心の奥に、触れる音
あまりにも、静かな音。
無音すらも、
音が、なっているように感じる。
この歌は、
絶望だけじゃない。
明日香は、驚いた。
嬉しさがある。
フューチャー…未来という名の曲。
理恵にとっての未来とは…。
ジャケットを手に取る。
カバーばかりの曲の中、
この曲だけが、
オリジナルだ。
理恵が書いたオリジナルナンバー。
曲が終わる。
自然と涙が、頬を伝う。
先ほどとは、違う涙。
この未来は、
理恵の未来じゃない。
啓介のことだ。
でも、
どうして…嬉しいのに、悲しいのだろうか。
どうして啓介を残して、自殺したのだろうか。
明日香には、わからなかった。
たぶん、
一生わからない。
わからなくていい。
明日香は決めた。
あたしは、理恵とは違う歌を歌う。
あたしは、涙なんか流れない歌を歌う。
たとえ…
悲しくて切なくても、
こんな涙は、流さない。
次の日。
学校で、里美に会うと、明日香は、CDを渡した。
マイルス・ディビスのラウンドアバルトミッドナイト。
初めて、明日香が買ったジャズアルバム。
夕焼けのように赤いジャケットを見ながら、里美が言った。
「アンタの好きそうな色ね」
「そうかな?」
「…そういえば、最近…あんた…渡り廊下に行ってないよね。なんかあった?」
渡り廊下…もうなつかしい響きだ。
「まさか高橋君と…」
高橋。
サッカー部のエースで、里美の元カレ。
渡り廊下から、部活を見下ろし、
明日香はその動きから、メロディーを探していた。
そして、その場所で
ゆうに出会い、大切なことを学んだ。
誰かを好きになること。
明日香は、首を横に振った。
「別に、何もないわ。ただ…あの場所に、いかなくても、よくなっただけ」
明日香は微笑み、
「もう…学ぶことはないから…」
チャイムが鳴り、授業がはじまる。
そして、授業が終わった。
里美は部活の為…今日は、kkにいけないという。
明日香は1人、店に向かう。
駅を出て、山道を登っていると、普段はないものを発見した。
それは、あまりにも…存在を強調し過ぎていた。
KKの店前に見慣れない…赤いオープンカーが 停まっていたのだ。
明日香は、横目で車を見ながら、店の扉を開けた。
カウンターから、恵子がおはようの挨拶をした…
その前に、彼女はいた。
黒のデニムに赤いTシャツ。
河野和美。
真紅の歌姫。
振り返った和美の横顔は、鼻筋が通り、
とても綺麗だった。
彫りの深い顔は、どこか日本人離れしていた。
美人だ。
恵子の挨拶を聞いて、カウンターから、和美は振り返った。
「あなたが、明日香ちゃんね。啓介からきいているわ」
微笑みながらも、和美はじっと、制服姿の明日香を凝視した。
明日香は、扉の前で緊張して、動けなくなる。
和美は視線を明日香から外し、軽く鼻で笑うと、
「啓介が、ほめてたから、どんな子かと思ったら…まだ子供じゃない」
ゆっくりと…和美はカウンターから立ち上がり、おもむろにステージに向かう。
「歌ってるらしいわね。今から、本当の歌を聴かせてあげる」
ピアノに座ると、いきなり歌いだした。
ロバータフラックのKilling Me Softly。
圧倒的な歌声と、感情豊かなピアノの音が、kk内を染めていく。
激しい音。
傍らにいた阿部が、感嘆したように口笛を吹く。
ピアノの腕も凄い。
最後のフレーズをピアノが、奏でると終わった。
余韻がため息をつく。
「これが、あたしの音よ」
和美は、ピアノから離れると、ステージを下り、
真っ直ぐに、明日香に向かって歩いてくる。
目の前で止まると、和美は腕を組み、威圧的に…挑戦的に、明日香に言った。
「あなたの音は、あるの?」
戸惑い、思わず恵子を見る明日香…。
恵子は、深く頷いた。
明日香は深呼吸をし、天井を見上げた。
目をつぶる。
(逃げちゃ、だめ!)
心の奥が、明日香に告げた。
明日香はもう一度、恵子の方を見て、
力強く頷くと、歩きだした。
ステージまで。
和美の横をすり抜け、
明日香は、ステージに上がった。
マイクの前に立つと、明日香は、アカペラで歌い出した。
マイフーリッシュハート。
でも、上手くなんて歌えない…。
アカペラなんて、初めてだから。
そんな明日香の様子を見て、阿部達がステージに、いこうとする。
しかし、恵子が止めた。
明日香は、自分の歌の中で、道に迷う。
歌詞は覚えてる。
だけど、音が見つからない。
いつも聴いてるkkのアルバムのように、歌えるはず…
なのに、音がない。
あのアルバムには、
恵子の歌に、
寄り添い包むような優しい…健司の音があった。
健司の音。
寄り添う音。
あたしにはない。
あたしにはあの音がない。
あの音…。
(トランペット!)
いきなり、明日香は歌うのをやめ、ステージから下りると、
横にある控え室に走った。
そこにあるもの。
恵子が、明日香にくれたもの。
明日香はケースを開け、
マウスを、それに差し込むと、
ミュートを、先にねじ込んだ。
そして、ステージへと戻った。
マイクに向かい、
「香月明日香。曲はI Fall In Love Too Easily 」
そう言うと、マウスに口づけをした。
トランペットが、静かにイントロを奏でた後、
唇を離すと、明日香は歌い出した。
明日香の歌。
明日香の音を。
静かに、
トランペットが、エンディングを優しく奏でる。
終わった。
明日香は、深々と頭を下げた。
カウンターに座って聴いていた和美は、立ち上がると、
「これが、あなたの歌。あなたのスタイルね。ペットを吹きながら歌う。ママが指示したの?」
恵子は、軽く首を横に振り、
「あの子が選んだのよ」
和美は、明日香を見た。
ステージ上で緊張して、トランペットを抱き締め、和美を見る明日香。
和美は、フッと笑った。
(演奏してる時は…まったく緊張していなかったのに…)
和美は、明日香を見据え、
「ペットも歌も、まだまだだけど…認めてあげる」
和美は、明日香から視線を外すと、真っ直ぐ扉に向かう。
「だけど…まだ、愛を知ったばかりの女の子の歌ね。ママ、お邪魔したわ」
扉が、激しく音をたてて、閉まる。
和美は、KKから…嵐のように去っていった。