランペットを持って。
ステージの向こうに、三人がいた。
明日香は、ステージを下りようとする。
和美が、手で制した。
そして、
マイクとトランペットを指差し、
微笑んだ。
明日香は、緊張しながらも、トランペットに口づけた。
その姿を見、
嬉しそうに、三人は笑顔になり、
会場から消えていく。
消える前の、
一瞬、
和美が、振り返った。
明日香を、
ステージを見る。
切なく、やるせない表情…を浮かべてた。
でも、
すぐに笑顔になると、
真紅のドレスを翻し、
扉の向こう側に、
消えていった。
夢から覚めた…
明日香の目に、
涙が流れた。
あたしは、あの三人ほど才能はない。
でも、あたしは、やらなくちゃいけない。
あたしの歌と音で。
明日香は、ペンを握り、
歌詞を書き始めた。
それは優しさ。
1人では、音はできない。
あたしを、見守ってくれている人達へ。
そして、
聴いてくれる人達の優しさへ。
あたしにあるのは感謝と、歌えるという喜びだけ。
死んだら、歌えない。
みんなによって、包まれた優しさ。
シンプルな歌詞になった。
それでいいと思った。
一つ一つの言葉に、思いを詰めて、
包み込んだらいい。
言葉で伝わらないことは、
トランペットで伝える。
明日香と和美の合作となる曲は、出来上がった。
YASASHISA。
曲名は、決まった。
啓介が、アメリカから戻ってきた。
退院して、いきなり店に入るという恵子を、何とか止めて、
今日は、明日香が、ダブルケイのカウンターに入っていた。
店の準備をしていると突然、啓介が店に入ってきた。
目で明日香を促し、
二人は外に出た。
山道の入口にあるダブルケイから見える街並みは、絶景だった。
日が、沈みかけている。
もうすぐ夕焼けの時間だ。
「和美は、父親の墓にはいることになったよ」
啓介は、街並みを見つめた。
「母さんは元気そう?」
明日香は、啓介のそばに立ち、頷いた。
「うん。今日は、マンションに帰って、ゆっくりしてる」
「そうか…」
啓介は、店の二階を見た。
子供の頃、
しばらくは、店の上で恵子と二人で生活していた。
啓介の成長とともに、引っ越したのだ。
「明日香…」
啓介は、視線を明日香に戻した。
明日香は、啓介を見つめ、
言葉を待つ。
しばらくの静けさ。
啓介は、言葉を続けた。
「しばらく活動を、アメリカに移そうと思う」
「アメリカ?」
啓介は頷き、
「学生の時、もともとアメリカで活動してたから…地盤はある。信用できる仲間もいる」
「…」
「今がチャンスなんだ。和美の死により、目がアジアンに向いている。俺は、和美の弟だ。今なら、話題に乗れる」
啓介は手を握りしめ、
「別に、有名になりたいとかではない。和美の無念を晴らしたいんだ。音楽で!今しかない。今なら…短期間で勝負できる!だから!」
啓介は、明日香をみつめる。
「しばらくしたら、お前も、アメリカに来てほしい。LikeLoveYouは、向こうで、新しいメンバーで組み直す」
啓介は明日香から、少し視線を外した。
明日香は驚き、
「アメリカ…新しいメンバーて…」
啓介は、明日香の言葉を遮った。
「いきなり、日本人が向こうに行ったって…環境に、すぐに順応できない。向こうには、日系の知り合いや、付き合いの長いやつもいる。とにかく!時間がないんだ!」
「今の仲間は、いらないということ!みんな…いっしょにやってきたのに!」
明日香は、啓介に詰め寄った。
「時間がないんだ!」
啓介の叫びに、明日香は、首を横に振った。
「無理よ」
「明日香!」
啓介は、明日香の両肩をつかむ。
明日香は、顔をそらした。
二人は、黙り込む。
しばらくして、
明日香は、啓介を見た。
少し涙ぐんでいる。
「明日香…」
「どうしたの?啓介…。ママが、退院したばかりだよ。いきなり、アメリカなんて…。それに、あたし…まったく知らない人と、すぐにできないよ…」
啓介は手を離すと、明日香から離れた。
どうしたらいいのか分からない…。
二人とも…。
いつのまにか、
夕陽が、山を染め始めていた。
「やれやれ…」
会話が止まっている二人に、
近づく者達がいた。
