夜の出会いの中で
日本から、
ヨーロッパに渡った和美は、
地道にライブ活動を始めた。
路上や公園。
ライブハウスで、無理やりの飛び込み。
天性の歌声は、話題を呼び…渡欧から一年で、
インディーズだがCDを出せた。
日本のレコードの力を使えば、すぐにだせたけど。
でも、そんなお膳立てはいらなかった。
その国の人が聴きたくて、聴いてくれるようになるまでは、アルバムをつくる気はなかった。
自分では、曲を書かなかったが、
フランスで有名な作家が、是非と…曲を提供してくれた。
それにより、インディーズながらも売上をあげ、
和美は一躍、時の人になる。
それは海を越え、
日本へ、
さらにアメリカへ。
2枚目のアルバムを録音中、
アメリカの有名なジャズレーベルから、
次は、うちからリリースしたいと、打診があった。
最初は、首を立てに振らなかった和美も、
最後は承諾した。
アルバムからの曲が、アメリカで上映する映画に、
大々的に、使われることが決定したからだ。
しかし、
輝かしい栄光ばかりが、続くはずがない。
グラスの中で、氷が回る。
おかわりを、紗理奈は作っていた。
「河野和美って、あの伝説の歌手、安藤理恵の娘なんだよね」
「安藤理恵?」
紗理奈は、首を傾げた。
美形は、紗理奈からグラスを受け取ると、一口飲んだ。
「知らない?海を渡って、アメリカでも、活躍した伝説の人物!日本人でありながら、世界中で愛された歌手さ」
「伝説…」
和美の母。
伝説の歌手。
「まあ、娘も伝説になるかも。有名なレーベルと契約したし、映画の主題歌も歌うみたいだし」
「そうですよね…あの人はすごいから…」
紗理奈の頭に、
安藤理恵という存在が残った。
和美のお母さん。
「その安藤…理恵さんのCDって売ってるんですか?」
「一枚だけ。輸入盤なら、手にはいるよ。持っていたんだけど、知り合いにあげたから」
「輸入盤?」
紗理奈がいくCDショップは、日本盤しかなかった。
「この辺だったら、一つ向こうの駅前にあるよ」
この街に来て、何年かたつが、あまり地理に詳しくなかった。
思わず、
紗理奈の口から出た言葉。
「いっしょに買いにいきませんか?」
「え?」
「今度の日曜日、休みなんで…」
少し照れてる紗理奈に、
美形は少し考えた後、
「いいよ」
「でしたら、昼の一時に駅前で」
「わかった」
美形が、了解したとき、
前にいる長髪が、時間が終わった事を告げた。
席をたつ二人。
「あのお…お名前は?」
紗理奈は、名前をきいてなかった。
美形は、紗理奈を見つめながら、
「牧村」
一言だけ告げると、
そのまま、店から消えていった。
なぜ、
今日初めて会ったのに、
なぜ、
休みの日に、会うことにしたのか…。
紗理奈にも、分からなかった。
(営業なら、引っ張るべきだったかな?)
だけど、紗理奈は待てなかった。
今すぐにでも、聴いてみたくなったのだ。
母親の歌を。
行き交う人々を眺めながら、
紗理奈は、壁にもたれていた。
少し早く来すぎた。
昼間は、あまり動かないから、
何か…自分が浮いた存在に感じる。
夜は、あんなに着飾って歩く癖に、
昼間は、帽子を目深に被り、人並みから離れる。
あたしはなんだろう。
夜の人間…。
言葉は、簡単に表現するけど、
されたものの気持ちなんて、考えない。
紗理奈は、落ち着こうとして、タバコを吸おうとした時、
牧村は来た。
約束の時間の10分前。
割とちゃんとしている。
二人は、すぐにCDショップへと、向かった。
駅の改札は、地下だから、
そのまま隣のビルに移動し、エレベーターに乗った。
八階にあった。
ワンフロアまるごとの店内に、紗理奈は驚いた。
安藤理恵のアルバムは、簡単に見つかった。
紗理奈は、しばらく…CDを眺めていた。
ふっと気付くと、牧村がいない。
CDを手に、
紗理奈は、牧村を探す。
いた。
ブラックミュージックコーナーに。
手に、一枚のCDを持っていた。
紗理奈は近付き、CDを覗き込んだ。
エリカバトゥの“Baduizm”
「これ買うんですか?」
紗理奈の質問に、
少し照れる牧村。
「持ってるんだけど…知り合いの子が、音楽やってるから…参考にあげようかと」
(誰にあげるの?)
と、
きくほど親しくも
興味もなかった。
二人は、それぞれ一枚のCDを買うと、
店をでて、
そのまま駅で別れた。
あっさりと。
改札を通り…じゃあと、手を振る牧村の後ろ姿を、
一瞬見送ると、
紗理奈は歩きだした。
ふと気になって、改札の向こうを振り返るけど…
人並みの中、牧村の姿は、もう確認できなかった。
何度かお客さんと外で、
逢ったことはあるけど…
こんなにあっさりと、帰らされたのは、初めてだ。
大体は、何とか長くいようとするのに…。
これじゃ…本当に、買い物に付き合っただけじゃない。
わざわざ休みに出てきて。
(変なやつ)
紗理奈は、毒づきながらも、
妙に、牧村のことが、
心に残ることになる。
一応…携帯番号だけは、交換しておいた。
番号の書いた紙を握りしめて、紗理奈は改札に背を向けた。
一緒に買い物してから、一週間後の日曜日。
紗理奈は、牧村の携帯に電話した。
それは、
CDの感想を伝えるため…。
「ものすご〜く暗かった。あと…言葉が英語で、全然わからない」
紗理奈の感想に、
受話器の向こうで、大笑いする牧村。
何とか笑いをこらえて、
「河野和美だって、英語だろ」
「彼女は、特別」
しばらく会話は続いた後、
紗理奈は言った。
「また…今度お茶でもしない?」
次の日曜日。
また、駅前で待ち合わせ、地下のカフェでコーヒーを飲む。
そして、別れる。
ある意味律儀だ。
そして、また
来週会うことを決めた。
そんなことの繰り返しを、続けた。
わかったことは、
牧村が音楽に詳しいこと。
キャバクラとか、普段はまったくいかないこと。
あの日は、知り合いに無理やり連れてこられたこと。
会うたびに、紗理奈の店の愚痴も、真剣にきいてくれた。
それが単純に、嬉しかった。
単なる話をするだけだが、
口説くとか、他の男のようないやらしさがなかった。
そんなことを、何ヶ月か続けた…ある日。
平日の水曜日。
めずらしく、休みとなった紗理奈は、
夕方、牧村の携帯に電話した。
仕事中。
とらないかもしれない。
少しドキドキしながら、
携帯を鳴らす。
「はい」
いつもの声が聞こえた。
嬉しくなる。
「お仕事中、ごめんなさい」
「いいよ。今、暇だから…どうかしたの?この時間にかけてくるなんて…」
紗理奈は、唾を飲み込んで、
「あのお…今日の夜は、予定とかありますか?」
「いや、ないよ」
紗理奈の声が上ずる。
「暇でしたら…お仕事終わったら、お茶でもしませんか?」
「いいよ」
あっさりと、OKだった。
「じゃあ、いつの場所で」
牧村の終わる時間だけ確認して、携帯を切った。
少しガッツポーズを取ると、時計を見、
紗理奈は、出かける準備をしだした。