王女の約束
残酷な描写があります。ご注意下さい。
私は王国の王女として生まれた。
父は賢王と名高く、隣国の王女を王妃として第一子である王子を産ませた。
夫として王として役目を果たしたとばかりに、その後すぐに寵愛する下位貴族の令嬢ーー私の母を側室にして私を産ませた。
国王なのだから複数の妻は法的に許されるのだが、問題は私の母を深く愛するあまり、母との愛の結晶である私を次代にしようと考えていることだ。
賢王なのに。
優秀なのに。
父は自分の持つものの中で一番最上のものを私に与えてやりたいと願っているだけなのだろうが、母と私のことになるとポンコツ。
異母兄を差し置いて私が女王になれば、隣国が激怒すること間違いなしである。
兄が無能であれば考える余地はあるが、兄は英邁だ。君主として不足はない。
王国は、国王の権力が絶対のものであるから父王が望めば私は女王になれるが、それは血の雨を降らすことと同義だ。父王が私を愛してくれている故だとしても、王座など欲しくもない。
私が拒絶しているのに、周囲は油をどんどん注ぎ火を炎にして燃え上がり続けて灰になるまで。もう大火になって消えない状態でお互い密かに闘争している。
おかげで最近、暗殺者が激増した。
私の存在が消えれば問題解決。私も王家の人間として厳しい教育を受けてきたから、それは理解できるけれども、私自身は異母兄の暗殺など考えたこともなかった。私と異母兄のどちらかを排除しての王座ではなく、私は国と民のためにも異母兄と話し合いをしたかったのだ。
甘いと言われても、王国のために最良を選びたかったのである。
だって前世でも、力を持ち過ぎて目障りと暗殺されたのだから。
森で従者も護衛もみんな殺されて、私も死にかけた時に前世の親友が助けてくれて記憶が甦ったのだ。
私の前世は、英雄とか剣聖とか呼ばれて人間の限界を突破したような男性だった。
親友とは正真正銘ケンカ友達だった。私も親友も、他とは実力差が天と地ほどあってお互いしか相手にならなかったのだ。だから私と親友で毎日ケンカ三昧。楽しかった。私が百年前に死ぬまでは。
親友は、私が死んでから泣き暮らしていたらしいのだが、私の気配をわずかに感じて探し続けていたのだと聞いて、私も涙が止まらなかった。
私は女に生まれて、以前のような怪力も剣技も持っていなかったけど親友は、ならば今度は自分が守ると言ってくれた。前世の死因が毒殺だった故に、親友は今度こそ私を喪いたくないと。
だから誕生日プレゼントを父にねだることにしたのだ。
「かわいいエリスリン、もう一度言ってくれないか?」
「はい、お父様。誕生日プレゼントとして何でも望みを叶えて下さる、とおっしゃったでしょう? なのでお父様、私は王位継承権を放棄して、いいえ、王家からの絶縁をお願いしたいのです」
今日は私の15歳の誕生日。
本当は夜会の予定だったけれども、目的があったから昼間のパーティーに変更してもらったのだ。
だって親友の存在は、陽光の下でこそ際立つのだから。
私は最後の1枚となったドレスを身に纏い、ほくそ笑んだ。私の財産は全部、遺族に分けてしまったのでお気に入りを今日のために残してあったのだ。
ひそやかに緑を抱く、白い肌をさらに白く見せる香りたつような青磁色のドレスは極上のカットレースと幾重にも重なり、動きに合わせて美しく揺れた。
ヘッドドレスのヘアアクセサリーは、たおやかな黄金の蔦に葉先の向きに至るまで芸術的に仕上げられたダイヤモンドの花々がほころぶ。首飾りも耳飾りも同じ黄金の蔦と光を編み込むダイヤモンドの花だ。
私は父王の前で、青磁色のドレスを持ち王女らしく優雅に礼をする。
「私は女王にはなりません。なりたくないのです」
私の発言に会場がざわめく。
近隣からの賓客や高位貴族、重臣たち。そして王妃と異母兄。
「ね、お異母兄様。お異母兄様も賛成して下さるでしょう?」
暗殺を望むほど私が邪魔なのでしょう?
