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ドール・ハウス

作者: 葉里ノイ

遙か昔書いたものをリメイクしてみました。

内装を軽くリフォームのつもりが、土台と柱数本残してほぼ建て直しになりました。


 そこには音が存在していなかった。耳が痛むほどに何も聞こえない。痛みなんて感じないはずなのに。

 自分だけこの世界から切り離されてしまったような気がしてならなかった。

 ふと胸に手を当ててみた。音のしない『核』が疼いた気がした。

 空っぽの体に反響するものが音だと気付いたのはいつからだっただろう。

 これを感情と言うのだと教えてもらった。どうして感情を持ってしまったのだろう。どうして感覚を持ってしまったのだろう。その感情を理解するのには時間が掛かった。

 他の皆には無い、自分だけ異質だった。喜びも悲しみも怒りも、痛みも苦しみも寂しさも。自分だけが違った。

 それは人間だけのもので、人形には無いものだった。

 人形の形をしているのに心は人間のもので、そこに存在する意志も人間のようだった。だが作られた人形の顔では、感情を持っていても表情には出せなかった。人形に自由な感情を持たせることは不可能なのだから。

 自分は何なのかわからなかった。感情を持つ人形と言うのが何なのか、ぽっかりと空洞な人形の体では何もわからなかった。


     * * *


 小さいが活気のある町の外れの森に、人を殺すための人形を作り続けている人形師の家があった。鬱蒼とした森の木々に囲まれた小さな家の中には幾らかの人間と同じ大きさの人形が並び、その中の幾らかが不定期に町で人殺しを行っていた。

「F-1L、R-1A、K-6U、I-L、町へ行け」

 感情の籠もらない男の声が小さな家の中に通る。白銀の髪から覗く冷たい蒼い瞳が、無機質な人形達を順に見詰めた。人形達は頷くような動作をし、すぐに行動に移す。従順な人形だった。

 人形達は、町にいる人間を一人だけ殺すように設定されていた。殺し終えればすぐに家に戻るようにと。一度にたくさん殺してしまうと小さな町の人間はすぐに底を尽きてしまう。町の人間を全滅させることなく、いつまでも苦痛や恐怖がじわじわと続くように頻度も弁えている。

 人形達を送り出した人形師の男は時の止まってしまった古い椅子に腰掛け、無感動に新しい人形の頭を削り出す。この人形達のように、男の感情は空っぽだった。

 家を出た人形達は森の中を黙々と進み、一直線に町を目指す。小さな町だが、見習いの人形師達が多く住んでいた。見習い程度では殺人人形に対抗できる人形は作れない。殺人人形に抗う術を持たない町の人々は逃げることしかできなかった。

「フィル、何をしている? 主の言う事を聞かなければ、私達壊される。早く町に行こう」

 ふと立ち止まった少年型人形のF-1Lに、女性型人形のR-1Aが声を掛ける。男の作った人形には全て番号が与えられており、会話機能を与えられているR-1Aは呼びやすいようにF-1Lをフィルと呼んでいた。そしてフィルは彼女のことをリアと呼んでいた。

「あ、うん……」

 フィルは考え事をしていたため、無意識の内に活動停止していた。リアに促されて停止していることに気付き、再び歩を進める。人形が考え事など、おかしな話だった。

 人形師の家と町は距離があるため、K-6UとI-Lは二体を置いて先に走って行ってしまった。K-6UとI-Lには会話機能はない。聞く耳しか持たず、言葉などただの音だろう。人を殺すことにも何も躊躇いはない。

 フィルとリアが町に着いた時、K-6UとI-Lは既に人を殺していた。

 リアもまた躊躇いなく目に入った人間を淡々と仕留め、長い黒髪を揺らして行動の遅れているフィルを振り返る。

「フィル。私、人間殺したから、先に帰る」

 一切の感情が籠もらない声が空っぽの体に響いた。三体の人形が踵を返して帰る姿をフィルは困ったように一瞥した。

 町の人々はじっと動かない彼を見、きっと誰を殺すか標的を探しているのだろうと急いで家の中に避難した。

 人一人いなくなった町の中でフィルはただ立ち尽くし途方に暮れた。人間がいなくなったからではない。家に避難しているのなら勝手に入っていけばいい。だがそれは彼にはできないことだった。

 いつまでも動かず留まっているフィルの様子を怪訝に、やがて一人の少女が一つの家から出てきた。恐る恐るというような足取りではない。ずかずかと歩いてくる。

「あなた、町外れに住んでる人形師に作られた人形でしょ? どうして誰も殺そうとしないの? 会話機能があるなら、話してちょうだい」

 フィルを作った人形師以外の人間に話し掛けられたのは初めてだった。作った人形師は会話を求めないため、人間と会話を試みるのは初めてだった。殺人人形だと知りながら近付いてきた怖い物知らずなまだ幼さの残る少女に目を落とし、フィルは行き場がわからずにいた言葉をゆっくりと紡いだ。少女が背に金槌を隠していることには気付かなかった。

「俺は確かにその人形師に作られた。でも……もう、人を殺したくない……」

 感情の籠もった声に、少女は目を丸くした。

「あなた……自分の意思で言ってるの?」

 そういうプログラムなのかとも思ったが、言葉を発するにつれ徐々に申し訳なさそうに俯いていくフィルの顔を覗き込みながら、少女は違和感を覚える。

「俺は……人を殺したくない」

 声を絞り出し苦しげに言葉を発するフィルの姿は、プログラムによる設定された感情とはとても思えなかった。他の殺人人形とは明らかに違う。

 この人形は他の人形とは違う。そう思い、少女は家々を振り返り大声で叫んだ。

「皆さん聞いてください! この人形は人殺しの人形ではありません! 安心してください!」

 静かな町に響き渡った声に、暫くの沈黙の後人々は恐る恐る家から顔を覗かせた。少女は少年人形を自分の家の中へ入れ、人々は淡々と殺された三人の死体の回収に取り掛かった。

 フィルは促されるまま少女の家に入ってしまったが、行き場のない視線をぐるりと部屋に巡らせる。部屋には何だかわからない部品などごちゃごちゃと転がっており、足場の確保が難しそうだ。中には歪な人形の腕や脚と思しき物も転がっていた。

「ごめんね、散らかってて。奥の部屋に座れる所があるから」

 少女に言われて奥の部屋に行ってみるが、手前の部屋に負けず劣らず散らかっていた。足元に転がっている人形の部品を適当に退け、フィルはやっとそこに埋もれていた椅子に座ることができた。いや人形なのだから立っていても良いのだが。

「あのね、私は人形師見習いのメリル。十二歳。あなたに名前はある?」

「俺はF-1L。仲間の人形からはフィルと呼ばれてる。歳はわからない」

 きちんと会話が成り立っていることを確認し、メリルも椅子を引き摺ってきて座る。

「そう……それでフィルは何がしたいの?」

 どう見ても様子のおかしい異質な人形を見て、メリルは真剣な眼差しで話を聞こうとする。見習いとは言え人形師だと言うなら、多少の思う所はあるのだろうか。フィルには理解できなかった。

