誤解という裏切り
何にも知らなかったアタシ…。
あの人の名前さえ。
(ゆう…)
ゆうっていうらしいわ。
カラオケで、歌をきかせたアタシと、
本物の歌手のあの子。
(馬鹿みたいじゃない!)
エレベーターを降り、ビルの前でへたり込む。
「紗理奈さん!」
優一が、追いかけてきた。
「どうしたんだ?いきなり」
紗理奈は、優一を見、
すぐに視線を外すと、
「今から…アタシの家に来ない?」
「何言ってるだよ。いきなり」
優一は驚く。
「どうせ…目的は、みんな、いっしょなんだから!さっさと、すましたらいいのよ!」
紗理奈は、叫んだ。
言葉なく、立ちすくむ優一。
「来ないんだったらいい…帰る」
「紗理奈さん」
背を向けて、歩きだす紗理奈は、何とか手を伸ばし、止めようとする優一を振りほどいた。
「さんづけなんて、最低だよ」
紗理奈は、走り出した。
ここにいたくなかった。
最低なのは自分。
それが、わかりながらも。
ワンルームマンションに、帰った紗理奈は、
ユニットバスの中、
シャワーを浴びていた。
ふっと目線が、手首にいく。
忘れてた。
最近…落ち着いていたから。
暑くなっても、けっしてTシャツを着なかった。
店でも、お客に分からないように、何とかして隠していた。
これを見ると、
自分の弱さが分かる。
無性に、独りがこわくなり、誰かにいてほしくなる。
誰でもいいから。
家を飛び出した癖に。
紗理奈は、シャワーを止めると、タオルをつかみ、
ユニットバスから出た。
狭い部屋を見回した。
勝手に、
男が、住み着いた訳でないことも、わかっていた。
紗理奈は裸のまま、
部屋のほとんどをしめるベットに、倒れ込んだ。
まだ…決まった訳じゃない。
明日、確かめにいこう。
優一にも謝らなくちゃ。
紗理奈は、静かに目を閉じた。
次の日。
出勤が、遅番になったため…紗理奈は、Evilに向かった。
いざとなったら、
お客と店近くで待ち合わせて、そのまま、
同伴出勤にしたらいい。
三階に上がり、扉を開けると、
カウンターから、小太りの小柄な男が顔を出した。
「いらっしゃいませ」
昨日いなかった人。
マスターだろう。
カウンターに座り、ビールを注文する。
「こちらは、はじめてですよね」
マスターはコースターを出し、ビールを置いた。
「いえ」
紗理奈は一口飲むと、グラスを置いた。
奥にお客が一人。
このお客も、昨日はいなかった。
ニヤニヤ紗理奈を見ている。
紗理奈はマスターを見、
「明日香さんは…今日、いらっしゃらないのですか?」
マスターは少し驚くと、すぐに営業の顔になり、
「世話になってたBARの…ママが倒れたらしく、病院に寄ってから来ますので…少し遅れると思います」
「そうですか」
紗理奈はまた、ビールを飲んだ。
「ところで…こちらへは、誰の紹介で、来られたんですか?」
ビルの三階のBAR。
女が一人、ふらっと入ってくるものではない。
マスターの質問に、紗理奈はグラスを置き、
「ゆうさんと一度、来させて頂きました」
その言葉に、客が反応した。
「ゆう!ゆうってあれだろ〜マスター」
お客はさらにニヤニヤ笑い、
「明日香がいたら、必ずくるやつ」
紗理奈を見ながら、言葉を口にした。
「明日香のことが、好きなやつだろ!」
紗理奈は、ビールを飲み干すと、
「ごちそうさま」
お金をカウンターに置いて、でていこうとする。
慌てて、
「多いです。お釣りの方を」
お釣りを、返そうとするマスター。
紗理奈は、満面の笑みを浮かべ、
「いらない。向こうのお客さんにでも、一杯おごるわ」
「ラッキー!」
お客が手を振る。
店を出た紗理奈は、大笑いした。
馬鹿みたい。
昨日のことが気になり、
優一は、紗理奈の携帯に電話した…が通じなかった。
何か…気にさわることをしたのだろうか。
明日香と話し過ぎて、あまり紗理奈を話さなかったから…。
(…だよな)
連れてこられて、退屈だよな。
いろいろ反省していると、優一の携帯が、
いきなり鳴った。
緊張しながらでると、
淡々とした紗理奈の声が、きこえてきた。
「あたし。彼氏できたから、もう二人で、会えないから」
それだけ言うと、
電話は切れた。