サシ飲みインテグラル
「人生ってのは潜水艦なんです」
「おっ突然どうした」
居酒屋の小部屋に二人、たまには飲みに行こうと誘ったのはマツシタ先輩の方だった。
後輩であるミナトちゃんが元気が無いので、先輩であるところのマツシタ君は、ちょっと悩みを聞いてあげようと思っていた。決して下心などないのだ。
ミナトちゃんは言う。
「人間同士ってのは、潜水艦みたいにソナーの音だけでお互いを認識しているように思えてならないのです」
マツシタ君は答える。
「その心象風景だけで、お前が今疲れてるんだろうな、ていうのはわかる。元気出せよ。うまいぞこの『よだれ鶏』」
「いただきます」
よだれ鶏というのは、中華料理らしい。茹でた鶏肉に山椒の効いたタレをかけていただくおつまみだ。ここのは薄い衣をつけて揚げている。そのうえにタレをかけている。うまい。
「じゃあ俺の話も聞いてくれよ」
よだれ鶏をとりわけながらマツシタ君は自分の話もしたいようだ。
「なんです?」
「岡山の昔話で、夜に砂を茶碗一杯食わせたら、翌朝小判がケツから出てくる犬がいるらしいんだよ」
ミナトちゃんは少しあきれぎみだ。
「その話だけで先輩が下らないことにしか興味がないかもしれないと思いました」
「そいつは困ったな」
ミナトちゃんは、ジョッキを一本あけてしまったらしい。自分の話をつづけたい。
「いいですか?私は、人生の孤独感とか、寂しさとか、本当の愛って何かなっていうテーマを話そうと思って話題を振ったんです。それなのに先輩は小判のウンコが出てくる犬って。どう話をスライドするつもりなんですか?」
「いや、お前の言いたい事はわかるよ?潜水艦とか船に積んでる『ソナー』っていうのは、『アクティブソナー』と『パッシブソナー』ってのがあるんだよね」
「はい」ミナトちゃんはうなずく。
「自分の周りにいる人間がどういうタイプの人なのか、自分にとってストレスがあるかないか、自分にとって楽しさを共有できるか、そうでないタイプか、そういう事の判断を、お前は日々、アクティブであれ、パッシブであれ、受信しながら考えて生活してる」
「そんな感じです」
「そしてお前の目の前には『人』じゃなくて『ソナーのモニターを通して見た物体』がいる。自分がソナーを通して人を見る以上、相手の事は理解できないのではないか。という」
「え、ソナーの先にいるのも人だとは思ってますよ。でも、お互い干渉しすぎないようにしましょうね、そこにいるのはわかりますから、こっちは大丈夫ですから、そっちも大丈夫ですよね・・・と。生存確認をやりつつ、嫌なやつが来たら逃げる感じです」
「うーんそうかぁ」
「でもですね、たぶん私はこうしてソナーを見ながら、恋愛対象を探したりもするんですよ。相手を見ないでソナーばっかり見てるんです。今はそれどころじゃないんですけども」
「相手にだって似たようなソナーがあるんじゃないの?」
「そうでしょうけど、乗り物が違う以上、型式も違うんだろうなと。育ってきた環境が違うんですし。けっこうたくさんの人が同じような悩みを持ってるんじゃないですかねえ?」
「そうだねえ」マツシタ君にもわからないでもない悩みだが、海底に居たい人を無理に水面に上げてもな・・・と思ってほっとくことにした。大人なのだ。
ミナトちゃんはチューハイを追加で頼んだ。マツシタ君はもう一本ビールを頼む。
少し間をおいて、ミナトちゃんが話を続けてくれる。
「私は、黄金のウンチが出る犬の話はそんなに興味ないんですよね」
ミナトちゃんは、ちゃんと話題を憶えているらしい。
「えー楽しいのに」マツシタ君はちょっと嬉しい。話を合わせようとしてくれるんだなと。
「どうせ、小判を生んで、いじわるじいさんが悪さをする話なんでしょ?」
「まあそうかな」