「メリルは俺が怖くないのか?」

 質問の回答ではない言葉にメリルは少し首を傾げるが、背に持っていた金槌を置いて近くにあった紙を拾い、さらさらと何やら書き出す。

「フィルが本当に人を殺すのなら怖いよ。でもそうじゃないから、理由を聞いてみたいと思ったの。人を殺さなければ、あの人形師の作る人形は天才的なんだから」

 どうやら書いていることは好奇心のメモのようだ。勉強熱心な見習いだとフィルは思った。

「俺はもう人殺しをしたくない。主人の人形師に人殺しの人形を作らせたくない。仲間の人形達に人殺しをさせたくない」

 メリルはペンを止め、ぽかんとフィルを見詰めた。

「……やっぱりフィルは自分の意志で行動したり、考えたりできるんだね。私も人形を作ってるけど、人形に意志を持たせることはできなかった。できたら素敵だと思うんだけど、どんなに優れた人形師でもそれはできないの。あの人形師はこのことを知ってるの?」

 無意識に身を乗り出す好奇心旺盛なメリルの力強い目に辟易ろぐが、受け入れようとしてくれているメリルになら話しても大丈夫なのではないかとフィルは判断した。自分のこの状態をまだ理解できていないのだから、何かわかるのなら知りたいと思った。

「意志……リアは以前、感情と言っていた。俺にはプログラムされていない喜怒哀楽の感情があるって言っていた。……リアと言うのは、俺より前に作られた人形の渾名で……番号はR-1A」

「リアは会話ができる人形なのね。言ってることから、かなり性能の良い人形ね。

 ……感情かぁ。表情はどう?」

 医者が患者の状態を尋ねるように、ペンを走らせながらメリルは一人でうんうんと頷く。

「表情はどうなってるかわからないよ。鏡を見ないから。それに俺には元々話せないようにプログラムされてるから、会話は苦手で……」

 相手の言葉を聞き分析して返答を考える作業がきちんとできているのかフィルに判断はできなかったので、申し訳なく下を向く。その言葉にメリルは思わず大きく目を見開いた。

「会話ができないの!? できないのに喋ってるの!? 大変だわ! 核に負担が掛かってるはず! フィル、今すぐちゃんと会話できるようにプログラムを書き換えて、部品を取り付けてあげるわ!」

 メリルはフィルに有無を言わさず、固いのに柔らかさを感じる腕を引っ張り二階に連れて行く。

「そこの台に横になって!」

 部屋の中央に鎮座する大きな机を指差すので、フィルは理解が及ばないまま言われた通りに横になった。ばたばたと戸棚から部品や道具を取り出すメリルを横目で見る。足元に散乱しているよくわからない部品があちこちに蹴り飛ばされている。

「服を脱いで待ってて」

 机に部品と道具を並べて確認しながら何気なく指示を出したのだが、思いも寄らぬ言葉が返ってきてしまった。

「恥ずかしい」

「どうしてなの!?」

 驚きすぎてメリルは道具を床に落としてしまった。同時に勢いよくフィルを振り返ってしまった。まさか人形に真顔でそんなことを言われる日が来るとは思っていなかったメリルは、目を逸らすフィルを見て自分の方が顔を真っ赤に染め上げてしまった。

「あ、あの、あのさ……上の服だけでいいから……脱がないと部品がつけられないし……あっ、もしかして脱げない? そんなに器用には作られてない……とか」

「脱いだことはない」

 盲点だった。フィルに感情がある所為で人間のように考えてしまった。風呂などに入らない人形には、服を脱ぐ必要がない。とは言えメンテナンスもしないのかと思ったが、町外れの人形師は男だ。異性に脱がされるのが恥ずかしいのではないのだろうかと思い至る。何処からそんな感情が勝手に湧いてくるのか不思議で堪らなかった。

「じゃあ私が脱がすけど、そっ、そんなのじゃないからね!」

「?」

 そんなのとは何だろうとフィルは思ったが、黙って上体を起こした。町外れの人形師は服を脱ぐ時はいつも男性型人形にやらせていたので、そういうものだと思っていた。

 服を脱がさなければ部品の取り付けも何もできないのでメリルは意を決して踏み台に乗り、まだ少し顔を赤くしながら脱がした。感情を持った不器用な人形とは思った以上に大変な物らしい。

 服を脱がせると関節はしっかりと人形の物で、やはり人間ではないと一目で確認できた。フィルの体は丁寧に焼成されたビスクに見える。固いだけのはずなのに、不思議と柔らかい感触がする。ただのビスクではない。どうやら見習いにはわからない特殊な物らしい。感情を映している灰紫色の双眸は硝子だ。特別な細工はしていない。関節は丸い球体で繋がれていて、これも他の人形と変わりなさそうだ。人形の心臓と言うべき核は人間の心臓のある位置と同じ場所にあり、人形師の性格が透けて見えた気がした。

(普通は空間に余裕のある頭に入れるんだけど……人間と同じにしたかったのかな)

 近くにあった記憶装置を取り出し調べると、感情や会話など性能に対して随分と容量が小さく、焼き切れそうになっていた。見習いのメリルですらもう少し良い装置を使用するのだが、これは随分と古い物だった。天才的な人形を生み出す人形師も貧しいのかと勘繰ってしまう。

 容量の大きな記憶装置を戸棚から取り出し、一度目を落とす。

(いつかのために買っておいた高い装置……)

 渋っていても仕方がない。いつかとはきっと今なのだ。装置の情報を移し、フィルに戻す。プログラムも書き換え新たな部品も取り付け、会話を可能とした。

 全ての作業を終えて丁寧に組立て直し、動作を確認する。

「終わったよ」

 むくりと起き上がるフィルを一瞥しながら、道具を戸棚に仕舞いつつ話し掛けた。

「どう? 違和感とかある? 前より話しやすくなったと思うんだけど……」

「うん、大丈夫だよ。前みたいに声を発すると苦しいなんてこともないし」

「良かった。さっきより滑らかに話せるようになったみたいね。苦しいなんて言うのも感じちゃうんだ、凄いね」

 指や腕を動かしながら違和感がないか確認し、フィルは机から脚を下ろす。脚にも異常はない。

「フィルを作った人形師ってどんな人なの? 人形は町に来るけど、人形師は見たことないのよね」

 メリルの表情がほんの少し陰る。その変化にフィルは気付けなかった。

「俺を作った人形師ラルドは……残酷な人間だ」

「……だろうね。他には何かある?」

「左腕が無く、義手をしている」

「腕が無いの……?」

 片腕がないのなら、生活する上でも人形は欠かせないものだろう。

「昔は普通の人形を作ってたらしいが、誤ったプログラムを打ち込んでしまい、完成と同時にその人形に腕を落とされたらしい」

「それは……私も気を付けておかないといけないね……」

「その頃から、ラルドは殺人人形を作るようになったらしい……って、リアから聞いた」

「そう……それが原因ってことなのかな……」

 人形師としてはそれはとても悔しいことではあるが、それで殺人人形を作り町の人間を殺しているのならただの八つ当たりではないか。しかも一度や二度ではなく何年も何人も。

「メリルはここで一人で住んでるのか?」

「……その会話力には感服するけど、察する能力は低いのかな」

「悪いこと訊いたかな。人形はいないのかと思って」

「ううん。大丈夫だよ。そういう意味ね。私は一人だよ。ここには人形もいない。一から作り出すのは大変だから」

 そう言って部品が散乱する床に目を落とす。フィルは納得した。ラルドの家も多少は散らかっているが、人形達が掃除をするおかげもあり足の踏み場は充分にある。誰もいなければこの有様も納得だ。