「明日香ちゃんを、連れ出して…何を話してるのかと思ったら…」
近づいてくるのは、阿部、武田、原田。
ダブルケイのレギュラー。
「啓介。すまんが、話はきいたぜ」
阿部が、啓介の前に立つ。
「俺達じゃ、不満か?」
「おじさん?」
「俺達だったら、明日香ちゃんに合わせられる。誰よりも、彼女のバックで、成長を見てきたのは…俺達だ。いや、啓介。お前だってそうだろ」
啓介には、阿部の言葉は信じられなかった。
「でも…おじさん達は…絶対、ここから動かないじゃないか」
「それは…俺達がダブルケイのメンバーだからだ」
原田が口を開いた。
明日香は驚いた。
知り合って長いが、原田の声なんて、あまりきいたことがない。
続けて、武田がしゃべる。
初めてきくかもしれない。
「大樹以外…俺と原田、井守、そして、健司と恵子で、ダブルケイだ。健司が去った後も、俺達は同じ仲間だった…。井守は、音楽をやめたが…俺達は、恵子がいつでも歌えるように…そばにいたのさ」
井守は、Evilのマスターだ。
阿部は山を見上げ、
「俺も…兄に対抗する為に、アメリカに留学してたんだぜ。ロサンゼルスだがな」
「おじさんが!」
啓介は、初めて知った。
阿部はゆっくりと、頷いた。
「お前が産まれる前の話さ…。兄貴に勝ちたかったから…俺は、自分を磨く為アメリカに留学した。ニューヨークにしなかったのは、ウェストコースのジャズが…俺に合ってると、感じたからだ」
阿部は、店を見た。
「ある日…行きつけのライブハウスに、顔を出したら…驚いたぜ。ステージに兄貴がいた…。安藤理恵の隣に。訳が分からずに、ライブ終了後、楽屋にいくと…兄貴は、俺を見て、ただ一言…」
阿部は、遠くを睨み、
「気楽だなと、言いやがった」
皆、阿部の話をただ聞いている。
夕陽が沈みかけている。
「ステージでは、わからなかったが、近くで見ると…随分痩せていた。ここで何してる、姉さんは?…ときいたら…また一言だけ」
阿部は唇を噛み締め、
あの時を思い出す。
「捨てたよとな」
武田と原田は、目をつぶっていた。
「最後に…俺達は、すべてを捨てて、ここにいるのに…まだ辿り着かないとな」
夕陽が沈む。
「あいつらは、最後には…自分達の命も捨てたのさ」
阿部は叫んだ。
「だから、俺は何も捨てない!俺は、大切な人の為に、音楽をやるだけだ!捨てないと、音楽ができないなんて、うそだ」
阿部は、涙ぐんでいた。
「観客もファンも大事だ。だけど…本当に大切なのは、自分のそばにいる人だ」
阿部は、涙をぬぐい、
「本当に、大切な誰かがいるから…音楽を知らない人に、きかせられるんだよ!」
阿部の叫びは、
どこか悲壮だった。
阿部は、啓介を睨むように見つめ、
「啓介!俺達を連れていけ!今の俺達なら、どんなやつにも負けないぜ!」
「だけど…店は…」
啓介は、口籠もった。
「一年間、ずっといる訳じゃないだろ。もちろん、ここには帰ってくる」
阿部の言葉の後を、武田が続けた。
「お前らのバンド仲間に、やらしたらいい。どうせ…お前達がいないと、暇だろ。ギャラもでるし」
「そんなことより、啓介。お前の作戦をきかせろ。勝算がなく、お前がそんなことを言いだす訳がない」
阿部は、啓介にすり寄る。
真剣な三人を見て、啓介は覚悟を決めた。
もう、引かないことはわかっていた。
この三人は、啓介の父親のようなものだった。
初めて演奏を聴いたのも、
演奏をしたのも、
彼らとだった。
「10日後…ニューヨークの主要なライブハウスは、すべて押さえています。デカいところは無理でしたが…1週間、できる限りのライブをこなします。和美の弟として」
「売名行為だな」
武田が呟く。
啓介は頷く。
「音は?売り込む音がない」
「LikeLoveYouのアルバムがあります」
「悪くなかったが、それだけでは弱いぞ」
「しかし…今、アルバムを録る時間がない」
「ライブは?」
議論が白熱する。
白熱する議論を、きいていた明日香。
胸を、ぎゅっと抱き締めると、
意を決して、明日香は一歩前に出た。
「和美さんから…」
明日香は叫んだ。
「送られたテープがあります!和美さんの演奏が、入ったテープが!」
それは、
残された希望だった。