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まだ...今のあたしだから

「そろそろ…。明日香ちゃんも、お客さんの前で、やってみようかしら」


練習が終わり、トランペットを片付けようとしていた明日香は、


突然の恵子の言葉に、ぎょっとなった。


慌てて、


「ま、まともに、吹けるの…2曲だけですけど…」


「2曲で、十分!それ以上聴かせたら、お客さんからお金を…頂けないわ」


恵子の言葉に、阿部たちは大爆笑する。


「今日は、何時まで入れるの?」


「家に連絡したら、8時までは…」


「ちょうどいいわ。阿部ちゃんたちが先に、2曲程やってから…明日香ちゃんは、ステージに、上がってちょうだい」


恵子は、有無を言わせない。


「今日は、団体で、常連のお客さんが、来るから」


恵子の言葉通り、


7時ちょうどになると、扉が開き、ゾロゾロとお客が入ってくる。


恵子のいらっしゃいませが、合図となる。


ステージ上で、武田がカウントをとり、原田のピアノが、転がり始めた。


曲は何と、意表をつく…ビートルズのキャントバイミーラブ。


ピアノトリオで聴く、ビートルズもいい。


いきなり、お客から歓声がわく。


演奏は、そのままの勢いで、次の曲…A列車でいこうに、なだれ込む。


お客の興奮とは違う…


興奮と緊張が、明日香を包んでいた。


もうすぐ、明日香の出番だ。



金曜日だから、いつもよりお客が多い。


恵子の知り合いが、手伝いに、来てるくらいだ。


店内が、ノリノリの内に、


ついに、


明日香の登場となる。


「明日香ちゃん」


恵子は、ドリンクを作りながらも、カウンターで待機する明日香にウィンクした。


「はい!」


明日香は、トランペットを手にし、お客が座るテーブル席を遠巻きにして、ステージまで歩いていく。


何の挨拶もなく、明日香はステージに上がったけど、


バンドは、演奏をやめることはなく、そのまま…


バイバイブラックバードのイントロを、奏でる。


(なるようになれ!)