 暫し会話を続けているとやがて外から少女を呼ぶ大声が家中に響き渡り、メリルは会話を切り上げて階下へ行った。残されたフィルは机から下り、窓に向かった。すっかり暗くなってしまった町の向こうに森が見える。その中にラルドの家はある。戻らないフィルをどう思っているだろう。

 物思いに耽っていると、背後で勢いよく扉が開け放たれた。振り返るとメリルの他に少女が一人、少年が二人立っていた。知らない人が突然三人も増えたので、フィルは警戒して後退る。

「安心して、フィル。この三人は私の友達だから。危害を加えたりしないよ。私のことが心配で来てくれたみたい」

 メリルの言葉にフィルは少しだけ警戒心を解く。殺人人形を家に招いたとあればそれは誰でも心配するだろう。

 メリルの後ろから三人は物珍しくフィルを凝視した後、口々に話し出した。

「これが噂の殺人人形なのね……。いつもはすぐ逃げるけど、こうして見ると凶悪そうな感じはしないね」

「メリル、こいつが人を殺さないって保証はあるんだろうな?」

「この人形をどうするつもり?」

 次々と話すメリルの友達をそわそわと見ていたフィルは、区切りがついた所でゆっくりと口を開いた。友達という言葉は理解している。メリルと親しい者だ。

「俺はフィル。確かに殺人人形として作られたけど、今はもう人を殺したりしない」

 三人は半信半疑でフィルを見る。今までラルドがしてきたことを思えば、信用できないのも無理はない。フィルも人を殺したことがある。それが何処の誰かはわからないが、この町の人間の誰かだということは確かだ。この中にその知人がいてもおかしくはない。

「そこで私はフィルを作った人形師の魔の手から、フィルを助けてあげようと匿ってるってわけ。フィルはその人に殺人人形を作らせたくないそうだから、協力してあげるの!」

 それはフィルも初耳だったが、三人も口をぽかんと開けている。

「フィルを作った人って、性格はおかしいけど天才なんでしょ? メリルみたいに下っ端の見習い人形師じゃないのよ?」

「下っ端は余計なんだけど……。でも、人形師の技量は関係ないと思うの」

「でもその人形師が作った人形って凄く強いんだぜ? 人間だって、どうすることもできずに殺されてるのに……そいつの人形以上に強い人形なんてメリルに作れるのか?」

 少年の疑問には、少女がハッと思い付いて勝手に答えた。害がないのならこれ以上に強い味方もいないはずだ。

「あら、強い人形ならフィルがいるじゃない。殺人人形をフィルに捕まえてもらって、メリルがその人形の核を取ってしまえば問題ないわ」

 笑顔で話す少女に、フィルは何かちくりと刺さるものを感じた。何かの感情の一種なのだろうが、それが何なのかフィルにはわからなかった。ただ言葉にするより先に手が出てしまっていた。衝動を止められなかった。

 フィルは少女に飛び掛かり、床に押し倒して細い首を絞めた。友達の少年少女は万一のためにと距離を取っていたが、逃げる間もなく距離を詰めた。先程までの穏やかな様子とは別人のようにフィルは叫ぶ。誰かに核を握り締められているような感覚だった。

「俺は人間も人形も殺したくないんだよ! 人形の核は心臓だって知らないのか!? 核を取ったら人形は死ぬだろ!」

 突然の豹変に三人は硬直してしまうが、首を絞められた少女が咳込むこともできずに喘ぎながらフィルの腕を掴む様を見て、我に返ったメリルは彼の腕を掴み必死に引き剥がそうとした。

「フィル! 人形の力で絞めたら、レミナが死んじゃう!」

 ――――死。

 その言葉が重く、フィルを我に返させた。ぴたりと首を絞める手を止め、がくりと膝を落とした。何をしようとしたのかと自分の両手を見下ろし、もう誰も殺したくないと言ったのに殺そうとしてしまったことに、自分への落胆と無意識の衝動が胸を締め付けた。これは核の痛みなのか、それとも別の何なのか、フィルには理解できない。

「……きっと疲れてるのよ。今日はもう休もう?」

 人形が疲労を感じるはずはないのだが、苦しそうに俯いたままのフィルにメリルは優しく接した。フィルは何も悪くない、悪いのはラルドなのだと自分に言い聞かせる。

 彼は無害だとメリルは友達に訴えたが、三人の態度は冷ややかなものだった。

「今日はメリルの家でお泊まりしようと思ってたけど、気が変わったわ! こんなに危険な人形と同じ屋根の下で過ごすなんて考えられない!」

「俺も同感だな。こんな人形と一緒にいると、命が幾つあっても足りやしない」

「僕も帰るよ。永遠の眠りにつかされたら堪ったものじゃないからね。……両親を殺した人形と一緒にいるなんて、メリルの考えてることもわからないよ」

 三人の言葉は、今のフィルの行動を見た以上は否定することができなかった。残された一人と一体は三人の出て行った扉を呆然と見詰めた。お互いにぴくりとも動かなかったが、やがてメリルの方が耐えきれずに肩を小さく震わせた。

「うぅ……」

 フィルに背を向けながら、ぼろぼろと大粒の涙が床に零れていく。

 そのことに気付かず、フィルは暗い窓外に目を向けてぽつりと漏らした。

「俺は……人間が死ぬのをもう見たくないから……もうラルドに殺人人形を作らせないためにここに留まっていたのに……俺が殺そうとした……。自分の意志で行動できても、感情があっても、所詮はラルドに作られた人殺しの人形……」

 ぱぁん、と乾いた空虚な音が部屋に響いた。

「メリル……?」

 フィルは叩かれた頬を押さえながら、驚いたような顔でメリルを見た。メリルが泣いていることに漸く気付く。人形には痛覚なんてものはないが、叩かれた頬が『痛い』と感じたような気がした。