微笑む私に、異母兄が慎重に言葉を選ぶ。
父王の目に最大の警戒を払いつつ、最高の好機を掴み取ろうと私を探る。
「エリスリン、本気なのか?」
「実はプロポーズをされていまして。彼は貴族ではないのです」
貴族どころか人間ですらないのだけれども。
「王位継承権の放棄は、王女として国への一番の貢献となると思うのですが?」
私が生きているから、王国が二分化の内乱の可能性もしくは隣国との戦争の秒読みーーと、賢い異母兄は判断してお手軽簡単に私の命を消そうとした。わかりますとも。私も内乱と戦争は、国を守り民を守る王家の人間として反対ですから。
「エリスリン、プロポーズとは!?」
お父様、私に野心があれば温かい血のビロードの花びらを重ねた赤い薔薇のような女王になったでしょうけれども。
でも、血統的にも勢力図的にも正統な異母兄が王座に座るべき。それが王国にとって国民にとって一番安全で安定の道。
「はい、お父様。今日、私は結婚して国から出て行くつもりです」
「「「結婚!?」」」
王の御前であるというのに、貴族たちが思わず驚愕の声を上げる。
父王に忠誠を誓う貴族たち、私を傀儡にしたい貴族たち、異母兄に従う貴族たち、隣国と通じる貴族たち、内乱の足音を憂う貴族たち、国王の王権は堅固ではあるが虎視眈々と機会を伺い旨味を吸って肥え太りたい貴族たちは多い。
けれども、王家が乱れれば嵐に巻き込まれ必死に花茎にしがみつく花弁のように、無力な国民たちが無造作に無意味に命を刈られてしまう可能性を、自家の繁栄よりも大事なこととして考えている貴族はどれだけいるのだろうか?
私は王座はいらない。
私は王女として生まれたのだから。国に対しての責任も民に対しての義務もあるのだから。
何とか異母兄と歩み寄ろうと模索を続けたが、そんな私は異母兄にとって信頼のできない相手でしかなく、異母兄は私を殺そうと毒蛇のように執念深かった。
私を守って侍女も侍従も護衛も、長年の間心を配って仕えてくれていた者たちが死んだーー私をかばって、あの森で。
誰ひとりとして逃げなかった。私を、私だけを逃がそうと剣となって護衛たちが、盾となって侍従と侍女が戦った。森の木々の緑の葉に咲いた紅い花は皆の血だった。赤く、朱く、紅く。紅玉から滴る花のような血を流しながら、私の、私の大切な皆が。
森を吹き抜ける風が人々の悲鳴も断末魔も呑み込んで恐ろしい声で美しく歌うように木々の葉を波打たせて。
草花は拝跪するように荒々しく踏み散らされて。
雪が降るように静かに深くて全てに緑に満ちた暗い森が、数多の命をしずしずと吸いとった。
異母兄が国のため民のため、自分のために私が邪魔だと言うのならば望み通り私は消えてやろう。
しかし。
「皆様、窓からあちらの塔の上を御覧になって?」
父王は私の警護のために精鋭の騎士を揃えてくれたけど、私は父も異母兄も大嫌いだ。
あの森で。
皆の血も命も蝶の翅をむしるみたいに散らされて、私は死を覚悟した。私が死ねば、父王は王としてではなく愛する娘を亡くした父親として激怒することはわかっていたが、それでも生きようとは思わなかった。
この時、私は国のため民のためではなく、自分の憎しみのために死のうとしていた。
父と異母兄を地獄に堕とすべく。
私が死ねば、父は異母兄を必ずや憎む。
怒り狂って異母兄を処刑しようと動くだろう。そうすれば王国は破滅へと滑り出す。親友と出会わなければ、私は、私を女王にしようとした父と私の大切な護衛たちや使用人たちを殺した異母兄に復讐するために自分の命を使っていたことだろう。
父も、異母兄も、崩れ散ればいい。
にこり、と笑って私は窓の外を指差した。
あの日、私が憎悪のままに死んでいたならば王国は滅亡していた。
あの日、親友が私を救ってくれたから、民のため国のために私は王女として誇り高く旅立つことができるのだ。
「竜だっっ!!!!」
塔の尖塔には、真昼の空気を腐敗させていくような魔力を纏う闇が凝結したみたいな黒い黒い竜が、覇王の如く悠然と座っていた。
私の親友だ。
もし異母兄が、私と和解してくれていたら。
もしも父王が、私を単なる王女として育ててくれていたら。
この王国は竜が守護する最強の国となれたものを。
父王は賢王と褒め称えられて。
異母兄は竜の庇護下の王となる強運の主となり、その強運で王国を繁栄に導くことができただろうに。
でも、もう遅い。
私は今日、王国を親友の背に乗って飛び立つ。
「お父様、お異母兄様、さようなら」