明日香は覚悟を決めると、ステージのド真ん中で、


トランペットのマウスに、口づけした。



あたしの音が…KKに響く。


バックが、あたしを包んでくれる。


間違っても、


絶対、助けてくれる。


ピアニストのハービーハンコックが、言っていた。


昔。マイルスのバンドにいたとき、彼は…明らかに間違った音を弾いた。


その瞬間、


マイルスの一音で、バンドは間違った音を、いかした展開に変わったと。


ビーバップを創った…チャーリーパーカーは、


間違ったら、それを三回やれと言った。


そうしたら、観客は間違ったなんて、思わない。


それが、ジャズだ。


それが、生きた音楽だ。


阿部に、そう言われた。


ステージは、生きている。


演奏を辞めないかぎり、


間違いなんてない。


今、明日香が演奏している音楽は、曲のコピーであって、コピーではない。


自由だ。


みんな…力強い。


安心できる。


初めてのステージなのに、みんなが、支えていてくれるから。


明日香は、自由に音を出せた。


曲が終った。


阿部が、一歩前にでて、頭を下げた。


「今夜、ここに来られた皆さんは…とても幸運です。こんなかわいい女の子の初ステージを、見ることが…できるんですから!」


阿部は、お客に明日香を紹介する。


「香月明日香…トランペッター!次の曲は、バラードです。アイ・フォール・イン・ラブ・トゥー・イージリー…恋するなんて、簡単」



お客の拍手の中、一礼した明日香は、


トランペットに、ストレートミュートを取り付ける。


そして、そっとゆっくりと…言葉を、噛み締めるように、


メロディを奏でた。



曲の歌詞を、理解しなさい。


天才歌手…ビリー・ホリディは、ピアノのマルヴァロンに、ただそれだけを、指示した。


恋することは、簡単。


だけど、永遠の愛を得ることは、むずかしい。


明日香には、


まだ、その意味を、理解できない。


だから、


今の自分が


わかる心だけで、表現しょう。


今わかる…真実だけで。


言葉を使えない演奏で、うそはつけないから。


原田が、最後のフレーズを奏でると、


明日香もまた、終わりに向う。


そっと…静かにやさしく。


明日香の演奏が、終わる。




大拍手が、沸き起こる。


無事に演奏が終わり、ほっとしていた明日香は、突然の歓声に、びっくりした。


そして、感激した。


席を立っているお客もいる。


お客の拍手が、こんなにうれしく、心に響くものだなんて。


今まで練習は、


この為にあったんだ。


驚きと発見。うれしさと恥ずかしさ。


まだ今は、


恥ずかしさが、一番勝っている。


明日香はぺこっと、頭を下げると、そそくさと、ステージを降りた。


カウンターの向こうでは、


恵子が、微笑んでいた。



恵子の拍手を聞き、明日香の中で、


やっと嬉しさだけで、いっぱいになる。


恵子の笑顔も、嬉しい。


明日香も笑顔で、


お客の拍手の中、テーブル席を抜けて、カウンターに向かう。


明日香の憧れと、目標のもとへ。




「初めてにしては、上出来だわ」


恵子は、明日香にオレンジジュースを、出してくれた。


「あなたも、そう思うでしょ」


恵子の前に、いつのまにか…


一人の男が、座っていた。


「啓介?」


20代前半くらいで、グレーのスーツをラフに着こなしていた。


彫りが深い横顔は、鼻が高く、日本人離れしていた。


啓介と呼ばれた男の隣には、楽器ケースが、置いてある。


恵子の問いに、


啓介は、ワイルドターキーの入ったグラスを、傾けた。


明日香の方は、見ない。


「初めてなんだろ…」


啓介は一口、ターキーを飲んでから、呟くように言った。


「まあいいんじゃない」


啓介のグラスの中で、氷がざわめく。


お客の一人が、啓介を見付け、テーブルから、近づいてくる。


「けいちゃん?やっぱり、けいちゃんだあ!もどってきたんだ。いつ、アメリカから?」


啓介はグラスを置き、カウンターから立ち上がると、頭を下げた。


「昨日です」


「いやあ〜。やっぱり、けいちゃんが、いないとさあ。ママだけじゃ、ダブルケイとは、言えないからねえ」


明日香は、お客の言葉に驚いた。


(恵子と健司とで…ダブルケイじゃあないの?)


「今日は、演奏しないの?けいちゃん」


「これから…用がありまして、すいません」


啓介はまた、頭を下げた。


「まあ、仕方がないか!今、話題の新人、安藤啓介!忙しいよなあ」


「ジャズなんて…やってるやつが、少ないからですよ」


啓介は苦笑し、ケースを手に取ると、頭を下げた。


「これから、レコーディングなんで…失礼します」



「さすが!すごいねえ」


「ただ…アイドルのバックで、吹くだけですよ。失礼します」


啓介はお客に、挨拶すると、恵子の方を見て、


「じゃあ、ママ。いってくるよ」


啓介は颯爽と、店を出ていった。


安藤啓介。


明日香は気づいた。


伝説の歌手と、同じ名字。




土曜日の朝。


今日は午前中だけ、学校があった。


明日香が教室に入り、授業の用意をしょうと、机の中に手を入れると、


何かが手に当たった。


明日香が取り出すと、


CDだった。


安藤理恵。


アルバムタイトルは、


LET ME LOVE YOU。


ゆうからだ…。


明日香は微笑み、CDをまじまじと見つめた。



早く聴きたい。


今日は、早く終わるし、


ダブルケイにも、行かなくていいから、


まっすぐ家に帰ろう。





昼までに、授業はすべて終了した。


明日香は、わくわくしながら、


家に急いで、帰った。


里美は最近、毎日高橋と帰る為、


もう明日香に断ってから、教室を出ることもなくなっていた。





家に着くと、


着替えるより先に、CDをセットした。


銀色の円盤が、ラジカセに吸い込まれ、


音が流れ始めた。


明日香の時が、止まる。





いつのまにか、


音楽も止まった。


明日香は、CDを取り出すと、ケースにしまった。


着替えることを忘れ、


明日香はベットに、倒れ込むと、


しばらくぼおっとした。


もう帰ってから、1時間くらいたっていた。


明日香は、CDを手に取り、照明にかざすように、ジャケットを眺めた。


これは…


悲しみと絶望の音楽だ。


今、あたしが聴いては、いけない音。


そう感じた。


明日香は、ベットから起きあがると、


CDをラジカセの横に、立てかけ、別のCDを手に取った。


KKのアルバム。


明日香は、恵子の歌をかけることにした。


切なさとやさしさの音。


どちらのCDも、健司のトランペットがはいってるけど、


まったくの別人。


なぜ、


健司は、絶望の方を、選んだのだろうか…。




kkの音。


恵子と健司の音。


切ないけど、やさしくて暖かい。


希望もある。


だから、


明日香は憧れ、KKを追いかけている。


絶望を望む人も、いるかもしれないけど、


今の明日香には、必要なかった。


絶望しても、また元気になればいい。


無邪気に、そう思う明日香は、


まだ、


本当の悲しみを、知らない。


絶望は、選ぶものではなく、


知らないうちに、


希望や幸せが、変わってしまったもの…かもしれない。


それを、乗り越える力がなければ、


人は、容易く堕ちていく。


そう堕ちていくのだ。


嫉妬や悲しみや…絶望に。


理恵と健司。


恵子と健司。


人は、愛する対象が変われば、


奏でる音や、


本質さえ変わるのだろうか。


幸せとは何。


絶望を選んでしまった人…かもしれない…


健司のことを考えてしまう。




明日香が心の中で、自分では理解できない思いに、葛藤した時、


いきなり、


携帯が鳴った。


里美からだった。



「明日香……」


里美はただ…


日曜日の待ち合わせ場所と、時間だけを、告げるだけだ。


淡々と、一方的に。


「里美」


明日香が、話そうとしたけど、


電話が切れた。



(あたしを避けている?)


でも、


どうして…。




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