「自分で自分を人殺しなんて言わないで! 譬えラルドに作られた人形でも、今は殺さないんでしょ!?」

 ぼろぼろと涙を零しながらフィルを睨む。その涙が何の涙なのか、メリル自身にもわからなかった。

「メリルは……人形に両親を殺されて一人だったんだね……。なのにどうして、俺を匿ったんだ……?」

「人形は……何も、悪くない……! 悪くないんだから!」

 必死に自分自身に言い聞かせているようにも見えた。その気持ちはフィルには理解できなかったが、嘘ではないことはわかった。

「……ごめん。俺みたいな人形が……」

 どうすればメリルの涙を止められるのか何も案が思い付かなかったフィルは、以前リアがしてくれたことを実行した。感情を打ち明けた時にしてくれて、安心できた行為だった。

「!」

 フィルは固い腕でメリルを締め付けないようにゆっくりと抱き締めた。充分に加減はしているので、苦しくないはずだ。

 不器用な抱き締め方にメリルは更にぼろぼろと涙を落とした。

「違う! 人形なんかじゃない……感情を持ってるフィルは人間と同じなん……だよぅ……」

 いつまでも泣きじゃくり、メリルは必死にフィルに訴え続けた。いつまでも泣き止まないので、フィルはいつまでも抱き締めていた。


     * * *


 朝陽が部屋に差して間もない頃、町を覆う靄の中に一つの影が立っていた。影はゆっくりと町並みを眺めながら歩いていた。懐かしむように、或いは何かを探しているかのように。

 町は静かだった。鳥の囀りや木々の囁き以外は物音一つ掠めなかった。そんな朝の風景の中で、一つの家から物音が響いた。

 影は誘われるように、その家に向かった。



「こんな朝早くから何してるの?」

 昨夜は泣き疲れて眠ってしまったメリルはまだ眠そうに目を擦りながらむくりと起き上がると、開いた扉から奥の部屋で動くフィルの姿が映った。今になって思うが、人前であんなに泣いて抱き締められて、今更恥ずかしい。

「ごめん、起こした? ラルドの家では朝食当番だったから、つい癖で」

 にこりと微笑むフィルに釣られてメリルもへらりと笑うが、フィルが再び俎板に視線を移すと、ぼやけた頭で考える。

(容量を増やしたからかな、表情が鮮明になってるような……? ……それより、食事作ってくれるのっていいなぁ)

 ぼんやりとしたままフィルの背を見ていると、不意に玄関の扉が開けられる音がした。二人は同時に扉の方を見る。まだ靄の残る外の景色に人の姿が見えた。その影は躊躇もなく家の中に入り、フィルの姿を捉える。その姿にフィルは目を見開いた。

「リア……」

 突然の訪問者に、フィルは包丁を持ったまま立ち尽くした。少し考えればすぐにわかることだった。いつまでも戻らないフィルを迎えに来たのだ。

 メリルも状況を理解するために急いでベッドから下りる。

「フィル。まだ人を殺していないの? 早く殺して帰らなければ、壊されるわよ」

「ラルドに命令されて来たのか……?」

「主はそれを望む」

「俺は帰らないよ。もう、人殺しはうんざりだ」

「それ伝えると、フィル壊される。フィルそれでいい?」

「壊させない……まだすべき事があるから」

 決意の籠もったフィルの硝子の瞳に何か感じたのか、リアが一瞬驚いたような顔をした気がした。リアには感情がないはずだ。他の人形と同じように。

「私、主の望み告げた。私の役目終わった。……フィル、さようなら」

 それだけ言うと、リアはさっさと帰ってしまった。

「…………」

 そんなはずはないのに、リアの『さようなら』には感情が籠もっている気がした。フィルと接している内に感情表現が伝染したのか、ラルドによって新たに与えられたものなのか。

 それは定かではないが、リアはラルドの言葉を伝えに来たのではなく、フィルにリア自身の気持ちを伝えに来たのではないだろうか。本当に命令されて来たのならすぐにでもフィルを引き摺って連れ帰れるはずだ。壊すこともできただろう。だがそれをしなかった。『逃げろ』と言いたかったのではないだろうか。リアが去ってしまった今では真実を確かめることはできないが。

 考え込み停止しているフィルから包丁を取り上げ、メリルは彼の背中を押した。

「ここはラルドの家じゃないんだから、フィルは料理しなくてもいいんだよ。ほら、外はいい天気だし、散歩でもしてきなよ」

 メリルの明るい提案に、フィルは思考が半分停止したままで返事もせずに家を出た。言葉に同意したと言うより、反射的に従ってしまったような動きだった。

 彼にはラルドの家にいた時と同じことをさせたくなかった。食事を用意してくれるのは良いなとは思ったが、その気持ちを考えていなかった。

(今は……ラルドと人形から距離を置いた方がいいのよ)

 何を作ろうとしていたのか見当がつかないが、メリルは俎板の野菜に包丁を落とした。



 靄も晴れ朝の町に活気が漲り始めた頃、フィルはぼんやりと町を歩いていた。心做しか人々がフィルを避けているように見えた。昨夜少女を襲ってしまったことが人々に伝わったのだろう。そう考えているとその少女の姿が目に入り、こちらを向いて舌を出し挑発していた。それを敢えて無視し、フィルは町を歩いた。どう対応すれば良いのかわからなかったのだ。避ける人々も、ただ避けているだけなら咎めるものでもない。

 そのまま何も見ない振りをして立ち去ろうとしたのだが、ふと近くにざわめきが起こった。何事かと人々は集まり、何か良くないものでも見たかのように急いで各々の家に入っていく。フィルは怪訝に思い、騒ぎの場に向かった。行かなければ良かったと後悔した。


「――何をしている? F-1L」


 騒ぎの中心にいたのは、白銀の髪に冷ややかな蒼い双眸を向ける男だった。見間違えるはずもなく、それは今まで共に暮らしていた人形師のラルドだった。

「私はお前に人間を殺してこいと命令したはずだ。町で遊んでこいとは命令していない。壊されたいのか?」

 人形のように感情の籠もらない声でラルドは冷たく言った。

 喉の奥に声が貼り付いてしまうが無理矢理引き剥がし、フィルは叫ぶ。

「俺は……もう、人殺しはしない! お前にも、殺人人形を作らせない!」

 感情の塊をぶつけられても、ラルドは一片も表情を動かさなかった。

「ほう……貴様に意志が芽生えていたことには薄々気付いてはいたが……。まさか私に逆らうとは。ただ壊すだけではつまらないな。感情があるなら、貴様に苦痛を与えてやろう」

 ラルドは品定めでもするかのように周囲で距離を取る人々を見回し、先程舌を出していた一人の少女の背に回り込んだ。右手で少女の腕を掴み、左の義手から小さな鎌を生やす。

「ひっ……!」

「私は今からこの娘を殺す。貴様は静かに指を咥えて見ていろ」

 まさか人形に命令するのではなく、ラルド自ら殺しをしようとするとは思わなかった。

 町の人々は距離を保ったまま目を逸らさないが、誰も何もできなかった。いつもただ、誰かが殺されるのを見ていることしかできなかった。

 フィルは一度は殺そうとしてしまった少女に向かうことに躊躇した。接近したことでまた殺そうとしてしまうかもしれない。引き金が何なのかフィルには答えが出せなかった。出せない以上、駆け寄ることは躊躇われた。だが行かないと、見殺しにすることになってしまう。見殺しにはしたくなかった。

