真紅
「明日香!」
ライブハウスから、飛び出した明日香の後を、
里美が慌てて、追いかけてくる。
「どうしたのよ」
まだ焼酎の入った紙コップを、持っている。
明日香は、胸を押さえた。
(このわき上がる感情は…嫉妬?あたしは嫉妬した)
あの二人の音は、
明日香が憧れたkk…ダブルケイの音だった。
明日香を、音楽へと導いた
恵子と健司の音だった。
(誰なの…啓介さんの隣にいた歌手は…)
次の日学校が終わると、明日香はまっすぐに、
音楽を教えてもらっている恵子の店へと、急いだ。
もう日が、落ちるのが早い。
短くなった夕焼けに、照らされながら、
電車を乗り継いで、kkへと着いた。
七時開店のため、クローズとなっている扉を開けると、
笑顔の恵子が、迎えてくれる。
「おはよう。明日香ちゃん…と、里美ちゃん」
「おはよう!ママ」
里美が、元気よく挨拶する。
そう…なぜか最近、よく付いてくるのだ。
いつものように、恵子はコーヒーをいれてくれる。
里美は一口飲むと、
「ママのコーヒーって、ほんとおいしい!」
「あら。里美ちゃんは、いつもお上手ね。うそでも嬉しいわ」
「あたし…うそはつけないんですよ。だから、男にもだまされるし」
里美は笑う。
(笑えない…)
「奇遇ね。あたしもそうなのよ」
恵子も笑う。
さらに笑えない。
笑いあう二人。
明日香は、無理矢理咳払いすると、話題をかえた。
「ママ」
真剣な明日香の声のトーンに、
恵子は、笑うのをやめた。
「昨日、ライブで…啓介さんといた歌手は、誰なんですか?」
明日香の質問に、恵子は目を丸くして、
「言わなかったの?」
明日香の隣で、コーヒーを味わっていた里美が口を開いた。
「この子…いきなりライブが、はじまって…すぐに、出ていたのよ」
里美はコーヒーを飲み干すと、肩をすくめた。
恵子は驚き、あきれた顔で、明日香を見た。
明日香は恵子から、顔を背けると、
「だって…くやしかったんもん……。なんか二人の音が…くやしかったの」
明日香は、コーヒーに手をのばした。
恵子は苦笑する。
「それって…啓介が、他の女とやってたからかい?」
いつのまにか隣にきた…ベースの阿部が、ニヤニヤ笑っていた。
「ち、ちがいます!そんなんじゃないです」
明日香は、阿部にソッポをむいた。
「そうですよ。明日香も最近、ふられたばかりなんですから!誰か…知らないけど」
里美は、じっと明日香を凝視する。
明日香は、里美を見ないようにし、恵子にもう一度きいた。
「ママ!あの人は…?」
呆れながら、恵子は…一冊のジャズ雑誌を、明日香に渡した。
「河野和美…23才。まだデビューはしてないけど…あの安藤理恵の再来と、いわれているわ」
安藤理恵。
アジアの歌声という宝石…
といわれた彼女は、アメリカに渡り自殺した。
明日香がページをめくると、見開き一杯に和美の特集をしていた。
赤い服。
赤い口紅。
「真紅の歌姫…」
和美は、そう紹介されていた。
「そろそろ、音あわせましょうか」
恵子の言葉に、
まじまじと見つめていた雑誌を、カウンターに置くと、
明日香は、ステージに向かった。
「なんか…あたしも、音楽やりたいなあ」
カウンターに座って、明日香の練習を見ていた里美がつぶやいた。
「なにがやりたいの?」
恵子の問いに、
里美は、カウンターから身を乗り出し
「ドラム!」
里美は、叩く真似をしながら、
「こう…すべてをぶち壊すような!コノヤロウって感じで」
恵子は苦笑し、
「理由はどうであれ…。興味をもつことは、いいわね…でも、ドラムはむずかしいのよ」
恵子は、指でカウンターを叩いた。
当然、音がなる。
「ドラムは、叩いたら…誰でも鳴るのよ。だからこそ、ある程度のリズム感があれば、叩けるわ。だけど…」
次は、少し強くカウンターを弾くように、叩く。
「感動できる一音を叩けるアーティストは、一握りだけ…」
ぽかんとしている里美に気づき、苦笑した恵子。
「ごめんなさい。そこまで考えなくていいわね」
ちょうど、ステージ上で歌っていた明日香が、終わったところだ。
恵子は、ドラマーの武田を呼び、里美に教えるように言った。
無表情に頷く武田と、
驚く明日香。
「ちょうどよかったわ。うちは、年寄りばかりだから…」
恵子は、明日香に微笑んだ。
スカートの為、叩きにくそうだったが、
叩いたら、音がでるドラムに、里美は夢中になる。
お陰で、明日香の練習する時間がなくなった。
少し不満げな明日香に、
恵子は、オレンジジュースを手渡す。
「明日香ちゃんは…そろそろ、ここ以外で、歌わなきゃならないわね」
「え?」
「歌手は、人前で歌って成長するの。ここは、常連が多いから…みんな、明日香ちゃんに甘いしね」
恵子は、タバコに火をつけた。
「でも…もうちょっと先の話ね」
タバコを深く吸い込むと、
一気に、灰皿にねじ込んだ。
もう七時。
KKの営業が始まる。
お客さんの前で、歌うのは、学校が、休みの前の日だけ。
一応、高校生なのだ。
興奮している里美と帰りながら、明日香は、嬉しそうに里美を見ていた。
サッカー部の高橋君に、ふられてから、
どこか空元気だった里美の笑顔。
明日香は、嬉しかった。
「明日香!今度、CD貸してよ。あたしも、ジャズきいてみる」
明日香は頷く。
里美とは、線がちがうので、
学校がある駅に着くと、二人は別れた。
家に帰り、
ご飯を食べ、お風呂に入った後、
明日香は、里美に貸すCDを探していた。
マイルス・ディビス…リー・モーガン…ケニー・ドーハム。
トランペッターしかない。
後は、KKと…安藤理恵…啓介のお母さん。
(このCDは…)
明日香は、CDをぎゅっと抱き締めた。
「ゆう…」
ゆうが、明日香にくれたもの。
幻のような恋だったけれど、
こんなにまだ…
胸を締め付けるなんて。
あれから、何ヶ月かたったけど、
まだ忘れない。
この思いが、消えることなんてない。
消したくない。
明日香は、泣いてる自分に気づき、自分で涙を拭うと、
理恵のアルバムをかけた。
一度聴いただけで、
明日香は、それからトレイにのせていない。
あまりにも、絶望の音だから…。
音楽が、流れだした。