旅立ち
あれから、1年以上経った。
浅倉や滝川が、卒業した後も、ペパーミントは続き、
学校内だけではなく、いろんな学生のイベントにも参加し、話題となった。
特に、
和美とやり合った明日香のことは、
音楽業界でも、少しうわさになった。
だけど、
明日香は、すべての誘いに乗らなかった。
和美も、2枚目のアルバムをリリースし、ヒットチャートの上位にランクインした。
特に、今まで隠していた理恵の娘であることを告白し、
啓介とともに、日本語で、カバーした未来は、
感動を呼び、シングルカットされた。
歌詞は、少し和美が変え、
本当に、作詞に参加したことになった。
高校を、卒業した明日香は、海と山が近い短大に通うことになった。
今や、短大は少なくなっていたけど、明日香には目標があった。
普通の四年制大学に、だらだらいく時間はなかった。
ジャズを愛する街。
人口は少ないが、ライブハウスは多かった。
1人暮らしを望んだが、
なぜか、里美がついてきた。
ドラムの腕も上がり、いつのまにか、音楽にどっぷりだ。
2人で、今や都会では珍しい木造アパートの2階に、住む。
2人はすぐに、1番近いライブハウスに通い、
メンバーを探しだした。
新生ペパーミントを、結成する為だ。
この街に来て…2ヶ月がたったある日。
アパートを訪ねる者がいた。
和美だ。
「和美さん!」
突然の和美の訪問に、驚く明日香。
玄関の前で、赤のワンピースを着て、微笑む和美は…以前と雰囲気が違っていた。
どこか、暖かく…柔らかい。
「よく、ここがわかりましたね。汚いところですけど、どうぞ」
六畳一間のアパート。
広くない部屋の真ん中にある…卓袱台の上には、
書きかけの歌詞と、トランペットが置いてあった。
勿論、健司のだ。
「1人なの?」
「里美は、バイトです。あたしも後で、バイトですけど」
「大変ね」
明日香に促され、和美は卓袱台の前に座る。
「すいません!散らかってて」
慌てて、明日香は卓袱台の上を整理する。
「いいのよ」
和美は笑う。
明日香は、玄関の横にある小さな台所で、お茶を入れにいく。
「今日は、どおしたんですか?あっ!アルバム買いましたよ。とてもよかったです」
明日香はお茶を持って、卓袱台に来た。
「言ってくれたら、あげたのに…」
和美は、お茶を受け取った。
「恵子ママとこには、さよならは言ったの?」
「さよならは、言ってません。いってきますだけです」
「啓介には?」
「特には…」
口をつまらせる明日香。
「バンドは、組んだみたいだけど…ボーカルはいれてないわ」
和美は明日香から、視線を外し、卓袱台の上を見た。
「歌詞を書いてるのね。やっぱり…あなたとあたしは、違うわ。あたしには、書けない」
和美は、眩しそうに、手書きの歌詞を見つめた。
「でも、未来の歌詞を、書いたじゃないですか」
明日香の言葉に、和美は苦笑した。
「あれは、書き足しただけよ。まだ…曲を書く余裕なんてないわ。あたしは歌手…どんな曲でも歌うだけ…。だけど、どんな曲でも、歌いきってみせる」
和美の言葉は、力強かった。
歌手としての決意。
圧倒されて、ポカンとしてしまった明日香に気づき、
和美は少し笑い、視線を外した。
窓の向こうに、広がる青い海。
まだ日本にも、こんな綺麗な海があるんだと、
和美は嬉しかった。
「多分…曲を書くとしたら…あたしは、一曲だけだと思う。母親と同じように。今までの人生…すべてを一曲に凝縮した…たった一曲」
それは、和美の未来を暗示していた。
明日香は後に、そのことに気づくことになる。
明日香と和美は、違う。
だからこそ、今は理解できた。
和美という歌手を。
彼女の信念を。
違うからこそ、深く理解できた。
いつか、和美に認めて貰いたかった。
明日香の音楽を。
(いつか、この人と対等に話したい)
海を眺める和美の横顔を、見つめながら、
明日香はそう思った。
「あたし…来週旅立つの。日本を離れるわ」
思いも寄らない和美の言葉に、明日香は驚いた。
「あたし…美空ひばりが好きなの。何かの本で…ギリシャか、その辺りの人が、ひばりを聴いて…言葉はわからないけど…歌の感覚が、その国の歌手にそっくりだと書いてあったの」
和美の目は、窓から見える海の向こうを見つめる。
「その辺りや…フランスにいって、しばらく住もうと思ってる。フランスは、ジャズを…音楽を、もっとも愛する国だしね。アメリカとかと違い、純粋に音楽を愛してる国だから」
「どれくらい、いかれるんですか?」
「はっきりとは、決めてないけど…最低2年。歌だけで、どこまでやれるのか…試したいの」
そう話す和美の顔は、とても輝いていた。
「もうバイトの時間でしょ。そろそろ帰るわ」
和美は、腕時計を見た。
「まだ時間はあります」
明日香は、止めようとしたが、
和美は、立ち上がった。
そして、1枚の名刺を差し出した。
「あたしが、世話になってた人よ。彼は、信用できるわ。音楽関係の仕事をくれるはずよ。あなたのプレイは、1年前の音楽祭から、聴いてるから…。どうせ働くなら、音楽に関わってる方が、為になるわ」
明日香は、受け取った名刺を見つめた。
そんな明日香を見つめ、和美は言った。
「それと、最後に一つ。啓介の姉として…」
明日香ははっとして、名刺から顔を上げた。
和美は優しく、微笑んでいた。
「あんまり啓介を…待たせないでね。あの子…一途だから…」
和美は、おもむろに啓介の携帯番号を書いたメモを取り出し、明日香に手渡した。
「ありがとうございます…」
明日香は、携帯番号を見つめた。
多分、しばらくはかけない。
かけれない…番号。
和美は、少しため息をついた。
「似てるわね…あなた達は…」
「え?」
顔を上げた明日香の驚いた顔が、和美はおかしかった。
笑いながら、旅立つのはいい。
「じゃあね。明日香ちゃん」
去っていく和美に、
明日香は慌てて、叫んだ。
思い切り大声で。
「気をつけて、いってらっしゃいませ!」
和美は振り返り、満面の笑みでこたえた。
「いってきます!」