2・別れと出会い
「話って?」
「君のお義母さんが伯爵様から支援を受けている薬草店が、順調なことは知っているよね」
「そうなんだ」
確かに嫌味を言いに来る義母妹は、いつも違う服や装飾品で着飾っている。
余裕はあるのだろう。
「そうだよ。君はいつも寝たきりらしいし知らなかったのかな。ずいぶん儲かっているから、店の支配人がその腕を見込まれて、都で有名な別の店へ栄転することになったんだ。そこで次の支配人になってほしいと僕が頼まれたんだよ。これから店とネーチェリアを支えて欲しいって」
セレルは耳を疑い、ずいぶん大きくなった幼なじみを見上げた。
「だけど……あの、私は……?」
「君は病弱だし、重要な立場を引き受ける僕の妻になることは難しい。それに僕はネーチェリアと一緒に働いて、君のお父さんとお母さんが作ってくれたあの店を守っていきたいんだ」
エドルフは使命感に溢れた口調だったが、セレルがその店を立ち上げた父と母の血を引いていて、一日中働き続け、たった今婚約破棄をされて、なんの権利も与えられていないことには触れなかった。
エドルフはすべて解決したような顔で、静かにほほ笑みかけてくる。
「僕だってつらくないと言えば嘘になる。でも君ならわかってくれるよね」
なにもわからなかったが、それですべてが片付いてしまったらしい。
ぽかんとしているセレルの様子をエドルフは和解だと受け取ったのか、握手を交わしてくる。
「じゃあ僕はこれで。悲しいけどお別れなんだ」
「別れって……ここは、どこ?」
「僕たちは数奇なめぐりあわせだと思う。君を惑いの森へ追放することが、僕の最初の仕事になるなんて」
セレルの顔から血の気が引く。
「今までありがとう。僕の大切だった人」
エドルフはすっきりとした顔つきで背を向け、来た道を引き返した。
その片手に提げたランタンに飾られているペンダントの石に見覚えがある。
妹のネーチェリアが作ったと自慢していた、惑わずのお守りだ。
──これはね、惑わせの森に入っても迷わないように、この町へたどり着く方角を示してくれるとっても重要なお守りなのよ。まぁお姉さまなんかの力では作れないでしょうけど。
「待って……!」
セレルの声は届かなかったのか。
エドルフの後ろ姿が、木々にのまれるように去っていった。
セレルはその場に座り込む。
ネーチェリアが人のものを欲しがる性格なのは、良く知っている。
だからといって働きづめで動けなくなった自分が、婚約者だったエドルフに惑いの森で置き去りにさせるとは。
先ほどまで期待していた自分が愚かに思えたが、エドルフが今までなにも行動を起こさなかったというのは、彼の心がセレルにあったわけではなく、自分になにかを施してくれる存在を喜んでいただけなのだと、いまさらになって気づいた。
なぜかはわからないが、そのことに少しほっとしている。
自分の心理が理解できないまま、セレルは重い身体を草地に横たえて目を閉じた。
後はここで朽ちていくだけ。
もう働かなくてもいいのに、好きなだけ休めるというのに、自分の内側が空っぽになったようにむなしかった。
視界がにじむ。
どのくらいそうしていたのか。
地面に振動を感じた。
ぞわぞわと身のおぞけだつような気配が近づいてくる。
セレルが体を起こすのとほぼ同時に、それは木々を間を縫うように現れた。
血まみれの男だった。
その長身の迫力も相まって、今しがた人を殺めたばかりのような鬼気迫る容貌だった。
抑えている胸の辺りから鮮血が溢れている。
男はよろめくと力尽きたかのように膝を折り、地に伏した。
無残な姿がそこにある。
胸をかきむしられたかのようにセレルの心が乱れた。
もう助からない。
気づいたときにはすでに駆け寄っていた。
彼の手をよけると、その痛々しい傷口にてのひらを当てて一心に力をこめる。
怖かった。
しかしその恐怖は動いていた時に感じた男の殺気ではなく、彼がひどい目にあわされている事実の方だった。
「どうして、こんなことに……」
相手が何者なのかを考えようとすると物騒なことしか浮かばなかったので、気にしないようにする。
この傷を前に、どこまで自分の力が通用するのか。
不安を抑えこみ意識をてのひらに向ける。
「触るな……」
長いまつげに縁どられた瞳が、牙をむく狂犬のようにぎらつく。
息をのむほどの美貌だった。
繊細な女性のように薄い色素の美形で、身につけているものはひどく傷ついていたが、よく見ると王族や高位の貴族のような格式のあるものを着ている。
セレルは面食らったが素知らぬ顔をした。
「触るな? 触るよ。だいじょうぶ。私、あなたのこと治すから」
「無理だ。俺はもう助からない」
「でもあなたはここまでやってきた。どうして?」
「うるさい」
「助かりたかったんでしょ」
「うるさい、触るな」