夜の仕事
この話が好き。
ある有名なジャマイカの歌手が、初めて日本を訪れた際の言葉。
「この国は戦争に負けたんだよね?」
車で移動しながら、
彼は、何処までも広がる建築物を眺めて、
呟いた。
「君達のお父さん…いや、お祖父さんやお祖母さんは…頑張ったんだな。感謝しなければ」
他の敗戦国が、未だに立ち直っていない国が多い中、
この国は、異様なる発展を遂げた。
異様なる…。
キラキラと、夜さえ忘れさせるネオンの中、
歩いていく。
今から出勤だ。
派手な格好に、
派手な化粧。
他では、浮いてしまいそうな格好も、
この街では普通だった。
そこら辺にいる…恋人同士には見えないカップルも、
当たり前。
普通のこと。
単なるお仕事。
真っすぐに、
できるだけ、すまして歩く。
だらしないやつは、多いけど、
せめて、
見栄えだけは、ちゃんとしたかった。
だけど…
ずっと、左頬が痛んでいた。
化粧で何とか…アザは、隠すことができたけど、
痛みだけは、誤魔化せなかった。
馬鹿な男に、殴られたのだ。
女を殴るやつは、最低の男だ。
でも、
あたしの
今までの確率では、そんな男にしか出会っていない。
あたしが、悪いだよ。
自分に、毒づいても仕方がない。
半分…そんなものだと思っている。
ただあいつには、むかついたから、
あの男には、出て行って貰う。
なぜか…
いつも
男が、あたしのうちに転がり込んでくる。
帰れとも言わないから、ずっといる。
女友達…いや職場の女が遊びに来たりして、
いつのまにか、デキてる時も多い。
まあ、他人の男を寝取ることが、趣味のやつもいるから。
今回もそんなのだが…昨日は、むかついた。
留守にしてたら、
その女に、
あたしのズボンをはかしていたからだ。
アンタは、誰と寝ても構わないが、
あたしの物に触れるなと、
キレた。
逆ギレで殴られたが、
何とか、家から追い出し、鍵も替えてやった。
狭いエレベーターに乗り、3階で降りた。
無駄に広い、踊場の向こう…フロアの奥にある…扉を開くと、
これも無駄に広い空間。
百人は入る。
奥には、昔バンドを雇っていた名残のステージがある。
「紗理奈、昨日はごめん」
ステージの裏の更衣室に入ると、
昨日、家にいたミーナが取って付けたように、謝ってきた。
今日の出勤は10人。
少ないが、平日…。
同伴の予定も入ってないみたいだ。
「ああ」
適当に返事すると、紗理奈は着替えだす。
怒りはなかった。
紗理奈は、古びたソファーに座ると、タバコに火をつけた。
「あいつはどうした?」
紗理奈の問いかけに、ミーナは首を傾げ、
「わからない。すぐに別れたし」
ミーナには、好きなやつがいる。
紗理奈も知ってるやつだから、相談を受けてた。
今回のことは遊び。
暇つぶし。
こんな女と、やるやつが悪いのだ。
別に、好きといってる男にもチクらない。
もし引っかかったら、そいつに見る目がないだけ。
知ってる女の男を、寝取った優越感だけ…。
それがほしいだけ…。
マネージャーが、朝礼を告げる。
タバコを消して、けだるいフロアにでた。
いつもと変わらないマネージャーの言葉。
どんなにえらそうに指示されても、お客に接するのは、
あたし達…女だ。
女のコントロールするのが、男の役目だというが…紗理奈はせせら笑った。
程度の低いやつに操れるのは、程度の低いやつだけだ。
時間の無駄と思いながら、紗理奈は、店内を見た。
場末のキャバクラ…。
一体どれくらい、
ここにいるのだろうか…。
高校は、中退した。
父親が家を出ていき、
一人残された母は、
いやに潔癖に、ヒッステリックになり、
紗理奈に、きつく当たるようになった。
(どうして?)
逆に、
兄には優しくなり、甘かった。
もともと内向的だった兄は、その甘さに甘え、
家に、引きこもるようになった。
所謂、オタクからニートになった。
それでも、家にいてくれる兄を大事にした。
紗理奈にきつく…
きつく当たった。
自分にだけ…どうして…きつくあたるのか…。
最初は、理解できなかったけど、
ある日、
紗理奈は気づいた。
母は、
女を憎んでいた。
自分から、旦那を奪ったのは、若い女。
紗理奈は背が高く、早熟していた。
そんな紗理奈を、汚らわしい体と、
母親が罵り、
口に出したとき、
家をでることにした。
家出だった。
できるだけ遠く、
有り金全部を使って、
十六の時、この街に来た。
この店に、面接に来たとき、
年齢も名前も嘘を書いた。
くわしくきいてきたり、確認するところは、
すぐにでた。
見た目が、十六に見えなかったことと、
その日はたまたま、店は女の子が足りなかった。
大した確認もなく、入店となった。
簡単なドリンクの作り方だけ教えられると、
すぐに席へとつかされた。
店長が、ボーイに言った。
「〜さんは素人ぽい人が好きだから」
少し小太りの中年のおっさんの隣に座り、
ドリンクをつくる。
適当な会話が終わり、
おっさんが、紗理奈にすり寄ってきた時…
ステージでは、専属のバンドが演奏を始めた。
演奏を、ぼおっと聴いていた。
その間、
おっさんが、ずっと体を触っていたけど、
あまりいやとは、思わなかった。
母親に、汚らわしい体と言われたからか…
それとも、
男に、免疫がなかったからか…。
いつのまにか、
指名延長が取れていた。
(楽かな?)