 ラルドにはそんな躊躇もなかった。人形であるフィルよりも、人形のようだった。

 少女の首に冷たいものが走り、離れた所でかしゃんと音がした。

「貴様……!」

 小さな鎌は地面の上に力無く転がっていた。少女は首に僅かな切り傷を負っただけで命に別状はなかったが、極限状態で意識を失ってしまった。

 フィルは黙ってラルドを睨みつける。

「私の下から逃げたただの臆病者ではないと言うことか。この娘も命拾いしたな」

「黙れ! 命を弄ぶな! 譬えお前でも……!」

「ほう、私を殺すとでも言うのか?」

 憂えるようにラルドは目を細めた。

「……殺さない。俺はもう、お前の人形じゃないんだ!」

 周囲の人々は何もしない。ただ見ているだけだ。仕方ないと諦めているかのように。何故いつも何もしないのか、フィルには不思議で堪らなかった。

 ラルドは義手から新しい鎌を生やし、フィルに向かってゆっくりと歩いた。



 朝食を終えたメリルは食器を片付けていたが、ふと外が騒がしいことに気付いた。殺人人形がこんなに頻繁に来ることはない。他の何かだろうと好奇心旺盛なメリルは外に飛び出した。人の集まる一角を見つけ、大人達の後ろを背伸びをしながら顔を出す。

 それが視界に入った瞬間、思わず反射的に駆け出していた。助けられる勝算もない癖に、フィルが襲われている姿に我を忘れてしまった。白銀の髪の男は人形師のラルドだとすぐに気付いた。フィルに聞いていた通りの特徴だ。

 メリルは襲うラルドと攻撃を避けようとするフィルの間に飛び出した。きっとその場の全員が、馬鹿なことをしていると思っただろう。

 攻撃を避けようとしていたフィルは無理な体勢から、メリルを守ろうと前に出ようとした。必死に腕を伸ばすが、幾ら人形とは言えできることとできないことがある。

(届かな……!)

 奥歯を噛んだ瞬間だった。黒い影がラルドの背後を取り、勢いよく蹴り飛ばした。ラルドは宙を舞い、地面に叩きつけられた。強かに体を打ち付け苦しそうに咳込むラルドを一瞥し、その影はフィルの方を向く。

「怪我はない?」

「どうして……」

 その影はリアだった。リアは無表情でフィルを見詰める。彼女には自我が覚醒していないはずなのに、助ける行為をした。何も感情のない空っぽな人形にそんな判断ができるのかフィルには理解ができない。

 人形の本気の力で蹴り飛ばされれば人間の体は一溜りもないが、主人に対して全力を出すことはできず加減をしたのだろう。ラルドは咳込みながらも声を出すことができた。

「……なるほどな。R-1Aめ、()を助けに来たのか?」

「……?」

 初めて聞く言葉にフィルは途惑った。血の繋がりなんてものはない人形にも、そのような関係が存在するのか。

「F-1LとR-1Aは会話機能の有無、男女の違い以外は全て同じプログラムになっている。そして先に完成したR-1AはF-1Lにとって姉に当たる。ならばF-1Lに自我が芽生え、R-1Aにも同じように自我が芽生えたとしても何ら不思議はない」

 ラルドは冷たい双眸でちらりとリアを睥睨した。

「譬えどんな理由があろうと、私に刃向かった罪は重い。残念だ、R-1A」

 ラルドは義手を構え地面を蹴る。自らの生み出した言うことを聞かない人形の始末くらいはできる。元々主に刃向かわないように設定してあるのだ、リアはその設定の枷の所為で一瞬足が竦んでしまった。

 リアは衝撃に耐えきれず、人形の体は大きく亀裂が走り脆く砕けた。心臓と同じ位置にある核も鎌に貫かれ、破片の刺さった記憶装置も壊れた。心臓を失った体はぴくりとも動くことなく、直すこともできないほどに砕かれたリアは二度と立ち上がることはなかった。

「リア……?」

 姉だと知らされた直後に破壊されたリアを見下ろす感情の名前がわからなかった。

「俺の、姉……俺の……」

 地面に膝を突き、砕けたリアの体を抱き起こした。ぽっかりと開いた硝子の目は何を見ることもなく、ころころと揺れていた。きっと今まで、フィルと会話をしていたリアには感情があったのだろう。同じように感情が生まれたフィルを抱き締めてくれた時も、町に留まるフィルに警告をした時も。フィルと同じと言うなら、容量の小さい装置の所為で表情までは上手く作れない。

「リア……」

 町の人々は黙ってその様子を見詰めた。

 自分が飛び込んだ所為でこうなったことは、メリルには苦しいほど理解できていた。だが両親が人形に殺された時の光景が脳裏を過ぎり、足が止まらなかった。

 メリルはフィルの傍らにしゃがみ、彼の横顔を見て眉を寄せた。全ての感情が吹き飛んだような感覚がした。

 フィルが泣いていた。人形が涙を流していた。信じられない光景だった。

(フィルは人形じゃない……完全に人間だよ……)

 硝子の目に涙を浮かべ、大粒の涙を零す。まるで本物の人間のように、苦しみ、悲しんでいる。やがて子供のように声を上げて泣いた。人々が囲う中で、ラルドも目を丸くしていた。

「俺がっ……! 俺の所為で……リアぁぁぁ!」

 フィルに感情が覚醒していたことには薄々ラルドも気付いていたが、ここまでとは思っていなかった。町に来るまで言葉を話せるとも思っていなかった。言葉を投げて、返ってくるとは思っていなかった。町の人形師に何かされたのだと悟った。

「娘……F-1Aに何をした?」

 駆け寄る者がメリルしかいなかったためではあるが、ラルドは彼女を睨む。

「私は……ただ話しにくそうだから会話機能をつけて、記憶装置を大きな物に替えただけ……」

 メリルはラルドに目を遣らず、フィルの傍らで静かに言葉を紡いだ。ラルドとは目が合わせられなかった。合わせれば恐怖で話すこともできなかっただろう。メリルの言葉にラルドは不快そうに舌打ちした。

「余計なことを……!」

 その一言で会話機能も記憶装置も、()()()劣る物を使用したのだと察した。何のためにかはわからない。だがそんなことはどうでもよかった。

「ごめんな……俺がもっと強かったら、こんな事にはならなかったのに……」

 フィルは泣きながら途切れ途切れに静かに掠れた声でリアに囁いた。もう何も聞こえていないのに。その様子にメリルの目にも涙が溢れる。

「フィルの所為じゃないよ……。フィルが全部背負い込まなくていいんだよ……だってフィルは、精一杯頑張ってるもん……」

 そう言いながら、メリルは自分の泣き顔にぎこちない笑顔を浮かべた。何とかフィルの不安を少しでも和らげようと、無理だということがわかっていても微笑んだ。自分の苦しみも和らげたくて、メリルは必死に笑顔を作った。