「そんな話はもう小さい頃に100回は聞きました」
「それがよ」
「続けるんですか?」
「その犬は、大宰府天満宮で有名な、菅原道真が飼ってた犬らしいんだよ。お前の予想通りだけど、いじわるじいさん的な人が必要以上に砂を与えたので石化してしまった。そして、菅原道真が、大宰府に左遷されるときに、船が嵐の中で難破しそうだ・・・どこからともなく犬の鳴き声がする・・・鳴き声の方に行くと島にたどりついた。・・・翌朝、なんと島の高台にあの時の犬が石になって・・・こんなになっても私を助けてくれたのか!という」
「良い話・・・なんですかね?」
「俺もよくわからん。犬島っていう島があって、犬に似てる石も実在するんだよ。で、その島の住人がモモタロウと一緒に鬼を退治したらしい」
「めっちゃ設定盛ってきましたね」
「そうなんだよ。すでに
1.小判を生む犬が石化する。
2.石化した犬が菅原道真の旅を助ける。
3.その犬島の人がモモタロウを助ける。
3つのお話がこの島に絡んでる。なぜ、ストーリーの最初に小判のウンコが出る犬にしたのかなっていうのが、最近ずっと気になっててね。良い話が台無しじゃん」
「気になりますか?どうせ犬の形に見える石がそこにあっただけなんじゃ・・・」
「そうだとして、お前だったら導入部にそんな話入れる?俺には思いもよらない深い理由があるんじゃないかな?」
「うーん、菅原道真とモモタロウは、とにかく別の話にしようかなと思うかもしれません」
お互い、酒がすすんできた。
「先輩は何で私にそんな話をするんですか?」
「ミナトちゃんは資格の試験が近いので、プレッシャーを感じているのだ。と、俺は思うんだよ」
「そうですねえ、飲んでる場合じゃあないかもしれません」
「でも海底にずっといて、ソナーの音だけ聴きながら黙々と勉強するってのは、精神衛生上よくないよ。情報格差ができちゃうんだよ。フィルターバブルになるんだよ」
「精神衛生上って最近聞きませんねそういえば。フィルターバブルは私の『潜水艦現象』と似てますね」
「お前、受験の苦しみを『潜水艦現象』って名前にしたのか」
「苦しみが伝わるでしょう?私はかわいそうなんですよ、わかってくださいよ、と言いたいんですよ。自己申告制です」
「わかるわかる。お前を理解してやれるのはこの世で俺だけだ。俺だけがお前をわかってあげられるんだぞ。だからお前は今から俺にキュンときて、仕事も勉強も手につかなくなるんだよ」
「ありえない」
「まさか」
「黄金のウンチが出る犬の話から、なんで先輩に惚れないといけないんですか?恋愛ジャンルを舐めてるんですか?」
「この受験の苦しみを乗り越えたお前なら、俺の長年の疑問に答えを出してくれるかもしれないと思ったのだ」
「私はべつに疑問じゃないんですけど・・・菅原道真ってファンが多いから、あんまり変な事言わない方がいいですよ?あと勉学の神様なんで、私もおろそかにしたくないんですが」
「東風吹かば~臭いおこせよ犬の・・」
「ヤメロぉ!」
こうして、夜は更けていった。
帰り際、ミナトちゃんは少し元気が出たので、先輩に感謝したが、先輩が惚れられることはなさそうだ。また明日、そういってお互い軽く別れるのであった。
フィルターバブルとは、「インターネット上で泡のなかに包まれたように、自分の見たい情報しか見えなくなること」という意味の言葉である。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ(菅原道真)
訳:わが家の梅の花よ。 東風が吹いたら、私のいる大宰府まで匂いを届けておくれ。 主人がいないからと言って、春を忘れてはならないよ。
面倒なテーマしか喋らない二人ですね。
読んでいただきありがとうございました。