あなた
月曜日になった。
放課後…明日香は急いで、渡り廊下に向う。
「CDはあげるよ」
ゆうの笑顔が、出迎えた。
「ありがとう」
明日香は今、しあわせだった。
音楽の話や、たわいもないこと…いろんなことを話した。
一時間もないけど、
次の日も次の日も、
明日香は、ゆうと話した。
どこか、いきたかったけど、
今は…
これだけで、十分しあわせだった。
ただ、言葉を交わす。
あなたのそばで。
それが、何よりも大切だった。
kkの練習も、楽しくなってきた。
明日香は、気づいていないけど、
恵子達は、気づいていた。
明日香の変化に。
ゆうと、話すだけの幸せ。
ただ心配なのは、里美のこと。
里美とは、日曜日から話していない。
別れるときも、そっけなかった。
毎日、挨拶はしてくれるけど…。
そして、日は進み、
木曜日になった。
「早いねえ〜。あっという間だ。もうすぐ、終わりだなんてなあ」
廊下を一緒に、歩きながら、
優一に、彼の指導員の先生が言った。
優一は、すれ違う生徒に挨拶しながら、
「そうですね。あと3日ですね」
実習の期間は、2週間だから。
前から、高橋が来た。
高橋と優一は、
無言で、すれ違った。
「牧村先生。母校に戻ってきて、どうでした?」
指導員の言葉に、
優一は、笑顔で答えた。
「よかったです。実は…この学校に、ちょっと…心残りが、ありましたんで…」
優一は、廊下の窓の方を向いた。
ガラス越しに、グラウンドが見えた。
「心残りって、何だい?」
少し気になるのか、指導員はきいた。
優一は窓から、顔を指導員に向けると、
愛想笑いを浮かべ、
「大したことではないです」
「そうか…」
指導員は、ポンと手を叩き、
「牧村先生は、ここのサッカー部出身でしたね。結構、優秀だったと」
「昔の話です」
優一は、もうグラウンドを見なかった。
指導員と別れ、
優一は、廊下を曲がった。
いきなり、誰かとぶつかった。
明日香だった。
「大丈夫!」
優一は慌てて、手を差し伸べた。
「大丈夫です」
尻餅をついた明日香は、自分の力で、立ち上がろうと、顔を上げた。
優一と、目が合う。
吸い込まれそうな瞳。
とても淡い瞳。
それは、
明日香の知っている瞳と、同じだった。
まるで…
あの人のよう。
明日香は、
しばし、優一を見つめてしまう。
瞳の奥底を、探るように。
優一は、そんな明日香に、首を傾げた。
その時、校内にチャイムが鳴り響き、廊下内が慌ただしくなる。
優一は、すぐに、教師の顔になり、
「大丈夫なんだね?じゃあ、授業があるので、失礼するよ」
明日香の視線から、逃げるように、
優一は、次の授業のある教室に、消えていった。
木曜日。
今日…
里美が、学校を休んでいた。
理由は、わからなかった。
心配。
あっという間に、放課後になり、
明日香は、渡り廊下へ走る。
夕焼けが、
校舎やグラウンドを、赤よりも赤く、染めていた。
いつもより鮮明な赤は、どこか心に、恐れと違和感を感じさせた。
しかし、明日香のゆうへの気持ちが、そんな一瞬の感覚を、すぐに消し去った。
いや、無意識は感じたかもしれないけど、
明日香の意識は、ゆう以外感じない。
いつもの場所に、ゆうはいた。
息を整えながら、明日香はゆうに近づき、
「今日も…里美が、休んでるの。心配だけど…電話するわけには、いかないし」
最初に出た言葉は、里美に関してだった。
ゆうは、一方的に話す明日香の言葉を、いつものようにきいていた。
しかし、
いつも最後まで、話を聞いているゆうが、いきなり、
明日香の話を遮るように、言葉を発した。
「明日香さん」
いつもより強い口調で…思い詰めたような、ゆうの口調に、
明日香は、言葉を止め…息を飲んだ。
風が、2人の間を吹き抜けた。
まるで、引き裂くかのように。
言葉の強さとは裏腹に、
笑顔が優しい。
「もう会えなくなる」
視線を、
明日香と、合わさないようにグラウンドに向けた。
「明日が、最後だ」
明日香を見ない。
「ごめん…。明日が、ここにいれる最後になる…」
「どういう意味?」
明日香は驚き、戸惑い、言葉の意味を確認しながら、
ゆうに、詰め寄った。
ゆうは、ゆっくりと、
顔を、明日香に向けると、
これまでになく、
さっきよりも優しく、
そして、
悲しく、微笑んだ。
「まだ…明日会えるよ…」
また、風が吹いた。
とても強い風。
明日香は、思わず目をつぶった。
少し埃が入った。
何とか、目を開けた時には、
もうゆうは、いなかった。
夕陽も、今日から明日へ
沈み始めていた。
「ゆうさん!」
明日香の叫びも虚しく、
夜が来る。