決意
ステージ上で見つめ合う二人。
啓介が、静かに話し出す。
「俺といっしょに、音楽をやらないか」
思いもよらない言葉に、明日香の時が、鼓動が…一瞬止まった。
「君の音が、ほしいんだ」
啓介は、明日香だけを見ていた。
「俺はまだ…自分のバンドを持っていない。いずれ、組むつもりだ。その時は、君にいてほしい」
「あたしなんて…」
明日香は、トランペットを抱き締めると…やっと声が出た。
「今日の演奏を聴いて…いや、母さんが、歌ったあの日から、君がほしかった」
啓介の目は、ただ優しい。
「俺がなぜ、音楽をやってるか…和美同様に、親をこえたいというのも…あるんだが…少しちがうんだ」
啓介は、明日香の持つ…トランペットを見た。
「おやじは、ペットだったが…俺は、サックスを選んだ。俺は俺…おやじとは、ちがうからな。だけど…一つ勝てないことがあった」
「勝てないこと?」
明日香が呟くように、きいた。
啓介は、頷く。
「歌だよ」
「歌?」
「母さんは、俺が小さいときはよく…歌ってくれたんだ。それなのに、もう何年も歌ってくれない。母さんの歌が好きだった…和美もね。俺達が、どんなに上手くなっても、歌ってくれなかった…。それなのに」
啓介は、明日香を優しく見つめ、
「君は、歌わせたんだよ。母さんを」
明日香は、トランペットをさらに、強く抱き締め、
視線を…啓介から、少し外した。
そして、小刻みに体を震わせた。
啓介の言葉を、噛み締めると、
やがて、啓介を真っ直ぐに見、
口を開いた。
「あたし…」
啓介の言葉は、嬉しかった。
(でも……)
だからこそ、明日香は言った。
「あなたとは、組めません。まだ…組めません」
騒めく観客。
啓介は、驚きはしないが、明日香にきいた。
「なぜ?」
明日香は、トランペットを下げ、姿勢を正した。
「あたしは、いろんな人の優しさに包まれて、音楽をやってきました。ママや、ダブルケイの店の人達…あなたや和美さん…。今日だって、里美や軽音部のみんながいなかったら…あたしは、ステージに立つことは、できなかった」
明日香は、ステージの上の人達を見た。
「今、あなたのバンドに入ったら…あたしはまた、あなたの優しさに、守られるだけだから…」
明日香の目から、涙が溢れた。
「本当は誘ってくれて、嬉しいの…。でも、待って下さい。あたしが、あたし自身で、音を奏でられるまで…待って下さい。あたしがあたしの足で、あたしの音を抱いて、あなたのもとにいくまで…」
「ふられたわね」
店に戻った恵子と啓介。
「啓介が、ふられるなんてな。それも大勢の前で」
ニヤニヤ笑う阿部。
啓介は、やけ酒のワイルドターキーをロックで飲みながら、阿部を睨んだ。
「おじさん!俺はまだ、ふられてないよ」
恵子も笑う。
ワイルドターキーをグラスに注ぎ、阿部に渡し、自分の分も用意すると、乾杯した。
「啓介の未来に、乾杯」
啓介はふくれた。
そんな息子の姿がかわいくて、恵子は啓介に絡む。
「それにしても…あたしの歌が聴きたかったんだって〜言ってくれたら、いつでも、歌ってあげたのに」
啓介は絡んでくる恵子を、振りほどきながら、
「口に出して、頼むんじゃなくて。母さんが、自分から歌ってほしかったんだよ」
恵子は、啓介を抱きしめた。
「痛い!首に入ってる」
半分冗談で、半分うれしさで。
後日、
音楽祭の勝者は、ブラスバンド部に決まった。
それは、なぜか。
簡単な理由だ。
軽音部は、点数を付けてもらっていない。
審査員の和美は、途中で帰るし、
啓介が乱入するしで、
みんな…そんなことは忘れてたのだ。
その場にいた…他の審査員達以外は。
結局…優勝したブラスバンド部部長結城も、何か納得できない。
だから、軽音部の吸収合併は、今回はなしになりましたとさ。
めでたし、めでたし。
「何か…納得できない」
しばらく…結城の口癖になった。
月曜日。
夕陽に照らされながら、
明日香が、ダブルケイに入ってきた。
「おはよう。明日香ちゃん」
いつもの恵子の笑顔。
いつものコーヒー。
明日香は、自然と微笑んだ。
「啓介さんは?」
明日香は、カウンターに座る前に、キョロキョロ周りを見回した。
「今日は、啓介いないわよ。レコーディングで、泊まり込みだから」
「啓介さん、怒ってました?」
申し訳なさそうな明日香の表情に、恵子はクスッと笑い、
「大丈夫よ」
ほっと胸を撫で下ろした明日香は、コーヒーを一口飲むと、
恵子を見た。
思い詰めた表情で、ゆっくりと口を開き、
「まだ…先の話なんですけど…」
明日香は、話出した。
「あたし…。高校を卒業したら…地方の短大に、通って…1人暮らしを、しょうと思うんです…」
身を乗り出して、
「勿論、学費も、自分で払いたい」
明日香の話を、恵子は静かにきいた。
「それまでの一年半…部活を、メインにしたいんです。あたし…今まで…ママの優しさに甘えてばかり、教えて貰ってばかり…」
明日香は、カウンターから身を乗り出し、
「でも!この前の音楽祭で、思ったの。ここで、教わったことを、あたしがみんなに教えられるって!逆に、教えられることもいっぱいあるの!初心者の里美からも」
恵子は思った。
そう…。
この子も、あたしの子供だ。
「それで、どうしたいの?明日香ちゃんは」
明日香は申し訳なさそうに、
「あまり来れなくなります…ダブルケイに。ごめんなさい」
恵子は微笑み、明日香の背中を叩いた。
「何言ってるのよ。謝る必要なんてないわ」
「ママ!」
「学生なんだから、当たり前のことよ。それにしても…音楽ばかりね。恋人とかできないわよ。好きな人とかいないの?」
明日香は、少し考えると、
笑顔になり、
「…多分います」
恵子は眉を潜め、少し考え込むと、
「ああ、あれね…」
頷いた。
「はい」
明日香の嬉しそうな笑顔に、
恵子は、微笑んだ後…少しため息をついた。
「…尻にしかれるわね。でも…女は、そうした方がいいわ」
恵子は、明日香にウィンクした。