 ずっとリアばかり見ていたフィルが、不意にメリルの方を向く。メリルは静かに微笑みかけていたが、いつまでも微笑みかけていられるほど強くはなかった。顔を上げたフィルの泣き顔を見た途端に、心臓が鷲掴みにされたような苦しさが襲ってきた。体の奥底から悲しみが込み上げる。そんな感覚と共に次々と涙が零れ落ち、止まらなくなってしまった。

 フィルの顔を見ながらぼろぼろと泣き続ける少女の存在に彼は途惑った。そして黙って自分達を見詰めている人々の姿に。

 だがラルドはいつまでもフィルの様子に驚いてはいなかった。

「愛しい姉との別れはその辺にして、貴様もR-1Aのように粉々に叩き割ってくれる」

 鎌を振り上げ、ラルドはフィルに向かって駆け出した。

 フィルはその場から一歩も動かず、ゆっくりと立ち上がる。そしてずっと俯いたままの顔をラルドに向けた。その顔は少女に見せた時のような剥き出しの殺意ではなく、軽蔑しているような、冷徹さを含んだ殺意だった。場にいる全ての者の背筋が凍りついた。全身に恐怖を感じても、ラルドは止まれなかった。躊躇していられなかった。

 乾いた音が辺りに響く。フィルは鎌を受け止めていた。

「くそっ……! 離せ! 貴様はまたっ……」

 ラルドの叫びも虚しく、フィルは軽くぱきりと刃を折った。そしてラルドを薙ぎ倒し、仰向けに倒れたラルドの上に跨った。

「お前は……何人の命を奪えば気が済むんだ!」

 鈍い音が辺りに響いた。人々は息を呑んでその光景を見詰めた。

 フィルは何発も何発も殴った。その度にラルドは顔を顰めた。殺してしまうのではないかと思うほどに何発も殴り続けた。幾ら殴っても気が収まらないと言うように。何処からその感情が出てくるのか、誰か教えてほしかった。

 暫くは呆然と見下ろしていたが、やがてメリルは力の差を知っていてもフィルの腕に飛びついた。

「やめてフィル! このままじゃ……この人が死んじゃう!」

 レミナの時のように『死』という言葉を出せば、フィルが我に返るだろうと考えたのだが、それでも止まらず彼はラルドを殴り続けた。ラルドはもう血も掠れ弱り切り、気を失っていた。

「フィル! やめて!」

 必死に叫ぶメリルの声が届いていないのか、フィルは動きを止めなかった。様子がおかしい。そう思った時、フィルは再び涙を流し始めた。感情が上手く制御できていないのかもしれない。人間そのもののような泣き顔に、メリルは静かに優しく囁いた。

「フィル。この人を殺してしまったら、あなたは人殺しになってしまうわ。あなたの嫌う人殺しに」

 その言葉が届いたのかは定かではないが、フィルはぴたりとラルドを殴る手を止めた。そしてゆっくりとメリルの方を向いて、今度は人形のように無表情で淡々と言葉を紡ぎ出した。

「……ありがとう。俺なんかの為に泣いてくれて。

 メリル……頼みがある。俺を消去してほしい」

「え……」

 突然のフィルの言葉にメリルは言葉を失ってしまった。それでもいつまでも黙っているわけにはいかない。

「それは……どういう意味?」

 やっとの思いで出てきたのはそんな言葉だった。そんなことを聞きたいのではないのに。

「俺の記憶装置の全情報を消去し、核のプログラムを全て書き換えてほしい。もう二度と同じ過ちを繰り返さないように」

「それって……フィルがフィルじゃなくなっちゃうじゃない! 私にフィルを殺せって言うの? そんなの絶対に嫌だから! 私はそんなことしたくない!」

「記憶装置も元の小さい物に戻して」

「え……?」

「思い出したよ。俺がラルドから左腕を奪ったんだ。そしてラルドは俺の全てを書き換えた。同じ過ちを犯さないように、余計な物を増やさないように、記憶装置も限界まで小さい物にした」

「待って……じゃあ、私が弄ったから……!」

「メリルの所為じゃないよ。俺が悪いんだ。俺が生まれたから、この町の人達も……」

「ぁ………………待って……い、いわ、言わないで……」

 震えるメリルの手を、固く冷たい手が握る。


「生きてる人間はもうあまり残ってない。この町の人達は、殆ど人形だね?」


 生き残っている人形師と決めて、死んだ町の人々の人形を作り続けた。生活を壊さないように、いなくなる度に新しく作った。プログラムされた表情なら作ることができた。

 ラルドは疾っくに気付いていただろう。何人が生きているのかまでは把握していなくとも。気付いていたから生きている人間を探して狙った。疾っくに破綻していた。偽りで塗り固められた箱庭の町だ。

「今までありがとう。もうメリルを悲しませたくないから、俺はこの町を出るよ」

「なん、で……」

「他の人形師に消去してもらうよ」

「いや……行かないでフィル! 私を一人にしないで!」

「大丈夫だよ。レミナはまだ生きてる。一人じゃないよ」

 フィルはメリルを抱き締めた後、背を向けた。

「さようなら」

 メリルは声を絞り出すことすらできなくなった。何も言えなかった。レミナは生きていても、少年二人の友達は人形だ。中途半端な表情の所為で感情があるように見えて、何もない空っぽの人形だ。死んだ両親の人形も作ろうとしたが、思いが強すぎる所為か上手く作れなかった。

 人形だとしても、感情を共有できる者が欲しかった。メリルが最初にフィルに声を掛けたのも、そのためだった。襲ってきたら金槌で殴るつもりだった。襲ってこなければ、中身が知りたかった。

 感情のある人形、それはもう人間としか言えないものだから。人間を作り出せるラルドがメリルにはとても、羨ましかった。




 それから幾日か過ぎた頃、地下牢に閉じ込められたラルドの下へ、朧気な足取りでメリルは訪ねた。

 手当てを施されもう殆ど治ってはいるが顔に貼り付けたガーゼはそのままで、ラルドは白銀の髪の隙間から珍しい来訪者を横目で見遣る。

 メリルは牢の前で佇み、冷たい石の地面に座り込む男を虚ろに見下ろした。

「……生きた人間とは、珍しい客だな」

「教えてほしいの」

 ラルドは訝しげに眉を顰める。

「殺人人形の作り方を教えて」

 その言葉に初めてラルドは目を丸くして真っ直ぐ幼さの残る少女を見た。

「どういう心境の変化だ?」

 ラルドは気を失っていたのでフィルが町を去ったことまでは耳に入っていないが、薄れゆく意識の中で必死にフィルの殴打を止めようとしていた少女の姿はぼんやりと覚えている。人形に人殺しを止めさせようとしていた少女が今度は殺人人形の作り方を教えてほしいとは。

「あなたの所為で皆いなくなった。だから皆……壊したい」

「……後者は人形か? 久し振りに町に来たが、人間が殆どいなかった」

「どうして皆殺しちゃったの?」

「聞いてどうする?」

 メリルは開いた口を静かに閉じる。そんなことを聞いてももう何も戻らないのに。冷たい地面に力無く膝を突いて座り込み、虚ろな目を俯ける。

 暫くは黙って動かないメリルを見下ろしていたラルドだったが、やがて仕方ないとでも言う風に口を開いた。久し振りに生きている人間と会話をした。感情の遣り取りに懐かしさでも覚えたのかもしれない。久し振りに話をしたくなったのだろう。話を聞いてくれる者など、人形以外にいなかった。