何の感覚もなく、
紗理奈は、夜の店で過ごした。
体を触らしてることに、
他の女から文句がきたが、
「ああ…だめなんだ…」
と、無表情にこたえる紗理奈を…おかしいと思ったらしく、しばらくしたら…
何も言わなくなった。
そして、
タバコと酒を覚えた頃、
知らない間に、
男と住んでいた。
店の寮は、ワンルームマンションだったが、荷物もなかったし、何とか住めた。
相変わらずの店で、
演奏が始まると、
紗理奈は、ぼおっと聴いていた。
その時、触り放題になる。
断るすべも、あしらい方も覚えたが、
音が流れるときは、
なぜかステージに集中し、他はどうでもよくなった。
ある日。
紗理奈は、衝撃を覚える。
ステージに立った一人の歌手に。
その歌手は、
昔、このステージで歌っていたらしい。
今回オーナーの代が、変わるから、たっての願いで
特別に来てくれたらしい。
まだ新人の歌手は若く、
紗理奈とあまり変わらないような気がした。
赤いドレスを纏った、あまりにもきれいな姿。
歌手の名は、
河野和美。
女を口説くことに、夢中な男。
それにたかる女たち。
多分ステージを見ているのは、紗理奈だけかもしれない。
河野和美という歌手は、一礼すると、
満面の笑みを客席に向け、静かに歌いだした。
曲名は、分からなかった。
音楽は、ここで聴くだけだから。
後に、その曲は…未来と知った。
母親の子への愛。
子からの思い。
母親から逃げて、この場にいる紗理奈には、
嘘と叫びたかった。
けど…。
紗理奈は涙した。
嘘は、あたしだと思った。
あのステージで、歌われている歌こそが本当で、
客席にいるあたしは、偽物。
キラキラとしたステージの明かりを、
見慣れた照明を、
始めて眩しく感じ、
遠くに感じた。
その時、
紗理奈にとって歌は、
特別になった。
あの場所に行きたいと。
次の日。
紗理奈は早速、
CDshopに向かった。
昨日の歌手のアルバムを、探した。
何とか見つけ、購入する。
そういえば…
機械もなかったから、ラジカセを買うことにした。
もしかしたら、
初めて自分の稼いだ金で、買い物をしたのかもしれない。
家に帰ると、烈火の如く男に怒られた。
部屋が狭くなるのと、
俺の金が減ったと。
返品して来いと、男がCDを投げた時、
紗理奈は初めて、
男を殴り、部屋から追い出した。
初めての男、初めての彼氏だったが、
そんなこと関係なく、許せなかった。
紗理奈は、初めての別れを経験した。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
音楽が聴けたら。
和美の歌を聴きながら、
また店で、歌ってほしいと願った。
でも、紗理奈は知らなかった。
昨日のステージを最後に、
和美は、日本から離れていったことを。
それから、
紗理奈は、音楽にのめり込むこととなる。
歌を歌いたくて、カラオケによく行くようになった。
CDショップも、よく行くようになった。
そうすると、
知らず知らずの内に、音楽好きが集まるようになった。
奈々子とえりか。
同じ店の仲間だが、いつのまにか、カラオケ友達になっていた。
歌を歌うことで、
精神的に楽になったみたいで、
よく笑うようになっていた。
そんな…ある日。
いつもと同じように席につく。
奈々子と、二人でついた席は、
一人が、マネージャーの知り合い(何度か見たことがある)長髪の男と、
その男の連れには見えない…綺麗な顔をした男…。
まるで、女の子のような美形だ。
紗理奈は、美形の方の隣に座った。
ドリンクをつくり、他愛もない会話を続ける中、
ふっと、会話が途切れた。
前に座る長髪が、女の子のドリンクを頼んだらしく、
紗理奈の前にも、ビールがくる。
乾杯の後、
いただきますと言って、一口飲んだ。
こういうときは、ありきたりな話題がいい。
「趣味とかありますか?何か好きなことは?」
美形は、VSOPの水割りを飲みながら、少し考え込み、
「音楽が、趣味かな?でも…俺は聴くだけ。知り合いが、バンドやってるけど」
音楽という言葉に、
思い切り反応する紗理奈。
「何を、聴かれるんですか?」
美形は少し考えながら、
「もっぱら洋楽だけど…日本人も聴くよ。今、話題になってる…。えっと名前が出てこない…海外で活躍している…なんとかかずみ」
「河野和美!」
思わず、紗理奈の声のトーンが上がる。
「そう!河野和美だ」
紗理奈は、嬉しくなった。