私は窓から身を投げた。
青磁色のドレスが空中で花開いたように翻った。
背中から裾まで配された大粒のダイヤモンドのボタンが煌めく。繊細な薔薇のレースを贅沢にあしらったドレスの裾が妖精の羽根のように広がり、真珠色の光沢を放つ華奢な靴が宙を舞った。
バサリ、塔から大きな羽のひと振りで私の真下に来た竜が、その背中に私を受け止めてくれる。
「エリスリン!!」
追いすがる叫び声は、父のものだったのか異母兄のものだったのか。悲鳴も怒声も罵声も絶叫も。もう今さらだ。
「ねぇ、森へ行ってくれる? それで貴方の魔力を森の土に流して欲しいの」
私たちは、王都の上空で人々の目に竜の巨体を焼きつけるように何度も旋回してから、森へと向かった。
森に降り立つと、親友が濃厚な竜の魔力を大地に浸みこませてくれた。あまりにも濃密な魔力に地面から透き通った炎の陽炎のように、ゆらゆらと魔力が立ちのぼる。
地中に眠っていた種たちが、ゆっくりと土を押し上げた。木々に眠る花々もやわらかく目覚める。
春の花が咲く、銀色の毛に包まれた蕾が天を仰いで開く白木蓮が、ビロードのような花びらのパンジーが、小さな花が可憐な芝桜が、細い枝がしなるほど咲き誇る山吹が、たくさんの小花がレースのようなカスミソウが。
夏の花が咲く、かぐわしい香りの百合が、清楚な野薔薇が、筒状の花が連なる擬宝珠が、鮮やかなサツキが、湿った夜に香気が高まる花梔子が、淡い紅色の昼顔が。
秋の花が咲く、星型の花が風情のあるキキョウが、澄み切った青色の露草が、楚々した慎ましい女郎花が、風に吹かれ散りゆく姿さえ優美な萩が、多彩な花色のコスモスが、群れ咲くさまもたおやかな野菊が。
冬の花が咲く、艶やかな黄色の石蕗が、ほのかに甘い香りの白い小花の柊が、気品あるたたずまいの白色の冬至梅が、明るく光沢のある花びらの福寿草が、寒さに耐えぬく冬菊が。
花という花が時知らずの天上の花園の如く咲きこぼれる。
まさに百花繚乱、華やかに色とりどりの花が咲き乱れた。
私は花の中に座り込み、ゆっくりと身体を横たえた。
じわり、と私の身体から血が流れ広がった。
「ありがとう、貴方のおかげで私は王女として頭を上げて死ねるわ」
あの時、私は傷だらけになっていた。かろうじて親友の強い魔力で今まで命を保っていただけだった。
「私は憎悪のあまり父も異母兄も王国も滅んでしまえ、と願った。でも貴方に助けられて。私は、王国の王女として生まれた自分を取り戻した」
「ありがとう、貴方のおかげで内乱を避けることができたわ。民は死なない。王国は平和なままだわ」
私は親友に手を伸ばした。
「ありがとう、憎しみの果てに死ぬのではなく、皆が庇ってくれた国を想い努力を重ねる王女として私は死ねる。貴方のおかげよ」
ぼとりぼとり、樹表を伝う雨水のように親友が涙を落とす。
「ごめんなさい、せっかく会えたのに。ごめんなさい、また一人にしてしまうわ。また寂しい思いをさせてしまうわ」
私は伸ばした手で親友の口元を撫でた。
「だから、ね。前世の私を食べたように今世の私の身体も食べて? そうすれば私と貴方の魂は繋がり、きっと来世でも会えるわ。来世では今世で約束した貴方の花嫁に必ずなるから。約束よ。前世で必ずまた会おうと約束したように。来世では貴方の花嫁となってずっとずっといっしょにいるわ」
天から地上へ降り注ぐ木漏れ日の光が親友の涙を照らして、涙が虹を閉じ込めたように美しく輝く。
「約束よ。来世では私は貴方を探すわ。貴方のことを忘れない、絶対に記憶を持って生まれるから。今世みたいに記憶を手離して生まれたりしない。だから、もう一度、もういち、ど、わ……たし……を、さがし……て………………」
親友が悲鳴のような咆哮を喉の奥から張り上げる。
何度も。
何度も。
私は水に沈むみたいに意識を失いながら、深海の底から沸く気泡のような暗闇に包まれる最後の刻まで悲痛な叫び声を聴いていた。
あの日、約束をした。
私は貴方を忘れはしない、と。
私の耳に、朝日を背景にしてものすごい速さで近づいてくる竜の歓喜の咆哮が届く。
私は両手を伸ばした。
「もう一人にしないわ、約束をしたでしょう。私を花嫁にして、今世の名前はリリーシャというの」
一度目は、英雄に。
二度目は、王女に。
三度目の朝に私は竜の花嫁となった。
三度目のリリーシャちゃんは、竜の番魔法で竜と同じ寿命となって長生きして幸福になります。
読んで下さりありがとうございました。