「昔は私も町に住んでいた」

 言葉を発したラルドに、メリルは静かに顔を上げた。何処も見ていないような虚ろな目でぼんやりと見詰める。

「昔話だ。お前程の歳の頃に、血は繋がっていないが妹ができた。両親を亡くしていた私にはとても可愛くてな。彼女に小さな人形をあげたらとても気に入ってくれて、お喋りができたらいいのにとよく言っていた」

「…………」

「だが彼女は病を患ってしまった。町の人間は誰も助けてくれなかった。どうやら難しい病だったらしい。誰も近付いては来なかった。子供だった私には為す術がなく、妹は死んでしまったよ」

「……それで、町の人を憎んだの?」

「いや。その時は仕方のないことだと思っていた。だが町にいるのは辛くなってしまった。私は生前の彼女の望みを叶えてやりたいと考え、人形師の育成が盛んなエレ・ガレの町へ行って人形作りを学んだ。自ら動き、会話をする人形を作るために。学びを終えた後は町外れの森に住むようになった。それは知っているだろう?」

 森の中で一人で暮らす人形師の話は、町に住んでいる誰もが知っている。元々町に住んでいたという話はメリルには初耳だったが、それはメリルが生まれる前の話だ。

「F-1L……いや元はE-1Lだな。あれは私の十体目の作品だった。完成と同時に襲われてしまった」

「プログラムを間違えたって」

「F-1Lから聞いたのか。他の人形達に助けられ活動停止状態にしたんだが、私はこの通り左腕を失った。暫くはE-1Lは停止状態で保管していたんだが、そのまま埃を被らせておくのは惜しかった。プログラムを正常に書き換え再び目覚めさせた。私を襲うことはなく安心したんだが、E-1Lは一人で町に行き殺戮を行ってしまった。この辺りのことならお前にも覚えがあるだろう? お前も生まれているはずだ」

「覚えてる。私の家族が殺された」

「……そうか。E-1Lは毎日町に殺しに行ってしまった。私の奥底に町の人間に対する憎しみがあり、それを汲み取ってしまったのかもしれない。私は次第に気が狂ってしまったのだろう。妹に対する仕打ちも今更暗く伸し掛かった。E-1Lばかりに手を汚させるわけにはいかないと思った。一体を除き全ての人形を殺人人形に書き換えた。E-1Lは書き換えるだけでは言うことを聞かないことはわかっていたからな、E-1LはR-1Aを基に殆ど新しく作り替えたと言ってもいい。それを新たにF-1Lとした」

「それで最小限の装置を?」

「ああ。お前も人形師の端くれのようだな。まさか町に行かせている間に改造されるとは思わなかった。だが町に留まっていることで、察することはできたよ。きっと私を恨んでいるのだろうとね。私はあの日、F-1Lに殺されるつもりで町に来た。最後まで悪役に徹していられただろうか?」

 どうにも制御できなかった人形の責任を、全ての罪を一人で負うために町に来た。疲れ切ったラルドの表情から、嘘を言っているようには見えなかった。もう全て終わりにしたいと言うような、毒気の抜けた双眸だった。

「R-1Aが私に襲い掛かってきたことは想定外で、他に対処のしようはあったと思うが……私を襲ったことで、またあの殺戮が始まってしまうのではないかと手荒なことをしてしまった」

 一度静かに目を閉じ、蒼い目でメリルを見上げる。

「あれから私の家には誰か行ったか? 一体だけ殺人人形にしていない人形がいる。私が初めて作った人形、A-01だ。後のことは任せている。私が生きていることは誤算ではあるが」

 ラルドは再びゆっくりと疲れた目を閉じる。

「殺人人形が作りたいと言うならA-01に聞いてみろ。こんなに話したのは本当に久し振りだ。疲れてしまった。少し眠らせてくれ」

 膝を立てて頬杖を突いたまま、ラルドは動かなくなった。眠ってしまったのだろう。

 メリルは重い腰を上げて立ち上がり、全てを吐き出して眠ってしまったラルドの白銀の頭を見下ろした。ラルドの家には誰も立ち入っていないはずだ。まだ家に殺人人形がいて、襲われるかもしれないのだから。

 それでもメリルはラルドの家へ向かった。静かな町を抜け、木漏れ日の差す森へ足を踏み入れる。

 木々に囲まれた小さな家はすぐに見つかった。茂る葉を分け人形の通り道があったからだ。

 扉を開けると人形に襲われるかもしれない。そんな不安は今のメリルにはなかった。何も考えられなかった。どうすれば良いのかもう、わからなかった。

 扉は音を立てて開いた。


「おかえりなさい」


 窓から差す柔らかな光の中で、一体の幼い少女人形が微笑んでいた。

「私は……」

 あなたの主人じゃない。そう言おうとして、口を噤んだ。

 この家に帰ってくる人間はラルドだけで、だからここに帰ってきた人間を主人だと信じている。

 おそらくこの少女人形がA-01だ。

「他の人形は……?」

 見渡しても他の人形の姿はない。他の部屋にいるのだろうか。メリルの家は様々な部品が散乱していて足の踏み場もないが、この家は綺麗に片付けられていて床も見えている。同じ人形師の家だとは思えなかった。

「上の階にいます。言われた通り、殺人機能を削除しておきました」

「!?」

「どうかしましたか?」

 何も言葉を発していない、ただ驚いただけなのに、少女人形は小首を傾げる仕草をする。反応速度もまるで人間のようだった。

「どうして、削除したの……?」

 言われた通りと言うのだからラルドに命令されていたのだろうが、何故という疑問が消えなかった。

 少女人形は少しだけ不思議そうな顔をする。これは設定された表情なのか、自我が芽生えているのか、メリルにはわからなかった。

「指示になかったでしょうか?」

「え、う、ううん……そうじゃなくて」

「長らくお疲れ様でした。お心の休まるまで、お傍によろしくお願いします。帰ってきてくれて良かった」

「どういうこと……? まさか、この人形も自我が……?」

「R-1A様は残念でしたが、F-1L様はご無事のようで嬉しいです」

 話を聞いていないのか、すらすらと勝手に話し始める。その中に一つ違和感があった。あの一件の後からこの家には誰も来ていない。なのに何故この人形はR-1Aが壊れたことを知っているのか。

「リ……R-1Aのこと、何で知ってるの!?」

 少女人形は胸の前で祈るように両手を組んで目を閉じた。

「私は全ての人形を統括する監視人形。全ての行動を把握しています」

「それって……フィ……F-1Lが今何処にいるかもわかるってこと!?」

「はい。F-1L様はエレ・ガレにいます」

「!」

 思ってもいなかった情報に、メリルは直ぐ様踵を返した。エレ・ガレは人形師の多く住む大きな街だ。

「お待ちください」

 家を出ようとしていた足が、静かな一言で止まってしまう。まだ何かあるのかと、急いてしまう気持ちのまま振り返る。

「F-1L様は修理中です。自ら望んでのことですので、少々お待ちください」

「しっ……主人が行くって言っても止めるの!?」

「F-1L様は自立覚醒されています。その場合は人形であれ尊重しろとのご指示です。F-1L様を信じてあげてくださいませ」

「…………」

 その指示はラルドが言いつけたものだろう。自我の発生に薄々ながら気付いていたのなら、そういう指示を残していても不思議ではない。

「……じゃあ、あなたは……?」

「私は人形です。譬え自立覚醒しても、お傍にいます。ラルド様をお一人にはしません」

 そう言って少女人形は深々と頭を下げた。自我があるのかないのか判断がつかなかったが、ラルドは一人ではなかったのだとわかった。A-01にだけは胸の奥底に沈む気持ちを話していたのだろう。この少女人形はいつまでもここでラルドを待ち続けるのだろう。こんな健気な人形に、殺人人形の作り方など聞けるはずがない。

 それが譬え人形でも、誰もいなくなっても一人になるわけではないのだと、町にいる人形達のことが脳裏を過ぎった。

「わかった……信じるから、あなたも信じて待ってて」

「はい」

 おそらく、今ラルドを解放すると言ってもラルド自身がそれを拒むだろう。けじめとして牢に留まろうとするだろう。その気持ちが収まった時にまたここで人形達と、今度は穏やかに過ごしてほしい。誰かを憎めば楽になれたかもしれないが、ラルドを憎むことができなかった。

 この人形はラルドが死んでも、ここでずっと待ち続けるのだろう。

「じゃあ出掛けるね」

 メリルのことを主人だと思っている少女人形に手を振ると、彼女は微笑んで手を振り返してくれた。


「はい。いってらっしゃいませ。ラルド様のことを、よろしくお願いします」


「え……?」

 閉まる扉の隙間から聞こえた声に目を丸くするが、もう一度開けて確かめようとは思わなかった。

 リアのことを訊いた時からかもしれない。ラルドなら知っていることだ。それを訊いたことで、メリルが主人ではないと察したのだ。

 閉じた扉を暫く見詰めた後、メリルは踵を返した。言われた通り待つことにした。フィルが帰ってくると信じて。




 三年の月日が流れ、町は殺人人形を恐れることなく穏やかに毎日が過ぎていた。

 メリルが家の前で箒を手に掃除をしていると、町の人……人形が慌てた様子で走ってきた。人形はメリルの姿を見つけると、人形なので当然ではあるが息を切らしもせず声を掛けてきた。

「F-1Lが帰ってきた! 今は広場にいるよ!」

 それだけ告げると、人形は走って去ってしまった。それだけで充分だった。メリルは箒を投げ捨て、広場に走った。

 広場には人集りができていた。きっとあの中にフィルがいるのだとメリルは確信した。人形達は少し距離を取りながらその人形を囲っていた。

 三年ぶりに見る姿だった。

「フィル!」

 メリルは感極まり、フィルに飛びついた。どんな姿になっているのだろうと心配ばかりが脳裏を過ぎったが、三年前と何も変わらない姿をしていた。まるであの時から時が止まっているかのようだった。

「メリル……?」

 フィルは勢いよく飛びついたメリルを受け止めきれず尻餅をつき、衝撃で尻が割れていないか心配されながら優しく、だが困ったように微笑んだ。

「少し背が伸びたんだね。

 ……勝手に町を出てごめん。メリルを俺の所為で傷付けたくなかったから……。本当はもうここに戻るつもりはなかったんだけど……幾ら消去してもメリルの事が消えなくて……」

「フィル……」

 メリルは嬉しくて涙が溢れそうだった。

「それと……言いたい事があるんだけど……」

「な、何?」

「大勢の前で抱きつかれると、その……恥ずかしい」

 真顔で人形らしくないことを言った。周りの人集りも人形なのに。

 メリルはスカートの裾についた砂を叩きながら無言で立ち上がった。良い雰囲気だと思ったのに、水を差されたようだった。

 フィルも立ち上がり、背を向けるメリルに小首を傾ぐ。何か機嫌を損ねるようなことでもしただろうかと。感情があるとは言え、まだ覚醒してから然程人間と交流もしていないので感情の名前も意味も察することが難しい。それでも変化だけは感じ取ることができた。

 メリルの手を取り、フィルは走り出した。

「えっ、フィル!? どうしたの?」

「ごめん! 大勢の人が見てると……その……」

 人の目がなくなりメリルの家まで手を引いたフィルは、立ち止まって申し訳なさそうに振り返った。振り返り、メリルの両手を握る。

「メリルは、悲しい……?」

「え……?」

 困ったように言われて初めて、メリルは泣いていることに気付いた。……悲しくはないはずだ。フィルが帰ってきて嬉しい気持ちがあるのがわかる。何故涙が出ているのかは人間であるメリルにもわからなかったが、心配そうにするフィルに笑いかけた。

「嬉しい時も泣いていいんだよ!」

 両手を握られているため涙は拭けないが、笑うことならできた。

「おかえりなさいパーティやってあげるね!」

 嬉しそうに笑うメリルを見て、フィルも安心して微笑んだ。嬉しい時も泣くものだとは知らなかった。

「メリルのこと好きだから、メリルには笑っていてほしいよ」

「!」

 どういう意味の好きなのかわからなかったが、突然の好意的な言葉にメリルは顔を真っ赤にして俯いた。

「セレアみたいにいつまでも、メリルの傍に居させてほしい」

「セレア……?」

「あ、ごめん……セレアはラルドの家にいる人形で……」

「もしかして、A-01?」

「知ってるの? そう、その子がセレア。ラルドの妹の名前なんだけどね」

「そう……なんだ」

 メリルは微笑む。ラルドは牢から解放され、町外れの家に帰っている。帰ってからも町に殺人人形は来ない。今頃は穏やかに人形達と暮らしているだろう。その傍らで微笑んでいるA-01――セレアが目に浮かぶ。

「私もフィルのこと好きだよ。ずっと傍にいてね」

 どちらの意味で言った言葉なのかメリル自身にもわからなかったが、言うと恥ずかしくなってきたので、顔を隠すためにフィルを抱き締めた。少しだけ身長差が小さくなったようだ。三年前より顔が近くて照れてしまう。

「もちろん」

 フィルも優しく抱き締め返した。力を入れすぎないように。壊してしまわないように。


設定を新たに一つ加えましたが、大筋はそのままです。タイトルは変えてしまいました。

遙か昔こちらのコピー本をお手に取ってくださった皆様ー!こちらにはいらっしゃらないかもしれませんが、ありがとうございます!お陰様でまだ元気に小説書いております!(´∀`)ノシ

今回も楽しく書きました。

楽しんでいただけたら嬉しいです。


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